• ラーメン屋の武田晴信

    息抜きの落書き…これには深いわけがあって…いや別に深くはないけど…
    函館空港で買った「ラーメン信玄」を食べてたら「ぐだぐだ太閤伝ZIPANG」の挿絵の晴信のこと思い出して、ふと「ラーメン屋の晴信」が思いついただけで…毎日のように来店するくせにギョーザとビールしか頼まない常連客にラーメン食えやっつーかラーメン食わしてやるって意気込んでる晴信が思いついただけで…別に本当に深くない…そしてラーメン信玄こく味噌味はとても美味しかった…!(↑の隠し味云々は実際のラーメン信玄とは関係ありません)

    というかラーメン信玄はこく味噌味以外にも種類があったんか!!!空港にはこく味噌しかなかった…今度買う…あっスナッフルスのクッキーも買い足したい…胃袋が函館にとらわれておる…

    いつも感想ありがとうございます!

  • 案内川中島

    \こんな食糧事情の悪いカルデアにいられるか!俺は座に還らせてもらう!/

    思いついたままほったらかしにしていたネタをやっと描いたよ 景虎/謙信ちゃんは訂正してあげない(晴信のリアクションがおもろいので)
    ジャックちゃん無茶苦茶描きやすくてびっくりした かわいいね うちのアサシンのエースです

    やっと新しいパソコンの設定もろもろ完了して、クリスタもちゃんと環境設定(?)を移行できたんだけどなぜかペンタブだけが筆圧が初期に戻ったような気がする…でも今の筆圧設定のほうが圧倒的に描きやすい…怪我の功名…

    WAVEBOXのメッセージ、本当に指摘ありがとうございました…助かりでした!
    このところポカミスが多い…今日も試し刷り入稿したらデータの一つがレイヤー未統合のクソデカファイルサイズになってて、印刷所から指摘されてたまげました。さすがにこんなミスは人生初…入稿後に誤字脱字に気付くのはよくやるしもう諦めてるけど(開き直るな…)
    これ書いてる途中に↑の漫画も塗り残しあるのに気づいて修正する始末。

    今週ずっと北海道(で食べたもの)のことを思い出して生きてる。思い出すのは君のことばかり、カニみそ甲羅焼き…

  • 超ではないほうの

    五稜郭に行ってました。甲斐・越後・信濃に続き聖地巡礼…になるのかな?
    (この影は五稜郭タワーです)

    初めての函館、おおよそ20年ぶりの北海道、予想もしてたし対策もしていたつもりだけど無茶苦茶寒くてビビりちらしました。ダウンジャケットの下にダウンベストという人生初のコーディネート、住んでるところでは真冬2月並みの装備でも凍える函館山午後5時…。

    寒かったけど食べ物が何もかも美味しかった、美味しすぎて「北海道の人は道外に出たら食に絶望するのでは?(真剣)」と思うくらいに美味しかった…お酒も美味しかった…買い込んだお土産は過去一の量になりました。また来るからな北海道…!次は道東あたりを攻めたいです。ガリンコ号(気になる)。

    BOOTH再開してます。なんかシステムトラブルなのかメール通知がいかなくなってるらしいので、入荷通知メールももしかしたら発信されてないのかもしれませんが、BOOTH通販は再開してますのでよろしくお願いします~。

  • アクリルスタンドができた(自慢)

    カワイイ〜!(自画自賛)

    蛍光ピンクのアクリルと蛍光グリーンのアクリル、側面が色濃く見えるのとてもカワイイ

    台座も同じアクリルで、それぞれの家紋を赤と白で…カワイイ〜!

    やりたい仕様ができる印刷所の最少ロットがたくさん(3以上はたくさん認定)だったので少しBOOTHに出します。あとでページを作りますのでご興味持たれた方はチェックしてみてくださ〜い!

    【追記】BOOTHページ作りました。https://snorra.booth.pm/items/6216383
    アクリルスタンドなのかアクリルフィギュアなのか全然わかってないけどBOOTHのカテゴリがアクリルフィギュアだったので合わせました。どっちなんだ…

    初めてアクスタ作ったけど可愛くキレイにできてとても嬉しい

    WAVEBOXやサイトへのリアクションありがとうございます!

    (どうでもいい近況)最近パソコンが頻繁に強制終了しまくってて先日更新した漫画を描いてる最中もやらかして虚無ったので新しいのをポチったら思ったよりかなり早く届いてしまい、データ移行の準備がまだなのに〜!!とか言いながら出来心で過去のデータを見てたら初めて書いた小説のデータを開いてしまいのたうちまわっています

  • 川中島はこんなことしない – だって純情 川中島

    提供:サンタカルナ(パンチングミット)

  • 描かれた川中島

    長野県立歴史館の展示、とてもよかったです。写真は図録。
    乗っかってるキーホルダーは、春に川中島を訪れたときに買った川中島駅の入場券を封入した自作品ですが、旅行中に金具が破損してかなしみ…だったけど、幸い落として紛失には至らなかったのでヨシ!です。付け替えたいけど頑丈な金具ないかな、チタン製とか(重そう)

    感想や絵文字の送信、たくさんありがとうございました!

  • 10.

    景虎と晴信の間に逆に10歳の歳の差があり、晴信の兄(竹松)がそこそこの年齢まで存命しているため晴信が当初跡継ぎ候補とならず越後に人質として送られているというIF的パロ。
    書きながら「これは別にFGOの川中島じゃなくてもいいな…」と我に返ったのでお好みの川中島のビジュアルで脳内再生してください。






    「――え?」
     それは、降って湧いた、というべき話だった。越後の長い冬もようやく終わろうかという折のこと、突如として聞かされた話に長尾景虎は目を丸くして驚いた。
    「人質? 交換?」
     何がなんだかわからない――という表情を向けられた先、宇佐美定満は落胆することもなく、常通りの主君の反応に淡々と言葉を返すのみだった。
    「はい。相模の北条への対応について諸事鑑みました結果、甲斐との同盟を結ぶことに相成りましたので」
    「聞いていませんが」
    「はい」
     それはそうでしょうな、と、宇佐美は表情を崩さない。曰く、話は景虎の兄、晴景の代のころに八割がた纏まっていたのだという。病弱な兄から家督を引き継ぎ越後国主となってまだ一年も経っていない景虎にとっては寝耳に水もいいところだった。
     紆余曲折を経て家督を継ぐことになったが、景虎は内政よりも戦働きのほうが得手である。いや、むしろ内政には興味がない。しかし兄の後を継ぎ国主となったからには興味がないという一言で放り投げるわけにもいかず、渋々嫌々の仕事をしている……つもりである。思い返せば春日山に入って引継ぎめいたあれこれを聞かされたとき、甲斐とか同盟とか、そんな単語をこの耳が拾ったような記憶もある。あるが、聞かされたはずなのに覚えていないよりは、最初から聞かされていないことにしたほうがお小言は少なかろう、そういう魂胆で景虎は知らぬふりを決め込むことにした。なお宇佐美はすべてお見通しである。
    「ともかく、こちらからは猿千代様を、先方からは勝千代殿を、それぞれ交換ということになります」
    「猿千代をですか?」
     いいのだろうか、という疑問が浮かぶ。猿千代は景虎の兄・長尾晴景の嫡男だ。景虎の認識としては、自分はあくまで中継ぎの当主であって、本来の後継者は兄の息子・猿千代である。長尾の家にとっては何を差し置いてでも守るべき後継者であろうに、そんな存在を差し出してよいのか? それとも此度は双方、嫡男同士を交換することになっているのか? 要領を得ない景虎は真意を確かめんとして、やや前のめりになった。
    「向こうの、その、勝千代というのは、なんなのです?」
     これにはさすがの宇佐美もあきれ果て、あんぐりと口を開けてしまった。事細かに知っておけとは言わないが、それにしてももう少し言い方というものもあるだろうに。
    「……勝千代殿は武田の二郎君(じろうぎみ)です」
    「それでは――」
     差し出すものが不釣り合いすぎる。と、言いかけた口を、景虎は閉ざした。諸大名にとって、ひいては武家の一門にとって、嫡男とそれ以外の扱いには雲泥の差がある。長尾が嫡男、すなわち次期当主を差し出すのであれば、武田も同じくすべきである――というのが景虎にとって最も頷ける条件だ。自分の心情的な問題の他に、長尾の家としての利害も絡むこの問題、何故その条件でまとまったのか――その答えはほかならぬ宇佐美から聞かされた。
    「お考えは御尤も。されど猿千代様は今となってはあくまで当主縁戚の嫡男」
     宇佐美はそれ以上を語らなかったが、言わんとするところは十分伝わった。
     景虎を擁し晴景を廃した結果が今の長尾の家。家臣の中には晴景の子を疎んじるものもあるということだろう。まだ幼い甥の顔を思い浮かべて、景虎は珍しく表情を険しくする。その表情を目の当たりにして、ただ委縮するような宇佐美ではない。当然の反応とばかりに平然とした顔で補足を述べた。
    「武田とて似たようなものと聞きます」
    「……どういう意味です?」
    「武田信虎の嫡男は器量不足とのもっぱらの噂、家臣らの間では勝千代殿こそを後継にと望まれているとか」
     察するに、信虎は家臣らへの圧力として二郎君を人質に差し出した、というわけだ。勝千代が当主となることはないと示すために。
     景虎は嘆息を禁じ得なかった。どこの家も、つまらぬ面倒事で溢れているらしい。それについて思うところは色々あるものの、人質交換の話については景虎の中でも折り合いはついた。
    「わかりました、それでよいとしましょう」
     嫡男でありながらそうあることを望まれていないものと、嫡男ではないがそれとなり替わることを望まれているもの。
     なんとも歪だがつり合いは取れているのかもしれない。納得した顔の景虎に宇佐美は安堵するが、何も反発がなかったことだけがその要因ではなかった。
     景虎には「嫡男は器量不足」と言いはしたが、実際のところは病がちゆえというのが勝千代擁立の真相らしい。であれば二郎君の勝千代が後継となる道は十分に残されているはずで、通常ならば人質として越後に送るなど到底考えられない。しかし武田信虎は勝千代よりもその弟を溺愛しているとも聞く。であれば、此度の話は二郎君の勝千代を体よく厄介払いとできる好機して受諾された可能性も出てくるし、何より長尾にとっては益のない同盟でしかなくなる。
     それでもこの話を受けたのは未だ国内の安定がなされぬ以上、北条に対する牽制として武田の存在は何物にも代えがたい、その一点のみであった。もし景虎が越後国内を平定したならば、純粋な国力で諸大名と渡り合える道も出てくるかもしれない、いや、出てくるに違いない。宇佐美は、それがそう遠くない将来に実現すると確信していた。それは傍から見れば希望的観測でしかなく、他にも考えることは山積みなのだが。
    (安泰は国のことだけではない)
     そう、例えば未だ二十歳となったばかりのこの年若い国主にも、縁戚ではない跡継ぎについて考えてほしいところだが、戦好きの景虎にそこまで期待してもむなしかろう、という諦観がある宇佐美だった。

     勝千代らが越後へ着到したのは、それからひと月ほど経ってからのことだった。春日山の邸はこのひと月の間、あちらの部屋を片付けてはこちらの部屋の荷物を移しと”てんやわんや”の様相が続いている。勝千代を邸に迎え入れるための準備である。むろん景虎本人がその作業に関わっているわけではないが、なかなかの大事になったことをなんとなく落ち着かない気持ちで眺めていた。
    「本当にここに住まわせるのですか?」
     人質として息子を差し出した兄夫婦の元に住まわせるのが筋では? と、宇佐美に訴えるものの、景虎の縋るような期待は一蹴される。
    「長尾と武田の当主同士の約定です。猿千代様は武田の館に迎えられ、養育されるはず。であれば、晴景様の元に行かせるのは礼を失するというもの」
    「では兄上と義姉上にこちらに住んでもらって、勝千代のめんどうを見てもらいましょう」
    「なりません。晴景様はすでに隠居の御身の上です。春日山に上られてはいろいろと不都合も感じられましょう」
     不都合なのは宇佐美だろう。晴景を廃した家臣らにとっては心中穏やかではないだろうし、晴景派にとってそれは好機となる。せっかく景虎を中心にまとまりつつある長尾、ひいては越後の安定を自ら放棄することになりかねない。
     それはわかるのだが。
    「えー……」
     如何せん景虎は未婚の身の上で、当然実子もいない。そんな自分が相手するよりは、人の親である兄が相手をしてやったほうが、勝千代にとってもよいのでは? そう言ってはみるものの、宇佐美は首を縦には振らなかった。
    「何も四六時中世話を焼いてくださいと申しておるわけではありませぬ。身の回りのことは女房衆が面倒を見ますし、教育役も呼び寄せております。ただ一応は親子……のような間柄になるわけですから、せめて膳は共にしてくださいませ」
     そう言われると、まあ、そのくらいならいいかな……という気持ちになってくる。
    「……一緒に食事をとるだけでよいのですね?」
     一応念押しして言質を取っておこうかと思ったが、宇佐美は抜け目ない。
    「当面はそれでよろしいかと。ただ、勝千代殿もこちらに慣れればいろいろと胸を開くこともございましょうから、そのときはきちんと向き合っていただきとう存じます」
    「ええ、まあ、そのときはね」
    ――と、このように景虎は納得し、実に軽い気持ちで勝千代を迎えることとなった。

    「お初にお目にかかります。武田信虎が次男、勝千代にございます」
     おや、と感じたのは景虎だけのようだった。数えで十のまだ高い声はわずかも緊張していない。うまく装っているので他の者は誤魔化せているようだが、景虎には通じなかった。二言三言挨拶を述べながら、しかし景虎はその真意を追求しようとはしない。何を隠しているのかは知らないが、人の耳目の前で恥をかかせることになってはいけないと、めずらしい配慮の末のことだった。
     そのあと景虎は耳ざとい女房を数人捕まえて事情を確認した。それでようやく、勝千代が実の親から疎まれているらしいことを知ったのだった。きっと緊張を見せなかったのは、もはや己の身などどうとでもなれという、齢不相応の自暴自棄の表れなのかもしれない。
     気の毒に。
     浮かんだのは哀れみというより、多少の共感だった。景虎もまた、幼少の頃に林泉寺へと預けられたのは親から疎まれたのが主だった要因だと認識している。小さな体一つで知らぬものばかりの場所に放り込まれ、どんなに寂しく心細いだろうか。
     いわば仲間意識のようなものが景虎の中で生まれた。ひと月前に本当のところを語らなかった宇佐美にはいくらか恨み言を述べて、景虎はできる限り勝千代との時間を作ろうと尽力しはじめた。時には共に書物を読んだり、歌の指南をしてみたり、あるいは稽古として立ち会ってみたり。そうして共に過ごすうちに、おのずと勝千代への理解も深まっていく。非常に聡明な子だった。頭脳が明晰というだけではない。まだ子供なので力などは弱いが、武術においてもよい筋をしている。とりわけ馬の扱いに優れていて、これは一廉の将となるだろうと景虎は感嘆した。
     しかしそれよりも、勝千代がまったく笑わないことのほうが気がかりだった。感情に乏しいわけではないと思う。褒めてあげれば視線を泳がせつつはにかむこともあるし、稽古で打ち負かされれば悔しそうに唇を引き結ぶこともある。ただその感情がはっきりと表に出ることがほとんどない。自分の前だけだろうかと思って女房らに確認してみたが、やはり誰の前でも同じだという。
     親から愛されなかったためだろうか。年相応に甘えることもできなかったせいだろうか。
     見てもいない光景を想像して、景虎の胸は痛んだ。同じように、どうにかしてこのいたいけな子に、笑ってほしい、心安らかであってほしいと、願うようになった。
     しかし景虎が願っただけで事態が好転するわけでもない。甘い菓子を与えてみても、勝千代が興味を示した兵法書を共に読んでみても、相変わらず彼の表情は硬いまま。では遠駆けにでも行ってみようかと言うと、さすがに家臣らから止められた。
    (……ほかに何か、あの子をよろこばせられそうなものは……)
     考えてはみるが、思いつかない。やはり親となったことのない身ではできることも限られるのだろうか、自分が子供の頃は何でよろこんでいただろうか、とも、考えるが、そもそも寺に入れられていた身の上なので参考にもならないだろう。強いて言うならば――
    「あっ」
     思い出した。あれならば、きっとあの子もよろこんでくれるのではないか? 思いつくや否や、景虎は人を呼び、それの手配を進めさせる。宇佐美は呆れたように「何故今更そのようなものを」と渋ったが聞かなかった。なにぶん大きなものであるから運び込むのに苦労したが、それはどうにか春日山の一室に収まった。
     突如と忙しなさを得た春日山と、始まった騒動に勝千代は目を丸くしつつ様子を窺っている。その背後から肩に両手を置く者がある。景虎だ。
    「いらっしゃい、勝千代。貴方に差し上げたいものがあります」
     突然のことに勝千代も少し不安そうな顔をしていたが、景虎もまた多少の不安を抱えていた。自分の苦心や労力が無駄にならないだろうかという不安ではなく、勝千代を楽しませることができるだろうか、という不安だった。
    「はい……?」
     勝千代の不可解そうな顔は、きっとこの騒動と贈り物が何か関係があるのか、とでも思案しているのだろう。
    「妙なものではありませんよ、私が貴方くらいの歳のころに遊んでいたものです。気に入ってもらえると、いいのですけれど……」
     勝千代の手を引きながら、景虎はその部屋の杉戸を開いた。そう広くはない部屋の中には、一間四方ほどの城郭模型が置かれていた。
    「あ……」
     息を呑んだ勝千代の口から、感嘆の声が漏れる。さすがにこれほど大きなものは初めて見たのだろうか、知らずのうちに、景虎とつないだままの手に力が込められている。
    「すごい……」
     丸い頬がやや紅潮している。窺うような視線で見上げているのは、触ってもいいか、という断りだろうか。景虎は「遊んでごらんなさい」と笑い、部屋の中へと促す。
     城郭の模型の他には、その大きさに合わせて作られた旗、楯、火縄銃などの小さな細工物が多数しつらえてある。これで陣形や軍略を学ばせる、というのが製作者の意図だが、子供の方からしたらそんな思惑は関係ない。大きな、そして魅力的な玩具である。勝千代も例に漏れず大いに気を惹かれているようだが、相変わらず表情からはよくわからない。景虎の心中に、暗雲が立ち込めた。
    「……気に入りませんか?」
     これで駄目ならもう何も思いつかない。身を屈めた景虎にじっと顔を覗き込まれた勝千代は、勢いよく首を横に振った。しかし振るだけで、何も言わない。
    「気に入りました?」
     念押しするような聞き方はどうかとも思うが、聞かずにはいられない景虎だった。
    「はい……」
    「そう、よかった……」
     景虎が本心からほっとしたような顔をするものだから、勝千代は不意に泣き出したくなった。これまで、このように心を砕いてくれる大人は、彼の周りにいただろうか。
    「このように立派なものを、ありがとうございます……」
     うれしさを伝えたいのに、どう伝えたものかわからない。懸命に考えて絞り出した言葉に、景虎は笑う。
    「よろこんでもらえて、私もうれしいです。でもね、」
     気に入ったらしいことは理解できた。それはいいのだが、やはりどこかに視線をそらしながらの小声に、景虎は若干の不満が残る。
    「勝千代」
    「わっ」
     景虎の両手が、勝千代の頬を包んでいる。
    「うれしいときには笑いなさい。よろこんでいるのなら、それをきちんと伝えるのも礼儀ですよ?」
     ね? と笑いかけて、ようやくぎこちない笑みが返ってくる。思わず苦笑しそうになったが、それでもこれは、景虎が初めて目の当たりにする勝千代の笑顔だった。
    「よろしい。……ふふ、勝千代のほっぺたはやわらかいですね。いつまでも触っていたくなります」
    「え? え……あの……」
     しなやかな両手に頬を揉まれ、困ったように眉を下げる表情があまりにも愛らしくて、景虎は相好を崩したままとなってしまった。
     その日は二人して日暮れまで模型で遊んだ。まだぎこちないものの、勝千代の口元が緩む様を見て景虎の胸が温まったのは言うまでもない。
     それ以降、勝千代は表情豊かに、そしてはっきりとした物言いもするようになった。外面上の変化が内心にも影響を与えたのか、それまで以上に熱心に学ぶようになった。おそらく、人質として越後に送られたときには己の行く末を悲観していたのは間違いないだろう。しかしここでの日々は彼に幼い野心というべきものを植え付けた。いつの日か甲斐を統べ、父親以上の大名となってみせる――そんな気概を浮かべる勝千代を、景虎はほほえましく見守っていた。
     勝千代が甲斐へと戻る日も、その後も、案じない日はなかった。

     それから十年が過ぎた年。例年以上の大雪に見舞われた冬がようやく明けたころ。春日山は上を下への大騒ぎに見舞われていた。このような混乱は、前年に景虎が出家騒動を起こしたときに匹敵する。しかし景虎が二度目の出奔を企てたわけでもないし、なんなら景虎は大騒ぎで混乱している一人でもある。いや、むしろ一番混乱していると言っても過言ではない。
     突如門前に現れ、城主への目通りを乞う一人の男が騒動の原因だった。旅装束の身なりは良く、どこぞの名家の子息には違いない。しかし家名を示すようなものは一切身に着けておらず、家臣も国衆も一切見覚えのない顔だと首をかしげている。どうしたものかと思案している近習達をかき分け出てきた景虎の姿を認めると、ようやく男は表情を変えた。
    「十年ぶりだな」
     毛並みの良い黒駒から降りて開口一番、男は景虎に言葉をかける。しかし当の景虎はまったく要領を得ない顔で「はぁ……?」と曖昧に笑うばかり。十年ぶりとは言うが、こんな男は知らない。訝しい気持ちが顔に出ているらしく、景虎の険しい表情を見て若武者は少し、つまらなさそうに口を曲げた。
     その仕草にはなんとなく見覚えがある……ような気がする。それでも思い出せず、とりあえずは用向きを訊くこととした。
    「それで、単身春日山へ乗り込んできたのはどういうつもりなのです? 名も知らぬ武辺者よ」
     ことと次第によってはこの場で討ち取る――景虎は共回りの者から愛槍を受け取りつつ牽制するが、どうにもこの男には隙がない。隙はないが、余裕は十分すぎるほどあるらしい。
    「名も知らぬとはまた、ひどい言いようだな。――いや待て、戦うつもりはない。用向きは同盟だ」
     苦笑しながらの言葉に景虎は眉を寄せる。
    「同盟?」
     思いもよらぬ言葉に、景虎の纏っていた殺気が緩む。
     若武者は表情を引き締め、よく通る低い声で宣言するように名乗りを上げた。
    「甲斐の武田晴信、長尾と同盟を結びたく馳せ参じた次第だ」
    「甲斐の、武田……――え?」
     確か、武田は代替わりをしたはず。武田晴信、それは武田信虎の次男、幼名は――
    「――勝千代?」

     武田信虎の嫡男は、不幸にも元服を待たず夭折した。その後は勝千代が後継となり元服も済ませ、然るべき筋の妻も娶ったと、そう景虎は聞いている。
    「驚きました。まあ、こんなにも大きくなって……」
     十年ほど前に、まだ勝千代だった晴信が寝起きしていた部屋で、二人は語らっている。あの頃はまだ景虎の胸のあたりにすら届かなかった晴信の背丈は今や逆転し、見事な体格を誇る偉丈夫に成長している。目を細めて懐かしむような景虎に思うところはあれど、晴信は「そうだな」と言葉を曖昧にぼかすだけだった。
    「体格は親父殿に似たんだろうな」
     顔は、似なかった。父はそれが気に入らなかったのかもしれない。懐かしい景色に視線を逃しながら、晴信はそれ以上を言うことはなかった。
    「父君はご健勝ですか」
    「さあ? 駿河に追い出したきり、知らん。死んだとは聞かんから、まあ生きてはいるだろう」
     何の気なしの質問だったのに、答えは予想もしないものだった。
    「――追い出した?」
     曰く、娘の嫁ぎ先である駿河の今川を訪ねた信虎を、国境を封鎖することで事実上甲斐から追放したらしい。
    「なんということを……」
     いかなる理由があっても実の親に対してしていい仕打ちではない。景虎はさすがに表情を険しくするが、晴信は平然として意にも介さない。
    「仕方がないだろう。そうでもしなければ俺は武田をまとめることはできなかったし、家臣らも納得しなかった。そう、別に俺の一存でそうしたわけじゃない。大体、俺一人が言い出してできることもないのはわかるだろう?」
    「それは……いえ、しかし……」
     考えてみれば追放で済んだのはまだ温情のあるほうなのかもしれない。しかも、なんの縁故もないところに放り出すのではなく、実の娘の嫁ぎ先。加えて言うなら今川は足利将軍家に連なる大名なのだから、下手をすると武田よりもよい暮らしができている可能性は否定できない。尤も、暮らしぶりの豊かさが幸福と直結するとは限らないが。
     それに晴信の言う通り、追放が不当なものであれば家臣が止めたに違いない。そうならなかったということはつまり、少なくとも武田の家中では追放は正当な理由があってのものということになる。
    「それもそうですね、他家の事情に口を出したのは差し出がましいことでした」
     失礼しました、と、軽く頭を下げると、晴信はやや拍子抜けしたような顔を浮かべ、
    「いいんだ。俺のことを叱ってくれるやつは、そういない。今も、昔も」
     少し寂しそうに、笑った。その横顔は幼い勝千代を思い出させて、景虎の胸を締め付けた。
     もしかしたら、晴信は父を追放などしたくはなかったのかもしれない。後を継ぎ、立派に当主を務める自分を認めてほしいという希望を、今も捨てきれないのかもしれない。体は大きくなっても、今もあの頃と同じ、愛情を求める寂しがりの子供が生きているのかもしれない。
     そう考えてしまった景虎の方が、おそらくは過去に引きずられたのだろう。もはや自分の手よりも大きな手のひらをとり、そっと両手で包み込む。
    「貴方は立派になりました」
     昔、勝千代は褒められると愛らしい顔をはにかみに染めていっそう愛らしかった。今もそうだとは思っていなかったが、戸惑いだろうか、視線を泳がせる晴信の仕草は昔と同じ。そのせいで景虎は、今この目の前に座る若者が、あの勝千代であると確信してしまう。
    「貴方ならきっと、見事に甲斐を治めるでしょうね」
     それは、励ましのつもりだった。大人として、親代わりとしての、慈しみの抱擁。昔度々そうしていたように、勝千代を胸に抱き、頭をそっと撫でてやる。子ども扱いするなと言って、照れながら怒るだろうか。そんないたずら心はあったが――
    「――え、っ?」
     視界が変わる。天井を見上げるように、体を倒されてしまっている。
    まさか、こんな反抗を示されるとは考えもつかなかった景虎は、目を見開いて呆気にとられるばかりだった。
    「まだ俺が子供だと思ってるのか?」
     天井を背にした晴信の目は、どこか不機嫌そうに細められている。そんなに怒らせるようなことだっただろうか、という困惑が大きいせいで、景虎は自分が押し倒されていることにまったく頓着していない。子供同士が組討の稽古でもしている、その延長線上だと思っているのだろう。それが、晴信には腹立たしい。
    「もう二十歳だ。妻も娶った。子もいる。俺は、おまえが思うような子供じゃない」
    「? そうですね……?」
     まだ何もわかっていない景虎に、晴信は嘆息した。どうして伝わらないのだろうか。決まっている、彼女が自分を庇護の対象、子供だとしか見ていないからだ。今の自分の姿がどう変わっても、あの頃の記憶が、あどけない自分との日々が、景虎の中で確固たるものとして揺らがないせいだ。
     ならばいっそ、その思い出ごと、景虎の認識を砕いてしまえばいい。
    「いったいどうしたんですか、何か気に入らないことでも――」
     唇を塞がれた瞬間、景虎は晴信を跳ねのけようと思った。が、無理矢理に口をこじ開けられ、舌で咥内を蹂躙されるとそんな考えは一瞬で消えた。未知の体験は、景虎から考える余裕も抵抗という選択肢も悉く奪った。晴信は口づけたまま、横たわった景虎の体を抱いている。あの頃はすっぽりと包まれる方だった体は成長し、覆いかぶさった下の景虎の体を隠してしまうほど。これだけの体格差があれば、もはや景虎が身を捩ったところで効果もない。息苦しさにその逞しい背中を拳で何度か叩いて、ようやく唇が離れたとき、景虎は困惑と一抹の恐怖にうっすらと涙を浮かべながらその目元を赤くそめるばかりだった。
    「どうして、っ」
     息も絶え絶えになりながら、かろうじて何故と問う景虎に、晴信はそれ以上かける言葉もない。どのみち言葉を尽くしたところで、何も伝わらないだろう。強いて言うならば、そう。
    「おまえがほしい。それだけだ」
     吐息のかかるほどに顔を近づけたまま、晴信は景虎の帯を緩める。人払いはとうに済んでいる。邪魔する者は、何もない。

     十年前――
     その夜のきっかけはよく覚えていない。恐ろしい夢に目を覚ましてしまったのか、それとも人恋しさに耐えかねたのか、勝千代は半べそをかきながら布団の中で丸まっていた。越後の晩秋は酷く冷える。そのせいで心細さ、苦しさがいっそう増すような不思議な夜だった。せめて早く夜が明けてくれないだろうか、と、眠りにつくことすら忘れて震えていると、やさしい声が近づいてきた。
    「勝千代? どうしたのです?」
     か細い泣き声を聞きつけたのか、景虎が燭台片手に立っていた。布団から顔をのぞかせた勝千代の両目が涙に濡れているのを認めると、景虎は少し驚いて、それから布団のそばににじり寄った。
    「あらあら、怖い夢でも見ましたか?」
     自分の袖口で涙を拭ってやるが、勝千代はまだ落ち着かないらしい。寝かしつけてから自室に戻ろうかと思案していた景虎も、さすがに冷える部屋でいつまでも座ってはいられない。
    「それじゃあ……今日は私と一緒に寝ましょうか」
    「え……」
     さすがに勝千代は躊躇った。自分はそんな歳ではないのに、という矜持が半分と、もう半分は恐れのような戸惑い。しかし景虎の方は特段何かを意識するでもなく、妙案を思いついた満足感でいっぱいのようだった。返事も聞かぬままに勝千代の布団をめくり、「この布団は私には小さいですからね」と言って、自分の部屋に勝千代を連れていこうとしている。先ほどまで勝千代を苛んでいたものはすっかりと頭から抜け落ち、今はただ、状況に混乱するばかり。しかし拒んだところで景虎は「子供が遠慮などするものではありませんよ」などと言って、軽々と自分を抱き上げて運んでしまうだろう。春日山で暮らし始めてすでに長い勝千代には、そのくらいの想像はついた。それで大人しく手を引かれて、景虎の部屋まで連れられて行くのだが、それでも「こんなことをして、いいのだろうか」という不安がぬぐえない。でもこの邸で一番偉い人が言うのだから、咎められる謂れはないのでは? いろいろと思案していた勝千代だが、結局布団の中の景虎に、
    「さあ、いらっしゃい」
     などと言われて手招きされると、なんだか何もかもがどうでもよくなって、そのあたたかく柔らかい体に抱きしめられることを選んでしまった。招かれた布団の中はとてもあたたかく、この身を包み込む景虎も同じように、どこもかしこもふかふかと柔らかい。
    「ああ、勝千代はあたたかいですね」
     少し楽しそうに笑いながら、景虎は勝千代を胸に抱き、小さな頭をやさしく撫でた。
    「ねえ、もう怖いものはありませんよ。強い強い私が、貴方を守ってあげますからね」
     その言葉には偽りも含みもない。ただただ子を慈しむ親のような、限りのない愛情でしかない。安心させようという意図で景虎は勝千代の背を撫で、寝かしつけようとしたのだろうが――
    「……――」
     勝千代も驚くほどの早さで再び眠りに落ちてしまった。これにはさすがに勝千代も、驚きを通り越して呆れるしかない。こんなにも無防備でいいのだろうか。もしも自分が父からの密命を受けていれば、今この瞬間に喉笛をかき切ることもできるだろう――いや、おそらくは殺気が僅かでも滲んだ瞬間、景虎は躊躇なく自分を殺す。そういう人間だというのはこの数月でよく理解できた。そもそもそんな惧れがあるのなら、寝所に招き入れることなどしないのも道理。子供だと侮っているのかそれとも他の理由のためか、ともかく脅威とはみなされていないことが、勝千代を安心させ、同じくらいに落胆させた。
     ぬくもりに包まれたまま、勝千代はまんじりともできずにいる。
    (あまい、においがする……)
     肌触りの良い上等な寝間着の向こうから、ふわりと香るものがあった。女香、という言葉を知らぬ勝千代でも、それが景虎が女であるゆえのものだということは本能的に理解できた。本能。男としての本能が、幼い身の中で目覚めつつある。勝千代自身、それと理解しないままに。
     やわらかな縛めは、なにやら体をむずがゆくさせる。体を動かしたら少しは気がまぎれるだろうかとも思うが、そうして景虎を起こしてしまうのは忍びない。まったく訪れない眠気を待ちながらどれくらい経っただろうか。
    「ん……」
     眠っている景虎が、身じろぎをした。さして大きな動きではなかった。けれど、わずかに動いた景虎の太腿が勝千代の下腹部をまるで撫で上げるようにしてしまった、その刹那。
    「ぅぁ……っ……⁉」
     びりびりとした感覚が、腰から背中を貫いていく。初めて味わう感覚だった。痛みのような不快感はないが、だからといって放置できるものとも思えない。ただ強いて言うなら、気持ちよかった。甘い快楽の余韻を味わいながら、勝千代は呆然と、景虎の寝顔を見つめている。下半身から脳髄までを甘く痺れさせたものの正体を、どろりと漏れ出たものの何たるかを彼が知るのは、翌朝まで待たねばならなかった。

    「――と、つまりおまえのおかげで俺は男になったと言っても過言ではない、というわけだな」
     傍らにゆるりと横たわった晴信の語りを聞きながら、いいや過言だと景虎は反論したかった。自分の知らぬところでそんなことがあったのだと言われても困るし、それで責任を取れと言われれば逃げ出したくなる。が、晴信のほうにそういう気はないらしい。あくまでそれはきっかけに過ぎず、今日こうして景虎を抱いたのはまた別の意図によるものだった。
     だからと言って何もかも許せるかと言われると、そんなわけもなく。
    「まだ怒ってるのか?」
     晴信の方は心行くまで景虎の体を堪能して満足しているようだが、手籠めにされた方も同じように満足しろというのは無理なこと。それは晴信も重々承知の上だが、それでもここまでへそを曲げられるとは予想していなかったらしい。というか、こんなふうに無理矢理にするつもりはなかった。しかしあんな態度を取られ子供扱いされては、焦りと苛立ちに突き動かされるのも仕方ないだろう? と、晴信は自己弁護する。多少の罪悪感を誤魔化すように。
     ともかく性急にことを運んでしまったおかげで景虎はすっかり機嫌を損ねたらしく、背を向けて寝そべったまま何を言うでもない。
     晴信は、自分に背を向けたまま一言も発しない景虎を前に、正直どうしたらいいのかわからなかった。体は大きくなっても、景虎相手となると気後れしてしまうのを懸命に隠している始末だ。今もだんまりを決めたままの景虎が自分を嫌ってしまったのかと思うと気が気でなくなる。
    「なあいい加減、機嫌なおしてくれよ」
     すっかり汗も引いた体を抱き寄せられるが、背を向けたままの景虎はその手をぴしゃりと叩いて拒絶する。が、晴信とてそれしきで引き下がるような軟弱ではない。今度は手を叩かれても抱き寄せる腕を止めなかった。先ほどよりも強い力で回された腕に、耳元に感じる熱い吐息に、景虎は身をすくめる。
    「無理矢理にしたのは正直、悪かったと思っている。だが俺だっていい加減な気持ちだったわけじゃない」
     子供のころから慕っていたこと、景虎を我が物にするにはやはり武田を継ぐしかないと決めたこと、並び立つに足る自分になれたと自覚したから越後まで遥々やってきたこと、それもこれもみな、景虎を求める想いがさせたこと……など、晴信は聞きもしないのに想いの丈を滔々と語って聞かせる。
     そんなことは、景虎だってとうに察していた。単に欲を慰めるためだけにこうされたのなら話は簡単だったのに、そうでないから困っている。
     晴信に抱かれながら、その目が、手が、何もかもが雄弁に景虎に伝えていた。これは欲望を満たそうという浅はかなものではなく、本心から自分を愛おしみ、求める心がさせている。だから一々聞かされなくてもよいし、わかっているからこそ景虎は晴信にどんな顔を向けたらいいのかわからない。大体、すでに人の親となっている晴信とは違って景虎は彼より十も年嵩なのに未だ――いや、ついさきほどまで、生娘だった。そのことに晴信は気づいていないのだろうか? いや、敏いあの子のことだから何もかもわかっているだろう。恥ずかしいやら腹立たしいやら、様々な感情が入り乱れて、景虎は小袖にくるまったまま蓑虫のようにじっとしているほかない。
     不意に、晴信の腕から力が抜ける。
    「……俺のことが、憎いのか」
     なんとも心細そうな声音で言われると、十年前の姿が思い出されてしまう。今そういうことをそういう口調で言うのは正直卑怯ではないか? そう感じてしまうくらいには景虎は晴信に対して情を残しているし、昔の面影や思い出を捨てきれない。
     はあ、と、観念したように息を吐くと、ようやく景虎は寝返りを打って晴信に向き合った。
    「……憎いなんて、思っていませんよ」
     それを聞くや否やに晴信の顔が安堵に満ちるものだから、ああ、この男はあの時の勝千代なのだ、という実感が強くなる。思わずその頬に触れてはみるが、かつての子供らしいやわらかさはとうに失われ、がっしりとした骨格の強さだけが感じられた。それが、少しだけ寂しい。
    「憎くはありませんけどね、怒っています。女子に無体を働くような男に育てた覚えはありません。大体なんです、人をおまえだなんだと呼びつけて、貴方は口のきき方というものを――……なんですか、その顔は」
     ほっとしたような晴信の顔が、何故か不機嫌そうに歪められる。説教が嫌なのかと聞けば、当たらずとも遠からずだと零す。
    「これだけのことをしたのに、まだ俺のことを子供扱いするんだな」
    「己に非があるのに説教されて不貞腐れるのは子供の証ですよ」
    「……」
     また口を曲げている晴信の顔があの頃のままなので、とうとう景虎は噴き出してしまった。突然笑われた晴信はわけがわからないが、ようやく笑ってくれた安堵で表情を緩める。
    「やっと笑った」
     白い頬が、大きな手のひらに包まれる。いつか景虎の手にそうされたことを晴信はずっと覚えていた。
     この笑顔が好きだった。十年前、知らぬ者ばかりの春日山で、景虎の笑顔に救われた。自分はここにいてもいいのだと、受け入れられたよろこびを味わった。あどけない慕情はいつしか形を変え、今の恋情につながっている。だというのに、未だ景虎は自分を子ども扱いするばかりで、男としてはまったく相手にされていない。せっかく家を継いで、名実ともに甲斐の国主となったというのに、それすら無意味だったのかと項垂れたくもなる。
    「甲斐の国主と越後の国主、立場はまあ、対等だろう? そうなれば俺とおまえはただの男と女なのに……」
     考えたとおりには事は運ばないものだとぼやく晴信に、景虎は少し驚嘆した。まさかそのために家督を継いだとは思えないが、これまでの口ぶりからすると案外真実かもしれない。
    「どうしたら俺を男として見てくれるんだ?」
     そう問い質す顔は真剣そのものだったので、景虎は呆れてしまった。
    「そのようなことは、自分で考えるものでしょう? 人に尋ねるのは子供のすることですよ」
    「あぁ? ……それもそう、か?」
     こうして丸め込まれるあたりがかわいらしい反面心配にもなる。この子はちゃんと、甲斐を治めているのだろうか。やはりあれこれ世話を焼きたくなるのは止められない。助け船でも出してやろうか――とは、しかし思いつかなかった。なにせいきなり手籠めにされたのは今でも腹に据えかねているので、ちょっとからかってやろうという気持ちの方が大きくなる。
    「私をただの女にしたいのなら、いっそ越後に攻め入って落としてしまえばいいでしょうに」
     これはただの戯言で、わずかな挑発も含んだものだった。
     甲斐から越後へ攻め入るためにはいくつかの道筋があるが、最短でも信濃を手中に収める必要がある。信濃はそう簡単に落とせるものではない。武田は諏訪と縁戚ではあるものの、小笠原や村上は武田の信濃侵攻を許さないだろう。そもそも、武田とて無理に信濃に攻め入ったところでさしたる利もない。今のところは。
     したがって越後に攻め入ってこい、などというのは景虎にとって無理難題を吹っ掛けたにすぎなかったのだが、
    「話を穏便に済まそうと思って同盟を持ちかけたんだが……いいのか? 越後を落としても?」
     晴信はあっけらかんと言ってのける。その口ぶりは不遜にも、「落とせるが、敢えてやらないだけ」という意味を滲ませていた。これにはさすがの景虎も神経を逆なでされたらしく、穏やかな笑顔がやや引きつっている。
    「ずいぶんな自信ですね……貴方のような若造ごときに攻め入られる越後ではありませんが?」
    「は、どうだろうな? 俺の甲斐を、武田を、その目で見たことがあるのか?」
     挑発に次ぐ挑発。部屋が軋むかというほどの緊張感だが、双方は笑みを浮かべたまま視線をそらさない。
    「まあ、いいだろう」
     先に体を起こしたのは晴信の方だった。鍛え抜かれた体は手早く衣類を纏い、身支度を済ませる。起き上がりながらその様を見つめる景虎は、対して体が重く感じられた。袴の紐を結び終えた晴信は膝をついて景虎の背を支えてやり、じっと眼を見つめる。春の薄曇のような淡い色の瞳は、景虎しか映していない。
    「俺が越後を落としたときは、おまえは俺のものだ」
     そう言って不敵に笑うと、軽く唇を押し付けて晴信は去っていった。
    「はあ……」
     やれやれ、といった体で、景虎もまた身なりを整える。なんだか妙な話としてまとまってしまったような気もするが、まあ越後が落ちるということはまずありえない。それにこれだけの体格差が生じているとしても、まだまだ晴信に後れを取る景虎でもない。仮に一騎打ちになったとて、負ける気など一切しなかった。それに武田とて意味もなく(晴信にとっては大いに意義のあるものかもしれないが、家中としては何の益もない)信濃や越後に攻め入ることは止めるだろう。
     はい、これにて一件落着。と、景虎が立ち上がったその時。
    「……」
     重苦しい痛みが下腹部に響いた。やはり無体を働かれたことについては、気が収まらない。多少は物理的に灸を据えてやるべきだった、という後悔はあるが、すでに晴信は春日山を出ているころだろう。こうなれば晴信が与太を真に受けて信濃辺りまで出張ってくるのが少し楽しみになってくる。そのときには景虎は一軍を率いて、あの無礼者を懲らしめてやろう。そんな意気込みが彼女の中に芽生えつつあった。

     こうして甲斐の武田と越後の長尾は、川中島にておよそ十年の間、傍目には益無き戦いを続けることになるのだが――それはまた、別の話。










     余談:目覚め

     林泉寺に預けられた景虎は、おそらく自分は二度と春日山の親兄弟の元へは戻れぬだろうと確信していた。それについて子供心に何か感じるものはあったような気もするが、思い悩んで好転する事態でもない。ただ粛々と日々を過ごし、己の天命を受け入れるのみ――などと考えて過ごしていたのに、本当にままならぬもので。
    「結局、私は長尾の家に呼び戻されました。そして今は国主なんてものをやっている始末です」
     あれよあれよという間に今の立場に押し上げられて早一年。あまつさえ他人の子を預かって養育することにもなるのだから人の一生など案じたところでどうしようもないのかもしれない。
    「ですから、勝千代、貴方もきっと甲斐に戻り、親兄弟と過ごせるようになりますよ」
     と、自分の身の上を引き合いに出して勝千代を慰め励ましたつもりだったが、勝千代の顔は晴れない。
    「甲斐には、戻れずともかまいません」
     さらには憮然とした顔でそんなことまで言い出す。よっぽど甲斐では嫌な目にあったのかと景虎に聞かれても、別にそういうことではないと言う。
    「春日山が、気に入りました」
     照れくさそうに口にしたのは、ただそれだけ。単純な理由だった。まったく子供じみた言い分だとは思ったけれど、ここでの暮らしに、自分との日々に満足してくれているのなら、景虎としては御の字である。
    「だから、ここにいられるのなら、甲斐には戻れなくてもいいのです」
    「あら、それじゃあ私の子になりますか?」
     うれしくてつい、そんなことを口走ってしまう。
     が、勝千代は首を横に振って「子は、嫌です」と拒絶する。
    「そ、そうですか……」
     まさか嫌がられるとは思っていなかった景虎は、子供相手に図に乗っていた自分を顧みて恥じた。というよりは、拒絶されたことに対する純粋な悲しみで落胆しつつある。しゅんとした表情の景虎を見て、勝千代は少し慌てたようだった。
    「あの、子ではなくて、俺を……」
     何か訂正しようとしている勝千代だが、言いかけた言葉は出てこない。恥じらいと躊躇いが、押しとどめている。
    「はい?」
     何か言いたいことがあるのなら、と、景虎は続きを待っている。手を握る勝千代の手は、少し汗ばんでいた。春とはいえまだ汗ばむような陽気でもなし……と、景虎が暢気なことを考えていられたのはそこまでだった。
    「――俺を、婿にしてください」
     勝千代は頬を染めて、そう言ってのけた。泣き出しそうではあったものの、真剣そのものの表情だった。ああ、だから子では嫌だと言ったのか――と、納得しつつも景虎は目を見開いて呆気に取られている。
    「……なりませんか?」
     何も言えずに硬直している景虎が自分の申し出を拒絶したものだと思ったのだろう。勝千代はいつかの夜に見た、心細さに折れそうな、守ってやりたいと思わせる顔をする。そんな表情を見せられては、景虎も形無しだった。愛らしい両手を握り、その目をじっと見つめる。
    「――いいえ、勝千代がそう言ってくれたこと、うれしいですよ。……わかりました。勝千代がどうしても行く場所がなくなったのなら、私の婿に来てくださいね」
     そのときを楽しみに待っていますから、立派に成長なさい。そう言うと、勝千代はきゅっと表情をひきしめて力強くうなずいた。

     ――というやり取りを側で聞いていたのか、その後宇佐美がもの言いたげな顔で景虎の元を訪れる。
    「……知りませんよ」
     呆れ半分、心配半分の顔だった。
    「なにがです?」
     問えば、勝千代のことだという。
    「あと十年もしないうちに立派な若武者となりましょうし、そうなれば約定を果たさんとして迫られるかもしれませんな」
     軽々しくあんなことを言って期待をさせるものではないと言う宇佐美は、真剣に案じているらしい。
    「何を馬鹿なことを……」
     さすが景虎も唖然として、一瞬言葉を忘れてしまう。
    「子供の言うことなどいちいち真に受けてどうするのです。きっと一年も経たぬうちに言ったことすら忘れていますよ」
     楽観的な景虎に、さすがに宇佐美はそれ以上何も言わなかった。が、心中ではなにやら落ち着かず、胸騒ぎすらする。大事にならないといいのだが……そんなことに限って、懸念は的中するものである。

    (了)









  • 川中島はこんなことしない:SS-2

     そこは最早文明を放棄したも同然の、茫漠の廃墟だった。
     堅牢さを誇る建物は悉く崩れ落ち、本来果たすべき機能を見失っている。真夜中の闇、生命というものはまったく感じられないその場所に、しかし人の姿が――四つ。いずれも人の姿はしているものの、うち二つは虚ろな仮初。
     サーヴァント・ライダー。
     サーヴァント・ランサー。
     それらを現世に繋ぎ止める要石たるマスターが二人。
     聖杯戦争は佳境を迎え、今――最後の一騎が決まろうとしている……かに思えた。
     互いを見据えたままの二騎が指先すら動かさぬまま、どれだけの時が経っただろうか。それぞれの後方でマスターの二人はあるいは焦れ、あるいは苛立っていた。
     何故動かない――その焦燥は、契約を通じてライダーにも伝わっている。不快。ライダーが感じたのはそれだけで、特段、マスターに忠義立てする気もありはしない。ただ、わずかな精神の揺らぎは確かにライダーの纏う、いわば殺気のようなものを乱した。
     それを見逃さぬランサーではない。
     およそ常人では認識も叶わず、理解すら及ばぬ疾(はや)さ。槍の柄を握りこみつつ踏み出したランサーは迷わずライダーの首元目掛けて振り下ろす――ライダーにとっては予測の範囲内だ。向かってくるならば迎え撃つまで。血が燃える。赤い焔が全身を燃やすように、魔力が活性化(ブースト)する。しかし常ならぬ高揚は自身の魔力量だけではない。マスターが令呪の魔力を重ねて送り込んだらしい。
    (余計なことを)
     水を差された、というよりはむしろ矜持を穢されたライダーは憤りをかろうじて留める。まずはこの拳でランサーの胴を砕くのが先だ。そう決めて息を吸い、握りしめた拳をいっそう強く握りこむ。
     緊張、昂奮、恐怖、逡巡。あらゆる感情が浮かんでは消えていく。
     ランサーが槍を振りかぶったその刹那、辺りの空気が重苦しさで歪む。その重圧は誰もが感じたが、明らかな異変が起こったのはランサーだけだった。
    「⁉」
     血流をすべて止められたような苦しさがランサーをその場に留める。瞼すら動かせない、これは――
    (魔眼か!)
     ランサーの視線の先では、ライダーのマスターが両の目を見開いていた。紅玉のような瞳から視線を外せない、動けない、ライダーの拳を、避け切れない。
     なんという末期、なんという結末。珍しく苛立ちが、ランサーの脳裏を満たしていった。令呪によってさらに強化されたライダーの拳は、ランサーの胸を貫きその心臓を、霊核を――砕かなかった。
    「――え?」
     何か重たいものが落ちる音の後、間の抜けた声が地面のあたりから発せられる。ライダーのマスターは、最早疑問ばかりに思考を支配されていた。
     なぜだ、なぜだライダー、どうしてランサーの霊核を砕かなかった。それで俺たちは勝利できたはずだ。せっかく令呪を切ったのに! ランサーを魔眼で止めたのに! どうして! どうして俺の首まで落とす! この――
    「約定破――」
     断末魔の叫びは、炎に消えた。太刀を振るいマスターの首を落とした本人であるのに、ライダーは見るに値しないといった態度で意にも介さない。とにかく、魔眼の呪いをかけた人物が死亡したことで戒めが解かれたランサーは、多少の居心地の悪さとともに立ち上がる。ライダーの腕は、あのまま自分の胸を貫けたはずだった。しかし僅かに力が緩められた拳は軌道を逸れ、ランサーの体を弾き飛ばすに留まった。それを何故と尋ねるほど、鈍感でもなければ浅い付き合いでもない。
    「……何も殺すことはないでしょうに」
     ランサーは軽く咳き込みつつ炎に視線を投げる。
    「薄情なのはおまえもだろうが」
     ふんと呆れたように鼻を鳴らしながら言われると、それは確かに返す言葉もない。背後で自分のマスターまでもが炎に包まれているのは気づいていた。助けたところで命は救われぬだろうし、ランサーにも特に助けようという気は起らなかった。魔眼の呪いを受ける直前、背後からそれを補助するような術式をかけられた。二人がどういう仲でどういう意図を持っていたのかは今となっては知る由もなく、そして知る気も起らず、知ったところでどうもしない。
     結局のところ自分たちが望むのはたった一つだけ。
     おまえと/貴方と、戦い続けること。
     そのためには何もかも投げ出そう、捨てよう。己がマスターの命すら顧みることはない。とはいえ、要石がなくなれば退去は必定。
    「せいぜい夜明けまでか」
     ライダーの腕からは、力が奪われていく。
    「それだけあれば三度は殺せますよ」
     槍を握る感覚もランサーの手からこぼれていく。
     しかし、それが戦わぬ理由にはならない。
     闇の中で白く赤く焔が燃え、混ざり合っては一際強く輝いていた。
     戦いは終わらない。
     遠い過去に燃え上がった焔が、今もまだ燃え続けている。

    (了)

     いつかのどこかで聖杯戦争のサーヴァントとして召喚された二人がなんやかんやするIF。

  • 貴方がパパになるんですよ

    これは事後諸葛亮でしかないんですが、イベント特攻鯖の面子を見た時に「き、共通点がわからん…父親だったこと…?いやそれだとエミヤ(弓)が…」と思ったのは事実です。事後諸葛亮ですらない…

    ファイナル本能寺後にカルデアに召喚された景虎ちゃん(以下本体景虎)の他にいる「復刻ファイナル本能寺で交換した景虎ちゃん(5人)」と「巡礼のアレで交換した景虎ちゃん(5人)」がいるカルデアで本体景虎以外の10人が幼児化して晴信に絡みまくり晴信は父性に目覚める…
    というネタを温めていたらこれだよ!描くよ!そのうち!需要は自分!

    おおむねこんな感じの

    ちっちゃいこ(幼児)が裾の長い衣服をずるずる引きずってるのかわいい

    頑張って素振りしてるんで晴信PUお待ちしてます

  • 1014

    謙信ちゃんの躍動感に比べて晴信ときたら動かざること山の如し(責任転嫁)
    いや別に謙信ちゃんも躍動感があるわけではない…

    アクスタ作るの初めてなので仕上がりが楽しみだ~

    いつも絵文字・感想をありがとうございます!

  • 1011

    なんかこういうアクスタを作りたい(もちろん晴信と対で)

  • 1010

    WAVEBOXをいじってたらこんなかわいい画像をDLできることを今知りました。あまりのかわいさに中身のない記事を作成してしまうほどにテンションが上がった。

    昨日の更新分へのリアクションありがとうございました!

  • 中旬に…イベント⁉

    (約束された晴信PUだと思い込んだ記事です)

    晴信さんへ
    尻の貞操を守りたくば石500個以内で4人以上出てきてください(下記参照)

    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=22777094

    あの8月の惨劇から2か月で石500個…貯まるもんやな…
    そして仮に晴信がすんなり出てきたとしても晴信を辱めるものを何か書きそうな気がする。いや、書きません、書きませんから大人しく投降してくれ。今カラデモ遅クナイカラ カルデア ヘ来タレ。

    攻撃力とか絆ポイントとか、恩恵を受けるのはすごくありがたいんだけど景虎ちゃんも同じくにしてくれないと二人の絆ポイントに差がでちゃう…(せっかく一の位までぴったり同じにしてるから…)

    20%の差…………

    20%………

    20%?

    ってことは完凸ゴッフ所長の礼装*を装備したら景虎ちゃんも+20%で同じだけの絆ポイントを得られるってことでは…⁉
    (*レポートチェック)

    交換したはいいものの「これだと景虎ちゃんだけが先にいっちゃう…」って死蔵していたゴッフこのときのためにあってくれたのかありがとうゴッフ。これをもってゴッフは川中島の仲人と定めるものである。

    ちょっと昔のらくがき かわいいじゃない(自画自賛)
    Win11は一度キャプチャした画像を「スクリーンショット」というフォルダに全部保存してるんですね知らんかった~~~~~たまたま見つけた身に覚えのないフォルダを漁ったらちょっと面白かった。

    いつも絵文字などありがとうございます!

  • [R18]Pixiv更新:女攻風味自慰強要ヨシヨシあり本番なしぬるエロ

    思ったより早く描き上げられたと認識しているけど多分何かやらかしている気がします。絶対そう。いつもそう。旅行の荷造りも大体何か忘れている…でもなんにせよ描き終わったのは確かなので美味しいものでも食べてちょっとゆっくりします。

    【追記】
    早速感想ありがとうございます~!毎回だけどUPするのが不安で仕方ないので好意的な反応をいただけるとうれしい+安心します!!
    スケベ漫画、めんどくさい服をあまり描かなくていいから楽だし楽しかった。また描きたいです。制服イメクラスケベのことを考えています。

    【蛇足】
    シャワー浴びる際に一発かましてると思いますね…元気だな晴信…

  • 生前川中島(晴信が景虎ちゃんを殺せたif)

    殺害の描写があります(さらっとね)













     掴んでしまえば、どうということはなかった。
     どこにでもいる女と同じ、俺の片手で足りる程度の、細すぎるほどに細い首。弓籠手越しに脈打つものを感じて、ああ、この化け物のようなものにも血が通っているのか、と、いささか気味悪く思った。口をふさがれた景虎は何も言わず、抵抗すらしない。首か背中に入った一撃が、この女から命以外のすべてを奪ったらしい。その目に映るのは絶望や怒り、あるいは悲しみなどではなかった。遊び道具を取り上げられてつまらなそうにしている子供のような、諦めに似ている冷たさがあった。
     この女は殺されたがっている。そう感じた直後に、そんな直感を頭から否定したくなる。理解できてたまるものか、こんな女、こんなもの、こんな――
    (殺そう)
     血は見たくなかったので縊り殺すことにした。息を塞ぐのも血を止めるのもまどろっこしいので、頸の骨を砕こうと決めた。みし、と、嫌な感触が指先から這いずってくる。その刹那に、景虎は目を細めておそらく――笑った。死の間際に笑うのは、この女がやりそうなことだと思った。しかしこの顔は、恍惚に目を細めているとしか思えない表情は、なんだ? この女は、殺されかかっている間際にあっても、俺を蔑み辱めるというのか?
     かっと血潮が沸き立つのを感じた刹那に、右手は骨を砕いていた。景虎は薄ら笑いのまま事切れている。末期の一瞬、その体が痙攣するように跳ねた様がまるで絶頂のようで――事実俺は、骨の砕ける感触に精を漏らしていた。物言わぬ躯を見下ろしながら、だらだらといつまでも、ただ地獄のような快楽が、総身を蝕んでいる。





    発掘されたSS

  • 1004

    ペン入れが終わってトーン他に進んでるけど絶賛「おもろいんか…?これ…?」期…

    そんな心に絵文字が沁みます。感謝…

    ★5交換誰にしようかな~エルキドゥかな~

  • 0930

    試し刷りをお願いしてたのが届いた。きれいだな~(左下は手持ちの初版)

    ちょっと値段上がっちゃうけど再版しようと思います。
    再版に伴い縮む晴信(字面がおもしろい)。

    八華繚乱も捲土重来も再版しますので、もし値段があがっても、そして晴信が縮んでも紙の本が欲しい方がいらっしゃいましたら、BOOTHの「入荷お知らせメール」のボタンを押していただけると大変助かります。部数の参考にしますので…!

    WAVEBOXへの絵文字・メッセージありがとうございました!とても励みになっております…!

  • 0925

    ただただ晴信が気の毒なだけのスケベ漫画の一コマ

    漫画描いてるときは大体自分の顔を思い浮かべながら「誰だこんなアングルにしたやつは…!!」と恨めしく感じています。が、スケベ漫画はいっそうそれが大きい…誰だこんなアングルにしたやつは…!!!

    絵文字・メッセージありがとうございます!川中島はこんなことしないSS-1への反応がたくさんあってウハウハしております。

  • 川中島はこんなことしない:SS-1

    長尾景虎の憂鬱
     はあ、と、物憂げな嘆息を一つ。長尾景虎は自室の中で頬杖を突き、見るともなしに閑散とした庭に目をやる。考えることは庭でもなければ自邸のことでもない。つい昨日まで滞在していた海津城でのあれこれだった。
     甲越の同盟が成り、どういうわけか武田晴信と肌を重ねること幾度。昨日も軍議だ何だの諸々の所用を片付けて、双方の家臣を交えての酒宴をこなして、その後は城の最奥で二人、朝まで睦みあった。晴信はさすがの海千山千手練手管ではあるが、景虎とて彼に朝まで付き合う程度の体力はある。疲れているわけではない。ないのだが、彼女を確かに悩ませているのが未だ熱の残滓を体に残す、閨での出来事であるのは間違いない。
     この身体を暴いてあらゆることを教え込んだのは晴信だ。彼の手、唇……身体のすべてによって、景虎は快楽という快楽を教え込まれた。いっそ捻じ込むとか押し込むとか、そういう言葉が似つかわしいかもしれない。それほどの荒々しさで晴信は景虎を抱く。怒濤のように押し寄せる快楽を受容しきれずに待ったをかけても、「ああ、おまえはここが好きか」と、いっそうねちっこい愛撫を施す。もういっそ絶頂させてくれと言っても、「気をやったら終わっちまうだろう?いいのか?」と、意地の悪い顔でひたすら焦らすことにばかり没頭する。泣いて懇願してみれば、「少しは耐えてみせろ」と言いながら唇で塩からい涙を拭ってくれる。意地が悪いのか優しいのかもうわからなくなったころ、ようやく晴信は景虎の中で果て――そのときにはもう景虎は、ほとんど人事不省で、晴信が体を清めてくれているのをぼんやり感じている有様だった。それがどうにも、
    「情けない……」
     はあ、と、嘆息をもう一つ。彼の、幾人かの奥方ならば自分のような醜態は見せないだろう。晴信だって呆れているのではないか、とも思う。自分は確かについこの前まで生娘だったけれど、歳も歳だし同衾も一度や二度ではないのだから。いつまで経っても若い娘のような反応ばかりで手を焼いているのでは、いつか自分は飽きられ疎まれ、抱かれることもなくなってしまうのでは……という不安が、景虎に物憂げな表情を強いているのだった。
     そして何より、こんな恋慕の情を持ち合わせていることを知られては、晴信とて扱いに困るだろう、というのが、景虎の目下最大の悩みだった。ただの同盟だったはずがどうしてこうなったのか……。
    「人の心とはわからぬものです」
     まさか自分に対してそう感じる日が来るとは思いもしなかった景虎の、数えきれないため息が晩秋の空に融けて消えた。

    武田晴信の懊悩
     人払いを済ませた自室で、武田晴信は腕を組み、むっつりと黙りこんでいる。両の目がきつく閉じられた様は、さながら軍略を巡らせているかのような緊張に満ちていた。家臣がここにいたならば、すわ小田原攻めか、上洛か、などと色めき立ったに相違ない。
     が、晴信が思案しているのは隣国攻めでも天下取りでもなく、なんなら思案という言葉も的外れとすら言える。彼はただ、毎度毎度の己のふるまいについて自省の念を強くしているだけだった。
     ふるまいというのは、長尾景虎に対するもの、それも、陸み合っている最中の、だ。昨夜もまた、いつものように無理を強いてしまった……と、晴信は年甲斐のない己を恥じている真っ只中だった。
     そもそも、景虎とこれほど深い仲になろうと思っていたわけではない。同盟が成って顔を合わせることが多くなり、見目も良ければ所作も美しい彼女にふと指が動いてしまったのが発端だった。若干の罪悪感と不体裁を頭の隅に追いやりながら、しかし晴信は結果として、その清らかな身体を無我夢中で貪ってしまった。一度知ってしまった以上、二度三度と肌を重ねることは避けられなかった。その度に、いっそう景虎に耽溺していく己を認めざるをえない。元服したての若造でもあるまいし、まして子まで幾人もこさえておいて、女一人にここまで入れあげるとは思いもよらなかった。何がそこまでさせるのか――自問する必要もない。景虎の、いつまでも損なわれない清らかさが、彼の嗜虐心を刺激するからだった。何度抱いても初々しい反応で晴信の青臭い獣性をじくじくと呼び覚ます。毎度毎度、快楽のためだけではなく泣かせてしまうたびに、己の欲望を受け止めてぐったりと弛緩した体を抱き起すたびに、またやってしまった、と、らしくもなく項垂れてしまう。こんなことは初めてだった。自分に抱かれた女は、皆そのうち慣れてしまうし、自分だって慣れていく。景虎もそうではないかと思っていたのに、何度抱いてもその気配すらない。今回こそはという期待は、いつしか「今回もこのままでいてくれ」という切願に変わっていた。
     そして晴信の胸中に、これまでとは違う「怖れ」が生まれていた。こんな抱き方をしていては、早晩景虎に拒まれるのではないか――。
    「……それは、困る」
     次こそは優しく抱いて、本心から悦ばせたい。毎回こう考えているのは事実なのだが、如何せん上手くいかない。原因は自分だとわかってはいるが、しかし本当に自分だけの問題だろうか?という疑問も否定できない。
     武田晴信の眉間の皺は、さらに深くなるばかりだった。

    (終)

    いつか「川中島はこんなことしない」というタイトルの一人アンソロを作りたくて書き溜めています。「そうはならんやろ」ってネタばっかりを集めたやつ…。これは二人の時代に甲越の同盟が成っちゃってついでにどうにかなってしまった二人の仲ってやつ。

    ロゴは仮…

  • 0921

    奏章Ⅲ終了までのネタバレを含みます。

    軍神ちゃんの火力を生かしつつ防御も固めようとしたらパーティーが社長鯖だらけになった記念。これにはジルさんもニッコリ。
    ジャンヌ、三つ編みが好きだから再臨衣装がちぐはぐだけどゆるして欲しい

    奏章Ⅲもよかったですね…べそべそに泣いてました。チャッカリム…チャッカリム……!アンソニー!プロテアオルタ!リップ!終わったよ…(ころすな)
    話の中身はまだ噛みしめているのでノータッチですが今回も軍神ちゃん大活躍……

    大活躍………

    と思ったら

    真のMVPはこの方でした。

    有言実行でキアラもムーン・キャンサーもお構いなしにバックドロップ。強い。さすがエーデルフェルト強い。軍神ちゃんが落ちた後の後詰めとして最高の安定感でした。

    こう、「美しいものを見た…」って心が浄化されるシナリオでしたね。よかった。

    よかったねBBちゃん

    でも男女選択の時間的猶予がもうちょっと欲しかったね…

  • 0919

    WAVEBOXへの絵文字たくさんありがとうございました~!虎!龍!龍虎!塩!
    塩…
    越後湯沢駅のぽんしゅ館で味わった塩、買って来ればよかったな…

    三連休はこれ↑の下書きだけでも終わらせたいと思っていたのに後編の配信が来るなんて…ありがとう…どういうこっちゃ…

    こないだ、今年のぐだイベが10月に開催されるという夢を見たけど「ま、待ってくれ…晴信の宝具を重ねるための石を貯められていないんだ…!」と唸ったところで目が覚めたような気がします(晴信のピックアップを信じ切っている目をしている)

  • 0916

    ゆっくり川中島

    BOOTH通販届いたよ報告や漫画への感想ありがとうございます!
    あと早速「龍虎龍龍虎龍虎」が投げ込まれててうれしかったです。

    毎週月曜日の平家物語(人形劇の方)が楽しみだったんですがそろそろ終わるのかな…平家物語と言えば川中島も源平ですね。赤白逆だけど。

    景虎ちゃん「貴方も龍田川の紅葉にしてやりましょうか」
    晴信「赤はおまえなんだが?」

  • 休日の川中島

    疲れすぎておかしくなった晴信(「流転」の二人のようなそうでないような現パロ川中島)

  • 0915

    通販の同梱カードにと思って描いてたけど没にした絵のリサイクル

    BOOTH発送しました。到着までしばしお待ちください~
    よかったらWAVEBOXから絵文字とか送っていただけるととってもうれしいです。最近「龍虎」の組み合わせで送られることが増えてニコニコしています。龍虎龍龍虎龍虎(男女)が送られる日を待っています。

    川中島は描くたびにキャラデザがとてもいいな…っていうか社長とtoi8先生はなんかこう、示し合わせてたりするんですか?しないんですか?っていう気持ちになる…示し合わせていたならば約束された川中島だし示し合わせずにこのシンクロならば運命の川中島…どっちに転んでもすばらしい…

    WAVEBOXへの感想ありがとうございました!返信不要とのことでしたのでお礼だけ!とてもうれしかったです!
    絵文字の送信もサイトの♡もありがとうございます!

  • 0912

    ※下のほうにややセンシティブな絵がございます

    なんとなく再生した「新しい上司はド天然」というアニメのド天然上司が梅ちゃんさんだったのでびっくりした絵
    多分梅原裕一郎氏を認識したのは鉄血のオルフェンズだったんですがあのときのイメージが強すぎて晴信のドドドド低音イケボに腰を抜かしました。えーっあのチャラい童貞感満載ボイス(ユージンのイメージぴったりだったので褒めてるつもりです)はどこに…………
    声優さんってすごい、私は毎朝おじゃる丸のキスケの声を聴くたびにそう感じています。

    スケベ漫画描いてるけど晴信のtntnを描いてるときが一番罪悪感があり、景虎ちゃんにこういう顔をさせるのは大変楽しいです。

  • 巫山の雨

    長!って思って前に書いた(別CPの)初めての話を確認したらさらに長かったので「まあ…ヨシ…」と思って目をそらした。我求纏短文能力。

  • 0911-2

    今日イドクリアしたんかみたいな絵になったけどこれはMVP景清ありがとうの絵です(奏章Ⅲ中編クリア絵)
    ミクトランでもマスターが引く程度の活躍ぶりでした。ありがとう景清。
    オルタちゃんも強かったよありがとう。

  • 0911

    信玄(第三再臨)と謙信(第三再臨)は熟年夫婦みがある
    *個人の見解です

    刷りなおしたものが納品されたわけですが、発注した数の3~4倍ありそう。数えてないけどきっとある。グラ〇ィックときどきそういうことする…ありがとうね…

    クラフト紙に白印刷はプリンパで刷ったものです。こちらは小説本お買い上げの方向けのしおりサイズのカードです。クラフトに白、めちゃかわいいな…本当はディープマットの濃色に金銀トナーとかもやってみたいけど裏面のQRコードが読み取れなかったりするだろうからやめました。このしおりは裏面はK1色です。

    誰かが言ってた「同人活動はお店屋さんごっこ」っていうのわかる~こういうの作るのが一番楽しいかもしれない。いや、作品作ってる時が一番楽…装丁考えてるときが一番楽しいかな…(正直)

  • 0907

    2冊目の川中島が刷り上がりました~今回も(印刷が)きれい!ポストカードはオマケです。1冊でも川中島本を購入してくださった方に問答無用で捻じ込みます。足りなくなることはないと思うけど数に限りがあるのでその点ご了承ください。

    朝晩涼しくなってきたような気がする~って言ってたら今日はまた猛暑日に迫るような最高気温で…暑…暑いけど…BOOTHは再開します。9/12の夜に順次在庫を追加しますのでよろしくお願いします~。

    WAVEBOXへの感想・絵文字ありがとうございます!先ほどお返事いたしましたのでご確認ください~!

  • 捲土重来川中島

    発行日:2024.9
    ジャンル他:Fate/GrandOrder
    版型:A5
    ページ数:表紙込み42ページ
    表紙:しこくてんれい白180kg/RGB印刷
    本文:コミック紙ホワイト/モノクロ印刷
    遊び紙:てまり 白
    印刷:プリントオン(RGB特殊紙セット)

    2冊目の川中島です。予想していたより早く出せたな感があるけど漫画描くのに慣れてきたのかな?知らんけど。

    1冊目と対になるようにしたかっ、いや晴信がデカい
    ならべて描いてるわけではなかったので途中で気づけなかった、反省

    今回も題字は鶴さまに書いていただきました。前の本と対になるようにお願いしますという無茶ぶりに応えていただきありがとうございます…!配置が対になってないのは私が何も考えずに表紙を描き始めたせいです。なにもかも詰めが甘い。
    鶴さまのXはこちら

    遊び紙は1冊目と同じ「てまり」だけど漉き込まれている糸の色が白です。
    1冊目は赤。

    てまりの赤と白で対になる本を…っていうのはずっと夢だったので達成感がすごい。成仏しそう。

    表紙4の花も同じ椿だけど色が赤と白です。
    今回の本は背景の色味がものすごくきれいに鮮やかに出ていてすごい(語彙)さすがRGB印刷…
    あと、2冊とも表紙の背景に透かし模様を入れてるんですが1冊目は「毘沙門亀甲」、2冊目は「花菱」です。推しカプをにおわせる。

    この本の中で一番ノリノリで作画したのが♡目の景虎ちゃんです。頬の線もきれいに印刷されててよかった!

    プリントオンさんは早割を使うと選べるオプションサービスに「ポストカード印刷」があるんですが、今回それを使わせていただきまして…
    上の画像の左側が同人誌の表紙(RGB印刷)、右側がポストカード(CMYK印刷)です。CMYKに変換したときに色味がくすんだりしないよう多少調整たけど結構違うものだな~と参考になりました。(紙が違うので一概には比較できませんけども)でもどっちも印刷綺麗です。
    ポストカードは川中島本を購入してくださった方には問答無用で押し付けますので何かの参考にでもどうぞ(?)

  • 清秋

     流転/碧落の間にあったかもしれない秋の話。

     昼休みの食堂を訪れると、珍しく景虎が窓際の席に座っているのを見つけた。
     初秋の柔らかな陽ざしを浴びながら、何か冊子のようなものを熱心に眺めている。食器の乗ったトレーはすっかり空になっていたので、早めの食事を済ませた後らしかった。
    「何読んでるんだ?」
    「あら晴信」
     近寄って声をかけるまで景虎は俺に気づかなかった。それほど集中して読んでいるものが何なのかと思って覗き込むと、なにやら見覚えある紙面が目に入る。なんだろうか、と、注視しようとした俺を景虎は制した。
    「ちょうどよかった。ここで待ってますから食事取ってきてください」
     食べながらでいいので話しましょう。と、景虎は妙に上機嫌で笑っている。気がかりは残ったままだが、まあたまには二人で昼休みを過ごすのも悪くはない。俺はその言に従い、伸び始めた社食の列へ並んだ。

    「なんにしました? 日替わり? わぁ、今日はチキン南蛮ですか」
     戻って来た俺のトレーをのぞきこみつつ、そっちにすればよかったかも、と、景虎は惜しそうに口をとがらせた。それでも相変わらず楽しそうに笑っている。
    「おまえは何食ったんだ?」
    「かきあげうどんです。お口が麺の気分だったので」
    「ああ、そういう日あるよな」
     などと益体のない話の合間に膳を勧められ、俺は腹いっぱいだろう景虎の前でチキン南蛮の一切れにかぶりつく。その様をじっと見られているのは、なんとなくやりづらい。
    「で? 話って?」
     食べながら話そうと言った景虎が何も言わないので俺から水を向ける。
    「ああ、これです、これ」
     思い出したような顔の景虎が広げたのは先ほどまで見ていたらしい冊子の見開きだった。近隣県の観光地特集が組まれている。やっぱり見たことがある……。箸を止めてじっと考えていると急に思い出した。これは、契約しているロードサービスの会報だ。車を持っているし契約もしている俺に読んだ覚えがあるのは当然として、なぜ車を持っていない景虎がこれを持っているのだろう? という疑問は、その次の言葉に吹き飛ばされた。
    「晴信、ここ行きませんか?」
     ここ、と、指さされたのは温泉旅館の写真。日帰りの立ち寄り湯でもなく、まして足湯などでもない。
    (……泊まり?)
     顔を上げても景虎の表情はいつも通りの笑みにしか見えない。そうでなくてもこの女の本心は非常にわかりづらい。泊まりなのか、どうなのか。
    泊まりだとしたら、おまえはそういうつもりなのか?
     ……わからん。写真に併記されている「美味しいお酒と山海の恵みに舌鼓」だと夕食付きの宿泊プランとしか思えないが、「人気の和朝食は朝食のみ利用もOK」だと早朝に出立して朝食と立ち寄り湯で日帰り利用もできなくはない。……駅からかなり遠い旅館なので、このあたりから車で行くとなると夜明け前に出立しても朝食提供時間ギリギリだろうが。
    「……だめですか?」
     何も言わない俺が渋っていると思ったのか、景虎はしゅんと眉を下げる。
    「――いや、だめじゃない、嫌でもない。よさそうなところだな」
     なんとかそう答えると途端にぱっと顔色が明るくなる。
    「そうでしょう! このお料理付きのプラン、とってもいいですよね! お肉もお魚もついて豪勢ですし地酒のラインナップがまたすごいみたいですよ!」
     そうかそうかと頷きつつ、俺は当惑交じりの問いを投げた。
    「……ってことは、泊まりなんだな?」
     念押しのように聞くと、半分はしゃいでいた景虎がぴたりと動きを止める。
    「えっ。こんな素敵なところに泊まらない選択肢はないと思いますが」
     なんだか若干の圧を感じる。俺は別に異論はなくて確認したかっただけだと言うと、ほのかな緊張が緩んだ。思わずほっとしてしまうが……なぜ俺だけが振り回されているのだろう。
    「じゃあ決まりですね! 晴信は何日ごろなら大丈夫ですか?」
    「そうだな……ちょっと待て」
     ポケットからスマホを取り出して予定を確認しようとすると、
    「あ、食事中でしたね、すみません。後で連絡してくれたらいいですから」
     と、景虎が唐突に冷静になる。なんとなくその態度が勢いを殺すように思えて、俺は少しだけ、焦った。時間を置いた結果景虎が我に返って「やっぱり泊まりはなしです」なんて言い出したら……という懸念があったのかもしれない。
    「今ここで決めちまった方が早いだろ。そうだな、早けりゃ今週末……」
     結局食事を中断して予定をすり合わせた俺たちだったが、今週末を除くと向こう一か月では二人とも土日の両方が空いている日がないという有様だった。それでも行けそうな日があったのは幸いと、善は急げの景虎は食事中の俺を尻目にウェブ予約を済ませてしまった。相変わらず恐ろしい行動力だな。
    「はあ……直前だったけど予約できてよかった……」
     満足そうな顔を見ていると、そんなに旅行に行きたかったのかといじらしく感じられて頬が緩む。当日は何時ごろ出発しようか、なんて話をしていると、唐突に景虎が「あ」と思いだしたような声を上げた。
    「あの、こういうのは予め言っておくべきことでしたけど……」
     なにやら言いづらそうにもじもじしているので、「さては」と思わず身構えてしまったが、
    「交通手段(足)は晴信の車で、お願いできますか……?」
     でてきたのはそれだけのことだった。幾分落胆しながら、冷めかけた味噌汁を飲み干す。
    「元からそのつもりだ」
     長距離だろうが運転は苦にならない性分なので、任せろの一言で請け負うと景虎はほっとしたように表情を緩めた。
    「よかった! ではよろしくお願いします」
     言いながら頭を下げて、イベントが楽しみな子供のように笑っている。本当に子供の頃のままのようだ。酒は飲むし仕事もするし、当たり前に大人になっているはずなのに。
    「あっ、じゃあ晴信、私そろそろ戻りますから」
    「ああ、おつかれ」
     午後一の会議の準備があるらしい景虎は、慌ただしくトレーを片付けて食堂を後にした。
     残り一切れのチキン南蛮を前に俺は考え込む。そうだよ、俺たちはいい大人なんだよ。

     温泉旅館に、泊まり。
     はっきり言われてはいないが、つまりはそういうことだよな?
     俺は期待していいし、準備をしておくべきだし、覚悟を決めろということだよな?
     
     誰に言うでもなく頭の中でそんな自問自答を繰り返す。
     いや、わかる。景虎に確認するべきだったと。しかし真っ昼間の、しかも社員食堂で、誰が聞いているかもわからないのに聞けるだろうか。
     俺はその日おまえを抱いていいのか? と。
     聞けるわけがない。だから聞かなかった。しかしはっきりさせるべきでは?という気がかりを残したままなのもすっきりしない。俺はその日の夜も翌日も尋ねるべきか確認するべきか悩んだ。
     悩んだ結果――聞くのはやめておくことにした。
     もし景虎にそういうつもりがあるのならそれでいい。だが、そうでなかった場合、自分は純粋に旅行を楽しみたいのに、俺がそういうつもりだと知った景虎は落胆あるいは気分を害するかもしれない。あるいは、抱くことが第一目的だと誤認されでもしたら俺に失望するのでは?
     いや、もっともあり得そうな顛末としてはこうだ。
    『ごめんなさい、晴信がそういうつもりだったなんて考えもしませんでした……私、何にも気づかなくて……すみません、私にはまだその覚悟はないし、かといって晴信を生殺しのままにするのは心苦しいから……この話はなかったことに』
     ありそう。
     それだけは避けたかった。第一、あれだけの笑顔で楽しそうにここに行きたいと言っていたのだから、そんなしょうもない理由で旅行を取りやめにするのは忍びない。
     結論。俺はなにも聞かないし、当日何が起こっても対応できるようにする。
     しないならしないでいい。もしも景虎がその気だったらちゃんとできるように準備しておく。
     よし。これで対応は万全のはずだ。前日の夜に爪を整え、着替えや細々としたものをボストンバッグに詰めながら、その隙間に小さな箱を忍ばせる。
    「……いや、さすがに箱では多いな……」
     三個くらいにしておこう。……念のため。

     当日はよく晴れた。目的地までは二時間半のドライブになる。助手席の景虎はどこか眠そうな顔のくせに、寝て構わないと言っても聞かない。
    「だって晴信が運転してくれてるのに……」
     真面目というか律儀というか。ここでも景虎は頑なだった。助手席で寝られるのを殊更嫌がる運転手がいるという話を聞くが、俺はまったく気にしない。そう言っても頷かない。
    「寝顔見れるかと思ったんだが」
     茶化すように笑うと、景虎は「呆れた」と言わんばかりに嘆息した、気配が感じられた。
    「そもそもなんだってそんなに眠そうなんだ?」
     高速道路を走り初めて三十分、次のサービスエリアは十五キロ先。渋滞情報はなし。ナビの画面で確認している俺は景虎の顔を見るゆとりはあまりない。
    「楽しみすぎて眠れなかったのか?」
    「そんな子供じゃあるまいし……今週はちょっと忙しかっただけです」
    「……」
     忙しいのはいつものことだが、景虎はあまりそういう話をしない。隠しているわけではなく、単にいつもの勤怠状況はこいつにとって「忙しい」うちに入らないから取り立てて言うべきことでもないというだけ、らしい。その景虎が「忙しい」と言うくらいだから、きっと特別なことがあったのだろう。
     しかし多忙の原因がもしも重大なものならば、旅行のために今ここにいるはずもなく。
     つまりは、俺との旅行に行く余暇を捻出するために、怒濤の勢いで仕事を片付けてきた、その結果の寝不足というわけだ。
     自分が言い出したから中止や延期にしたくなかったという責任感もあるだろうが、同行者が俺だからというのも大きな理由だったと自惚れたい。そんなかわいい恋人を気遣うのは当然ではないだろうか。
    「だったらなおのこと寝てろよ。到着した後に楽しめなくなるぞ」
     走行中眠れたところでせいぜい一、二時間だろうが、このまま起きているよりはマシだろう。
    「大丈夫です。せっかく二人でいるのに眠っちゃったらもったいないからずっと起きてます」
     本当にかわいいことを言う。そこまで言うなら俺もこれ以上強いるつもりはない。「わかった」と片手を上げると、景虎は満足そうにシートに深く沈んだ――と思ったらこちらを振り返り、
    「だから晴信も我慢してください」
     と、よく意味の分からないことを言いだす。「俺? 何をだよ」と問い返すと、景虎は自分から言い出しておきながら少し言い淀んだ。
    「……寝顔。今晩いくらでも見れるでしょ」
     さすがにハンドルやクラッチの操作を誤ることはなかったが、一瞬俺の脳裏に現れた、まだ見ぬ光景に狼狽えてしまう。
    「……おまえ、運転中に妙なこと言うなよ」
     俺は冗談で言ったことなのに。とは言えなかった。寝顔が見たいのは偽らざる本心だし。
    「貴方が先に言い出したくせに」
     そういう問題でもないと思うのだが、これ以上つっこむとさらに動揺させる発言が飛び出しそうなのでやめた。
     その後はおおむね他愛のない雑談と、目的地での予定立てを話すばかりだった。景虎は結局一睡もしなかった。走行中はもとより、休憩に立ち寄ったサービスエリアで俺が煙草を吸っている間も。あいつも土産物売り場を冷やかしたりいつの間にかソフトクリームを買っていたりと楽しんでいるようだったので、それはそれでいいのだが。……いいんだが、どこかで電池が切れたようにぱたっと寝落ちたりはしないだろうなと心配してしまう。
    (そうは言ってもあいつも大人だしな)
     どうしても眠くなったらそう言うはずだ。今のところ元気一杯の景虎は、長いスカートの裾を揺らしながらサービスエリアの展望台へ走って行く。俺もまた、苦笑しながらその背中を追いかけた。

     高速道を降りた後も途中で観光地や道の駅に立ち寄ったものの、早朝に出立したのが功を奏してか旅館には日が高いうちに到着できた。チェックインを済ませて案内された部屋は、こぢんまりとしてはいるが凝ったしつらえの和室だった。そもそも旅館もそれほど大きなものではないようで、部屋数は少ないらしい。規模が大きいゆえに宿泊人数が多く騒がしいところより、断然気に入った。
    「ああ、庭がきれい」
     荷物を置いた景虎は、外に面した障子を開け放って感激している。開けた視界の先は、確かに趣のある日本庭園が広がっていた。旅館と同じく庭もそれほど広くはないものの、きちんと手入れされているのが伺える。気の早い木々は少し紅葉し始めているが、もう少し寒くなれば一面が美しい朱に染まるだろう。
    「……静かですね」
     温泉旅館が軒を連ねるこのあたりでも、この旅館はとりわけ山に近い。人の気配や車の音などはほとんど聞こえず、どこかを流れる小川のせせらぎだけが耳に届く。時折、都会では馴染みのない野鳥の鳴き声らしきものも聞き取れるほどだった。
    「いい宿だな」
     ああいう冊子に掲載されたならもっと人も多いかと思っていたが、少し拍子抜けした。後で旅館のスタッフから聞いたが、俺たちが予約できたのはたまたまキャンセルが出たからで、毎年桜と紅葉の季節は早いうちから満室らしい。皆、見たいものは決まっているわけだ。
    「私たち、本当に運がよかったのかもしれませんね」
     浴衣に着替えた景虎は、ほくほくとした顔だった。食事の前に一風呂浴びようという話になって、大浴場へと移動する道すがらだった。
    「日頃の行いのせいだな」
    「私の?」
    「……まあ、両方だよ」
     思えばこんな会話を自然とできるようになったのはいつからだろうか。
     うわべだけの交際中は、俺は疑心暗鬼で鬱屈した気分、景虎は半ばやけっぱちで、互いに本心を見せない会話はどこか上滑りしていたように思う。ちゃんと互いの意志を確認して本当に付き合い始めた最初の頃はどこかぎくしゃくしていた。あれは自分でも、思いだすたび少し恥ずかしい。まるで互いが初めての恋人の中高生みたいだった。それでも幼馴染だからから、あるいはまったく別の要因でもあるのか、俺たちは今のような関係に落ち着いた。うん、落ち着いた、というのがとてもしっくりくる。その関係から今夜、さらに一歩踏み出せるのかどうか――それは俺にも、多分景虎にも、わからないことだった。

     男湯の客はまばらだった。外に通じる引き戸の先は露天風呂になっているが、隣接の露天女湯からかしましい女性客たちの笑い声が聞こえてきたので、これは落ち着けないと思い内風呂へと戻ることにした。男湯の露天風呂が無人なのは、皆同じ考えだかららしい。再び湯船に体を沈め、ぼんやりと天井を見上げる。
     運転が苦ではないとはいえ、普段は走らないような山道を、助手席に景虎を乗せて運転するのはいつもより疲れた。熱めの湯に疲労感がゆるゆると溶けだしていくようで、ふっと目を閉じる。
     景虎はどうしているだろうか。
     あのやかましい女性客たちに辟易しているのではないだろうか。俺と同じように内風呂で脱力しているだろうか。ずいぶん眠そうだったが、まさか大浴場で寝落ちたりはしないよな?
     ここで心配してもどうにもならないが、ついそんなことばかり考えてしまう。仕方ない、一人旅ではないのだから。同行者を心配するのは当然だろう。でも、それが嫌だというわけではなかった。想う相手がいるというのは、不思議とこの心を温かく満たしている。

     温泉を出た俺は、外の喫煙所で景虎を待った。長い髪を乾かすのは時間がかかるだろうし、そうでなくても女は長湯だ。俺が先だろうから喫煙所にいると、大浴場の入り口で伝えている。暮れ始めた秋の空に、白い煙がゆっくりと霞んで消える。まだまだ現れる気配のない待ち人を想いながら、秋の日が落ちていく。頬を撫でる風は少し冷たく、俺をなおのこと人恋しくさせた。
     二本目の煙草を吸い終わって数分。そろそろ冷えてきたので待合ロビーに戻ろうかとしたとき、
    「晴信」
     貸し出された下駄を鳴らして景虎が現れた。軽くまとめた髪の毛先を揺らしながら、俺が座るベンチに隣り合うように腰を下ろす。動きにあわせて、ふわりと甘い香りがした。ボディーソープか何かだとわかっていても妙に落ち着かない。
    「お待たせしてすみません」
    「そんなに待ってない……けど、ここはもう冷えるから」
     中に入ろうと促し立ち上がると、景虎は俺の手を取って従った。湯上りのせいか少しだけ熱く、しっとりとした指先に動揺してしまう。
    「晴信、ちょっと手が冷たいですよ」
     湯冷めしたんじゃないですか? と、眉を下げる景虎は、自分が遅く来たことを心苦しく感じているらしい。気にしていないと言いながら、ふと思いついたことを口にしてみる。
    「じゃあ後でおまえに温めてもらおうか」
     冗談めかして言ったのがよかったのか悪かったのか。
    「え? どうやって?」
     なにもわかっていない顔だった。別にとぼけているわけではないらしい。あまつさえ、
    「あ、お酒飲んだらあったまりますよ! 楽しみですね、晩御飯」
     と、景虎の意識は今晩の夕食「料理長のおすすめ秋懐石コース・地酒堪能プラン」に飛んで行ってしまった。うきうきとした足取りの景虎のつむじを見ながら、空回りの俺は軽く肩を落とすしかなかった。

     部屋食の夕餉は豪勢なものだった。食卓にところ狭しと並べられた器はどれもが見栄えもよく、味も絶品。景虎はブランド牛の焼きしゃぶを食べては「ん~脂の甘みが口の中でとろけますね!」とよろこび、地酒を飲み比べては満足そうに溜息を漏らす。堪能しているようで何よりだった。
    「晴信、あんまり飲んでませんね」
     景虎はそう言うが、俺が普通なだけでこいつが人並み以上に飲んでいるだけだ。
    「明日も運転だからな、あまり残るといかんだろう」
     もっともらしいことを言うと、景虎は納得したような顔で「私だけ楽しんですみません……」と体を縮こませる。自分も控えようという考えはないのかと苦笑しながら頷く俺は、それについて何を言う気もない。今言ったようなまっとうな理由で酒量を抑えているわけではないからだ。
    (この後使い物にならなかったら困るからな)
     目の前で盃を重ねる景虎は俺の思惑など知る由もない。

     食後は少し部屋でくつろいで、その後俺は喫煙所に、景虎はもう一風呂浴びてくると言って大浴場へと向かった。さすがに夜ともなれば外の喫煙所は冷えたので、結局俺も湯船に入ることにする。まだ九時を回ったばかりだが、運よく露天風呂は無人だった。ぼうと明るく光る月を眺めながら、景虎ならきっと月見酒がどうこう言うだろうな、なんて考える。
     ……今日の俺は、あいつのことばかり思い浮かべてしまう。恋情もそうだが、この劣情が満たされるかもしれないという期待のせいだろうか。だとしたら俺もまだまだ若造、いっそ童貞にでも戻ったような気分だった。
     そうだったらいいのに、と思う気持ちがないわけではない。
     子供のころからずっと一緒にいられると信じていたのは脆くも崩れ去り、俺はあいつがいない間に様々の経験を積んでしまった。あれもこれも、あいつと一緒に経験したかったことばかりだ。なんの意味もないむなしい願いだが、もしもやり直せるなら今度こそ、ずっと隣で生きてみたいと思う。
     けれど、どうだろうな。一度離れ離れになったからこそ、今俺は景虎と一緒にいるのかもしれない。一度も分かたれることがなかったなら、どこかのタイミングで互いに愛想をつかして他の誰かと一緒になったかもしれない。結局のところなにもかもはそうなってみなければわからないという話にしかならないのだろう。もしかしたらこの先の俺たちが、別れを選ぶかもしれないように。
     だから俺にできることは、景虎と共に在る今に精一杯を尽くすだけだ。

     男湯から出ると、丁度景虎も女湯から出てきたところだった。
    「晴信も入ってたんですか」
     驚いたような顔が手を伸ばす。その手は相変わらずしっとりと熱く、俺を不必要に駆り立てる。
    「喫煙所に出たら冷えてな……けど風呂から出たらまた一服したくなる……」
    「あっはは、それじゃいつまでも終わらないですね」
     呆れ混じりに笑う景虎は、ゆっくりと瞬きをしている。明らかに眠そうな仕草だった。ロビーにはフリードリンクの案内もあったが、この景虎に強いるのは憚られた。
    「さすがに眠そうだな。部屋に戻るか」
    「はい……」
     戻った部屋には布団が並べて敷かれている。景虎は動揺するかと思ったが、無反応だった。並んで歯を磨いている間も様子を伺っていたが、特段普段と変わったところはない。
    「明日もありますし、今日はそろそろ寝ましょうか」
     時刻は十時前。大の大人が寝るには早すぎる。灯りを消した後にやることがあるのなら、話は別だが。
     しかし予想通り、景虎は自分の布団に静かに潜り込み「ふかふか……よく眠れそう……」とぽやぽやした感想を述べている。
     今夜は何も起きないことを、俺は確信した。大の大人が揃って何もないのはどうかと思わないでもないが、大人だから我慢しろと言われるとそれはそれで返す言葉もない。
     落胆は確かにあったが、同時にわずかな安堵もあった。どうしてほっとしているのか、俺自身理解に苦しむところではあるが。
     床に入り電気を消すと、途端にあたりが静かになる。隣にいるはずの景虎の気配すらあやふやで、俺は確かめたくなった。ああ、やはり欲しいと思う心を否定できない。今すぐにでも抱きしめて、腕の中に閉じ込めてしまいたい。そうして、おまえを、俺だけのものに――
    「……晴信」
     小声で名を呼ばれて、どきりとする。続けて寝返りを打っているような衣擦れの音。闇に慣れ始めた目で振り返ると、こちらを向いた景虎が俺に手を伸ばしていた。
    「……どうした」
     俺も倣うように手を伸ばすと、景虎の手が重ねられる。熱い。その熱を抱き込みたい衝動をなんとかやり過ごしている俺に、景虎は笑いかけたようだった。
    「今日は、ありがとうございました」
     景虎の手が、俺の手をきゅっと握る。誘われているのだろうか? そう考えてしまうのは、俺の願望が先走っているだけだと言い聞かせる。
    「なんだ、急に」
    「いっしょに旅行ができて、うれしくて……あと、運転もしてくれたから……」
     俺を見つめる景虎の、とろんとした声が心地いい。思わず腕をついて上体を起こしかけてしまうくらいには、俺は気が急いてしまっていたのだと思う。
    「はるのぶ……あしたも…………」
     しかし景虎はそれだけ伝えて満足したのか、あとはむにゃむにゃと口をもたつかせた挙句、静かな寝息を立て始めてしまった。
     子供か。
     そんな一言が出てきそうだったが、俺は不満も苛立ちも感じてはいなかった。無防備で穏やかな寝顔を目の当たりにして、そんな感情を抱くわけがなかった。
     無理に抱かなくても、つながることがなくても、俺たちはこの上なく満ち足りているのかもしれない。俺を信じきって眠る景虎の寝顔を眺めていると、ただそれだけのことがありえざる奇跡のように思えて胸がつまった。無垢そのものの寝顔は、いくら見つめていても見飽きなかった。
     そうしているうちに俺もまたまどろみの中へと落ちていく。景虎の手は、赤子のように俺の手を握って放さない。手をつないだまま目を閉じる。こんなことが子供の頃にあったような、なかったような――

     どこか遠くで、誰かが走るような足音が聞こえた。ぼんやりと覚醒していく俺の瞼を白い光がこじ開けようとする。いつもの自室なら遮光カーテンのおかげで暗い部屋なのにどうしてだろうか、と開いた寝ぼけ眼の先にいたのは、
    「おはようございます」
     笑顔の景虎だった。隣の布団に横になったまま、どうやら先に目を覚ました景虎は俺の寝顔を見続けていたらしい。それでようやく旅行中だったことを思い出す。
    「起きてたのか……なら起こせよ……」
     気恥ずかしくてそう言っても、景虎は「だって」と反駁する。
    「晴信も昨日は疲れたでしょう? 今日も運転させるんだから、ゆっくり寝かせたくて」
     それは本心なのだろう。そして俺の寝顔を楽しんだのも起こさなかった理由の一つではないかと思うのだが。
    「……今何時だ?」
    「まだ六時ですよ。もう少し寝ます?」
     朝食の時間までずいぶんあるが、目は冴えてしまった。昨夜眠ったのが十時前後としたら、睡眠時間は申し分ないほど取れている。
    「……起きる」
     身体を起こそうとして、気づいた。二人の手はつながれたままだった。まさか一晩中……そんなわけはないよな、と、目を白黒させている俺を景虎は笑う。
    「晴信、寝てる間からずーっと手を離してくれなかったんですよ?」
     甘えたがりの子供をからかうような口調だった。どの口がそう言うのか。
    「何言ってんだ。おまえがつなぎっぱなしで寝落ちしたからこのままだったんじゃないか」
    「え?」
     強張る表情に、まさか昨夜のことを覚えていないのかと聞くと、まったく記憶にないと言う。
    「私、そんなことしたんですか……」
     恥じらっているが、たかが手をつないで寝たくらい、どうってことはないのでは……いや、この歳になるとなまじ肉体関係を持つよりもこういうあどけないことの方がこっぱずかしいのはあるかもしれない。
     無理に急いて先へ進まなくてよかった、と思った。俺たちはこうして、子供の頃をやりなおしながら、少しずつ進展していくのがいいのかもしれない。

     そのあとは「せっかく温泉に来たのだから」と朝風呂に行き、貸し切り状態の露天風呂を楽しんだ。よく晴れた秋の空から、赤い紅葉が一枚舞い落ちる。湯船を漂うひとひらが、なぜか無性に愛おしい。
     朝食を済ませ、チェックアウトした俺たちは帰路についた。帰りしなも行きと同じくあちらこちらに立ち寄りながら、残り短い時間を楽しんだ。楽しい時間はあっという間だった。

    「そういえば、なんでおまえがあの会報誌持ってたんだ?」
     サービスエリアのフードコートでコーヒーを飲みながら、ふと思い出した疑問を投げる。車も持ってないのにロードサービスを契約してるわけじゃないんだろう? そう尋ねると景虎はなんてことはないような軽い口調で、
    「してますよ、契約。私バイク持ってますから」
     と、俺の度肝を抜いた。
    「バイク?」
    「はい。楽しいですよ、バイク」
     聞けば乗っているのは1,000cc超の大型で、免許を取ったのは大学の頃だと言う。意外にもほどがあった。景虎が、大型バイク? そもそもバイク自体それほど馴染みがないのもあるが、全く想像つかない。つかないなりに、きっと様になるのだろうな、という納得もあった。今もバイクには乗るのかと聞くと、最近はめっきりだと言う。
    「まず冬はすごく寒いですし、夏は夏で暑いですから、あと雨が降っても乗る気がなくなります」
     逆になんでそれでバイクに乗ろうと思い立ったのか聞きたかったが、最初はそんなことがハードルにはならなかったのかもしれない。どんなことにも言えるが、慣れてしまえば多少は億劫になるものだ。
    「何より大きいのは、最近は晴信が一緒にどこでも連れて行ってくれるからです」
     そう言われると悪い気はしない。景虎は、専門のガレージにあずかってもらっているバイクの処遇について少し考えているところらしい。
    「それにしても……俺はまだまだおまえのことを知らないんだな」
     まさか大型バイクを乗り回しているとは思わなかった。苦笑交じりに言えば、景虎も同じように笑い、俺の手を取る。
    「私もですよ。貴方がこんなに爪を深く切る人だなんて知りませんでした」
    「――まあ、な」
     むせそうになったのを何とか堪える。コーヒーを飲み終わっていてよかった。深爪には注意してくださいね、という善意100パーセントの心配に、たまたまだけどな、と誤魔化しながら、俺はなんとも気まずかった。気まずかったし、やっぱり景虎はこの爪の意味すら気づかないほどに純粋で清らかなのだと思い知らされた。何がたまたまだ、準備万端の証じゃないかと自己嫌悪が深まる。こうなってくると最早俺の内心は落胆でも失望でもなく、罪悪感だけでいっぱいになるのだった。

     最後に夕食を済ませて景虎を家に送り届けたとき、時刻はまだ八時だった。マンションの近くに車を停めて、エントランスまでついて行く。名残惜しいのはお互いだったが、明日からまた仕事なのもお互い同じ。また機会があれば旅行に行こうかと言うと、景虎は目を輝かせて頷いた。
    「そういえば、今回行った旅館の他にもう一軒よさそうなところがあったんです」
     今回滞在した宿が満室だったらそちらにしようと考えていたらしい。
    「そこは貸し切りの家族風呂っていうのがあるそうですよ」
    「家族風呂って……」
     あれか? 家族とか、カップルとか、とにかく性別を問わず一緒に入れる、あれか? 困惑する俺をよそに、景虎はエントランスのオートロックにカードキーをかざした。
    「いつかそういうところにも行ってみたいですね」
     それじゃあおやすみなさい。去り際の言葉とともに、自動ドアが閉ざされていく。複雑な装飾の入ったガラス戸を見つめたまま俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
    「あいつ……」
     やっぱり、わかってたんじゃないだろうか?

     それからずっと後。俺と景虎がようやく身も心も結ばれた後。ふと思い出して、あの旅行のときはどういうつもりだったのかと尋ねてみたら、景虎は心底不可解そうな顔をした。
    「どういうつもりって、何がですか?」
     とぼけているわけではなく、本心から俺の言わんとすることがわからないらしい。
    「いや……何って、おまえあの日、俺に抱かれてもいいと思って俺を旅行に誘ったのか?」
    「――はい⁉」
     聞いたことのないくらい素っ頓狂な高い返事だった。俺はそんなに変なことを聞いただろうか。
    「な、なんでそういう考えが浮かぶんですか……⁉」
     そういう反応を徹底されるとなんだか不安になってくる。「交際中の男女が泊りがけの旅行に行ったら、その夜そういうことになっても不思議はないだろうが」と言うと、景虎は目を見開いて驚いたような顔をした。
    「それは晴信の中だけの常識でしょう?」
     あまりに毅然とした態度だった。俺が間違っているのか? いやそんなはずはない。俺は一般的平均的な男性の期待を述べているだけだし、一般的平均的女性も同じ種類の期待を抱いて然るべきだと思う。景虎のことだから人並み外れて潔癖なだけに違いない。
    「俺だけじゃないと思うぞ……」
     経験ベースで話すとボロが出そうなので一般論として言い聞かせる。観光目的の宿泊でも、そういう仲であればそんなことになってもなんらおかしくはない、と。
    「……ほんとに?」
     何を疑っているのか理解に苦しむ。
    「今更こんなことで嘘ついてなんになるんだよ……俺があの晩おまえをどうにか抱こうとしてだまくらかすってならまだしも……」
     そこまで言ってようやく納得したらしい景虎は、今度は顔を赤くして恥じらっている。
    「え、じゃ、じゃあ、晴信は、旅行に誘われたとき、私がそういうつもりだって、思ってたんですか……?」
    「…………半分くらいな」
     景虎は自分が意図せず誘惑めいたことを口にしていたと、今更気づいて羞恥の念に苛まれているらしい。今恥ずかしがってもどうにもならんと思うのだが。
    「じゃあ……私が先に寝ちゃってがっかりしました?」
     両手で顔を覆った隙間から、困ったような目がそんなことを問いかける。
     ……それを聞いてどうするのだろう。濁して逃げたい気もしたが、逃げたら面倒なことになりそうだと思って正直に白状した。
    「……しなかったと言うと嘘になるが、別にどうしてもおまえをあのとき抱きたいとまでは思わなかった。疲れてるだろうから寝かせてやりたかったしな」
     あと寝顔も見れて満足したし……これは蛇足なので言わない。ともかくものすごい難問に回答している気分だった。景虎にとっては俺の回答は満足のいくもの――ではなかったにせよ、少なくとも不満ではなかったらしい。
    「そうですか」
     と、一言頷いて深呼吸。表情が緩んだかと思ったら、今度は口元がにっこりと弧を描く。あ、これはあまりよくない種類の笑顔だなと身構えたのは果たして正しく、「というかですね」と切り出した後は、やはり景虎らしい潔癖さだった。
    「温泉旅館はそういう目的の施設ではないのですから、不埒なことをいたして汚したり、近隣の部屋の宿泊客に迷惑をかけたりする恐れがあることをするのはよくないと思います」
    「迷惑?」
     話の前後がよくわからなくて聞き返すと、表情がまた崩れた。
    「こっ、声とか、音とかです!」
    「ああ……」
     なるほど。やけに具体的なところまで懸念しているらしい。こういうとこあるよな。
     その心配はごもっとも。しかし人間、そこまで理性ずくで生きてもいないものだと思う。この先俺たちだって旅行先でそういうことになるかもしれないのに……とはさすがに口が裂けても言えなかった。この、最近めっきり目にする機会の減った作り笑いから察するに、景虎は本気で「温泉旅館や観光地のホテルで性行為などあり得ない」と思っている。まして先日の家族風呂云々も、風呂の中で不埒なことを働くなどもってのほかだろう。
     これほど潔癖の景虎だ。旅館で愛を深めたいだの言おうものなら、俺の評価が地の底まで下がりそうな圧だった。
    「確かにそうだな、施設は目的に即した利用をするべきだ」
     と、優等生の回答で景虎を満足させ、この話は終わりとした。
     しかし温泉旅館の浴衣で乱れる景虎というのは非常にそそるものがある。潔癖だからこそぐずぐずに流されていく姿が際立つというか……。いつかまた機会があれば、こいつをその気にさせたいのだが。

    (end)

  • 0904

    BOOTH通販のサンクスカード(?)的なものを入稿して数日経って気づくわけよ…謙信ちゃんの髪の塗り残しに……

    再入稿しました(  ˙-˙  )(このほかにも気になるところがあったので…)

  • 0901

    晴信にアロハシャツを着て欲しい気持ちを抱えたまま9月を迎えてしまった…

    謙信公祭の日記、書きました。長いので暇なときにでもどうぞ~

    BOOTH通販の準備を進めています。まだ一週間ほど先にはなると思いますが、はじめたらここで告知します。あんまりこういうのはよくないかもしれないけど、本は全部少部数発行なので確実に手に入れたい!という方は各商品の入荷通知メール登録をぜひどうぞ。それでも瞬殺ということはないかと思いますが…多分…。

  • 謙信公祭

    新潟県上越市で開催された「謙信公祭」に行ってきました。

    どこに行くにしても羽田空港または東京駅まで出たらどうとでもなる!
    往きは東京駅から北陸新幹線で上越妙高まで、帰りは「ほくほく線」で越後湯沢駅まで出て上越新幹線でした。
    北陸新幹線も上越新幹線もほくほく線も山陽新幹線の方が多少マシかも…ってくらいの眺望(眺望…?)でした。大体トンネルで見るものがあまりない。というか東海道新幹線が異常なだけなのでは?
    山陽新幹線は夕方ごろに徳山を通るとコンビナートがとてもきれいです。見どころはそれだけだ。

    去年まで、土日開催で日曜が「川中島合戦の再現」だったみたいだけど今年から合戦は土曜になった(というか元に戻ったらしい)です。これを知る前に旅程組んで諸々予約してたので土曜日の催し色々間に合うか不安でしたが見たいものは全部見れました。ヤッタネ!

    林泉寺の出陣報告。14時頃だったので死ぬほど暑かったです。この暑さのなかで武将の皆さんこの完全防備…謙信役の越乃リュウさんは暑さを感じさせない凛とした声でした。やっぱ長らく舞台を経験されているためか声がものすごく通って迫力ありました。キラキラのモールで飾り立てたうちわを持った越乃さんファンのマダムたちも大勢駆けつけていました。さすがだ…

    林泉寺で御朱印をいただく際に出したページがたまたま、本当にたまたま、恵林寺(山梨県・武田信玄の菩提寺)の御朱印の隣のページだったんですが、いや本当たまたまだったんですが!受付のお姉さんが「あっ隣に…!わざわざ遠くからありがとうございます!」って言ってくださいまして…言われて初めて配置がアレになってることに気づいて「はわわ!これでは推しカプがバレてしまう!!」って焦って(いやべつに焦るこたないしバレてないと思うけど)「アッ、イエ…フフッ…オナシャス…」みたいな返事しかできなかった…お姉さん私甲府から来てないです直線距離で800km超先から来ました(マウントを取るな)
    なんとなく御朱印を写真に収めるのは畏れ多いようで気が引けるので上げませんが川中島の菩提寺の御朱印が見開きで隣り合ってていいな…って眺めています。
    ところで林泉寺は菩提寺なのか?まあ墓はあったし…武将の墓いたるところにあるし…尊氏君なんて鎌倉と京都だし…

    春日山神社での出陣安全祈願祭。境内では有志のみなさまが来場者にも冷たい麦茶を配ってくださいました。しみた~!ありがとうございました!
    ところで島津の旗がデカすぎて笑う。島津の圧はどこでも強いな…。(参考:鹿児島市のマーク)
    鹿児島で思い出したけど、西郷隆盛ゴリ推しの鹿児島と同じように、甲府の武田信玄、上越市の上杉謙信も市民の皆さんからの敬愛の念を感じました。高知行ったことないけど坂本さんもこんな感じなのかな?

    上越市に出陣してどうする(さては武田だなオメー)

    安全祈願が終了したら出陣行列を見に行く人がほとんどでしたが、かき氷で体を冷やしてから春日山城址に行ってみることにしました。
    この判断をちょっと後悔することになるとも知らずに…

    前提として、春日山神社自体が山の中な上にこの鬼階段を上った先でして…(祭期間中はここまではシャトルバスあり。上まで行ける駐車場もあるっぽかったけど祭期間中は使用不可でした)
    さらに春日山城址は登山道みたいなところを上って行く必要があり…

    ずっと「京都の神護寺よりマシ」と唱えながら登りました。神護寺は伏見稲荷のてっぺんまで行くよりしんどい。約束された筋肉痛。一度神護寺に行くとちょっと山がちとかアップダウンがある神社仏閣に行っても心理的ハードルが下がるのでオススメです。

    降りてきたときには汗だくでかき氷の効能がかき消されていたけどかき氷がなかったら多分ぶっ倒れてたのでかき氷は無駄ではなかったと思…

    祭の(多分)メインイベントです。
    18時~20時の間の催しなので、だいぶ暑さは和らいでいました。とはいえ終了後にパイプ椅子から立ち上がったら汗でえらいことになってたけど。帰りにコンビニの明るいところで見て気づいたんですが、Tシャツが塩吹いてましたね…初めてだったのでびっくりしつつも、そりゃこんだけ汗かけばそうなるよな…とも。本当に汗だく。もう一日中頭の中で「びしゃびしゃもんてんだよぉ…(軍神ちゃんとよばないで)」がリフレインしておりました。
    暑さは和らいでいたとはいえ、武将の皆さんは午後の暑い時間から甲冑着たまま街を練り歩いたりしていたわけで…倒れられたのか味方の肩を借りて退場する人もいました。お大事に…。

    武田軍のみなさん

    上杉軍のみなさん。

    今回有料桟敷席を事前予約していたので最前列で座ってみることが出来ました。有料桟敷席、おススメ。おそらく先着順で最前列中央から埋まっていくのでチケット販売日の日付が変わった瞬間に申し込むがいいです。2000円(事前予約の場合、代引きでの発送のため送料他で600円程度かかります)

    位置関係こんな感じ。
    私は上杉軍側でした。有料桟敷席は当日券販売も結構残ってるっぽくて、買ってる人の様子では武田側・上杉側が選べたみたいでした(事前予約だと選べない)。ただ、有料桟敷席(一列目)・来賓席(二列目)・有料桟敷席(三列目)…という配置だったので、当日券だとおそらく三列目以降になるようです。多分。
    越乃リュウファンは有料桟敷席にもおられました。気合入ってらっしゃる。

    合戦はとてもよかったです。もうこれは是非、本物を見てください。馬に乗って信玄の元へ駆け三太刀斬りかかる謙信は大迫力のかっこよさでした。なおこのシーンのみ越乃さんではありませんでした。それはそうよ、あんな大迫力は訓練してないと危なすぎる…。
    翌日も春日山神社での武蹄式とか見に行ったんですが割愛します。
    謙信公祭は今年が99回目だそうで、来年は100回目なんですって。暑いけど頑張っていこうかな…!

    二日目は上越市内を色々見て回りました。

    これは上越妙高駅前の上杉謙信像

    これは上越市埋蔵文化財センターの上杉謙信像

    これは今回の写真ではないけど甲府駅前の武田信玄像

    どうみても謙信ちゃんがライダーですありがとうございました。

    埋蔵文化財センター、とてもよかったです。タダで入れていいのか⁉ってレベル。展示も大体撮影OK!なので撮ってきた。
    この展示によれば景虎ちゃんは末っ子らしいけどやっぱり末っ子気質だよな…晴信(長男ではないにしても下に弟妹たくさんだし嫡男だしほぼ長男でええやろこれ)の長子気質とよく噛み合うと思いますね…多分景虎ちゃんは無意識に目上への甘えがあって、晴信は無意識に世話焼きしちゃう、そういうことです(???)わんぱく景虎ちゃん(未就学児くらい)に手を焼きつつも放っておけない晴信(ハイティーン)のことを考えています。

    この展示作った人と仲良くなれそう(むこうの迷惑だよ)

    あと、前日川中島の合戦再現が行われていた春日山城史跡広場の近くに春日山城跡ものがたり館という施設があるんですが、そこに置かれていた本をパラパラめくっていたら衝撃の一文が載っていたので…

    >謙信の肌着でお守袋を作り、若い武士に持たせたい
    >謙信の肌着でお守袋を作り
    >謙信の肌着で

    氏康像がアレになっちゃったな…(一次資料にあたりたいので調べてる真っ最中ですが)
    あとノッブと晴ノッブがさりげなくdisられててワロタ。残当。是非もないよね!

    二日目はレンタカーでうろうろしてたんですが午後にゲリラ豪雨に見舞われて数時間何もできなかったので上越観光は悔いが残りました…

    悔いを残しつつも帰路の最大のたのしみ、越後湯沢駅のぽんしゅ館!!!!
    受付で500円払うと最大5杯のお酒が飲める!ヤッター!!
    とてもよかったです。受付ではきゅうりも販売しており、お味噌や塩をつけて食べられます。私は塩だけで酒を飲みました、謙信ちゃんリスペクト(してはいけない)。塩がまた美味しかった。

    ちなみに日本酒だけでなくワインや梅酒もありました。この梅酒めちゃくちゃ美味しかったので買って帰ろうとしたけど出荷時期の関係で店舗在庫がなく…次は11月出荷らしいので絶対買う。
    ところで「景虎」はときどき飲むけど飲みやすくて良い、好きです。
    今回は酒を1本も買って帰らなかったけどこれは4月に長野、6月に甲府で箱一杯の酒を買って帰ったのがまーだ残ってるからで、別に酒が欲しくなかったわけではない…なんの言い訳?

    直江津駅からほくほく線で越後湯沢駅まで行ったんですが、電車の時間の関係でお昼を食べる時間がズレ、越後湯沢駅の丼屋さんでこれを食べました。
    あの…新潟のお米美味しすぎませんかね…私普段は米あんまり食べない(パンと麺で生きてる)けど旅行中は毎食米を食べました。このお店ではお米美味しかったのでテイクアウトでおにぎり二つ買って帰りました。晩御飯!

    こっから食べ物のターンです。こちらは上越市に到着早々食べた海鮮丼(特選)!豪華!米が美味しいし魚も新鮮だしよいスタートが切れました。

    晩御飯その1。謙信公勝負飯。右上は味噌汁よ。

    海鮮ひつまぶし?的な?もの。これも美味しかった~!
    謙信公勝負飯はこちらをご参照ください。
    酒粕の入ったお味噌汁っていうのがとても優しい味でよかったです。

    ホテルの朝ごはん!豪華!
    和定食・洋定食・粥定食から選べたけど二日とも和定食にしました。米がうまいので。いつも朝はパンなのに。
    一日目は焼き魚が酒、二日目は塩サバでした。どっちも大好き~!

    米と魚が美味いときたら食べなければならない、寿司…!
    お寿司美味しかった…握りがふわっとしててお米が最高に美味しかった…
    カウンター席だったのでお店の方と少しお話させてもらいました。新潟では早生の米の収穫後に酒米作るんだとか。ま、まさかの二期作!(うちのあたりは米と麦の二毛作)
    タクシーの運転手さんも、スーパーに新米出てるよ~って仰ってたので行ってみたけどなかった。ここもまた品薄…。配送OKの新米予約受けてるお店があったので注文して帰ってきました。届くの楽しみだな、魚沼産コシヒカリ…。

    馬上杯。

    お造りもついててうれしい。

    馬上杯、その名のとおり馬上で飲みやすいようにという形状らしいけど馬上で持ちやすいものが馬上以外でも持ちやすいかというとそんなわけがなく、台みたいなのにさしこまれていた。まあ雰囲気を楽しむものということで!

    馬上で飲んでた人ェ…

    謙信公勝負飯・馬上杯は高田ターミナルホテル1階のレストランで食べられます。この食事がセットになったプランで予約しました。ホテルはそれなりに年季の入った感じだけど別に不備や不満はまったくなく、スタッフのみなさんもとても感じがよくて良いホテルでした。また上越に行くときはここに泊まりたい。

    かなざわ総本舗で食べたかき氷。
    このときゲリラ豪雨の直後で気温が大変下がっており、ちょっと凍えながら食べましたが美味しかったです。これは出陣餅風味ということで、黒蜜とヨモギの味。氷に黒蜜かけると見た目が「しょうゆかけた大根おろし」になるという学びを得ました。視覚と味覚が一致しない~いや美味しかったです。

    出陣餅is何?
    端的に言うと信玄餅の餅の部分がよもぎ餅になってるやつです。身も蓋もないな。よもぎの風味がとても感じられて美味しい。笹団子もよもぎ入りっぽいけどよもぎ推しなんかな?

    ひとまずこれで上越旅の記録は終わりです。また思いだしたら書きます。
    新潟本当よかったです~また行きたい!

    市内のいたるところで見かけた謙信君(の置物・写真左下)。工事現場によくあるポール?を渡して立ち入り禁止を示す物っぽいけどこうやって置物的に使用されている例があまりにも多くてもはや用途がよくわからない。甲府市内における武田ハル君の出現率をはるかに凌駕する、多分(私調べ)

    来年は米沢のお祭りに行きたいものです。

    WAVEBOXから絵文字・感想を送っていただきましてありがとうございました!また何度も読み返してニコニコしてました!

  • 0829

    ぐんしんちゃん「ムーンキャンサー?っていうんですか?よくわかりませんけど全員ぶった切りました!」

    さすが宝具5、大活躍でした。ぐんしんちゃんマジぐんしん。軍神と書いてワンマンアーミーと読むのでは。

    続きが楽しみですね~

  • 捲土重来川中島

    なんとかできました、川中島の本2冊目です。
    紙の本の頒布は9月中旬以降を予定しております。よろしければBOOTHの入荷通知ボタンをご利用ください。
    pixiv / BOOTH

    軍神の人(矛盾ワード)

  • 0821

    無限に修正しているのでいつまでも完成しない

    ところで4月に川中島を訪れたときにやってたスタンプラリーの景品で武田上杉缶バッチをいただいたけどなんか使えなくて袋に入れたままで…夏…
    あれをつけていると推しカプの主張になるのではという危惧、考えすぎなのだろうか(多分考えすぎ)

    ♡ありがとうございました!

    ドバイ、昨日更新分のストーリーをさっきやったんですけど何してんの晴信…私にはこの後レース会場を後にした晴信がなんかプライベートビーチ的なところへ向かい、サンベッドかなんかに水着で寝そべって待ってた謙信ちゃんに「えー?負けたんです?私のために優勝してくるって言ってませんでした?」って言われて「言ってねえ」ってふてくされながら横に腰を下ろす姿が見えました。

    田中敦子さん、信じられませんし信じたくない…本当に悲しい…。

  • 0819

    色塗大変だけど楽しいね…(表紙)

    いつも絵文字とか感想とかありがとうございます!長文もうれしいしパッション滾る一言もありがたく噛みしめています…あと記事のいいね(♡)も、これがよかったんだな!とわかるのでありがたいです。
    SNSはやってないしpixivはタグつけてないしなのでこんな辺境の地にお越しいただいてるという事実だけでありがたいのに感想などにお時間割いていただいて恐縮です。どうぞご無理のない範囲で、ときどき絵文字や♡を送っていただけると励みになります。あと美味しい日本酒情報。

    山奥とか断崖絶壁の秘境にあるお店みたいな立ち位置でこれからもチマチマやっていこうと思います。

  • お返事0819

    2024/8/19にメッセージを送ってくださった方へ
    (WAVEBOXの字数制限にかかったのでこちらでお返事いたします…)

    たっぷりの感想ありがとうございます!というか厚かましくもねだってしまったようですみません!でもうれしいです!朝気づいて一日中読み返してウキウキしてました、比喩誇張なく50回は読んだと思います。ありがとうございます…!
    川中島についてかいたものほとんど読んでくださって、本当にうれしいです…!どれも楽しんで出力したもので、自分でも温度差がアレ…という自覚はあります笑 そんな温度差の激しすぎるものを全部読んでいただけるとは…感激です! 「わからせ」は謙信ちゃんがパァン!するところが一番書きたかったかもしれないので好きって言ってもらえてヨッシャってなりました笑 あの場面は1カメ2カメ3カメで晴信の顔を撮っててほしい。
    「八華繚乱~」はまだ在庫ありますので、2冊目の準備ができ次第BOOTHに在庫追加予定です。よろしければ!どうぞ!
    「流転」と「碧落」は勢いのままに書き上げたものですが、パロものだし読む人も少ないかな~と思っていたので、心臓鷲掴みと言っていただけて大変うれしかったです。(自分ではとても気に入っている設定なので初めてのモニョモニョをいたすやつを書いてる途中なんですが後に書き始めたわからせの方が先に完成したという体たらく、そのうち出来次第UP予定です)
    行き当たりばったりなので次に何を出力するのか未定ですが、今後も温度差の激しいものになることは間違いないと思います…気に入っていただけるものがあれば幸いです。
    熱いメッセージをありがとうございました!とってもうれしかったです!感謝!

  • 進捗川中島

    2冊目の川中島本、ペン入れあと1ページ、まったくの白紙があと1ページ、表紙がラフ
    今月中に入稿したいけど来週末が旅行なのでこの土日が勝負です……

    WAVEBOXへのメッセージ・絵文字、ありがとうございました!励みになります!

  • ぐんしんちゃんを わからせたい!(R18)

    私は悪くない……宝具1すら天井だったし宝具5までに石2700個くらい使わせた軍神ちゃんがいけないんだッ!

    ヘキに忠実なスケベを書くのはとっても楽しかったです。楽しみました、心から…(アラビアのロレンス)

  • 0813

    謙信ちゃんなら宝具5になって晴信にウザ絡みしてるよ

    石全部+追課金を強いられました…
    宝具5までに石2700個(うち2300個は備蓄)費やさせた悪い子はtntn生やしてわからせないといけないよねぇ…?(ニチャア)

    っていう劣情をぶつけている最中です。

    WAVEBOXへの絵文字・メッセージありがとうございます!(あと記事への♥も!)
    WAVEBOXでおススメしていただいた「川中島の戦い」が無茶苦茶ツボで毎日聴いてます。なんだこの曲、愛に目覚め…?愛…?私が知らんだけでやっぱり川中島の二人は相互にLOVE・相思相愛だったわけ?誰か説明してほしい。

    (ちゃんとリンク貼れてるかな?)
    よすぎる…私は80~90年代ポップス大好きでバンド構成にキーボード/シンセサイザーが入ってると嬉しくなるタイプの人類なのでキャッキャしてます。
    他の曲も聴いてみたけど全部好きです「さよならロックスター」(のイントロ)はVanHalenのJumpリスペクトでいいのかな?こういうの気づけるとなおうれしい~あと「デンジャーゾーン」はズルいと思いました(好き)(デンジャーゾーンと言えば私は映画「ホット・ショット」が好きなタイプの人類です)
    よい情報をありがとうございました…

    ではこれから景虎ちゃん/謙信ちゃんのわからせ作業に入ります。

  • 0809


    明日は謙信ちゃんPU…石は2,300個あるので約束された宝具2なんだけど緊張する…緊張するというより宝具5欲しいから全部ぶっこみたいけど水着謙信ちゃん/景虎ちゃんが来たらどうしようという気持ちがストップをかけている…シエル先輩がいるから社長鯖はもうないんじゃないかなという期待を込めてぶっぱしてもいいだろうか…!

    WAVEBOXの絵文字ありがとうございました!

  • PU

    謙信ちゃんピックアップが来てしまった…
    石?2200個ある…
    引くまで回すので11連ずつというちまちましたやつじゃなく110連とか330連一括ボタンが欲しい(大変なトラブルの予感しかせんやつ)

    福袋は利休さんでした。駒姫様好きなのでこれはこれでうれしいしぐだ鯖は全部引くと決めたのでOKです!デスティニー召喚はビーマさん。実装当時どんだけ回しても来なかった男…ヨダナは宝具5……

  • 0729

    ↑BEFORE
     AFTER ↓

    アナログでは描いた後に調整とかできないからクリスタ助かる…

  • 第一回カルデア(中略)決定戦

    朗報!この先景虎攻めあり!晴信が受け受けしい!BL読まんから受け受けしいかどうか知らんけど!

    側室複数人当たり前の時代に正室一筋の人はそれだけで推せる……(ギュッ)

  • 川中島と愛の霊薬

    同人誌にするやつなのでページ表記あるけどあんまり気にしないでそのまま読み進めてくださいな

    「恋の奴隷」は奥村チヨの曲ですがGO!GO!7188のカバー版が大層かっこいいのでオススメです

    BEAT SWEET / BOØWY

  • こんな川中島が好きだ

    まったく関係ないけどDr.STONEに上杉謙信が出てきてましたね(名前だけ)(上杉暗号)

    川中島と心理戦

  • 0715

    クリスタの画面以外で見ると違和感に気づけるのでこういう進捗的なものをペッと貼っておく場所を作ろうと思ってXのアカウントを作り数時間で削除しました。画像のスクショコピペで投稿できるし宣伝アカウントも兼ねようとか思ってたけど私には公開アカウントが死ぬほど向いていないようです。なんか動悸息切れめまいがする。その代わりここをもうちょっと活用しようと思います。

    BOOTH通販のお申込みありがとうございます!明日発送予定です~

  • 碧落

    現パロのような転生パロのような川中島の小説を勢いに任せて書いてしまっ以下略

    こないだの「流転」の続きというか、景虎ちゃん視点で書いてみたやつです。

  • 八華繚乱川中島

    発行日:2024.6
    ジャンル他:Fate/GrandOrder
    版型:A5
    ページ数:表紙込み42ページ
    表紙:しこくてんれい白180kg/RGB印刷
    本文:コミック紙ホワイト/モノクロ印刷
    遊び紙:てまり 朱
    印刷:プリントオン(RGB特殊紙セット)

    BOOTH通販はこちらから

    約5年ぶりの漫画の同人誌を出しました。漫画描くの大変だし表紙は色まで塗らなきゃいけないのでヒイヒイ言いながら作業してたけどやっぱり楽しかったナ…。

    タイトルの文字は鶴さまに書いていただきました。この迫力!インパクト!既存のフォントでは出せないですよね!最高のタイトルを納品していただいたので当初の予定より大きめに配置させてもらいました(1行表示する予定だった)(大き目のサイズで納品していただいたこともあり…)
    鶴さま、本当にありがとうございました!
    鶴さまのtwitterアカウントはこちら

    表紙の質感がよく見えるところを撮ったんですがわりとこう…きわどいところを激写してしまった感…
    和鯖のカップリング本なので最初は和風セットを使うつもりだったんですが、使いたかった雲龍紙がなかなかデリケートそうな紙だったのと、RGB印刷対応してないっぽかったのでRGB特殊紙セット(大好き)にしました。しこくてんれい、これまで「挨拶状~~~」ってイメージが強くて使ったことなかったんですがいいかも。
    白色度が高くて繊維っぽいやつもそんなに目立たず、かといって主張が弱いわけでもなく…今2冊目の下書きをしているけど2冊目もこの紙を使おうかな~

    遊び紙はずっと使いたかった「てまり」です。赤い糸…いい…やっと使えた…別にこの本はそこまでラブい感じではないんですけど…。
    よく見ると次のページの印刷が透けるけどほんとうに「よく見ると」なのでまったく気にならない。
    ちなみにこの遊び紙を前後に入れてるけど、前の遊び紙は表紙2の側に、後ろの遊び紙は表紙3の側に漉き込まれた糸が出るようになってます。なるほど。

    プリントオンの印刷機が入れ替わって初めての漫画印刷なわけですが、黒ベタも全然テカらない…いや試し刷り発注したので知ってたけど、同じコミック紙に刷った大昔(言うても10年以内)の本と比べると全然違う…びっくり…

    点描カケアミはグレースケール出力した部分ですが大変キレイですね(※紙の色が暗いけど色調補正すると線が掠れたり飛んだりするのであえて補正せずにそのまま載せてます)

    プリントオンのここがいい
    ・表紙も遊び紙も種類が豊富
    ・RGB印刷がきれい
    表紙の紙目が常にY目(多分)
    参考:今さら聞けない「紙の目」の話 T目・Y目を簡単解説(永久保存版)
    色々印刷所を使ってて思ったんですが、印刷所と製本サイズによっては表紙がT目になってむちゃくちゃ開きにくいときがある…!漫画の本だとよっぽど厚くない限り開いてる時間はそこまで長くないけど小説はそれなりの時間開くことになるので、T目で製本されると「ああ~~~~」ってなる。よりによって新書サイズでT目製本されたときは「嘘~~~」ってなった…(苦い記憶)。頼むよサン〇イズさん…。スタブで文庫刷ったときもミランダでT目にされてな…カバーつきだったし自分用だったのでいいけど(よくはねぇ)。
    多分プリントオンはどのサイズで刷ってもY目で製本してくれます。

    「異聞」は私の指示ミスです。(懺悔)

    あとトレペ遊び紙(シープスキン・星くずし)をよく使うんですが、プリントオンで刷った本は全然バリバリになってない。スタブはトレペ入れるとかなりの確率でバリる。連量の問題かも? プリントオンでも100kg厚の紙はわりとバリバリ率高い気がする(遊び紙に100kgはどうなんだろうかと思わないでもない)
    と書いたあとに本棚で確認したところ、XDTトレーシングプラチナ62kgを使った本は思いっきりバリバリしてました。星くずしは毎回バリってない。(バリってないと言うと違う意味になるのでは)

    完全に把握してるわけではもちろんないのでアレですけど、RGB印刷特殊紙セットだと表紙の反りなどもなく非常にきれいな製本で仕上がる印象がします。(個人の感想です)

  • 更新履歴

    ▶ サイトについて

    2024.6.28 小説:「流転」へのリンク(pixiv)。サイト全体について、初期画面の非表示カテゴリ(小説と漫画)を表示するように設定変更。

    2024.2.23 小説:「楽園の扉」更新。女神異聞録ペルソナ、南条と園村が山岡の墓参りに行く話。

    2024.1.24 同人誌:「かなしい街」をUP。

    2024.1.20 小説:「かなしい街」更新。※これまでのまとめ。

    2024.1.15 小説:「花は盛りに」更新。女神異聞録ペルソナ、綾瀬と大石が百合子について語る。

    2023.12.7 小説:「夢見る頃を過ぎても」更新。ペルソナ2罰、周防克哉のアナザー。「1052167」更新。女神異聞録ペルソナ、桐島と綾瀬のファーストコンタクト。

    2023.11.14 小説:「断罪適格」更新。ペルソナ2罰、JOKER呪いをした人の話。

    2023.11.13 小説:「桜の園に降る」更新。ペルソナ2罰、モブ医師が語るトクさんのこと。

    2023.11.12 小説:「かなしい街」更新。ペルソナ2罰、名前変換なしの夢小説みたいなもの(舞耶)。

    2023.11.9 小説:「サンクチュアリーの呼声」更新。ゾイドのマクムン。2013年に書いたもののようです。ヒエ 「トーマ・シュバルツの事情」更新。こちらは2016年の同人誌再録です。

    2023.10.28 小説:「雪にも影はある」更新。稲葉と上杉と園村。上杉に夢を見すぎている。

    2023.10.15 小説:「受難の日」更新。山岡さんがモブ看護婦(※当時表記に準拠)にもたらしたものを悪意に満ちた視点で書いてみました。

    2023.10.5 小説:「偲/懷念」収録

    2023.10.5 サイト:同人誌カテゴリー作成。今までに作った同人誌の装丁覚書を更新予定。早速「さよならリグレット/魂のゆくえ」「」を公開しています。

    2023.10.4 サイト:♥ボタンを設置しました。気に入った作品があれば押してもらえると励みになります。ちなみにこの記事の♥は全部自分で押しました。(99回まで押せます)

    2023.10.3 小説:「交点」更新。黛ゆきの、高一の冬。名有りモブが出ます。

    2023.9.28 小説:「かつては肩を並べて」更新。名有りモブ視点。ヤメ検の男。

    2023.9.24 小説:「にがて」更新。神取と城戸とアキが出てくるパロ。私の魂の救済。

  • 流転

    現パロのような転生パロのような川中島の小説を勢いに任せて書いてしまったのでpixivに投稿しました(このサイトを置いているサーバーは性描写を含むアレを置いてると規約違反になったような気がするのでこっちには上げません)

    懺悔:私は「人間『絶対推しカプで1回は現パロ書いちゃう』」であり、過去に現パロ書いてて刺された(訳:今風に言うと毒マロもろた)ことがあるけど書きたいものはしょうがねえよなぁハム太郎!の気持ちで書いた。起源が現パロなんだよ多分…あっでも「人間『死ネタ大好き』」でもあるな…刺されるのはさすがに嫌だから岩の下のダンゴムシのように生きてるのでどうかひっくり返されませんように…(祈り)

    近況:FESの描きおろし晴信の腰の細さが心配です。セイバーウォーズと見せかけてFSSと見た。ファティマ晴信。……アリでは?(そういうこと言うから刺されるのでは?)

  • 異聞

    発行日:2024.5.2
    ジャンル他:女神異聞録ペルソナ
    版型:B6
    ページ数:表紙込み178ページ
    表紙:OKムーンカラーホワイトF-170/RGB+ホワイト印刷+箔押し(透明レインボー、レインボーシルバー)
    本文:淡クリームキンマリ72.5kg/モノクロ印刷
    口絵:RGBカラー両面(2P)
    遊び紙:シープスキン白80kg
    印刷:プリントオン(オーダーメイド)

    珍しくラフというかなんというかを最初に描いてたんですが完成品とは全然違いますね…あと作字しようと努力した痕跡がありますが、Adobeフォントでピッタリのフォントを見つけたのでそれでお茶を濁しました。(表紙の作成で疲弊しきって「もうこれでええ…」と妥協した結果)

    OKムーンカラーホワイトに白印刷、とてもいい…クリームがかった紙なので白印刷もよくわかる。ほんとはもっと白色度が高くパール感もない紙(羊皮紙白とかハンマートーンとか)を検討してたけど目立たなくなったら悲しいので日和った。白い紙に白印刷で、よく目を凝らせば見える~みたいな表紙にしてコンセプトを表現(表には出てこない各人の話をまとめた本のつもりなので)したかった(過去形)
    箔押し:表紙1は透明レインボー箔、背表紙はレインボーシルバー箔。
    写真だと表紙1が空押しみたいに見えるけどほんとは虹色に偏光するんです~…

    写真ヘタクソ選手権ノミネート。

    ↓表紙原稿の構成

    ▲白版

    ▲RGB版

    ▲箔:透明レインボー箔

    ▲箔:レインボーシルバー箔

    これは表紙4。RGB版は表紙4は丁度良かったけど表紙1はちょっと強すぎたかな…。

    遊び紙と口絵。シープスキン大好き…透けすぎず透けなさすぎずの絶妙な感じが大好き…

    口絵はRGB印刷なのでとてもきれい。プリントオンは表紙もRGB(6C)印刷にすると死ぬほどきれいに刷ってもらえる。あと口絵はグロスファインペーパーなる紙にしたけどさらっとしてて発色もよかった。

    今回は扉ページにも気を遣った。白っぽく上品な感じ…になっているといいな…。
    見出しタイトルは「貂明朝」、初めて使ったけど味があって好きかも。

    本文はいつもの筑紫明朝です。8.5pt。
    フッターは今見たら遊明朝になってた(記憶にない)

    今回はしおりも作りました。大好きなクリアしおり。これも印刷はプリントオンですが、ポストカード印刷を利用してます。大きさが好きなので。

    フィレモンが現れるかんじにしたかったやーつ

    なんとなく口絵の裏側に置いてみたらいい感じになった

    原稿。上がCMYK版、下が白版。
    納品はポストカードサイズなので自分で裁断して角丸パンチで角を丸める(せせこましいし手が疲れる…)

    印刷:プリントオン

    https://www.print-on.jp/doujin/doujin_index.htm
    多分言わずと知れた装丁ゴリ盛りできる印刷所。試し刷りサービスもやってる。(二回ほど頼んだ)最初に作った本もここで、最初から箔押ししたり遊び紙印刷したりと…こう…三つ子の魂百までというか…装丁で遊ぶの好きやな…というのが…わかる…
    ちょいちょい新セットとかが出てきてるけど今やってみたいのはグリッターPP
    https://www.print-on.jp/doujin/comic/option/pp_glitter.htm
    これを生かせる中身とか装丁の組み合わせとかなんも思いつかんけど…まあいつか…
    あと今回はOKムーンカラーホワイトとRBG印刷と白印刷の組み合わせが既存セットになかったので見積り経由のオーダーメイド発注になったけど、わりとプリントオンは機械的に淡々と返事してくれるので割と楽。問い合わせの内容について電話がかかったりはめったにない。(まったく関係ないけどラーメン屋でラーメン食べ始めたときに緑陽社から電話がかかってきたとき折り返しますって答えたのを思い出した)
    前にクリアしおり作ったときはポストカードを縦半分に裁断してもらうオーダーメイドだったけどこれも問い合わせ後即見積り結果がパーンと送られてきた。多分プリントオンとブロスが二大「サイトとかに載ってない仕様でも問い合わせたら当然のような顔で「できます」って見積りお出ししてくれる」印刷所だと思う…LOVE…

    以上、同人誌作りの参考になれば幸いです。
    文字組とか紙の組み合わせとかはそのまま使っていただいても問題ありませんが、表紙のデザインとかはご遠慮くだされ~

    現物はこちらで通販します→BOOTH
    これ発行日5月2日だけど4月に通販始めていいかな?いいよね。

    本文は全部公開してますがサイト内の各話から大幅にリライトしたし全話まとめてますのでpixivに上げてる最終版(完全版?)をどうぞ

  • SUSHI🍣

    なけなしの勇気を振り絞ってwaveboxで絵文字をねだった時死ぬほど寿司が投げ込まれてうれしかったので描いた絵
    その節はありがとうございました!

    https://wavebox.me/wave/5tjmcpm1w98cokoe/

    いつでもお寿司お待ちしております(っ’-‘)╮ =͟͟͞͞🍣ブォン キャッチ🍣≡ヽ( ‘-‘ヽ)

  • 入稿した

    今回むちゃくちゃ頑張って表紙つくったので自慢させてほしい(虚空に向かって)
    イラレ使えないからクリスタとPhotoshopを駆使してなんとか頑張りましたエライ! 悪魔の鏡の枠は対称定規使ってどうにかこうにか…FGOの令呪もそうやって自作素材を作った記憶が…ある…あとフレーム?のダイヤ型の部分も対称定規。対称定規は便利…!
    表紙はOKムーンカラーホワイトに白印刷+RGBカラー+透明レインボー箔+レインボーシルバー箔なので仕上がりがとても楽しみ…OKムーンカラー使うの初めてだし。

    こっちはpixivに投稿したやつの表紙用に調整したやつ。こっちはこっちでよすぎたので「待てよ…?新星物語とかミニッツGAあたりに銀トナーと4C刷でもいいのでは…?」となった。ほとぼりが冷めたらそっちのパターンでも入稿するかもしれない(なお需要)
    そんで入稿した後に気づくわけ…「コンパクトのチェーンが出てる箇所、おかしくね?」って まあええか!

    えっpixivのリンク貼るとこんな表示になんの?

  • ビンゴ

    2ビンゴだけだったのでもっと精進しようと思いました(作文)

    ビンゴは緑陽社さんのを使わせてもらいました。緑陽社さんも推し印刷所です。LOVE…
    https://twitter.com/ryokuyousha/status/1492041935447822336

  • 異聞

    次の本の口絵

  • 楽園の扉

    「じゃあ土曜日、学校が終わったらそのまま行こうぜ」
    「うん、ありがとう」

     不意に耳に届いた会話は、稲葉と園村の間で交わされたものだった。二人が立ち話をしていたのは、俺が入って来た教室の扉からそう離れた場所ではなかったが、会話の仔細はわからない。わからないなりにも、どうやら二人で連れ立ってどこかに出かける相談でもしているらしいことは察しがついた。
     園村は稲葉に軽く頭を下げて、自分の席へと戻っていく。退院したのはつい二週間ほど前だが、今のところ顔色もよく体調を崩すこともないらしい。
     稲葉のほうはその場にしばらく立ったままだったが、その表情はヤツらしからぬものに感じられた。へらへらと締まりのない顔をするでもなく、うれしさを無理に押し込めるような表情でもない。言い表すのが難しいが、責任感と使命感で緊張しているような印象だった。一体話の中身が何なのか、多少気になったのは事実だが、俺は会話の中身を問いただすことはしなかった。問うたところで「南条には関係ねえだろ」と言われるのが関の山だろう。
     俺は立ち止まらずに自分の席へ戻る。稲葉もまた同じように椅子に腰を落ち着けているようだった。

    §

    「てゆーかさぁ~稲葉と園村が話してたの聞いた?」
    「モチよ……っつーことは、アヤセも聞いてた?」
    「聞いてたっていうかぁ、聞こえちゃったっていうかぁ」
     生徒の大半が帰宅済みの放課後の教室では、耳ざとい上杉と綾瀬が稲葉たちの会話を邪推していた。
    「いやどう考えてもデートじゃん? 土曜日の放課後に出かけるってもうデートしかないじゃん?」
     ほかに何があるのか?と言いたげな綾瀬が他人の机に尻を乗せて、相変わらず行儀の悪い身振り手振りと下世話な興味本位をむき出しにしている。しかし興味津々な態度は綾瀬だけではなかった。
    「そりゃあ、話だけ聞けばそうだけどさあ、あの二人よ? マキちゃんがマークとデートとかナイナイ、ナイっしょ~」
     薄く笑いを浮かべる上杉は否定する。言葉の上では「あり得ない」と言ってはいるものの、表情からは「あってはならない」という切なる願いのようなものが見て取れた。それは別に園村に対してなんらかの感情があるというわけではなく、単に稲葉に対する対抗心のようなものだろう。
    「はあ? デートじゃなかったらなんで二人で出かけんのよ?」
    「別にデートじゃなくても出かけることぐらいあるっしょ……」
    「アヤセ、モテるからな~デート以外でそういうのわかんなーい。南条もそうでしょー?」
     頬杖をついたまま、綾瀬が問いかける。
     俺は迎えの車を待つために教室に残っていた。松岡の不手際ではなく、落ち度は今日が5限で終了することを伝え忘れていた俺にある。それを珍しく思ったらしい上杉と綾瀬は、益体のない会話に俺を巻き込まんとしていた。
     なぜ俺にそういう話を振るのか理解に苦しむが、思い返せば綾瀬優香という人間の言動は半分くらい意味不明なものなので、考えるだけ無駄というものだろう。適当にあしらってしまうかと口を開きかけたものの、上杉に遮られた。
    「いやいやいや、南条コンツェルンの御曹司がそんな、おいそれと、デートとか」
     ないないない、と、三度重ねて否定するように片手を振っている。
    「そんなことしようものなら週刊誌とかの餌食でしょうよ」
     ね?と、前のめりになる上杉に、俺はしばし考えこんで「南条を記事のネタにするような気骨のある記者など、ここ数年は見た記憶もないがな」とだけ答えるにとどめた。
    「わー……」
    「えー? それどういう意味?」
     意味を理解していない綾瀬の傍らで上杉は口元を軽くひきつらせているようだった。上杉秀彦は、当初の印象に反して物事の本質を見ることのできる男だ、俺の言わんとすることは簡単に理解したのだろう。
    「やぁっぱ世界が違うっすね~」
    「うそ、上杉意味わかってんの?」
     この場に限っては洞察力を欠いた綾瀬は、結局上杉に掴みかかる勢いで迫り解説を聞いている。
    「だから、下手に南条家の悪い記事なんか書こうものなら潰されるとか消されるとか、なんかそういうアレだよ」
     他人に自分の発言をくどくどと説明されているのは何とも据わりの悪いものだった。それはそれとして、消されるというのは物騒極まりない。いくら南条とてそこまではしない。……多分。
    「へー、そうなの?」
     綾瀬が俺の方に向き直る。わかっているのかいないのか、いやそもそも上杉の説明があまり正鵠を得ていない気もする。だからといって俺自ら解説する気にもなれないので放っておいたが、綾瀬は悪気も嫌味も含まれない顔でこんなことを問いかけた。
    「じゃあさ、逆に、南条はデートとかしても別に問題なくない? 女の子と出かけたりしないの?」
     上杉は言葉には出さなかったが、興味と好奇が表情に出ている。
    「……」
     綾瀬にしろ上杉にしろ、なぜそうも人の動向を気にするのだろうか。理解に苦しむ。
    「必要があれば出かけるし、ないなら出かけない」
     なので、極めて機械的な振り分けを以って回答としたのだが二人の「決して褒められる種類ではない好奇心」は満たされなかったらしい。
    「つまんねー」
    「まあ南条らしいといえばらしいんじゃないの?」
     好き勝手にブーイングを垂れている二人に「無理矢理聞いておいてなんだその反応は」と反論しかけたが、ポケットの中で携帯電話が震えたためその機会は失われた。迎えが来たために鞄を持って教室を出る俺に綾瀬と上杉が緩慢に手を振っている。なんとなく振り返す気にはなれなかったが、何もしないというのも場にそぐわない気がして、軽く片手を上げるだけに留める。
     廊下を歩きながら嘆息を禁じ得なかった。馬鹿馬鹿しい時間を過ごしたものだ。
     しかしその時の俺は知らなかったのである。この胡乱な会話が暗示的なものだったということを。

    §

     園村から電話を受けたのは、その日から二週間ほどが経った春休みのことだった。
    「圭様、園村様からお電話です」
     自室の子機まで回された電話の相手は、予想もしない名前だった。そもそもクラスメイトから電話がかかってくることが少ないのだが、相手が園村麻希だということが珍しさに拍車をかけている。受話器を取る手は躊躇うように緩慢な動作だったが、気のせいだと思いなおす。
    「俺だ、何か用か?」
    「あっ、南条くん、ごめんね春休みなのに」
     電話越しに聞く園村の声は、肉声よりも低く聞こえた。
    「いや、構わん。今日は予定もない」
    「そうなの? じゃあ少し、話しても大丈夫?」
     少し鼻白んでしまう。おそらく本題に入る前に様子見のような雑談が繰り出されるのだろうと直感できた。時間がないわけではないが、俺は益体のない雑談に意味を見出せる人間ではない。なので、園村には悪いが真っ向から切り込ませてもらった。
    「ああ。何かあったのか?」
     俺の予感が当たったのだろう。出鼻をくじかれ、園村が少し息を呑んだ気配が感じられた。
    「何かあったわけじゃないんだけど……」
     とは言うが、園村の声は硬い。何かトラブルに巻き込まれたりしたのだろうか。仲の良い同性の友人――姫野や香西、あるいは黛や綾瀬や桐島を差し置いて俺に電話をかけてくる用事には全く心当たりがないし予想もつかない。ただ、もしも園村が「南条」の助力を求めているのなら、できる範囲では応えてやりたいとは思う。友人として、クラスメイトとして。
     園村はしばし押し黙っていたが、ようやく口を開いても相変わらず歯切れが悪い。
    「あの……怒らないでほしいんだけど、ううん、それは無理かもしれないから……でも、できれば怒らないで聞いてほしいんだけど」
    「なんだ」
    「怒らない?」
     多少、苛立っていたのだと思う。
    「内容も聞かずに判断できると思うか?」
    「……ですよね」
     苦笑交じりの園村が、やや深めに息を吸った気配がした。
    「実は南条くんにお願いがあって」
     うん、と、促した先の答えは――さすがに予想していなかった。
    「山岡さんの、お墓参りをさせてもらいたくて」

    §

    「実はこの前、稲葉君にもお願いして、お墓参りに行ってきたの」
     園村からの電話から二時間ほど後。お互い午後の予定がなかったのを幸いに――善は急げというわけではないが――俺は園村の自宅まで向かった。車をまわす松岡は何か言いたげだったが、山岡の墓参りだと言うと少しバツの悪そうな顔で黙り込む。理由はわからないでもない。大方、俺と同じだろう。
     園村は自宅の前に立って待っていた。グレーのワンピースを着て俯いている姿が、春の日差しの中でそこだけ沈んで見えた。
     山岡の墓は、御影町から車で半時間ほどの霊園にある。向かう途中の車内で、園村はまた別の墓参りのことを語り始める。
    「御影警察署で亡くなった、刑事さんの」
     合点がいった。俺は稲葉とその刑事について詳しくは知らないが、どうも顔見知り以上の親しい間柄だったことは間違いないと思う。もしかしたら、補導されるなどして世話になったことも少なくないのかもしれない。あの刑事の、変わり果てた姿を目の当たりにした稲葉の反応からは、そのくらいは想像できた。
     それをきっかけにして、思考の糸がつながっていく。
     二週間ほど前の、稲葉と園村の会話。あれは園村が墓参りに行きたいと申し出たに違いない。稲葉なら、あの刑事の住まいや墓にも心当たりがあってもおかしくはないから。稲葉も稲葉なりに、園村がそんなことを言い出した理由は察しただろう。
    「稲葉は何か、言っていたんじゃないか」
    「――うん。稲葉君は、私を励まそうとしてくれたんだと思う」
     稲葉がどんな言葉をかけたのか、わざわざ園村に問わずともわかったので俺は何も言わなかった。
     車内に会話はない。俺はすれ違う対向車を、園村は歩道の人や木々を漫然と眺めている。その膝の上には、白い花束が抱えられている。

    §

     山と呼ぶには高さも足りない小高い丘の頂上付近に、山岡は眠っている。駐車場は霊園のすぐ隣にもあるのだが、俺は丘へとつながる県道の入り口前で車を止めさせた。園村には歩きやすい靴で来るように言い含めていたし、それなりに歩くことは了承済みだった。
     道路上の標識には霊園までの距離が表示されている。目的地を示す十字架のイラストを見上げながら、園村は疑問を口に出した。
    「山岡さんって、クリスチャンだったの?」
    「いや、多分違うと思う。ここに墓があるのは……山岡がずっと仕えていた俺の大伯父の墓があるからだ。……山岡には身寄りがなくてな」
     無縁仏として役所に「処理」されるのはあまりにもしのびなかったので、俺がそう手配した。
    「そう、なんだ……」
     会話が途切れてしまい、居心地のよくはない沈黙が続く。
     山岡に連れられて大伯父の墓参に赴くときは、大抵この緩やかな坂を上っていった。健康のためです、などと嘯いていたが、本当の目的は別かもしれない。この木々に囲まれた静かな歩道を往くうちに、自然と心が厳かなものに作り替えられていく、その過程が山岡には大事だったのだろう。
     そして、俺にとっても。
     上り坂は長く、病み上がりの園村を気遣う歩みは緩慢なものだ。途中で休憩を挟むことまで考えれば、無言の道程は居心地が悪い。かといって会話で園村に負担をかけるのも忍びない。
    「……大伯父は、御影町に住んでいた」
     俺は山岡と大伯父と、それから俺のことを話すことにした。園村も半分くらいは興味があるだろうし、山岡の墓参りをしたいと言った園村にそれを聞いてもらうことは、今日の俺の責務だとも思えた。

     大正が終わる年に生まれた大伯父は、俺の祖父の兄にあたる。
     南条の家督を継ぐべき本家の長男だったが、何を思ったか大学を卒業してすぐ、始まったばかりの大戦に志願して戦地へ赴き、それきりだったという。当然本家は当主候補が戦死したものだと理解し、終戦の一年後に次男である俺の祖父が妻を迎えて家督を継いだ。そしてその一年後には俺の父が生まれ、とりあえず南条の家も安泰だろう――という矢先に、大伯父が復員してきたのだった。
     誰もかれも混乱したに違いない。が、当の本人は呵呵大笑して「そうなってしまったものは仕方がない。お前が継いだのなら、お前が南条の当主だ」と、あっさり納得したという。それで南条の家も、決まってしまったことはもう仕方のないことだし、今更当主交代なんて外聞も悪いことだと、祖父の当主業は続行することとなった。元から変わり者だったらしく、当主という立場には全く何の未練もなかったようだと、当時を知る人は語っていたらしい。
     大伯父は東京の本家を離れ、御影町の別邸に移り住んだ。今の自分は使用人を使えるような人間ではないからと本家の申し出を固辞した大伯父が、唯一随伴させたのが山岡だった。
    「俺も詳しいことは聞かずじまいだったが、山岡とは戦地からの付き合いらしい」
     戦時中のことは、二人とも多くを語りたがらなかった。俺には想像もつかないような艱難辛苦を味わったに違いないし、殊更苦しい思いをさせてまで聞き出そうとは思えなかった。ただ、山岡と同じ船で復員した大伯父は「帰る場所もない」という山岡を半ば無理矢理連れてきたという。それだけは山岡が、穏やかに笑いながら語って聞かせてくれたことだった。それまでのことは別としても、居場所のようなものを得たことは山岡にとって幸福だっただろうことは、容易に推測できた。
     ともかくそうして山岡は、御影南条邸で住み込みの執事として働くこととなった。執事としての礼儀作法などは大伯父から叩き込まれたのだと言う。しばらくは大学時代の知己から翻訳の仕事を回してもらいながら生計を立てていた大伯父も、戦後の復興の中で勤め人となった。一旦は財閥解体の憂き目にあった南条も、特需の追い風を得て再びその名を広めている折でもあった。南条商事の役員に名を連ねたころには、御影南条邸にも使用人の姿が増えており、彼らを束ねる山岡の姿もあったという。
    「……御影町のお屋敷って、南条君の本家……というか実家?じゃなかったんだ」
     園村が意外そうな声で尋ねる。息は上がっていないが、話の中身が気がかりそうな表情を見て、俺は歩みを止めた。
    「ああ。俺の生家は東京にある。両親もそこが生活の拠点だな」
    「それじゃあ、山岡さんはもともと南条君の執事さんじゃなかったんだ?」
     そのとおり。と、いう一言で済ますつもりはなかったが、園村の目にも興味の色が浮かんでいた。
     俺は少し先の木陰を指さす。簡易的なものだが、小さなベンチが据えられている。並んで腰かけると、市街地の遠景が見えた。御影町はどのあたりだろうか。
    「まあ、それにはいろいろと事情があってだな……」

     俺が小学校に入学した年、きな臭い出来事が近辺で頻発した。財閥重役に対する脅迫や、その子女を含む家族の誘拐未遂事件。特定の思想に基づく連続事件かと思いきや、模倣犯のような無差別の事案も発生し逮捕者も複数出たらしい。そのような状況だったので俺の両親もまた息子の身辺を気にしてはいたが、警護を増やすのではなく、より安全だろう隣県の御影町に住まわせることにした……のだと聞く。
     今の俺ならその判断が間違っているなどとは思わない。ただ、まだ六歳か七歳の、ほとんど幼稚園児のような時期に親元から引き離され、大伯父という、ろくに会ったこともなければ存在すら知らなかった老人と同じ家で暮らせと言われれば泣きもするし癇癪も起こす。それでも、どんなに泣いて喚いても、両親に会いたいという俺の望みは叶えられず、結果として父母に対する大いなる不信感だけがしっかりと刻まれていった。
     大伯父が優しかったのは幸いだった。それに、俺をよくかわいがってくれた、亡くなった祖父に似ていたので、俺が御影南条邸での暮らしに慣れるまで時間はかからなかった。
     そして俺が御影町に滞在している間、世話をしてくれたのが他ならぬ山岡だった。そのときすでに還暦を迎えていた山岡だったが、実家の使用人の誰よりも俺のことを理解していたように感じられた。実家の方は使用人の入れ替わりも多く、長く勤めている住み込みの使用人は家宰であって、俺の教育係やいわゆるシッターではなかった。当時の俺は専属の従僕(valet)が付くにはまだ幼かったので当然だ。それが御影町に移ってからというもの、山岡は起床から就寝まで甲斐甲斐しく俺のそばに付き従った。なにせ子供だったので、俺にとって山岡は執事や従僕と言うよりも、親代わりのようなものだった。大伯父ももちろん優しかったし、食事を共にすることもあったが、子供にはよくわからない所用で留守にすることも多かったので、やはり圧倒的に、山岡と過ごす時間の方が長かった。
     御影の南条邸で過ごしたのは半年ほどだったように思う。春が近づいたころ、実家のほうもずいぶんと落ち付いたので両親は息子を呼び戻そうとした。しかし「やまおかもいっしょにかえる」と言いだすのは、両親とて予想外だったに違いない。当の山岡本人も、そして雇い主の大伯父も。
     結論から言うと、大伯父は俺のわがままを快諾してくれた。大伯父にとっても山岡は重要な使用人だっただろうに、なぜそうまでしてくれたのか、歳を重ねるにつれて理解が難しくなっていった。俺が両親から受け取れなかった即物的な愛情を、山岡に求めていたことなどわかっていただろうから、同情的な気持ちがあったのかもしれない。中学の頃にはそう結論付けていたが、あの思慮深い老人は大局的なところから物事を見ていたから、もっと別の理由があるのかもしれない――と、今は考えている。俺がそれを知りうる日は来るのだろうか。
     結果として俺は山岡を信頼し、山岡は俺の信頼に応え続けた。半面、両親とは反目し合ったままだった。反目というより、不信感から父母よりも山岡を慕う息子を扱いかねていたのかもしれない。関係を修復しようという意志が全く感じられなかったわけではないが、いずれにせよ、仕事で不在にしていることのほうが多い両親との溝は年々深まるばかりだった。
     おそらくは山岡がいてくれたから、俺は両親との不仲をそこまで深刻に考えずに済んだのだと思う。山岡が亡くなって初めて、俺は両親との十年来のことをじっくりと思い返すようになった。もしも山岡が東京に来なかったら、俺と両親は今よりも不仲だっただろうか。それとも、どこかで関係修復に成功していただろうか。
     考えても詮無いことだ。

    「……今気づいたが、俺と園村は少し似ているな」
    「え?」
     俺の方を振り返った園村の顔に木漏れ日が落ちていた。表情は驚きに満ちている。
     多忙な親の愛情を疑ってしまい、関係が悪化したところが似ている。そう言うと、園村が小さく何度か頷いた。
    「そう言われると、そうだね。……まさか南条君と共通点があるなんて、想像しなかったなあ」
     感慨深そうな園村に小さく笑ってしまう。気持ちはわからなくはない。
     園村は続けた。
    「けど、私達だけじゃないのかも。そういう親子って、世界のどこにでもいるのかもしれないね」
     珍しいものでもない、ありふれた関係だ。園村はそう結論づけているらしい。
    「ああ……そう、かもしれんな」
     そうかもしれない、という思いは、俺の心を少し軽くした。親に顧みられることのない俺という子供は、長い年月をかけて染みついた偏執は、ただの幻だったのかと、そう思わせるものだった。
    「大人になるにつれて、親の気持ちがわかるようになるのかな」
     春霞の空を見上げながら、園村は笑う。
    「あ、そうしたら、城戸君は大人ってことになるのかな?」
     それはうなずける話だった。
    「少なくとも稲葉よりは大人だろうな」
    「あはは……」
     園村と同じ種類の苦笑が口元に浮かぶ。俺はその稲葉よりも、幼いのかもしれない、と感じて。
     しかし両親も似たようなものかもしれない。向き合おうとしなかったのは、互いを遠ざけようとしたのは、俺だけではなかったから。
    「……俺がエルミンに入学しようと思ったのは、親が帰ってこない家を出たかったから、だと思う」

     ほかにも理由があったかもしれないが、忘れてしまったのはそれがくだらないからだろう。
     聖エルミン学園については中学の同級生から聞いた。所在地が御影町という事実が、半分以上は決め手だった。御影町の邸の主、大伯父はすでに他界していた。山岡とともに月命日の墓参のたびに、俺たちはあの屋敷にも立ち寄った。主を亡くしてもまだ数人の使用人たちがそこで働いていた。長く住み込みで働いていた者たちは、ここ以外で働こうとは思えないと言い、庭の手入れや相続財産の整理を続けていた。
     もしも俺が聖エルミン学園に入学出来たら御影の南条邸から通いたい。そうすれば彼らも向こう三年は仕事を続けられるのではないか? という、なんとも浅はかな算段だった。
     腹は決まったが、その年の年末年始も、両親は日本にすら戻らなかった。俺は両親の滞在先まで国際電話をかけて、受験のことを切り出した。しんしんと雪の降る早朝のことだった。山岡にこれでもかと言うほど厚着させられて、受話器を持つ手に汗がにじんでいたことをよく覚えている。
     うまく話せたのかどうか、今でも確かではない。父は少ない相槌を挟みながら俺の話を聞いていた。当時はそれを、あまり関心がないように感じたのだと思う。話が終わりに近づくにつれ、俺は自分の望みが叶えられないことを受け入れようとし始めていた。
     しかし――
    「だったら圭、お前は御影町の邸を、あの家の当主として切り盛りしなさい。山岡は連れて行ってもいいが、本家の使用人は誰一人として連れて行ってはならん。あちらの使用人はまだ何人か残っているだろうから、彼らを使ってみせなさい。
     聖エルミン学園への入学は好きにしたらいい」
     好きにしたらいい、という言葉の衝撃で、俺はなんと答えたらよいのかわからず、父が最後に「わかったか?」と念押ししたのに「はい」と答えるしかできなかった。山岡は指先一つ動かさず、部屋の隅に立っていた。聞いた話を復唱するように伝えると、山岡はまるで最初から分かっていたように目尻を下げた。
    「さようでございますか。旦那様のお許しが出てようございました。御影の南条邸のことは山岡が差配してまいります。ぼっちゃまはまず、聖エルミン学園の入学願書をご準備なさいませ」
     山岡は一礼すると、厚い絨毯を静かに踏みしめて部屋の外へと退出した。俺は何も言わずにそれを見送る。別に、父と山岡が通じていたとは思わない。山岡は山岡なりに、父のことを把握していたのだろうと、今になれば推測もつく。息子の要望を無下にするほど頑迷でもなく、南条の当主として、次代を育て上げる責務と意志があることくらい、山岡はお見通しだったに違いない。
     もしかしたら大伯父に仕えていたころに似たようなことがあったのだろうか、とも考えたが、大伯父は生涯伴侶を持たず、子供もいなかった。(だから、俺のことを「ゆくりない孫」と呼んでかわいがってくれたのだと思う。)

    「じゃあ南条君、あのお屋敷の「ご主人様」なんだ……⁉」
    「ご主人とは呼ばれないが、まあ邸の主ではある」
     結果論ではあるが、山岡の葬儀やらその後の手続きやらを俺が率先して指揮できたのは、邸の主という立場があってこそだったので、押し付けられた役目だとしてもそれだけはよかったのだと思う。
     ちなみに呼び方といえば、以前からの使用人たちは俺を「旦那様」と呼んでいる。役柄が人を作るという話ではないが、そう呼ばれることによって責任感が伴ったのは事実だ。俺をいつまでも「ぼっちゃま」と呼んだ山岡の前で甘えが出たのも、つまりはその裏返しなのかもしれない。
    「ぼっちゃまなんて呼んでいたのは山岡だけだったな、後にも先にも」
     実家にいたころは「圭様」と呼ばれていたし、父の元から派遣されている松岡もそうだ。言うと、園村は眩しそうに目を細めた。
    「そっかあ、なんだか特別な感じがしていいね」
     特別。
     その響きは、いろいろな意味を伴って俺の胸中に落ち着いた。
    「そうだな。山岡は俺の親ではなかったが、父や母では果たせない役割を果たしてくれたのだと信じている。……それに、山岡では果たせない役割も、父や母にはあるのだろう。今はそう思えるようになった」
     不仲が解消したわけではないが、思うところが少しずつ変わりつつある、それは事実だった。いつか山岡の墓前にそれを報告できる日が訪れるのだろうか。
     街の遠景が雲に翳る。話し込んでいるうちに、ずいぶん時間が経ったらしい。
    「そろそろ行くか。あまりのんびりしていると日が暮れてしまうな」
     俺は立ち上がり、園村を促した。霊園までの道は、ゆるく曲がりながら続いている。

     葬儀の日、真新しい山岡の墓は霊園の中で目立っていたような気がしたが、今訪れてみればその印象は薄れているように思えた。
     霊園は広く、翳った白い墓石がどこまでも敷き詰められている。雪の朝のようだと思った。音はすべて、白い光景に吸い尽くされているようだった。
     大伯父の墓の隣に、山岡の名を刻んだ墓石がある。園村はそっと身を屈めて白い小さな花束をささげた。
    「エルミンはせっかく礼拝の時間もあるんだから、お祈りの言葉くらい、覚えておけばよかったな」
     惜しむように園村が目を伏せる。形式的なものなど、どれだけあったところで意味はないだろう。俺はそう言いかけた口を閉じた。数千年の時を語り継がれた言葉は、幾億幾万の人の思いをゆるした言葉は、実を伴わないものとは思えなかった。
     裾が汚れるのもいとわず、園村は膝をついて両手を組んだ。礼拝の時間に見られる祈り。いや、これはまるで、贖罪のための懺悔だった。
     園村は目を閉じ、無言のままだった。
     その姿を見下ろす俺の胸中に、苦々しい思いが満ちていく。苛立ちと言ってもいい。園村に対してだけではない。半分くらいは俺自身に対するものだ。
    「園村」
     たまりかねて、声をかけてしまう。
    「お前を気遣うつもりもないし、むしろこれは、お前を侮辱し不愉快にさせるかもしれん。だがそれでも言わせてもらう」
     園村は膝をついたまま俺を見上げた。まっすぐな目で、俺に向かって頷いてみせる。

    「これに一体、何の意味がある」

     自分でも予想しなかったほどに、掠れた声だった。園村は表情を変えない。ただ、一瞬だけ両目が苦しそうに細められそうになった、ように見えた。その仕草に勢いを削がれそうになりながら、俺は続ける。続けなければならなかった。吐いた唾は呑めぬのだから。
    「山岡も、その刑事も、二人が死んだのはお前のせいじゃない。あの事件は、お前がある意味ではきっかけではあったかもしれない。だがそれでも、お前に責任はない。俺はそう思う」
     しかし本当に「園村はあの事件の被害者でしかない」とだけ考えているなら、こんな言葉は出なかったのではないか。俺自身が無意識にそう考えていなければ、それを否定する言葉だって思い浮かびもしないはずだ。俺は友人を励まそうとしているのか、糾弾しようとしているのか、自分でも判じることができなかった。いっそ園村が「どうしてそんなことを言うのか」と詰ってくれた方が気は楽だった。だというのに――
     なのに、お前のその態度はなんだ。どうして「自分が悪かった」とでも言いたげな態度をとる。
    「慰めようと思って言っているわけじゃない。お前には、いや、人の身には背負いきれるものではないものを、無理に背負って何になる?」
     口の中に熱く苦いものが広がっていくような気がした。俺が真実責めているのは誰なのだろう。いや、誰も責められはしないし、責任を負うこともできないのではないか。
     そうだ、背負えるものか、背負えるものならば俺が、せめて俺が――
    「そうだね」
     立ち上がり、膝を払う園村は表情を変えない。冷淡なのではない、多分表情を変えようとしたら、堪えているものが溢れてしまうから、懸命にこらえているだけなのだ。俺と、同じように。
    「もしかしたらそうじゃないかなって思ってたけど、今の南条君の顔を見て、そうだと思った。南条くんも、私と同じだね。きっと考えてたんでしょう? あの日病院に山岡さんが来なかったら、自分が病院に行かなければ、もしかしたら――って」
     園村の言葉は俺を抉った。
     あの日俺が病院に行かなければ、ペルソナ様なんてしなければ、山岡を先に帰らせていれば、俺だけでもかかりつけの別の病院に行っていれば――
     
     山岡は今もこの世界で、あたたかい日差しの中で、俺に笑いかけたのではないか。

    「否定はしない」
     園村に向けていた視線を、足元に落とす。気勢はとうに削がれていた。
    「だから俺は、お前にこうまで強く言っていいのか、わからん……。責めを負うべきはお前ではなく、俺の方ではないのか。山岡の主人だったくせに、俺の落ち度で山岡を死なせてしまったのではないか。不意にそんな考えが、浮かんでしまうのを否定できん」
     普段は考えまいとしていることでもあったから、俺はこのときはじめて、自責の念を直視したのかもしれない。あるいは、あれから時間が経ったからこそ悪念が俺を蝕み始めたのだろうか。
    「わたしもわからない。わたし自身が、あの事件に対してどう向き合ったらいいのかわからない。でもね、南条君、わたしが山岡さんのお墓参りに行きたいと思ったのは、そんな背負いきれない責任感のせいなんかじゃないよ。そう、思ってるよ……」
     園村の言葉は祈りのようだった。
    「南条君が大切に思っていた山岡さんのことを知りたかったから。どんな人だったのか、私は覚えておきたかったから」
     誰かに許しを乞うでもなく、自分がそう在りたいと願う切なる心の表れだった。まなざしは強く前を向いている。責任を感じようとするでもなく、そこから逃れようとするでもない、ただありのままに受け止めた事実を深く思索したいという意志がそこにあった。
    「――すまなかった」
     圧倒されたのかもしれない。
    「俺も背負いきれない責任を勝手に感じて、押しつぶされそうになっていた」
     思わず額を覆ってしまう俺に、園村は首を横に振る。
    「気持ち、わかるよ。……楽だもんね、自分は悪くないって言うより、自分が悪かったんだって思うほうが、ずっと楽だもんね……」
     先ほどとは打って変わった心細そうな声色に同意する。
     自責の念に苛まれるのは簡単だ。それは自分に責任などないと逃れるより、ずっと卑怯なことだと言われるかもしれない。思考停止した愚か者のすることだと咎められることかもしれない。しかし自分は悪くないと自己弁護するのも、本来負うべき責任からの逃避でしかないのでは?
     俺と園村はおそらく、そういう葛藤に苛まれていたのだろう。もし俺が当事者でもない他人だったなら、こう言ったはずだ。「馬鹿馬鹿しい、答えのない自問自答など大いなる時間の浪費だ」と。尊大に胸を張って、相手の苦しみには配慮などせずに。
    「でも、一人じゃなくてよかった」
     ぽつりと、そんな言葉が聞こえて、俺はひっそりと同意した。こんな弱音を口に出したとき、「考えすぎだ」「自分を責めるな」と否定するだけでなく、この入り乱れた感情に共感できる友がいてくれることは幸いだった。おそらくは刑事の墓参りをした園村に、稲葉は励ますような言葉をかけたのだろう。それはそれで尊いことで、稲葉の厚意は的外れでもないし無下にできるものでもない。
     ただ――山岡にしか果たせぬ役割、父母にしか果たせぬ役割、そういうものがあるのと同じように、俺たち二人が互いにしか担えない役割というのもあるのだと自然に理解できた。
     風が吹き抜ける。遠くで梢が揺らぐ音がする。少し肌寒いのは日暮れが近づいているせいだろう。
     そろそろ戻るか。言うと、園村は頷き、もう一度墓前に手を合わせた。
    「下まで歩くことになるが、体調はどうだ。無理なら、松岡に車をここまで回してもらうが」
     霊園の門をくぐりながら問うが、園村の顔色は悪くはないように思える。
    「ううん、平気。それにこの道、景色もいいから歩くのは大変じゃないよ」
     なかなか来ない場所でもあるので新鮮だったらしい。
    「上ってくるとき、なんだか天国への階段を上ってるみたいだな、って思ってた」
     その言葉は、深く響いた。山岡と二人で歩きながら感じていたあの、厳かなものに近づくような畏敬の念をよく言い表しているように感じられた。だとしたら道を下るのは楽園追放といったところか。口には出さず、胸の内に留める。
     だまったまま坂を下っていると、園村の口が何事かを紡ぎ始めた。

     おさない記憶 しろいあやまち
     水と星とが ながれてそよぎ
     光と灰とが さかしまにふる
     それは楽園の扉
     あなたの涙と真実を奪い
     あなたに夢と永遠を与える
     それは楽園の扉
     ひらかれるときを待つ
     あなたのための終のゆりかご

     
     文章というより、詩の一節のようだったが、俺には覚えのないものだった。
     隣を歩きつつ耳を傾けていた俺は、それが一区切りのように止んだところで問いかける。
    「なんだ、それは?」
    「大好きな本。何度も読んで、そこだけ覚えちゃったの」
     はにかむように笑う園村
    「楽園の扉、って本」
     タイトルには聞き覚えがあった。姫野と貸し借りしていた本か、と確認すると、園村は頷く。どんな話なのかと尋ねてみれば、ストーリーなどほとんどない、言葉と絵がつづられた絵本のような児童書のような、とにかくそういうものらしい。ならば美術部の園村のことだから、大方絵を眺めるほうが多かったのでは。そう勘ぐってみるが、文章を諳んじているくらいなのでやはり何度も何度も繰り返し読んだ、気に入りの本というところか。
    「もしも楽園が天国だとしたら、神の国だとしたら、どうして扉があるんだろう」
     不意に昏い声で園村が立ち止まる。
     扉。楽園の扉。
     扉には開閉の機能があり、それは内と外を隔てるためだ。隔てる理由はこの場合明確で、内に入る資格――のようなもの――を持たないものを排除するためだ。
     だとしたら、楽園の扉というものは、言葉に反して無慈悲な装置かもしれない。園村は、そう言っているようだ。
    「天国へ行ける人は、扉なんて見えないのかもしれない。もしかしたら天国の扉は、そこに行けない人のためだけにあるのかもしれない」
     理屈としては、それは納得できるものだと思えた。否定するだけの論拠を出せないのがもどかしく、天国へ行けないと思っているのかと問いただす度胸のない自分が歯がゆかった。
    「私は、叩き続けなきゃいけないのかな、天国の扉を」
     だとしたら、俺もそうだろう。いや、俺は扉の前に立ったとき、果たしてそれを叩けるだろうか。その中に迎えられたとして、胸を張って会うことができるだろうか。
     砂を踏む緩慢な足音が一つ泊まる。
    「あ……ねえ、南条君は覚えてる?」
    「何をだ?」
     振り返った園村の顔には、予想したほどの気鬱はなかった。
    「入学してすぐの礼拝の時間にきいた、聖書の話」
    「いや……」
     礼拝は毎週の恒例なので聖書の話も頻繁に聞いているはずだが、頻繁だからこそ正直話の中身はほとんど覚えていない。
    「どういう話だ?」
     聞けば思いだすというわけでもないのだが、とにかく尋ねてみる。
    「天国は、神の国は、特定の場所に、目に見える形であるわけじゃない。神の国は、人の心の中に確かにあるものだ、って話」
     やはり、記憶にはなかった。そのときの俺はこれを聞いても別に何とも感じなかったのだろう。今とは違って。
    「だとしたら、もしも天国の扉が閉じられていても、それはいつか、私が私のために開くことができるのかもしれない。今はどうしたらいいのかわからないけれど、私が私を……なんて言ったらいいのかな……みとめたり、ゆるしたり、そういうことができたら、私の中の楽園の扉はきっと開く気がする」
     言い聞かせるような言葉を口にしながら、園村の表情はだんだんと晴れやかなものに変わっていった――気がした。それは園村の言葉によって、俺もまた同じように、ある種の希望を見たからかもしれない。
    「……なんか、恥ずかしいこと言ったよね、私……」
     当の本人は両手で顔を覆って後悔しているようだが。
    「いや、そうは思わなかった。恥ずべきことでもないだろう」
     そう言ったにもかかわらず、園村はなお顔を赤くしている。むしろ俺の言葉のせいでいっそう気まずそうな顔になったようだが。
     ともかく。
    「神の国が人の内にあるというのは、そう荒唐無稽な話でもないと思う」
     理解に苦しむ所作は無視して、俺はそう続けた。園村の話を聞きながら、俺は「どうして、俺が山岡の姿をしたものを、俺のペルソナとして呼び出せたのだろうか」という疑問への答えを得た気がしていたからだ。もしも神の国が俺の意識の内にあるのならば、そこに山岡がいても何の不思議はない。人の内なる神の国に在って、人を律し人を見守るもの、それは俺にとっては、亡きあの姿に他ならないのだから。
     そういえば再び見えた山岡の姿はまるで御使いのようだった。奇しくも園村の説を補強するようで、笑みがこぼれる。
    「扉はそう遠からず、開くんじゃないか」
    「……ありがとう」
     俺は俺の祈りのためにそう言ったに過ぎないが、律儀な園村は謝辞を述べている。礼を言われるほどではないと固辞するものでもない気がして、俺は何も言わずに坂を下り始めた。
     ふと目を向ければ春の陽が山の端に落ちていくところだった。稜線が赤く染まり、街は淡い紫の色に沈んでいく。いつかこの光景を、山岡と見たことを思い出す。そして今日もまた、あるいはこの先もずっと、俺は山岡とこの美しい世界を眺めるのだろう。いつか、楽園の扉に迎えられるまで。

  • かなしい街

    発行日:2024.2.21
    ジャンル他:ペルソナ2罪/ペルソナ2罰
    版型:B6
    ページ数:表紙込み38ページ
    表紙:ディープマット ミストグレー 135kg/CMYK+ホワイト印刷(下地)
    本文:Mag プレーン 73kg/モノクロ印刷
    印刷:プリンパ(B6無線綴じ冊子印刷)

    表紙の写真はUnsplashでダウンロードしたものをがんばってレタッチしました。pixivに投稿した小説の表紙画像(↓)と比べるとけっこう変わってるはず…(上半分にかかった影をなくしたかった)

    表紙は白トナーで下地を引いた上にCMYK印刷です。
    レイヤー構成は以下の通り。(上:CMYK版、下:ホワイト版)

    入稿時に添付していた出力見本。(紙自体がグレーの色です)

    プリンパさんは下地に白を引く場合白トナーを2回刷るので、入稿後に「多分ずれますけどいいです?」って確認がありました。多少ずれてもそれはそれで味…って思ってOKでーすって回答したんですが…

    微塵もずれてない。(”街”の部分)

    なぜずれないのか(Unofficialの部分)。なんという凄腕オペレーターさん…感謝…。

    表紙と本文は別の種類の紙ですが色味が非常に似ているので、表紙2から本文3ページにかけて見開き1枚の絵を載せてもほぼ違和感なしです。

    Mag プレーン 73kgはざらっとしたラフな紙。今回の本に収録された話は全部暗ーい話なのでこのグレーの色味をぜひ使いたかった。
    めくりやすく透けもなく丁度いい厚みの紙です。好きなのでまた使いたいな~。

    以下はwordの本文設定まわり。

    フォント:筑紫Aオールド明朝 Pr6N R / 8.5pt
    やはりシリアスには筑紫オールド明朝が合う…
    これまでB6は1段組で作ってきましたが、それらと比べて字数が増えたのと気分的なアレで2段組にしてみました。

    ページ数が38と薄い本なので20行詰めてるけど、今作ってる160ページくらい(予定)の本は19行にしてノドを20mm近く取ってます。

    私が見落としてるだけかもしれないけど、プリンパさんはぬりたし3mmつけての入稿だったので用紙サイズはB6+6mmで設定してます。余白もそれを考慮した分ですが、ぬりたし込みのサイズだとどうしても作業中に「なんか余白ガバガバやな~…」って思ってしまっていけない。

    印刷所:プリンパ

    https://www.prinpa.net/
    今回この本を発注したのと合わせてディープマットの紙見本を注文したんですがディープマットよすぎて何か作りたい…
    https://www.prinpa.net/print/information/deepmatte_newcolor
    そうだ厚い本にオマケとしてつける栞を作ろう…!デザインもなんもかんもノープランだけど…!(イマここ)
    バーミリオンとマルベリーがいい…色が好み…

    以上、同人誌作りの参考になれば幸いです。
    文字組とか紙の組み合わせとかはそのまま使っていただいても問題ありませんが、表紙のデザインとかはご遠慮くだされ~

    現物はこちらに数冊→BOOTH

    本文は全部公開してます。pixivで読む / このサイトで読む


  • かなしい街

    かつては肩をならべて

    「はあ、そうすると先生方、まるで天皇陛下のようですなあ」
     しみじみと感慨深い、と言いたげな感心がその言葉の中にはあった。天皇のようだ、と、言われた方の俺は、まったくなんのことなのかわからずに「はい?」と裏返った声を返してしまう。相談者のじいさんは「ああ、失礼しました」と、本当にそう思っているのかわからない顔で笑っている。
    「亀山先生、村上先生、どちらも天皇の諡と同じですから」
    「――ああ、そういうことですか」
     亀山というのは俺のことで、村上は去年迎えた新入りのことだ。確かに亀山天皇、村上天皇、日本史の教科書で見た記憶がある。同じタイミングで村上も理解したらしく「ああ~!なるほど~!」と、学生気分の抜けない明るい声を上げたので、じいさんは満足そうに笑っていた。
     法律相談のために弁護士事務所を訪れる人間にしては、じいさんは朗らかだった。相談内容がトラブルがらみというわけではなく、今後の財産管理と遺言作成に関するものだからだろうか。
     平坂区の雑居ビルに事務所を構えて三年になるが、大抵の相談は今のような牧歌的なものだ。当然そんな相談事はメインの収入源にはならないので、保険会社から回ってくる仕事でなんとか食っていける状態が続いている。青葉区の大手事務所や港南区の小綺麗な事務所に比べると古臭い上に、カメヤ横丁の片隅なんて立地もデメリットばかりのようだが、俺はこの場所が比較的気に入っていた。
     雑談を挟みながらの相談が終了し依頼人が帰ると、村上弁護士が思い出したように笑う。
    「亀山先生とセットだとロイヤルになれるんですね~」
    「何がロイヤルだよ、たまたまだろ」
     そんなにおかしいだろうか、と、苦笑していると、湯呑を下げに来た事務員が割って入ってくる。
    「ちょっと、先生方だけじゃないですよ、私も!」
     私も、と言う彼女の苗字を村上が笑い交じりに読み上げた。
    「白川さん! ほんとだ!」
     してやったり、とばかりに口の端を上げている白川さんは得意気だが、正直それは、惜しいのでは? 天皇の方は確か、白河じゃなかったか。「カワ違いでしょ」と指摘すると、
    「そんなの誤差の範囲ですよ、大体ほんまもんが揃ってたらちょっと恐れ多いと思いません?」
     だから丁度いいんですぅ、と、白川さんは結論付けて給湯室へと洗い物に入っていった。村上はロイヤルネームが三人揃った(揃ってはいないのだが)のがツボに入ったのかまだ笑っている。
    「お前何がおかしいんだよ」
    「えっへへ、あは、ごめんなさい」
     ようやく落ち着いたかと思うと、また噴き出す。
    「今度は何だよ」
    「いや、今の会話、しらいしでやってたら絶対おばちゃん入って来たよねって思って。『アタシのご先祖ねぇ、ほんとは時の帝のご落胤だったのよぉ~』とか言いそうじゃないですか?」
    「……」
     わからんでもないのが困る。
     カメヤ横丁の顔役、あるいは名物と言っても過言ではないのが、ラーメンしらいしの店主、通称「しらいしのおばちゃん」だ。自称「元女スパイ」「ロマノフ王朝の末裔」、それから「ラーメン屋は世を忍ぶ仮の姿で、実は某国の特務調査員」なんてのもあった。当然冗談の類に決まっているのだが、語り口が妙にそれっぽいので得体の知れない真実味がある。飲んだ後、〆の一杯を楽しみながら聞く与太としてはかなり上等なもんだろう。
     ちなみに俺が事務所を開いてすぐのころ、挨拶がてら訪問した際の一言が「カメヤマさん? ああ、だからカメヤ横丁選んだの」というものだった。疑問文ですらなかったので、おばちゃんの中では俺が駄洒落で事務所開設場所を選んだことになっているに違いないし、常連の耳には事実として伝わっているのかもしれない。もはやどうでもいいのだが。
     ともかく、しらいしのおばちゃんは、そういう人物なのだ。この場にいたならきっと話に乗ってくる。一番乗り気になると思う。
    「言いそうだな」
    「でしょー?」
     村上が誇らしげなのは理解できないが。
     それで話は終わったかと思ったのに、わけのわからん村上はしつこい。
    「でもすごくないですか? こうなったらもう一人くらいロイヤル弁護士入れましょうよ!」
    「なにがロイヤルだよ、大体人増やすほど仕事ねえぞ」
    「え~じゃあ入れる入れないは別にして、亀山先生のお知り合いとかにいません? ロイヤルな人。えーと、醍醐とか? 天武とかはないですよねえ……人の苗字でありそうな……う~ん」
     村上が声に出してうんうん唸っているので、俺までつられて考えてしまう。醍醐はありそうだけど後醍醐はさすがにないよな、そもそも俺は天皇の名前自体そんなに詳しくない。それは村上も同じだったようで、インターネットでなにやら検索している。仕事もせずにこれだったらさすがに咎めるが、村上は仕事の出来については文句の付けようがないので、しばらくは好きにさせる。
    「あ、あった。えー……と……あ、三条とかどうです? 花山、カザンじゃなくてハナヤマさんならいそうですよね。あとは~……朱雀? 亀山先生、朱雀って苗字あると思います?」
    「知らん」
    「えー? ほかにないかなぁ……」
     俺が無視して書面の作成に戻っても、村上はくだらない「調査」を続けるつもりらしい。腕時計をちらと確認すると、時刻は三時の五分前だった。あと五分は大目に見てやろう。どうも相手が若い女子だと強く出られないので、調子が狂いそうだった。
    「村上先生、清和さんとか、どうです?」
     まさかの援軍、白川さん。三人分の湯呑を盆に載せて給湯室から出てきたと思ったら、あろうことか村上に入れ知恵している。
    「……」
     無言で湯呑を受け取るのは俺のささやかな抵抗だった。そうこうするうちに二人はヒートアップして、次から次に苗字を投げかける。宇多、堀河、二条、一条、六条、鳥羽、高倉……こうして並べられると、案外天皇の名だった苗字というのは多いことに気づかされるが、特に学びを得たとは思わなかった。話半分に聞いていた俺は油断していたのかもしれない。
    「亀山先生! 伏見!」
    「いない」
    「えー? 花園はどうです?」
    「いない」
    「じゃあ……嵯峨!」
     その名前を聞いた一瞬、胃の腑が浮いたような錯覚を覚えた。
    「――いや、いない」
     なんとか答えた俺を、村上が見ている。不自然さに気づかれたのかとひるんだが、そういうわけではなかったらしい。
    「なかなかいないですね~……亀山先生、検事時代の人でもいいんですけど」
    「……お前、この事務所をどうしたいんだよ」
    「え~? 亀山・村上法律事務所にもう一人天皇の名前が並んだら単純におもしろくないですか? わかる人にはわかるインパクト大! ですよ?」
    「……バカヤロウ」
     イロモノ事務所じゃねえんだぞ、とだけ釘を刺して、俺は再び書面と向き合う。村上もいい加減飽きたのだろう。パソコンの前から移動すると、案件ファイルの棚へと向かっていった。文章は思い浮かばず、すでに文字になった情報も意識の上を滑っていく。
     先ほどの村上の、若さゆえのまっすぐな目が俺に過去を思い出させる。嘘はついていない。嵯峨なんて弁護士の知り合いは、俺にはいない。
     あいつは、最期まで検察官だった。ヤツ自身の信じる正義をまっとうし、検察官として死んだと聞いた。
     俺が知っているのは、ただそれだけだ。
    (了)

    桜の園に降る

     無医村と呼ばれる過疎地域への赴任を終え、東京の母校に戻った私を待っていたのは信じがたい現実だった。
    「――徳永先生、ですか? 助教授……?」
     研修医時代から世話になっていた助教授の名前が医局のどこにも見当たらないので、秘書に尋ねたその時点で少し嫌な予感はした。徳永、という名前自体聞き覚えがなさそうな顔だったからだ。いくらなんでも、二十歳そこそこの新人だとしても、助教授の肩書を持つ人の名前に覚えがないというのはあり得ない。しかし私は、そのあり得ない可能性を願った。徳永先生がいないよりは、私にあてがわれた秘書の資質に問題があるというほうがまだマシだった。
     しかしその数十分後、秘書が人事担当に問い合わせた結果を耳にして私は愕然とした。
    「徳永助教授は2年前に退官されています。それと……医師会に問い合わせたのですが、届出がなされていません」
     どうやら私の秘書は有能らしい。言ってもいないのに医師会への問い合わせまでしてくれたのは、彼女なりに徳永先生の行方を調べようとしてくれたのだろう。だが、届出がない……つまり徳永先生は、今現在、医師として働いていないのかもしれない。退官しているにしても、その後どこかで開業しているのではないか、そんな希望すら、あっけなく打ち砕かれてしまった。
     何も言えずに立ち尽くすばかりの私に、さらなる追い打ちがかけられる。
    「あの……それと……徳永先生が退官された事情ですが――」

          §

     十日後、有給休暇を取った私は新幹線で珠閒瑠市へと向かった。在来線でも事足りるほどの距離だったが、逸る気持ちがそうさせたのだろう。到着した新夢崎駅から在来線へ乗り換え、私は目的地を目指した。正円の形をした珠閒瑠市を分断するように流れる川は、七夕川と言うらしい。鉄橋を渡る最中、大きな標識が目に入った。東蓮華台駅からは、市バスに乗り換えて最終目的地を目指す。別にタクシーを使ってもよかったが、駅前のロータリーで煙草をふかしている白手袋の運転手たちは意図的に無視した。新幹線を使っておきながら、まどろっこしい交通手段を選んでしまうのは……やはり、躊躇しているからだろうか。
     繁華街らしい夢崎区とは違って、中央区の蓮華台という地域は落ち着いた街並みだった。バスターミナルと隣接している商業ビルもあるが、蓮華台の大半は住宅街だった。おそらくかつては珠閒瑠城の城下町だったのだろう。
     私が目指しているのも、その珠閒瑠城があった場所だった。今は本丸公園と名を変え、地域住民の憩いの場になっている。

     徳永先生の所在について調査を依頼した探偵から受けた報告は私を混乱させた。
    「ホームレス、って言うんですかね。今は公園で根無し草みたいな暮らしをしているようですよ」
     時折日銭を稼ぐために日雇いの現場に顔を出してはいるらしいが、大半はこの公園でぼんやりと過ごしているらしい。つまりは定職にもつかず、住居すらないのか。
     愕然とした。かつては最高学府の医局に在籍し、ゆくゆくは外科部長となることを約束されたような人が、なぜ――
     探偵から渡された写真の徳永先生の顔には、覇気が感じられなかった。穏やかな表情などとはとても言えない、諦念が色濃く感じられる暗い顔だった。
     信じられない、確かめなければならない、そう思ってここまでやってきたのに、本丸公園の入り口で、私はしばし立ち止まっていた。傍らを子供たちが駆け抜けていく気配も、ベビーカーを押した女性たちから不審の目を向けられているのも感じ取っていた。
     私は果たして本当に、ここに足を踏み入れるべきなのだろうか。かつて尊敬した人の姿を目の当たりにしてショックを受けずにいる自信はない。何も見ず確かめず、知らぬふりをして生きていくほうがいいのではないか、電車の中でもバスの中でも考えたことだった。それでも、探偵の言ったことが間違いである可能性を、万に一つもないだろう希望を、諦めることができなかった。何も確かめずには、私は私の日常へ戻ることも、これからの医師生活を続けることもできないと思った。
     足を踏み入れた公園の中では、散り始めた桜の木々が風に静かに揺れていた。
     春の午後、日差しは穏やかにすべてを照らしている。遊具で遊ぶ子供たち、それを見守る親の姿、仕事の途中なのかベンチで一服している男性、学校をサボっているらしい制服姿の女子学生。
    (徳永先生――)
     ありふれた光景の中で彼の姿は異様だった。いや、ホームレスという存在は残念ながら今の日本ではありふれたものかもしれない。異様だと感じてしまったのは、数年前まで大学病院で辣腕を振るっていたあの人がそうなっていることを理解したくない私のささやかな抵抗なのだろう。
     擦り切れて薄汚れた衣服、整えられていない不衛生な口髭、人目を避ける意図なのか目深にかぶられたサウナハットのような帽子。そこに面影など一つもない。柔和そうな印象を与えていた丸い眼鏡だけが、あのころの徳永先生のままだった。
    『二年前、医療過誤事件の責任を問われて退官されました』
     学内の派閥争いで特定の勢力に与しなかった徳永先生は、誰からも庇われなかったらしい――秘書の彼女が語った言葉を思い出す。徳永先生は一人きりで、誰からも見向きされていない。今も、二年前も。
     目を逸らしてしまいたかったが、できなかった。その場に縫い付けられたように、手も足も動かなかった。金縛りにあったような私の身体を動かしたのは、一人の子供だった。
    「あっ!」
     幼稚園児くらいの子が、徳永先生の腰掛けるベンチの目の前で転倒した。私はずっと、そのベンチに腰かけている徳永先生を見ていたので転ぶ瞬間もはっきり見ていた。距離があるので断言はできないが、地面についた手が変にねじれていたような気がする。骨折の可能性があるかもしれない、思わず駆け出そうとして、一瞬動きを止めてしまった。
     もし、もしも――徳永先生がまだ医者であってくれるのなら――
     私と同じようにあの子の手を確かめるのではないか。
     かすかな希望だった。願い、あるいは執着と言ってもいいかもしれない。目の前で泣いているこどもを放って平気な顔ができるような人であってほしくなかった。
     しかし徳永先生は、黙って立ち上がると何もせず、背中を丸めてのろのろとどこかへ立ち去ってしまった。その後姿には、誇りをもって職責に当たっていた在りし日の輝きはなかった。

     目の前で大きな扉が閉ざされたような、そんな幻聴を感じる。
     先生、あなたは、医者としての自分まで捨てたのですか。
     たまらなかった。私は走り、その肩を掴んで問い質したかった。それをしなかったのは、目の前の怪我人を優先したのは、自分が医者だという自負があるからだ。
     泣いている子供の手を確かめながら、私は徳永先生を恨んだ。恨みながら、まだ希望を捨てきれずにいるのも事実だった。
     先生、あなたがベンチから立ち上がるまで、ためらうような間があったように見えました。苦しそうな顔をしたようにも見えました。本当は手を差し伸べたかったんじゃないですか。医師であることを諦めていないんじゃありませんか。今のご自分が客観的にどう見えているかを考えて、あえて声をかけなかったんじゃないですか。もしかして僕がここにいることもわかっていて、任せようと思って立ち去ったんじゃないですか。そうですよね、先生、答えてください。お願いです、先生、先生――
     振り返った先に彼の姿はない。ただ舞い落ちる花弁と子供の泣き声が、嵐のように何もかもを乱していた。

    (了)

    何もなかったようには

     私の一日は、息子に花を供えることで始まり、その花を家に持ち帰ることで終わる。毎日あまたの人が行きかう夢崎区の大きな交差点の端で、私は毎朝毎晩、花を供えては手を合わせていた。
     三歳だった息子が車にはねられて死亡したのは昨年の秋だった。事故当初は世間も私たちに同情的な目を向けてくれていた。犠牲者が三歳の子供だったので、二週間ほどは献花台が設置され、花だけでなくお菓子やジュースもよく供えられていた。
     人の優しさに触れたようで、不幸の中でも嬉しさを感じていたのはその時期だけだったかもしれない。四十九日が過ぎると、交差点近くの商店街から献花台の撤去を告げられた。それは当然のことだと思った。厚意で献花台を作ってくれたことはありがたく、掃除やお供え物の処分を任せてしまっていたことは本心から申し訳ないと思っていた。それでも、今後も自分だけは花束を供えたいのだと申し出たところ、彼らは少しめんどうそうな顔をした。毎日夕方には回収するからと食い下がって、なんとか承諾が得られた。その日、帰宅してから、変な話だと思った。交差点は商店街の敷地内ではない。単に彼らは、商店街の近くが、枯れた花で汚されるのが嫌なのだろう。あるいは、人が死んだ証をいつまでも置かれたくはないのか。今となってはもう誰も、私達には目もくれない。
     仕事に向かう前に夢崎区の交差点に花束を置き、終業後は帰宅途中にまた寄って、朝供えた花を持ち帰る。そんな生活の合間に弁護士との民事訴訟の打ち合わせを行い、刑事裁判傍聴のため裁判所へと足を運ぶ。息子を失い日常を奪われ、なにもかもを剥ぎ取られた私の人生は、そのようにして何とか回っていた。

          §

     珠閒瑠地方裁判所は年期が入った佇まいをしている。そういえばいつか訪れたときには建て替えだか移転だかについての公聴会が開催されていたことを思い出した。案外、なにもかもに興味を失った自分のような人間も、どうでもいいことを覚えているものだ。そう、入口には金属探知のゲートが設置されていて、古めかしい石造りの外観とのギャップがおかしくて口元が緩んだのも覚えている。しかし物珍しさに興味を引かれたのも最初の頃だけだった。ここへ何度も足を運ぶようになった今――裁判というものの当事者になった今となっては、ここも灰色の世界の一部に過ぎない。
     今日、息子をはね殺した男への判決が言い渡される。それがどのような結果であっても、私の苦しみは一旦の区切りを迎えるのだろう。願わくば重い罰を受けて欲しい、例えば……その先は口に出すのがはばかられたが、それが私の願いだった。
     民事訴訟の代理人を依頼した弁護士に聞くと、交通事故によって人を死に至らしめた場合、それも過失によるもので、かつ初犯の場合は罰金刑に留まる場合や執行猶予が付くこともあるらしい。
    「ああ、もちろん、加害者に重大な過失がある場合は実刑判決が出る場合もあります」
     とってつけたようなフォローだった。私は愕然として耳を疑った。
     三歳の子供を死なせておいて、事実上罪に問われず、これまで通りの社会生活に戻れるなんて、不公平だと思った。弁護士は取り繕うように、「ご納得のいく判決だとよいのですが……」と、居心地の悪そうな表情を浮かべていた。
     納得のいく判決とはなんだろうか。弁護士の話を信じるなら、どれだけ重くても刑は禁固か懲役に留まる。それで罪が償えるのだろうか。目には目を、歯には歯を、命には、命を。そうではないのか? どうして加害者は生きていられるのか? なぜ私の願うようには罰せられないのか?
     わからない。なぜあの黒衣の男達には、無関係でありながら罪を裁く権限が与えられ、肉親を害された私にはそれが認められないのだろうか。馬鹿なことを考えている自覚はあるし、それは私の望む罰の重さについても同じだった。加害者が重い罪に問われることはないだろうと感づいているからこそ、それが許せなかったのだと思う。どうだろうか、結局わからない。息子を亡くして半年が経ったようだが、時間の経過すらおぼつかない私が何かを正しく認識できているとは到底思えなかった。

    「主文、被告人を禁固二年に処する。この裁判確定の日から三年間、刑の執行を猶予する」

     その結論を聞いた瞬間、私はこの先をどう生きたらいいのかわからなかった。背中しか見えない加害者が何を思ってうつむいたのかもわからなかった。安堵だろうか、それとも執行猶予つきの判決に喜んでいるのだろうか。あるいは犯した罪の重さに対して軽すぎる罰に、自責の念を生じているのだろうか。
     そうであってほしくはない、殊勝な態度などやめてほしい、と、思ってしまった。
     法律が彼を事実上許してしまった今、私まであの男を許すわけにはいかなかった。許すわけにはいかないのだ、私も。まだ憎まなければならない、誰かを恨み、呪い、そうしなければ発狂してしまうという確信があった。
     視界が赤くなっていく。怒りに震えながら、それはただの錯覚か妄想だと理解する冷めた自分も感じていた。私は多分冷静だった。ここで叫んでも暴れても何の甲斐もないことはわかっていた。理解したのだ。所詮、司法などは頼るに値しない機構でしかないのだと。

          §

     その日も私は交差点へと足を運んだ。私が置いた花束の他に、もう一つ控えめな、小さな花束が置かれていた。
     夕暮れに沈みかける繁華街に人口の灯がともっていく。人の流れはより激しくなり、私の背後では信号待ちの通行人が青に変わるのを待っている。
     ざわめきの中から、私の耳がこんな会話を拾った。
    「そういえば先週、平坂区で殺人事件あったじゃん」
     高校生くらいの女子の声だった。
    「そんなんあった? てか、それがどうかしたの?」
    「あれってJOKERが犯人って噂だよ」
    「それアタシも聞いた。殺されたのひき逃げ事件の犯人らしいよ! 被害者がJOKERに頼んだんじゃないの?ってバイト先の先輩が友達から聞いたんだって」
    「マジ? ヤバくない?」
     信号が青に変わり、電子音のメロディが緩慢に流れ出す。歩き出した人々の足音や声が流れていき、私の耳には意味のない喧噪だけが押し寄せる。別の女子高校生たちのグループが、何がおかしいのか笑いながら歩き去っていく。その甲高い笑い声がいつまでも耳に残った。
     足元に残された花束は、加害者が置いていったもののように思えた。謝罪は形ばかりのものだと象徴しているようだった(私の願望に過ぎないだろうか?)。おそらくは罪も罰もそうだろう。反省してしおらしくしているのは最初だけ。権威のある誰かに許されれば、それきり罪悪感などは消えてしまったかのように振舞う。罪を量る方も罰を決める方も、条文と事実をパズルのように当てはめているだけだ。誰も私の悲しみを顧みない。誰も失われた命を悼まない。所詮自分ではない誰かに降りかかった対岸の火事に心から同情するのはお人よしでも善人でもなく、ただの愚か者にすぎないのだろう。
    (そうか、殺してくれるんだ)
     先ほど聞こえた会話が、頭の中でリフレインしている。
     JOKERに頼んだ。
     JOKERは殺してくれた。
    (ああ、そのヒトは、代わりに罰してくれるのだ)
     それに気づいた瞬間、安堵のあまりに涙が出そうだった。罪を正しく罰してくれる存在があることの、なんと幸いなことか。
     花束だったものをかき集めて拾い、両手で握りつぶして声を上げる。歓喜、高揚、戦慄、絶望、あらゆる感情がないまぜになった叫びが、明るすぎる夜空に吸い込まれていった。
     後日、検察は控訴を断念したと聞かされた。しかし私にはもう、どうでもいいことだった。

          §

     半月後、加害者の男は遺体で発見された。発見のニュースから身元が発表されるまで二日を要したと言うから、遺体の状態は推して図るべし、だろう。私は警察の聴取を受けたが、どう見ても形式的なものだった。ニュースや新聞でも、現場の状況から一連の猟奇殺人事件と同一犯だろうという見方が主流のようだった。
     終わった。何もかもが終わった。晴れ晴れとした気持ちになるわけでもなく、何かを達成した感慨もない。未来を奪われた息子に代わって復讐をなしたという意識もあまりなかった。ただ、罪は正しく裁かれたのだという思いが、私をひたすら安堵させるだけだった。
     
    「聞いた? JOKER呪いの噂。あれってJOKER呪いをやった人がJOKERになって、人殺ししてるんだって」
    「そうなの? 俺が聞いた噂だと、JOKER呪いをした人もJOKERに殺されるって……」

     最近、JOKER狩りという言葉を耳にするようになった。JOKER呪いをした人がJOKERになるとか、自分もJOKERに殺されるとか、そういう話ばかりなので、実際JOKER呪いをした人は今頃震えて眠れないのだろう、なんて笑い話まで聞こえてくる。
     その話を聞いた私はと言えば――いっそ感動するほどの喜びに打ち震えていた。
     これでJOKERは正しいことが証明された。彼は罪人を裁き、正しい罰を与える存在だ。
     あの日私は車道に飛び出そうとする息子の手を放してしまった。もっと強く握っていたなら息子は死ななかっただろう。先日の裁判では遺族である私への配慮があったのか、私の過失についてはついぞ言及されなかった。事故現場は夢崎区だったのに、目撃者は何人もいたのに、証言が出なかったのか、出ても黙殺されたのか。だがこれでようやく私の罪も裁かれる。罪悪感に苦しまずに済む。息子を殺したのは私だ。息子をはねた男が死ななければならないなら、その原因を作った私も死ななければおかしい。オオカミのような犬の遠吠えが聴こえる。ようやく、ようやく罪が裁かれる。私は待ち焦がれていた。子供のような目で、月が満ちるのを待っている。

    (了)

    夢見るころを過ぎたら

     父親が失職したのは俺が高三のときだった。理由は聞かされていないが、あの頃の報道を見ていれば大方予想はついた。まだ小学生だった弟ですら「父さんは悪いことをしたの?」と不安な顔をするくらいだったのだから。
     母はいわゆる専業主婦だったが、父の退職の直後からパートタイマーとして雇ってくれるところを探して歩き回った。父も表向きは気丈な顔をして、再就職先で警備員として昼も夜もなく働き始めた。必死に働いたのは弟が小さかったのもあるが、一番大きな理由は俺の進学問題だったのだと思う。かつて調理師の専門学校に進みたいと言った俺に、両親は快く賛同してくれた。専門学校の学費は高額だったが、父の稼ぎでもなんとかなるだろうと笑っていた。それも遠い記憶、ほろ苦い思い出でしかない。十八歳にもなれば、自分の願望がもはや夢物語でしかないことなどすぐに理解できた。
     俺は大学進学を決めた。最初は進学ではなく就職すべきだと考えたが、高卒向けの地元企業の募集も公務員試験の日程もすでに終わった後だった。どうしたらいいのだろうか、と、考えあぐねて相談に行った先の担任は、俺の家庭の事情なんてとうに理解しているだろうに、深くは尋ねることをせず単なる希望進路の変更としてあれこれ世話をしてくれた。
    「成績も悪くないどころかむしろいい方だからね、いや、正直に言うと学年主任の先生なんかは、君が大学進学しないことを惜しんでいたくらいだよ。私としても進学を勧めるかな。君くらい成績がいいなら、高卒で就職するより大学を出たほうがいろんな道が開けるだろうから」
     道が開ける、という婉曲な言葉だったが、多分「給料のいい仕事につけるから」という意味なのだと思う。両親にさらに四年間の負担を強いるのは心苦しかったが、四年後に俺がたっぷり仕送りできるようになればいい。なるしかない。
     だから担任の言う通り、成績がいい方だったのは不幸中の幸いだったのだと思う。自宅から通える距離の国公立大の中で、一番偏差値が高い大学への入学も夢ではないと言われたのはうれしかった。
    「私大でも、ここの学校は成績優秀者の学費を全額免除してくれる。こっちは独自の無利子奨学金制度があるから検討してみるといい。あと学費を払わなくていいのは――」
     その先は、声には出されなかった。学費免除の大学がどこなのかは俺でも知っているし、それを言わないのは担任の気遣いに違いなかった。主に女子から「くたびれたネクタイのさえない中年」なんて言われているが、俺はこの人の優しさを一生忘れないだろう。
     冬の訪れとほぼ同時に猛勉強の日々が始まった。平日は早朝から登校し、施錠されるギリギリまで居残った。休みの日もほとんど自室にこもっていた。両親は土日も働いていることが多かったので、あまり顔を合わせることがなかった。不在の両親に代わって弟に食事を作ることは多かったが、その作業自体は苦痛ではなかった。ただこの先の人生で、このように働いていくことがないのかと思うと、洞に向かって歩いているような徒労感を覚えるだけだった。
     結論として、俺はめでたく第一志望の大学に入学し、卒業し、東京の大企業に就職した。学生時代もバイト代を家に入れていたが、これからはもっとたくさん仕送りができる。特に弟はこれから進学などで金がかかる。金はいくらあってもいいだろう。
     就職はゴールではなかった。俺にはまだ、やらなければならないことがあった。
     俺は身を粉にして働いた。二十四時間戦えますか、そんな言葉を昔テレビで聞いた。戦える、戦えるさ。やりがいもある。結果は給与として明確に数値化される。けれど充実しているとは言えない。何が原因なのかわからない――いや、本当は知っている。知っているが、それはもう手放したはずの夢だ。そう言い聞かせながら深夜のオフィスで眠気覚ましの煙草をふかす。この先、俺はこうして何十年も生きていくのだろうか?

         §

    「俺、防衛医大に合格したよ」
     東京に遊びに来た弟を馴染みの居酒屋に連れて行くと、そんなことを聞かされた。
    久しく会っていないのでずいぶん背が伸びたなとは思っていたが、もう受験生だったのかと驚いてしまう。いや、そうではなく、俺が箸を取り落としそうになったのは、進学先の名前のせいだ。
     弟は昔から医者になりたいと言っていたし、成績も俺とは比べ物にならないほどよかった。そうはいっても国公立の医学部は狭き門だし、私大の医学部の学費なんて一般家庭に出せる金額ではない。防衛医科大学校はその点学費無料の上に手当までつくが、当然入試の難易度は高い。そんなところに合格したのかという驚きには、父が元自衛官という理由も含まれている。
     俺は高三のころ、無意識に自衛官や、それにつながるものを遠ざけようとしていた。父が不正を働いたという疑惑によって退職を余儀なくされたことがその理由だった。俺も防衛大への進学は考えなかったし、担任もそれを明言するのを避けてくれた。だが、弟にはそんな嫌悪感はないらしい。
    「兄さん、今まで俺たちのために我慢してくれてありがとう。でも、もうそんな必要はないし、俺たちだって兄さんが苦しんでいる姿は見たくない。今からだって、遅くはないんじゃない?」
     弟が差し出したのは、地元の銀行の預金通帳だった。俺が社会人になってから始めた仕送りがそっくりそのまま入っていると言う。
     俺はもしかしたら、父を恨んでいたのかもしれない。夢を諦めざるを得なくなった原因は父親だと思いつつも、親を恨むなんて許されないことなのだと、自分を抑圧していたのだろうか。だから父の職業に連なるものを忌避したのかもしれない。
     言葉に詰まった俺から目を逸らし、弟は頬杖でつぶやく。
    「父さんも母さんもそう思ってるよ。忙しすぎて帰ってきてくれなくて寂しがってる」
     うん、そうか、ごめんな。そう答える俺の声は震えていた。磨かれたテーブルの木目が、かすかに滲んでいる。
     それから数年後、父が関与したとされる事件の調査が実施されることとなった。話を聞いた当初は、今更何をされたところで、何かが変わるわけでもないと感じていた。俺の学生時代は戻らないし、父が復職できるわけでもない(そもそもそういう気もなさそうだったし)。
     けれど、捜査によって父の無実が判明し、マスコミによって全国的にも報じられた後、考えは変わった。涙を浮かべるほどによろこび、安堵している両親の姿を見て思い知った。過去は戻らないとしても、費やされたものは無為に過ぎないとしても、明らかにすべきことをそのままにしてはならないのだと。
     心残りがあるのなら、それを捨て置いたまま生きられはしないのだと。
     俺はまだ間に合うだろうか――そんな思いが浮かんだ時点で、心は決まっていたのだと思う。

          §

     家族全員に背中を押された俺は、俺が弟のために送った金を調理師専門学校の学費に充てさせてもらった。入学した直後は二十代半ばで十代に交じることに抵抗があったが、すぐにそれもなくなった。辞めた仕事とは比べ物にならない充足感で、二年間はあっという間だった。
     卒業後は東京勤めをしていたころの伝手を頼って、都内の日本料理の店で修行をした。有名ホテルの厨房でも学んだあと、俺は故郷の珠閒瑠市に戻ると港南区のシーサイドモール近くにテナントを借り、自分の店を開いた。はじめの頃は細々と営業をしていたのだが、地元紙の取材を受けた後から徐々に客足が増えてきた。「シリーズ・夢追う人」なんてタイトルでの取材は恥ずかしくて仕方なかったが、繁盛につながったので今となってはありがたいばかりだ。

     ある雨の日だった。その日の昼営業が終わる間際の十四時直前、アルバイトに出すまかないを作り始めたくらいの時刻に、一人の若い男性客がのれんをくぐって入って来た。いつもならありがたいことに十三時すぎにはすべてのメニューが売り切れているが、この日は雨で客足が鈍かったので店先にはまだ「営業中」の看板が出ている。なので、「まだ大丈夫ですか?」と心配そうな顔をする彼を、俺は笑顔で迎え入れた。
    「雨、酷かったでしょう。よかったら使ってください」
     肩のあたりが濡れていたのでおしぼりとは別にタオルを差し出すと、彼は折り目正しい謝辞を述べる。真面目な性格のようだしスーツ姿ではあるが、如何せんその色合いが個性的な上に金属フレームの眼鏡のレンズにも色が入っている。カタギなのかそうでないのか、勘ぐってしまいそうになった。
    「すみません、助かりました」
     男性がタオルを返すために腕を伸ばすと、不意に煙草の香りが鼻先を掠めた。喫煙者特有の、体に染みついたものだった。俺も会社を辞めるまではヘビースモーカーだったので、少し重苦しいなつかしさがこみあげた。今も時折口元が寂しく感じることはあるが、料理人として味覚や嗅覚に悪影響があってはいけないので禁煙を続けられている。そんなことは彼の知ったことではないだろうが。
     カウンター席に座った彼に鯖味噌定食を出したタイミングで十四時になった。俺は外の看板を「準備中」にひっくり返す。雨脚は少し穏やかになっていた。
     男性客は定食を綺麗に平らげてくれた。皿の隅にまとめられた小骨に、几帳面さが見てとれる。
    「ごちそうさまでした」
     そのままカウンター越しに会計を済ませ、彼は財布をポケットに仕舞いつつ立ち上がる。そうしてドアの方に向かうのかと思っていたが、その足は動かない。
     どうしたのだろうか、何か料理に不都合があっただろうか。俺は不安に息をのんだ。口を開いたのは、客の男性のほうだった。
    「あの、」
    「はい」
     何か言いたげなのは見ればわかるのだが、その後の一言がいつまでも出てこない。
    「……何か?」
     問いかけていいものか悩んだが、二人して黙りこくっていても仕方がない。
    「――いえ、先日の新聞記事を拝読しまして……」
     それはおそらく彼の言いたかったことではない気がしたが、問い詰めるわけにもいかないので話を合わせるしかない。
    「そうなんですか、ありがとうございます」
     軽く頭を下げると、相手も同じようにした。律儀な人だな、と、少しおかしくなる。
    「社会人になってから専門学校に進まれたそうですね。ご苦労もされたことでしょう」
     おや、と、思った。本意ではないだろうと感じていたのに、その言葉は本心からの気遣いのようなものが込められているように思えたのだ。彼が何を言いたいのか、あるいは、聞きたいのか。それは知る由もないのだが、一つだけ否定すべきことがある。
    「いえ、これが夢でしたから。大変じゃなかったというと嘘になりますが」
     事実として、苦痛に感じたことは一度もない。そういうと、男性客は僅かに目を細めた。
    「きっとあなたにとって天職だったんでしょうね」
     薄く色の入ったレンズ越しに見た彼の目は、ここではない遠くを見ているように感じられた。何故だろうか、俺はその目を見て、東京で働いていたころの自分を思い出した。
     彼は思い出を振り切るように、軽く首を振る。
    「――定食美味しかったです。また来ます」
    「ありがとうございます。お待ちしております」
     最後にもう一度軽く会釈をして、男性は店を出ていった。
     皿を下げながら、ふと気が付いた。『苦労をしただろう』という言葉は、もしかしたら父のことを言っていたのかもしれない、と。あの記事には俺が調理師学校に進んだきっかけとして、父の名誉回復のことも書かれていた。もちろん話の本筋ではないので二行程度のものだったのだが――いや、その程度の記述は誰だって読み飛ばすはずだ。今まで誰一人として、そのことに言及する人はいなかったのだから。
    「まあ、考えすぎだろう」
     ひとりごちて、テーブルを拭き上げる。俺の頭はすでに今後のことを考えてはじめていた。夜は二組の予約が入っているが、この天気ではそれ以外の客足は望めないかもしれない。
     雨はまだやまず、残り香はとうに消え失せている。

    (了)

    さらば愛しき面影よ

     青葉区の大通沿いにあるコンビニが、フリーターの俺の勤め先だ。青葉区は珠閒瑠市の官公庁が集まっているが、テレビ局やら出版社も多い。コンビニの客層もそんな感じで、堅苦しいスーツ姿も見るし、フリーターの俺よりラフな格好も見かけることが多い。あとは芸能人やらタレントやらもしょっちゅう見かける。こないだなんて黒須純子が来た。大きなサングラスをかけてたけど、オーラは隠しきれていなくてバレバレだった。黒須純子は新発売のコンビニスイーツを三つ買って、そそくさと退店した。その姿があまりのインパクトだったので、その日バイト仲間との話題は黒須純子の買い物のことばかりだった。
    「あれってスマスマスマルで特集したやつだったよね」
    「黒須純子、気に入ったのかな……」
    「でもなんで三個?」
    「家族の分じゃない? 旦那と息子がいるって言うし」
    「へぇ……なんかイメージ違う、家族思いなんだね」
     こんなふうに立地柄有名人を見かけることも多いが、勤務中に見聞きしたことを言いふらしたりするな、というのは働き始めてすぐに言い含められている。つい誰かに話したくなる出来事もなくはないが、俺自身が芸能人やら有名人に興味津々というわけでもないので、禁忌を破ることはなかった。
     それに、気になる人は別にいる。
     毎日のようにやってくるあの人を意識し始めたのは、高校を卒業してから二回目の夏を迎えたころのことだった。
     女性にしては長身なので、まずそれだけで目を引く。加えてスタイルもよければ顔もいい。タレントかモデルだろうかと思えるほどだが、そういうのに詳しいバイト仲間に聞いても「フツーの人だと思うよ?」という返事だった。一般人ながらモデル並みのスタイルと女優並みの美貌、それだけならば近寄りがたい美人でしかなかったが、彼女はいつだって明るく溌剌とした、親しみやすい雰囲気があった。支払いの後に商品を受け取りながら、「ありがとうございます」と笑ってくれる。
     男なら誰だって悪い気はしないと思う。いや、フリーター仲間の女性店員も「あの人すごく感じがいいですよねぇ」なんて言うから、性別を問わず好かれているに違いない。
     彼女は本当に、いつだって笑顔だった。日付が変わろうかという深夜に栄養ドリンクを買いに来るときも、疲れをにじませながら笑顔を欠かさなかった。多忙なせいだろう、昼食のタイミングを逃したらしい時刻にやってきて、ろくな弁当が残っていないときも落胆しながら笑っていた。
     女性としても、魅力的だと思った。
     あるとき彼女が首から社員証を下げたまま来店したことがある。俺は悪いと思いつつも、それを盗み見てしまった。あいにく裏返っていたので氏名はわからなかったが、キスメット出版の文字だけはしっかりと目に入った。
     そうか、出版社に勤めているのか。編集者、なのだろうか。
     遅い時間まで残らなければならないほど忙しいのも納得できる気がした。俺はいわゆる会社勤めをしたことはないけれど、どれだけ忙しくても疲れていても笑顔を欠かさない彼女は人並み外れているのだと思う。もともとの性格が明るいというのもあるだろうし、なにより周りに対する気遣いの人なのではないだろうか。ウチの店長なんて売り上げが少し悪いとすぐに不機嫌になって、俺はもうそれには慣れたけれど、新人の女の子なんかビビってしまっている。
     もしも彼女が店長だったら、いや店長じゃなくても同じ職場で働いていたら、雰囲気が悪くなることなんてないだろう。キスメット出版の社員が羨ましかった。俺も同じ職場に入れたら、なんて妄想はむなしいだけだ。箸にも棒にも掛からないような高校をなんとか卒業できた程度の俺には、出版社なんてキラキラした場所で働くことは叶わない夢でしかない。
     まして俺と彼女では、男女としても、つり合いが取れるわけもない。
     だから店員と客として、時々関わることができるだけでもありがたいというものだろう。もしも俺がアルバイトの店員風情でなければ、それこそ立場だけでも店長であれば、疲れている彼女にコーヒーのオマケを差し入れることくらいできたかもしれない。下心あってのことではない、と思う。俺はただ、何かを返したかったのだと思う。いつも笑顔を向けてくれる彼女に、感謝を伝えたかったのではないだろうか。

          §

     ここ数週間ほど、彼女は姿を見せない。
     これまでも一週間ほど見なかったことはときどきあった。きっと仕事が本格的に立て込んでいるとか、あるいは風邪か何かで休暇を取っていたのだろう。しばらくするとけろりとした顔でいつものように来店してくれた。
     しかしこれほど長く彼女を見ないのは初めてだった。おまけに、街全体がおかしな事態になっていた。
     おかしな事態、なんて、小学生みたいな言葉でしか言い表せないのが悔しいが、JOKER呪いなんてものが流行り、ハリボテの飛行船が空を飛び、近所のバーでは武器が密売されているなんて聞くこの状況を、他にどう言い表せるというのだろうか。
    更に気がかりなことには、死人が出るような物騒な事件も連続している。俺は彼女のことが心配だった。巻き込まれてはいないだろうかと毎日ニュースを確認しては胸をなでおろしてばかりだった。
     しかし状況は悪化し、気づいたときにはすでに、他人の心配なんてしている場合ではなくなっていた。どういう理屈なのかまったく理解できないが、珠閒瑠市は鳴海区を残して浮上してしまったのだ。崩落する地面に巻き込まれた人も少なくないと聞くので、俺が今こうして生きていられるのは、本当に運がよかったのだろう。

          §

     街は、形ばかりは元の姿を取り戻した。それは全体をおおまかに見れば、というだけであって、個人のレベルで言えば散々なものだった。店長は行方不明、新人バイトは両親が大怪我を負い、俺は家族が無事だったものの、家が全壊した。とりあえずは市が仮設住宅を用意してくれるらしいが、当の市役所も被害甚大でいつになるかわかったものではない。友人の家に厄介になりながら、俺は彼女のことを気にかけていた。どういうわけかニュースはあの一連の災害(と言っていいだろう、これはもう)を報じなかったし、珠閒瑠市全体も通信網がズタズタになってネット経由で情報を得ることもできなかった。気がかりを気がかりのままにせざるをえない状況はもどかしく、沈んだ気持ちがさらに沈むようだった。
     それでも日常は続く。フランチャイズの本部から派遣されてきた社員が面倒そうに切り盛りする中で、俺はアルバイトとしての日々に戻っていく。しかし不思議なもので、かつての日常だったものの中にいると、安心するようなところがあった。インフラが徐々に回復していくと、俺だけではなく街の人たちも雰囲気も、数か月前に戻ったような気がした。それは錯覚か、思い込みだったのだろう。

     三日ほど経った朝、彼女が来店した。朝の店外掃除をしていた俺によっては不意打ちだった。
    「おはようございます」
     そう、彼女はよく挨拶をしてくれた。明るくて、こちらまで晴れやかな気持ちになれる声だった。けれど今となっては、それも過去の記憶にしかならないらしい。
     決して暗いわけではない。人によっては、落ち着いた声音だと評するだろう。俺にはそうは聞こえない。彼女の中から何か、きっと彼女がずっと大切にしていた何かが、そぎ落とされた――俺にはそう聞こえた。彼女の笑顔には、自分自身の一部をえぐられるほどの悲劇を受け止めながら、それでも前を向こうとする痛々しさすら感じられた。
     あの大惨事の後から、こんな顔をする人が増えたように思う。誰もかれも同じだった。街も同じだ。表面上は元通りなのに、皆同じように何かを喪失し、代わりに悲しみと痛みを与えられている。それが避けられないものだと受け止めながら、それでも隠し切れずに溢れてしまう。
     俺も同じだった。悲しく笑う彼女の表情が、声が、俺の中から恋心と呼べるものを消失させた。
     俺は溌剌と明るい彼女が好きだった。けれどあの頃の彼女はもうどこにもいない。きっと痛ましく姿を変えた街と同じように、かつての姿はどこかへ消え去ったのだ。
     街が復興しても、それがかつての街とは全く異なるように、彼女が昔のように笑う日がきても、もはやあのときの笑顔とは違うのだろう。
    「おはようございます、いらっしゃいませ」
     驚くほどに事務的な声が、俺の口からこぼれ出ていた。もうこの胸は高鳴ることもなく、消息を気に病むこともなくなるのだろう。空々しい来店チャイムを聴きながら、俺は失望していた。失恋のむなしさすら感じられないことが、何よりも悲しかった。

    (了)

    かなしい街

     珠閒瑠市には、港南区と鳴海区の二つの港湾地区がある。かつての港南区は工業地帯のような様相を見せていたが、最近では大きな商業施設や科学館が出来たこともあって、市の内外を問わず人が集まる華やかな地区に変貌した。対して鳴海区はいまだ開発途中のため殺風景で閑散としている。珠閒瑠市はここ鳴海区を港南区に次ぐ観光地区にしたい思惑で、まずは外資系の大型ホテルを誘致したが、話題になったのは一時に過ぎず、地下鉄の延伸工事もまだ途中ということもあって、人の出入りは他の区に比べるとはるかに少なかった。
     今になって思えば、それも不幸中の幸いだったのかもしれない。
     現在の鳴海区は全域が見るも無残に崩壊している。跡形もなく、という言葉はこの光景のためにあるのだろうと思えるほどだった。
     この場にあるものは、一見しただけでは、いや、よくよく見てもそれらがなんなのかわからない。低く、あるいは高く堆積したものを凝視した俺がようやく最初に名前のついた物として認識できたのは、自動車のタイヤだった。それからどこかの会社の看板の破片、ひしゃげた家具、濡れて乾いた紙の束、破れて泥まみれになった布……それ以外はすべて、圧倒的な力に押し流され破壊された残骸としか言い表せなかった。
     すべては珠閒瑠市の一部が浮上するという、怪現象がもたらした惨劇の爪痕だ。
     鳴海区以外の珠閒瑠市は、真円形の境界部を崩落させながら浮上した。その結果、それまでそこにあった土地そのものがなくなるので、海水が珠閒瑠市跡に流れ込む。その何日か後に元のように降下してきた珠閒瑠市によって、溜まっていた海水は再び、堆積した様々なモノとともに海へ押し流される……というのが、ここで起こった悲劇の要点だ。頭では理屈を組み立てることはできるが、現実として受け止められるかというと、その限りではない。
     俺は地獄と言うものを見たことがないが、それはきっと光も届かぬ暗い場所で、おぞましい見た目の化け物が跋扈し、苦痛を訴える亡者たちの呻きがこだましているのだと想像していた。
     しかしここは、曇っているが明るく、動くものはなく、聞こえるのは海鳴りの音ばかり。想像上の地獄とは正反対と言ってもいい光景だが、ここが地獄でないとは、断言できない。
     鳴海区に住んでいるわけでもなければ、訪れた経験すらほとんどない俺でも、この光景はショックだった。言葉がなかった。復興作業開始の初日には市の職員や、奇跡的に難を逃れていた住民が足を運んでいたが、絶句したような沈黙の後、そこかしこからすすり泣きが聞こえてきた。それが徐々に激しさを増していくと、俺もつられたように泣きたくなったが一瞬でその気は消えた。消えたと言うか、消した。気のせいだろう、と言い聞かせた。思い入れなんてないのだから。俺には彼らのように涙を流すだけの道理がないのだから、と。

    「ぼさっとすんな新入り。始めるぞ」
     会社の大先輩である測量士の春川さんが俺を小突く。この人と一緒に仕事をするのは初めてではないが、あまり口数の多い人ではないので人となりをよく知っているわけではない。それに俺だってべらべらしゃべるタイプでもないので、仕事中は雑談なし、必要最低限の事務的な会話で一日が終わるのがほとんどだった。
     今日も黙って、機材を抱えて歩く春川さんの後を追いかける。確かにぼさっとしている暇はない。もう二週間ほどひたすら測量をしているが、まったく終わる気配がないのだ。この仕事は市からの発注だし、国と県からも補助が出るという噂もあるから、社長は期間が長びくほど売り上げが確保できるとほくそえむかもしれない。が、現場を知っている社員たちは以前から受注している仕事があるのでできればそちらに人員を割きたい。しかし荒廃した鳴海区の復興という大義名分を無視するわけにはいかず、測量をさっさと終わらせるために、俺たちは毎日黙々と機材を配置しては測量するだけだった。
     冬は寒いし、海辺は風が強い。その二つが組み合わさった結果は、当たり前だが「凍えるほど寒い」の一言に尽きる。測量士補になって一年。こんなところで毎日仕事をしても泣き言一つ零さない自分を褒めて欲しい……などという、無分別な考えはこの場では思い浮かびもしなかった。
     人の生活が完膚なきまでに破壊された場所には、まだ暴力の気配が残っているように感じられて、神妙な態度を余儀なくされた。気にしないように努めていなければ引きずり込まれるような恐ろしさがあったから、俺は必死だった。地獄を見まいと懸命だった。対照的に春川さんは落ち着いていた。初日からさして動じることもなく、淡々と作業を進めているように俺には見えた。
     うらやましいほどの平静だったので、一週間ほど前にとうとう訪ねてしまった。「あんま堪えてなさそうっすね」と。春川さんは一瞬手を止めて俺を一瞥し、「震災で見たからな」と返した。
    「呼ばれたんだよ、応援でな」
     震災――二年前に関西地方を襲った地震のことだった。地震発生から数日後、復興作業の前段階として全国からのべ二万人の測量士が集められたらしい。春川さんがその中に選ばれたのもわかる気がした。測量士歴三十五年の大ベテランだ。おおいに活躍したことだろう――と、口に出すのは不謹慎だと思ってやめた。春川さんは俺を気に留めるでもなく、海風に肩をすくめながら呟くように語る。
    「震災でボロボロになった街を見た時はまあ、堪えたよ。ただな……人間は慣れてしまうもんだ」
     俺はその場にいなかったのに、その言葉の意味をなんとなく理解できた。荒廃した鳴海区を訪れた初日をピークに、俺の中の感情が徐々に摩耗しているような、鈍化しているような感覚は確かにあるからだ。いや、鈍化「させている」と言ったほうが適切だろう。
     港湾地区にあった会社の関係者だろうか、何かを探しにくる人々の姿を見たとき、確かに最初は心が痛んだ。悲しんでいる人たちを目の当たりにして、その手伝いをできないことを申し訳なく感じた。民間建設会社の重機、警察官、災害派遣されてきた自衛隊が瓦礫の山をかきわけているのを見る度、苦しんでいる人を手伝い、直接助けられるのが羨ましくすら思えた。自分が彼らからどんな視線を向けられているのかを気にしてしまうこともあった。俺たちのしていることが役に立たないとは思わないが、役に立つのはずっとずっと先のことだろう。考えると苦しくなるだけだった。だから考えないように、感じないように自分に言い聞かせる。俺は俺のできることをするだけだ、それがベストなんだと思いこむことにした。それから俺は、あまり周りを見なくなり、何かを感じることも少なくなっていった。

          §

     年の瀬が近づいても作業は終わらなかった。春川さんの言う通りなら震災復興には大量の測量士が送り込まれたようだが、この現場はそうではないらしい。役所の方で応援を手配しているという話も、信じていいものか疑わしいところだ。
     来る日も来る日も同じ作業に、少し飽きはじめている薄情な自分を否定できずにさらに気分が落ち込む。春川さんは相変わらず淡々としている。もしかしたらこの人は俺以上に鈍化しているのではないだろうか、と、考えると、仲間意識のようなものでほっとしてしまう。嫌な兆候だな、と、思うだけの正気はまだあった。
     その日も分厚い雲が空を覆っていた。昼食は、港南区にある教会が差し入れてくれたパンとスープだった。炊き出しのようなそれは、人を探している市民とか、瓦礫の撤去作業などにいそしんでいる「俺たち以外」向けだと思ったので遠慮したのだが、シスターの柔和な笑みに押し切られて受け取ってしまった。気が引けて口をつけられない俺の横で、春川さんはあたたかいスープを旨そうに啜っている。啜りながら、こんなことを言う。
    「神様ってのは、早朝に働いた人間も、昼間に働いた人間も、長く働いた人間も短時間労働の人間も、みーんな等しく救ってくださるんだとよ」
    「……なんですか、それ?」
     春川さんは何も答えなかった。俺はあらゆるものに観念して、丸い大きなパンをちぎってほおばる。噛み応えのある硬さだったが、スープは悪くなかった。いや、こんな寒い中で他人のために身銭を切って施してくれているのだ。俺はパンもスープも残さずに平らげた。思ったよりも空腹は満たされたが、精神的な充足感からは程遠い。

     午後の作業を初めて一時間ほど経ったころ。
    「見つかったぞー!」
     そう遠くないところから、叫び声が聞こえた。何事かと思って顔を上げると、声のしたほうに人がわっと集まっていく。見つかった、と、聞こえたが、何が見つかったのだろうか――というのは愚問だ。とてつもない悲しみの予感に、喉の奥が苦しくなる。俺は緊張で顔が強張っていくのを自覚した。
     春川さんと俺は、しばし作業の手を止めてそちらを見ていた。ほどなくして消防隊二人の姿が現れる。彼らが抱えた担架の上には、ブルーシートに包まれた何かが乗っていた。
     それを目にした瞬間の、棒か何かで胸を衝かれたような衝撃。
    (ああ――)
     予想できていても、感情を上手く処理できなかった。心臓がバクバクとうるさく、勢いよく送り出された血液が頭に上っている気がする。バランスがとれない、四肢の感覚がない、呼吸できているか定かではないし、きちんと立てているのかわからない。かろうじて動かせた目で隣を見ると、
    「……」
     春川さんが両手を合わせて、静かに瞑目していた。
     はじかれたように俺もそれに倣う。担架が目の前を運ばれていく気配がした。薄く目を開けると、近くにいた警官たちは敬礼で、建設会社の連中は重機から降りて両手を合わせているのが見えた。
    「ありがとうございます、暮れまでに息子を連れて帰ることができました。みなさんのおかげです」
     担架の後ろをついていく初老の夫婦は、そう言いながらあちこちに頭を下げていた。奥さんのほうは声を上げて泣きながら、それでも夫に支えられて懸命に両足を動かしているように見えた。
     海から吹く風は、恐ろしいほどに冷たい。俺の想像の地獄は炎が地面を舐めていたが、この地獄は、凍り付くほどに寒かった。
     気づいたときには二人の姿がにじんでいった。涙のせいだった。なんで俺が泣いているのだろう。あの夫婦も息子も見知らぬ他人だ。もちろん人が亡くなったのは悼むべきことだ。でもこんなに、子供みたいにボロボロ泣くなんてどうかしてる――。
     そうだ、どうかしている、この街が、街に降りかかった何もかもが。
    「なんでですか」
    「あ?」
     俺は春川さんを振り返らなかったが、合掌を解いて怪訝な顔をしているらしいことは察しがついた。
    「あの息子さんが、ご夫婦が、何したって言うんですか。こんな、こんな悲しい酷い死に方しなきゃいけない理由ってなんなんですか。なんで息子が死んだのにお礼を言ってんですか」
     自分でもわけがわからなかったし、何を言っているのか意味不明だった。駄々をこねている子供のようだと頭のどこかでわかっていても、俺にはどうすることもできない。理性と感情がバラバラになって、制御不能になっているみたいだった。
    「この街だってそうですよ、だって意味わからないじゃないですか、街がUFOみたいに飛ぶなんて、飛んでった街にいたほうはマシですよ、無事に降りてきたし、自分たちは選ばれたんだって、よろこんでたかもしれないじゃないすか」
     かもしれない、ではなかった。俺たち――街とともに浮上した市民の中には選民思想めいたものを口に出すやつもいた。口には出さなくても、内心では優越感と安堵で満たされていた人も少なくはないだろう。俺が打ちのめされている理由の大半は、自分がそういう醜い考えを持っていたことに対する後ろめたさと罪悪感のせいに違いない。俺たちに責任はないかもしれないが、他者に降りかかった悲劇を無視したことは罪でなくて何なのか? 実際に見ていなくても、街が浮上した後に残された鳴海区や近隣地域に何が起こるかなんて簡単に想像できたはずなのに。
     俺のしていることは自分勝手な償い、あるいは償いと思い込んでいる自己満足なのだろうか。しかし償おうとしたところで、償える罪などあるのだろうか。そこには弁済可能な損害はあっても、失われた命や時間は二度と帰らない。だとしたら俺はこの罪悪感を一生ぬぐえないまま、生きていかなければならないのだろうか。理不尽な悲劇とやらは、こんなものまでもたらすというのか。
    「なんなんですかそれ、こっちはめちゃくちゃだ、人だって死んでる、どうして、なんで」
     みっともない、情けない、これが成人した男の言ってることだとは思えないし、俺だって信じたくはなかった。風は冷たく気温は低いのに、涙も鼻水も俺の体温のままに垂れ流されている。合わせたままだった両手で顔を覆ってうずくまってしまいたかったが、できなかった。当事者であるはずの夫婦がそれでも歩いている様を見たのだ、俺が崩れ落ちるわけにはいかなかった。
     もし、もしも、この惨劇が誰かのせいなら、例えば悪いやつが何かのスイッチを押して街が飛んでいったのだとしたら、俺にもそいつのことを殴らせてほしい。一発殴るくらいじゃ気は収まらないが、そうでもしないと気持ちの持って行き場がないのだ。
    でもそんな誰かはいない。この惨劇には都合よく感情を引き受けてくれる極悪人なんているわけがない。仮にいたとして、俺の罪悪感までをそいつに背負わせるわけにはいかないだろう。俺たちはこの有様を受け入れなければならない。被害も、悲しみも、罪悪感も、すべて。
    「わかってる、わかってんですよ、でも……」
     理不尽さなんて知っていたつもりだったのに、いざ目の前に突きつけられると拒んでしまう自分しかいない。歯を食いしばりながら春川さんの言葉を思い出す。神様は誰もを等しく救ってくれるかもしれないが、同じように誰に対しても平等に惨たらしい仕打ちができるのだろう。
     春川さんは何も言わず、担架を回収して夫婦を乗せた車が走り去るのをじっと見ている。口からは何の言葉も出てこなかったが、悼む気持ちと悔しさと、無力感が眉間の皺に感じられた。
     それでもこの人の顔は、疲れ切って諦めた人間の顔ではなかった。罪悪感などはとうに振り切ったような、強さを感じる表情だった。
     希望を、持っているのだろうか――わからないが、今の俺は何でもいいから光を示してほしかった。あの震災の場で、今の俺と同じように理不尽さに打ちひしがれたはずのこの人が、まだ歩みを止めてはいない理由があるとしたら、それを教えて欲しかった。
    「馬鹿野郎、泣いてどうなるってんだよ。やるしかねえだろ、自分にできることをよ」
     そう言った人は、じっと前を見ている。前しか見ていない。もしも希望と呼べるものがあるとしたら、それは自分の前にしかないのだと強く信じて声を上げている。
     俺は何も言い返せなかった。そんなふうに強くあることはできない。少なくとも今、すぐには。
     俺たちの街は壊れてしまった。街も人も、壊れてしまった。失われた命と生活と思い出はもう二度と戻ることはないし、俺はあの頃のような能天気な自分にはもはや戻れない。
     けれどこの街を、この地獄のままにはしていられないと思ったのは事実だった。
     俺たちは瓦礫を撤去し、土地の安全を確かめ、もう一度この街を、鳴海区を、俺たちの街にしなければならないのだ。復興した街には慰霊碑ができて、それを見る度に何度も胸をかきむしられるような苦しさを味わうのだろう。
     それを元通りと言うことが正しいのか、あるべき姿なのか、俺にはわからない。何をすれば俺の罪悪感が薄れ使命感が満たされるのかわからない。わからないまま前だけを見つめて、歩まなければならない。苦痛に満ちた道程だとしても、生きている俺にはそうすることしかできない。いつかこれを希望と呼べる日が来るのだろうか。歳をとった俺は、そう振り返り得るだけの強さを得ることができるのだろうか。
    「仕事戻るぞ」
     相変わらず口数の少ない春川さんに促される。その姿は冷たいようで、しかし確かな救いでもあった。少なくともこの人はまだ歩いているのだから。
     俺はもう一度だけ、あの家族が去っていったほうに頭を下げた。
     鼻をすすれば寒さでかじかむ手の中に雪が舞い落ちる。春はまだ遠いが、雲の隙間からは薄く光が漏れていた。

    (了)

  • 花は盛りに

     学校が氷漬けになったり、よく知らない会社のよくわからない機械が暴走して街が変になった。というのが、後に「セベクスキャンダル」とか「御影町プラズマ隔離事件」と呼ばれる一連の出来事に対する綾瀬優香の認識だった。そのよくわからない事態が解決して街が元通りになったとき、綾瀬は大多数の人間と同じように当然喜んだ。これでもう心配することはなくなったし、明日からは穏やかな日常が送れるだろう。そう、手放しで喜んでいた。事件が解決して、すぐの頃は。
     さすがに最初の一週間は、後始末のようなゴタゴタで落ち着かなかった。警察とか、市や県の職員らしき作業着の大人たちが街中のいたるところで難しい顔をしているのを綾瀬も見た。
    特にセベクの建物の近くは大変な有様だったらしい。
    「すごかったぜ昨日なんてさ、セベクビルの前で近所の人たちが大声上げてたんだよ」
    「デモ隊のようになっているらしいな。まあ、得体の知れない企業だという印象が広まったんだろう。セベクは御影町からの撤退を余儀なくされるだろうな」
     事件の真っ最中にあのビルの中に突入したクラスメイトたちにとっては気がかりだったようだが、そのメンバーではなかった綾瀬にとっては今までもこれからも特に関わりのない対象なので、さして気に留めることもなかった。ただ、事件の当事者としてセベクのことを気にかけているクラスメイトの心境については、少し関心があった。
     クラスメイトの数人が最初にセベクビルに突入した最中に綾瀬が何をしていたかと言うと、こちらはこちらで友人ら何人かとともに氷漬けの校内を走り回っていた。目的は、突如として現れた塔に登って鏡のかけらを集めること……というと、なにやらロールプレイングゲームのような牧歌的な趣すらあるが、当の本人たちにとってはそんな生易しい状況ではなかった。見慣れた学び舎が変わり果てた姿になったのは、学校についてさしたる思い入れのない綾瀬であっても胸が痛んだ。悲しいと言うよりは「なんてことしてくれたんだ」という、日常を破壊されたことへの怒りの方が大きかったかもしれない。
     事件が終わった今、セベクビルを見に行ったクラスメイトがもとからそこ(ビル)に思い入れを持っていたとは考えにくいが、彼らも駆けずり回った場所については何かしら感じるものもあるのだろう、と、綾瀬は想像している。
     元通りになった校舎を、ついすみずみまで見回るように眺めながら綾瀬はそんなことを考えていた。
    「思いだしただけで芯から凍っちゃうよ」
     愚痴っぽい一言を吐き出し、カーディガンのポケットの中で使い捨てカイロを握りしめる。笑われそうで誰にも言っていないが、実はあの事件の後からカイロが手放せない。だいぶ後になって「ある意味トラウマだったのかもしれないね」と、指摘してくれたのは、この数年後にカウンセラーとなった友人の言だ。
     当たっているかもしれない、と、後の綾瀬も思う。事件の直後は解放された安堵とある種の高揚のせいで、自分たちにストレスがかかっていたことに気づけなかった。だから事件から数日、数週間が経つうちに、気がかりだったことがじわじわと綾瀬の胸の内に広がっていったように思えたのだろう。本当は事件の直後から、あるいは最中から、ずっと考えていたかもしれないのに。
     綾瀬は放課後の校舎を一人で歩いている。事件の前の彼女は、授業が終わるや否やに昇降口に向かい、友人たちと遊びに出かけたものだった。たまに補習を受ける以外で放課後の校舎に残ることなどほとんどなかった。それが今、見回りのようにしてあてどもなく歩き回っている、その理由は綾瀬にもよくわからない。
     誰かを探しているような気がしたし、その誰かには二度と会えないことを知っていながらそんな気分になっていることも理解していた。
     冬の日没は早く、校舎の中は半分が赤い夕陽に浸り、もう半分が暗い影に沈むようだった。半分燃えて、半分が燃え尽きている、そういうふうに見えなくもない。それも後から考えれば、無意識に氷から一番遠いものを思い浮かべようとしていたのかもしれない。
     氷の城、三つの塔。そこにいた少女たち。綾瀬はそれらについて考えることをしなかった。考えることを、しようとしなかった。
     しかし考えないようにしているということは、意識してしまっていることに他ならない。そう気づいたのは、御影町にこの冬初めての雪が降った日だった。

    §

     大石静は校長室の扉を開けると、手に抱えていたコートをハンガーにかけた。車を降りてから校舎に入るまでに少し雪に降られたため、コートの表面には雪が溶けた水滴がまばらに残っている。それを手のひらで軽く叩き落としながら、彼女は長い溜息を吐いた。
     校長の仕事というのは大半が対外的なものだが、学内のことを何もしないというわけではない。むしろ気にかけているからこそ、県と市の教育委員会にカウンセラーの派遣を連日掛け合っている。しかし前例主義の役人仕事と揶揄されるだけあって、彼らの態度は変わらず、本日も結果は芳しくなかった。
     聖エルミン学園の生徒たちの様子が目に見えておかしいわけではない。ただ、それは心理学の専門家ではない大石から見て、という話だ。もしかしたらカウンセラーは大石や他の教師たちも見落としているような異変に気付くかもしれないし、あるいは教師たちの中にもカウンセリングを必要とするものがいるかもしれない。校長という立場である以上、この学校に所属するすべての人たちに気を配っていなければならない。
    「あんなことがあったのだから、皆少なからず何かあるんじゃないかしら」
     傷ついていたり、悩みを抱えていたり――そう、自分のように。
     一連の事件が終了した今、大石はこれまでの比ではないプレッシャーを感じていた。毎日外出しているのも、ある意味ではそれからの逃避のように思えて気が滅入っているところだった。
     だから、校長室の扉の向こう――鱗模様の型板ガラス越しに生徒らしき人影を認めたとき、彼女は反射的に扉を開けてしまった。
    「わっ⁉」
     その人物は、さすがにノックするより先に扉が開くとは思っていなかったのだろう。驚いた声が放課後の人気のない廊下にしばし残響した。
    「綾瀬さん?」
     意外な顔に、大石も綾瀬と同じように目を丸くしてしまう。そもそも校長室にやってくる生徒というのはほとんどいない。まして大石は綾瀬優香という生徒を、好き好んでここに来るような生徒だとは認識していなかったので驚いた。
     三秒ほど何も言わずに二人は向き合っていたが、廊下に満ちていた冷たい空気が次の行動を起こさせる。
    「寒いでしょう、中にお入りなさいな」
     ガラス越しの綾瀬は、扉の前で逡巡していたように見えたので校長室か校長のどちらかに用事があるのだろう。大石の推測どおり、綾瀬は校長室の中に足を踏み入れた。
    「おじゃましまーす……」
     後ろ手に扉を閉めながら入室した綾瀬は、キョロキョロと室内を見回している。所在ないのか、好奇心ゆえか。そんな彼女を興味深く見ている自分も似たようなものかもしれない、と、大石は少し気まずい。
    「このところずっと雪だけど、今日は一段と寒いわねえ」
     誤魔化すようなことを言いつつ、電気ポットのスイッチを入れる。職員室にはコンロやらレンジのある給湯室が隣接されているが、校長室はこの電気ポットしかない。それでもこんな寒い日には、わざわざ給湯室まで足を運ばなくていいだけありがたい。
     綾瀬はあいまいにうなずくだけで返事はない。立ったままの彼女に応接用のソファを勧めると、綾瀬はややためらいながらも腰を下ろした。大した用事ではないなら立ったままでいいと言うだろうから、すんなり座ったということは、彼女の用事は何か深刻なことかもしれない。大石は少し目を細め、それでも表情は厳しくならぬよう心掛けた。
    「綾瀬さん、お茶でいいかしら?」
    「え?」
     むき出しの膝をこすっていた両手が止まる。大石は茶缶と急須を手に取っていた。
    「校長先生が? いいの……?」
     自分にお茶を淹れてくれるのか?と、表情が問い質している。
    「一人分も二人分も変わらないことよ。それとも……綾瀬さんが淹れてくれる?」
     後半は半分冗談のつもりだったが、大石の意図に反して綾瀬はすっくと立ちあがった。
    「いいよ。アヤセ、実は得意だし」
     曰く、小さいころに母親を真似て以来、なんとなく家族内での綾瀬優香の日課になっているらしい。
    「面倒は面倒だから夕ご飯のときしかしないけど」
     朝は兄貴たちと時間合わないしね、と、綾瀬は大石から渡された茶缶を開けながら語った。
     見た目で人を判断するものではないと人に言い聞かせている大石ではあったが、綾瀬の言葉はさすがに予想外のものに感じてしまった。しかし入学前、自分も同席した入試の面接時のことを思い出すと、それほど意外というものでもないと思いなおす。
     今でこそ髪を金髪にして化粧を欠かさず制服は着崩している綾瀬だが、中学の頃は真面目な生徒に思えた。髪色はやや明るかったが地毛であるという言葉を疑うほどのものでもなく、入試の成績も内申点も申し分はない。それがどうして今のこの姿になったのかは大石には知る由もないが、所謂非行に走ったわけではないらしい。高校デビューという言葉を聞くようになって久しいが、綾瀬もその類ではないかと思えば、矯正に躍起になることもない……というのが大石のスタンスだった。もっとも、何かと厳しい教頭は綾瀬を要注意の問題児と認識しているらしいし、担任の高見をはじめ各教科の担当教師は彼女の成績に頭を抱えているようだが。
    「先生、できたら綾瀬がテーブルに持ってくから、座ってて」
     綾瀬の手つきは言う通りに慣れたものだった。
     沸いた湯を湯呑に注いで適温になるまで冷まし、茶葉はしっかりと蒸らし、二つの湯呑に交互に注ぐ。丁寧さと辛抱強さが所作の隅々にあった。そういうものは、見ているだけで気持ちが晴れやかになるものだ。
    「……うん、美味しい」
     きちんと淹れられた茶は確かに美味しかった。雪の中を帰って来た後なので、程よい熱さが殊更に身に染みる。
    「よかった~」
     綾瀬も自分の茶を口に含み、満足そうにうなずいている。
     結果として綾瀬の緊張は解れたようで、大石は目を細めた。
    「お茶請けでもあればもっとよかったけど、ごめんなさいね」
     大石が言うと、綾瀬は笑って首を振る。
    「アヤセもカバン持って来ればよかった。チョコとか入ってたのに……あ、でもお茶には合わないか」
    「そうかしら、案外合うかもしれませんよ?」
     それから二人は好きな菓子について益体のない会話をしばし楽しんだ。話題は御影町の中にある老舗和菓子店のこともあれば、少し離れた珠閒瑠市や都内の新規店にまで及ぶ。気づけば湯呑は空になっていたので、二杯目は大石が淹れることにした。上等な茶葉なので、二杯目でも十分に濃い緑色だった。
     綾瀬は自分の湯呑を持って立ち上がると、大石のいるワゴン横ではなく、大きなガラス扉の書架の前に歩んだ。
    「卒アル……」
     そこには、綾瀬の言葉の通り、創立以来の卒業アルバムが収められている。
    「なにか、気になるかしら?」
     傍らまで近寄った大石は、やや硬い表情をした綾瀬から湯呑を受け取った。わずかに残った温度は、茶のそれというより、綾瀬の体温が移ったように思えた。
    「あ、いや……」
     そういうわけじゃ……と、綾瀬の言葉は否定しきれずに途切れる。大石は少し迷ったが、差し当たっては何も言わず、綾瀬の湯呑に二杯目を注ぐことにした。
    「見てはいけないものでもないから、気になるなら開けても構いませんよ」
     綾瀬の背中にそう声をかけながら。
    扉のガラス部分に指先だけで触れている綾瀬の顔は、冷たい氷に反射しているようにも見えた。あの日凍り付いた学び舎のことを思い出して、身震いしそうになる。
    「校長先生……聖子ちゃんカット流行ったのって、いつごろ?」
    「え?」
     大石は面食らった。聖子ちゃんカット?と、復唱しそうになるが、もちろん未知の言葉というわけではない。それが『かつて一世を風靡したアイドルを真似た髪型』だということは知識として有している。
     しかしなぜその単語が今、綾瀬優香の口から出てくるのか、それはわからなかった。
     わからなかったが、聞かれたことには答えてしまうのが教師としての性分でもある。
    「ええと、そうね……私もあまり詳しくはないんだけど、十年……もっと前かしら、でも二十年も前ではないと思うわ」
     それがどうしたのかと聞くより先に綾瀬の手が動いた。
    「ありがと! じゃあ、このへんかなっ!」
     重い扉を開くと、綾瀬の手は迷うことなく数冊の卒業アルバムを棚から引き抜いた。大石が言葉にした、今から十年ないし二十年前の範囲に該当する年代の卒業アルバムだった。
    「綾瀬さん……?」
     何が彼女を駆り立てているのか、大石には到底わからなかった。聖子ちゃんカットをした生徒の写真が見たいのだろうか? 何のために?
     大石の疑問には答えず、綾瀬は卒業アルバムをテーブルまで運び、ソファに腰を据えて上から――新しい方から順に捲り始めた。昭和の頃のアルバムを見る彼女は真剣な顔をしている。それは興味本位などでは決してない。まるで警察が捜査のために古い資料にあたっているような顔だった。
     大石は、綾瀬を邪魔すまいとした。二杯目の湯呑は静かに、綾瀬の手元から少し離れたところに置くに留める。
     綾瀬が注視しているのはクラスごとに卒業生それぞれの顔写真が載ったページだった。一人一人の顔を指先でなぞるように確認しては次のページ、次のアルバムに移っていく。大石もなんとなくその作業を観察していたが、最初の四冊には該当する髪型をした生徒はおらず、五冊目でようやくちらほらと見かけるようになった。それでも綾瀬の作業は止まらない。となれば、『その髪型をした女生徒』を探しているのではなく、『その髪型をした特定の誰か』を探しているのではないか。大石にもようやく綾瀬の目的が見えてきたが、目的の動機は相変わらずわからずじまいだ。
     綾瀬の手が止まったのは数えて七冊目だった。仮に綾瀬の手が止まらなかったとしても、大石も「あっ」と声を上げたに違いない。
     その年に卒業した三年三組の集合写真の右上には、楕円形の写真がはめ込まれている。集合写真撮影の当日不在だった者への対処として知られているものだ。不在の理由は様々だ。急病で欠席していた場合や、ごくまれには、その時点で亡くなっていた場合。
     その場所を人差し指でなぞりながら、綾瀬はぽつりと、
    「ほんとに……死んじゃってんだ……」
     そう言うと、静かに項垂れて背中を丸めた。どうやらその人物は集合写真の撮影時点で故人だったようだ。そして、綾瀬優香はそれを予想していたらしい。
     大石はそっと、綾瀬の手元を覗き込む。写真の少女は大きな目が愛らしい。見覚えなどはもちろんなかった。なにせ今から十六年前の卒業アルバムなので、聖エルミン学園に赴任すらしていない大石が知るはずもない。
    「そうだよね、言ってたもんね、百合子、生きてるうちに友達になりたかったって」
     だから、綾瀬が彼女のことを知っている様子なのがわからない。わからないが、それを問えるような状況ではなかった。
    「でももしかしたら、って思ったのに……なんで死んじゃってんだよ……ばかぁ……」
     綾瀬の声は震えていた。顔を覆ってしまった綾瀬に、大石はかける言葉もなかった。

    §

    「校長先生、ごめんね……せっかく淹れてもらったのに……」
     大石がもう一度淹れなおした茶を口元に運ぶ綾瀬は気まずそうに頭を下げた。
    「いいのよ」
     今の綾瀬に冷えた茶を飲ませることは是認しがたいことだった。冷たさは悲しみを増幅させ、対照的に温かさは悲しみを少なからず癒すものだ。
     もう一度温い湯で淹れられた茶を啜りながら、綾瀬はその少女のことをぽつりぽつりと語り始めた。氷漬けになった学校の、塔の一つにいた山本百合子という名の少女。高校生だった当時を己の人生の絶頂期であると妄信し、その後は落ちるだけだと悲観して現実から目を背けた少女。おそらくは綾瀬優香とそう変わらない年齢の、あまりにも無垢で愚かな少女。彼女の名前を、綾瀬は何度も口にした。
    「わかんなかった。なんで百合子がそんなに簡単に死んじゃったのか、ずっと」
     聖エルミン学園の制服を着ていた彼女のことを、綾瀬はずっと気にかけていたのだと言う。それで、これまでの卒業アルバムが保管されている校長室まで足を運んだらしい。しかし確認できたのは「確かに山本百合子という生徒が在籍していた」という事実だけで、彼女の人となりなどはまったくつかめなかった。当時を知る教職員もすでに退職しているが、仮に話が聞けたところで山本百合子の悲観的な内心までは聞けないだろう。
     知る手段を失った綾瀬は、けれど諦めはしなかった。彼女なりに思うところや推察できることがあるらしい。
    「でも、そうしようと思ってたわけじゃないのかもしれない。なんていうのかな、魔が差したとか? 一瞬そう思っちゃったのを咄嗟にやっちゃったっていうか……上手く言えないけど……」
     身振りを交える綾瀬に大石は力強くうなずく。
    「ええ、わかりますよ」
     説明に難儀している綾瀬の言わんとするところは大石にも伝わった。その場だけの衝動的な行動で取り返しのつかない事態になる……思春期には起こりがちなことだ。山本百合子がどのようにして命を絶ったのかはこの場の誰にもわからないことだが、そうなる前に彼女が誰にもすがれなかったことだけは、おそらく間違いないのだろう。
    「……百合子が言ってたの、今でも覚えてる。生きてるうちにアヤセと友達になりたかったって」
     大石は息を呑んだ。なんと残酷な一言だろうか、それはまるで――
    「もしもアヤセが百合子と友達になれてたら、百合子は死ななかったのかな」
     呪いのような言葉ではないか。
     あなたには何の責任もないし、それは不要な罪悪感だ、綾瀬がそうまで背負い込む謂れはない。そう言って、彼女の心を軽くしなければならないと、大石はその意気込みで口を開きかけたが、
    「――って言ったって無理なもんは無理だよね!」
     綾瀬はあっけらかんとした口調でソファの背もたれに勢いよく体を預ける。声音も表情も態度も、強がっているようには見えなかった。むしろ呆れていると言っても過言ではない。唖然としている大石をよそに、綾瀬は湯呑を口に運びながら「あっ」と声を上げる。
    「あれ? っていうかもしかして、アヤセ、百合子が死んじゃった年に生まれた?」
     卒業アルバムからは山本百合子の正確な没年はわからないが、十六年以上前に亡くなっていることは間違いないだろう。綾瀬は指折り数えていたのを止めて、顔をしかめている。
    「えー、気が合いそうとか言われたけど、まさかアヤセ、百合子の生まれ変わりとか?」
     突拍子もない言葉に、大石は言葉もない。思考がくるくると目まぐるしく展開していくさまは、ついていくのがやっとどころの話ではなかった。
    「アヤセ、百合子の分まで生きるとか、そういうのヤダよ」
     そう言って唇を尖らせる綾瀬の顔は本当に、心の底から嫌がっているような表情だった。
     大石は、胸を打たれたような思いだった。もし綾瀬が今の言葉を言わなかったら大石は、亡くなった人を思い、その人の分まで幸福になろう――そんな言葉で慰めようとしたかもしれない。けれどその言葉が本当に残された側のためになるのだろうか? いや、百合子が零したささやかな願いを呪いだと断じるならば、『その人の分まで』と言う言葉もまた、呪いなのではないか。
     大石は言葉にしなかったが、綾瀬は言われる前にそれを拒んだ。きっと彼女は、自分と百合子はまったくの他人だという事実をこの上なく肯定的に考えている。
     大石は両手で湯呑を包み、静かに語った。
    「そうね……百合子さんが投げ出してしまったものは、たとえ綾瀬さんが望んだとしても、受け止めることはできないと思うわ」
     人は自身の人生しか生きることはできない。『誰かの分まで』という考えを受け入れがたいと感じている綾瀬は、それに自覚的なのだろう。けれど綾瀬は百合子を拒絶しているわけではない。
    「綾瀬さんは、彼女のことを考えてくれた、彼女の悲しみを理解しようとした」
     そういう相手に最後に巡り合えたことが、山本百合子にとって救いになったかもしれないし、そうではないかもしれない。それは本人しかわからないことだし、真実救いになったかどうかは、綾瀬には関わりのないことだ。
     だって、『相手が救われなければ、行動も気持ちも意味がなくなる』なんて、あまりにも悲しいことだから。
    「たとえ百合子さんには二度と言葉が届かなくても、綾瀬さんの心にその気持ちがあるということが、何よりも大事で、素晴らしいことだと思うわ」
     言っていることはきれいごとで理想論にすぎないのは理解している。口にしながら言葉とは裏腹なことを考えているのも、大石はわかっている。
     これは所詮、むなしい想像に過ぎないのかもしれないが、もしも綾瀬と百合子が同じ時を生きていたのなら、悲劇は起こらなかったかもしれない。大石は、学舎の中で笑いあう二人を思わず幻視したような気がした。大人として、教育者として、一人の人間として、その美しい光景をこの目で見てみたかった。この愚かしい願望が叶わないことが何よりも惜しいと思えた。
     綾瀬は大石の言葉に耳を傾けているようだった。神妙な顔は、大人の詭弁を見抜いているようにも感じられる。その目から逃れたいとは思わなかった。こんな目ができるほどに綾瀬が成長したと思えば、喜びこそすれ厭うわけはない。
     綾瀬はふっと表情を緩め、「ありがと、校長先生」と、目を伏せた。
    「でも考えちゃうよね、ほんとにアヤセと百合子が友達だったら、って。百合子が全部投げ出す前だったら、アヤセにもなんかできたかもしれないのに。死にたいなんて言ったら、アヤセが遊びに誘うのに。カラオケ行ってプリ撮って、そんでかっこいー男友達呼んで美味しいものいっぱいおごってもらって、それから……」
     綾瀬は湯呑を呷って空にする。
    「とにかく、死にたいなんて言う暇なくすくらい一緒にいて、世の中楽しいことがいっぱいなんだぞって怒ったのに」
     ゆっくりと瞬きをしたあとの綾瀬の睫毛が輝いていた。
    「バカだよ、百合子」
     泣き笑いのように顔を歪めて、もうどこにもいない少女を詰る。
    「アヤセ、おばーちゃんになっても金髪やるのに、百合子だって聖子ちゃんカットのおばーちゃんになればよかったんだよ」
     それで二人で買い物行ったりしたかった。綾瀬はさみしそうに笑う。
     綾瀬は確かに傷ついている。孤独な苦しみを抱えていた少女に共感し、その悲しみを分かち合っているのかもしれない。大石は痛ましささえ感じそうだったが、果たして綾瀬は、大人の想像するよりもずっと、強く前向きだった。
    「でもね先生……百合子、最後に『ありがとう』って言って消えたの。だから……アヤセたちがあの塔で百合子に会えたのは、そんなに悪いことじゃなかったのかな? それに、アヤセと百合子の歳が離れてなきゃああやって会えなかったわけだから、これって結果オーライ?」
    「――」
     大石には言葉がなかった。
     ああ、なんと頼もしいことだろうか。彼女は友を想い、一人思案し、自分なりの結論を見出したのだ。生徒たちが学業やスポーツで好成績を収める場面ももちろんよろこばしいが、精神的な成長の瞬間に立ち会うよろこびは何にも勝る。
    「だからね先生、アヤセ、百合子に会えてよかったって、今、思えたよ」
     憑き物が落ちたような、明るい表情だった。この先、綾瀬は時折百合子のことを思い出しては心を痛めるのかもしれない。しかし痛みを伴うほどに想える誰かが心にあるというのは、幸いなことに違いない。 
     綾瀬は湯呑を空にすると、「ごちそうさまでした」と頭を下げ、ソファから立ち上がった。
    「なんか校長先生に話聞いてもらって、頭がすっきりしたかも」
     校長室の扉の前で「ありがとう」と言う綾瀬に、大石は「私も」と微笑み返す。
    「このところ少し気分がふさぎ込んでいたけれど、綾瀬さんとお話できて気分転換になりました」
     担任でもなければ教科担当でもない大石は、生徒と接することが極めて少ない。あのとき扉の向こうに佇む人影を招き入れたのは、大石の本能が生徒との関わりを求めていたのだろうか。そうかもしれない。事実として、綾瀬との時間は充実したものだったのだから。
    「ほんと? じゃあまた来てもいい?」
     綾瀬は自分の訪問が拒まれてはいなかったと知って、少しうれしそうな顔をした。
    「ええ、もちろん」
     留守にすることが多いが、もし時間が合えばいつでも。聞いた綾瀬は歯を見せて笑う。
    「わかった! 今度はアヤセおすすめのお菓子、持ってくるからね!」
    「ふふ、楽しみにしていますね」
     綾瀬は片手を振りながら、晴れやかな顔で扉を閉めた。夕刻の廊下はさらに冷たさが増したようで、「さむい~~!」と叫ぶような声と、小走りになる足音が聞こえた。それも徐々に遠ざかり、校長室にはゆるやかな沈黙が訪れる。
     大石は卒業アルバムを書架へと戻す。仕舞いながら、この一冊一冊に掲載されているあまたの生徒たちのことを想う。そして彼女の意識は、この先この学び舎を巣立っていく生徒たちへと移った。
     どうか皆、優しく健やかでありますように。
     望むことはそれだけだ。秀でていなくても、時に間違っても、思いやりのこころを忘れずにいてほしい。そして他者に優しさを向けることは、自分が苛まれていては不可能なことだ。だからまずは誰よりも、自分を大切にしてほしい。人を愛するのと同じように、自分自身も愛してほしい――大石は書架の扉を閉じると、無意識に両手を組んでいた。
     祈りは儚く消えた少女のために、そして彼女を思って泣いた優しい少女のために。

  • 1052167

     休日の早朝は電車もさほど混んでいなかったので、桐島英理子は小さく安堵の息を漏らした。
     がらんと空いたロングシートにやや浅めに腰掛け、夏服のスカートのひだを気にするように指で触れている姿はどこか神経質そうにも見える。日曜日にまで制服を着て彼女が向かう先は、自宅から少し離れた市の予備校だった。英理子が通っている聖エルミン学園はいわゆる「自由な校風」で、進学実績を積むために躍起になっているわけでもなく、それゆえ、休日に開催される模試もない。それが好ましいと感じる生徒もいれば、物足りないと思う生徒もいる。英理子は後者だったが、それほど勉強熱心というわけでもない。ただ自分の実力を客観的に知りたいだけであっても、校外まで足を運ぶ必要があった。まだ大学受験など先も先の高校一年生が、わざわざ休日に制服を着て模試を受けに行くのは酔狂なのだろうか。そんなことはない、と、英理子は信じたかった。
    ――優等生ぶっちゃってさ
     しかし誰かの目に留まって何か言われるのが嫌だから、自分を知っている人に会わなくて済むように……との一念で早朝の電車を選んだのは事実だった。
     早朝の快速に揺られること40分。目的地の夢崎駅に到着したころには、車内に空席はほとんどなかった。英理子を含めた乗客のほとんどが降車し、入れ替わるように大勢の旅客が乗り込んでいく。スーツケースを抱えた姿が多いのは、次の新夢崎から新幹線を利用する旅行客が多いためだろうか。英理子は周りを気にしながら、改札口を抜けた。
     早朝はまだ気温も上がっておらず、駅前もまだ閑散としていた。開店しているのはコンビニエンスストアと駅構内の売店くらいで、駅ビルの入り口も開店前で閉鎖されている。この中には大型書店がテナントとして入っていることは英理子も知っているし、模試をわざわざこんなところまで受けに来た理由の一つでもあった。
     自分へのごほうびも兼ねて、模試が済んだら書店に立ち寄ろう。住んでいる町の書店や学校の図書館では扱っていない本もあるかもしれない。
     外壁面のフロアガイドに素早く視線を走らせ、口元が緩みそうになるのを引き締める。まだ見ぬ出会いを楽しみに思い描きながら、英理子は予備校のある方角へと足を向けた。

    §

     模試の全科目が終了したのは、夕方4時を少し過ぎたころだった。周りは友人同士で受験に来ている生徒ばかりで、談笑の声が緩慢に響いている。結果は各自の自宅に郵送します、という試験監督の説明を聞き終わると、英理子は足早に教室を後にした。
     予備校の立地は、駅を挟んで繁華街の反対側になる。駅の裏側――青葉口の方は、夢崎区に隣接する青葉区との境界にほど近い。青葉区はオフィスや官公庁が多いので、自然と青葉口の方は休日の人出が落ち着いている。とはいえ夢崎駅の中に一歩入れば、そこは駅の表も裏もない。駅を利用する人、駅ビルに出入りする人、駅を通り抜けるだけの人、人、人、人。朝の落ち着きは影も形もない。
     英理子は形のいい眉を少し顰める。人混みが苦手だからだ。きっと時間が遅くなれば帰路の電車も混むだろう。迷ったが、英理子は早々に帰宅することにした。大型書店の誘惑に後ろ髪を引かれる思いも当然あったが、模試の直後で思っていたよりも疲労を感じていたので無理をする気にはなれなかった。
    (書店には、また来れますわ)
     英理子は肩の力を抜き、時刻表を確認する。10分後の快速を逃すと、次はさらに15分後の各停のようだったので、できれば快速に乗りたかった。急いで切符の券売機に向かおうとしたのだが、そういうときに限って邪魔が入るものでもある。
    「ねえねえ、そこのエルミンの子!」
     思わず振り返ってしまった。聖エルミン学園のある御影町と珠閒瑠市は相当離れているので、今ここに自分以外のエルミン生がいる可能性は低い。よって、呼ばれたのは自分しかいない。英理子は振り向きながら嫌な予感を否定できなかった。
     視線の先には、髪を茶色に染めた男子高校生二人が笑っていた。お世辞にも好感を持てる様相ではなかったので、英理子は素直に振り返ってしまったのを悔やんだ。もちろん、後悔しても遅い。
    「俺たちさっき同じ教室で模試受けてたんだけど、覚えてる?」
    「いや~今回の難しかったよね、特に数学がさあ」
     二人はごく自然に、英理子との距離を詰めてくる。
     振り返った瞬間にある程度は予想していたので、ナンパだというのはすぐにわかった。
     別に誇るわけでも自慢でもないが、英理子には度々降りかかることだった。そのたびに体よく断ってもいたので、今回も上手く断れるだろう。英理子はまず、笑顔を作った。
    「ごめんなさい、覚えていませんわ。数学もそんなに難しくはなかったですし……」
     それより私急いでますから。そう締めくくって歩き去るだけ。人を寄せ付けないための『作った笑顔』にはそれだけの効果があった。これまでは。
    「え、マジ? 君って成績優秀なんだね」
    「俺ら数学苦手でさあ、よかったら教えてよ?」
    「――え」
     英理子はたじろいで、咄嗟に言葉が出てこなかった。これまでの対処が通用しなかったことに狼狽えたのが理由の一つで、もう一つは、男子生徒の手が自分の手を無遠慮につかんでいたから。
     嫌悪なのか、恐怖なのか、あるいは両方のためか。英理子は体も思考も硬直してしまう。
    「そこのピーダイでいい? ああ、安心してよ、俺らのオゴリだからさ」
     思っていたよりも強く、腕を引っ張られる。
    「あの、困ります、私帰らないと」
     離してほしい。やめてほしい。私は嫌がっている。どうしてわかってくれないの。
     相手には英理子の拒絶など伝わるはずもなかった。確かに嫌がっているはずなのに、英理子の表情は笑顔のままだったのだから。英理子自身、自分が笑っている理由がよくわからない。ただ表情が引きつって固まってしまっただけだと信じたかった。
    「何言ってんの、まだ5時にもなってないよ?」
    「でも……」
     英理子は何も言えなかった。どう言えばいいのか、どうすれば伝わるのか、何も考えられなかった。顔も口もひきつったまま何もできない。かろうじて両足だけがその場に縫い付けられたように硬直していたので、なんとか無理矢理に連れていかれる事態にはならなかった。
     だがそれも時間の問題だろう。周りにはこれだけ人がいるのに、誰も英理子たちを気に留めていない。視線はちらほら感じられたが、面白がっているだけのようだった。自分よりもはるかに力強い腕に引っ張られながら、英理子の頭が真っ白になっていく。
    (いや、こわい、だれか――)

    「やめなよ」

     ハリのある声が、一瞬だけその場から他の音を追い出したようだった。もちろん実際にはその声を聞いたのはごくわずかだったし、振り返ったのは英理子と二人の男子生徒だけだ。
     声を上げた少女に、英理子は見覚えがなかった。明るい金髪を高い位置で結び、目元口元は派手なメイクで彩られている。服装は季節を考えても露出が高いと思えたし、何より面倒くさそうな気だるげな顔で、どう考えても人助けのようなその行動は英理子にはちぐはぐなものに感じられた。
     高すぎるヒールの音が近づいてくる。少女は唖然としたままの英理子たちの間に割って入――るでもなく、丁度四人で小さな四角形を作るような位置で立ち止まり、腕組みをすると、
    「その子の代わりに言ってあげるけどさ、美人はブ男なんて相手しないんだよ」
     などと言い放つ。
     さすがに英理子も男子生徒たちも開いた口が塞がらない。さすがに男子生徒二人は自分たちが侮辱されたことは理解して金髪の少女に食って掛かるのだが、当の本人は全くひるむ様子もない。怒鳴るような罵声は自分に向けられているわけではない、と、理解しているが、それでも英理子は生きた心地がしなかった。美人はブ男なんて相手にしない――自分はそんなことは考えていないし、彼らが特別容姿に劣っているとも感じない……そう伝えたほうが彼らの怒りも収まるのではと考えつつも、英理子の口は半端に開いたまま動かなかった。事態は英理子の思いもよらぬ方向に進んでいき、ついには悪い意味でのトドメが放たれてしまった。
    「ていうか、そもそもアンタたちそのナリで本気でこの子と釣り合うと思ってんの? 鏡見て来いよ」
     どうして彼女はこんなことを言うのだろう。彼らだってここまで言われては黙って引き下がるとは思えないのに――と、英理子はどこか遠くから眺めているような心境に至っていた。もはや事態は自分の手に負えないと諦めての現実逃避だったのかもしれない。男子生徒二人は「このクソ女」とか、「ブスはてめえだろうが」とか、おおよそ聞くに堪えない罵詈雑言を大声で喚き散らしている。しかし半分気が遠くなっている英理子の耳にはほとんど入っていなかった。
    「おい、何やってる」
     緊張を含んだ男性の声が聞こえた。不幸中の幸いとも言うべきか、これだけ大声で騒いでいれば当然だろうが、警邏中の警察官に目を付けられてしまったらしい。
    「げ、やべ……」
    「なんもないっす! 俺ら帰るんでー!」
    「あ、おい!」
     蜘蛛の子を散らすように、という言葉がこれ以上ないほど似合う逃げ足だった。警察官は追いかけようか迷ったものの、英理子ら少女二人のほうに向きなおる。何をされていたのか、怪我などはないか、顔見知りか、聞かれたことについては金髪の少女がそつなく答えるので、英理子はただその場に立っているだけ。ようやく人心地がついたのは問題なしと判断した警官が立ち去ってからだった。
    「あの、ありがとう……ございました」
     混乱は残っていたが、助けられたのは事実なので英理子は少女に頭を下げた。再び顔を上げた時、彼女は居心地の悪そうな顔で髪をかき上げていた。
    「いーよ別に。見ててムカついただけだから」
    「……」
     照れ隠しなのだろうか。そう思った英理子の顔に浮かびかけた笑みは、霧散した。
    「言っとくけどさ、アヤセがムカついたのあいつらだけじゃなくて、アンタにもだから」
    「――え?」
     ひきつった顔の英理子に、「アヤセ」と自称する少女はたたみかける。
    「嫌だったんでしょ? なのになんでヘラヘラしてんの? それが意味わかんないからムカついたって言ってんの」
     英理子は言い返せない。彼女の言う通りだったからだ。何も言えない英理子にいら立ちを募らせたらしく、彼女は聞こえよがしのため息を吐く。
    「そんなにいい顔してたいワケ?」
     少女の顔が軽蔑しているように見えた。少なくとも英理子には、そう感じられるものだった。
     男子生徒に手を掴まれた瞬間にも、彼らが激高して怒鳴っていたときにも、これほどまでに血の気が引いたとは感じなかった。
     ”そんなにいい顔してたいワケ?”
     その一言は、的確に自分の醜さを指摘している。羞恥心が一瞬で全身を駆け巡ったようだった。想像の中でそれは、血液を凍らせているように思えたし、燃やしているようにも感じられた。あたりの人だかりは英理子を意識していないのに、時折聞こえる笑い声はすべて自分に向けられているような被害妄想に襲われた。
    「図星かよ……まーいいや。じゃね」
     何も言えずに硬直している英理子に、さすがに少女も一抹の気まずさを感じたのだろうか。それ以上の追求は断念して踵を返す。
    「――ちょっと待って」
     その背中に英理子は呼びかけた。口に出した後、振り返った明るい金髪を見ながら、英理子は自分の口が動いたのが意外で仕方なかった。
    「あなたのおかげで助かりました。それは感謝していますわ。だけど私、自分が嫌な思いをしたからって、相手に不快な思いをさせることが正しいとは思いません」
     自分でも信じられないほど、口がすらすらと言葉を紡ぐ。
     そうだ。自分の優柔不断さを見て苛立つのは理解できる。でもそれが自分を傷つけるような物言いをしていいことの理由にはならないのでは? 嫌がる相手をナンパする男子生徒たちに非があったとしても、必要以上に彼らを不快にさせるようなことを言っていいわけがないのと同じように。
     英理子は自分の言い分は、間違っていないと信じている。お前は誰にでもいい顔をしている、八方美人だ。そう言われたとしても、仮に自分の在り方が正しくないとしても、必要以上に苛烈に指摘されることについて反論することは許されると思っている。
     少女は英理子の言葉を、自分への非難と受け止めたらしい。気だるそうだった顔は、眉が顰められた不機嫌そうなものに変わっていく。
    「え? なに? アヤセが悪いっての? は? つーかそんだけ言えるんなら自分で断れよ――あ! もしかしてナンパ断るつもりなかった? いやよいやよも、ってやつゥ? ウッソ~ごめんねぇ~? あんなブサイクが好みだったんだぁ?」
     後半は揶揄する口ぶりだった。さきほどと同じような軽蔑を感じさせる視線が、英理子の反感を煽っていく。
    「違います! そういうことを言ってるんじゃなくて……」
    『まもなく二番線に電車がまいります。黄色い線の内側に――』
     言いかけた英理子にかぶさるように、高架のホームからアナウンスが聞こえてくる。乗るはずだった快速の到着を知らせるものだった。まだ切符も買っていないので、仮に走っても到底間に合うはずはなかった。
    「電車……」
     改札の向こうを見上げながらつぶやく英理子を見て、”アヤセ”はバツの悪そうな顔をした。
    「……いや、それアヤセのせいじゃないっしょ」
     変に言い返したりしなければ間に合ったかもしれない。それは英理子も重々承知していた。
    「そんなこと一言も言ってません!」
    「だからなんでアヤセにキレてんだよ……」
     さすがに八つ当たりだったという自覚はあったので、英理子はそれきり口をつぐんだ。”アヤセ”もこれ以上は付き合う気をなくしたのだろう、小さく「相手してらんない」とつぶやくと、繁華街の方へと歩き去っていった。まだ強い夏の日差しに、金髪がまぶしく輝いていた。

    §

    「桐島さん、これ、面白かったわ」
     翌日。英理子が昼休みの教室で昼食を済ませると、クラスメイトの一人が声をかけてくる。彼女が差し出す文庫本は確かに、二週間ほど前に英理子が貸したものだった。趣味や好みが合う相手だと感じていたので、自分が勧めた本を楽しんでもらえたとわかると純粋にうれしかった。
     それから二人で本の内容について語っていると、廊下のほうが少し騒がしくなる。クラスメイトと同じようにそちらを見ると、他クラスの女子集団が騒ぎながら移動しているのが見えた。全員短くしたスカートにルーズソックスを穿いている。そんな派手な一行の中に、ひときわ明るい髪を認めて英理子は口を押えた。思わず「あっ」と声が漏れそうになったのを堪えて。
     それをどういう意味だと受け止めたのか、クラスメイトが声を潜める。
    「うるさい人たちよね。それにあの恰好、品位がないわ」
     それは英理子も予想しない言葉だった。眉をひそめる友人が彼女たちをよく思っていないどころか、嫌悪すらしていることは容易に理解できる。TPOをわきまえず騒ぐようなタイプは英理子も苦手なので、友人の気持ちもまったく共感が難しいわけではない。
     けれど、英理子の胸にあったのは理由もわからない僅かな反感だった。
    「金髪の子がいたでしょう?」
     桐島さんは知らないと思うけど、と、言いながら向けられた視線に、英理子はぎくりとした。
    「綾瀬さんって言うんだけど、あの子とは同じ中学でね……」
     それからつらつらと彼女は身の上話のような愚痴を、英理子が聞いてもいないのに語って聞かせた。話に大した中身はなく、単純な相性の悪さを表立って語ることについて無理矢理正当性を持たせているようないびつさが感じられた。
    「それにね、彼女、援助交際してるって噂もあるわ。きっと一緒にいる人たちも同じよ。どうしてあんな人たちがこの学園にいるのかしらね」
    「……」
     英理子は、笑っていた。顔には笑顔を浮かべていたが、心の中では友人だと思っていたクラスメイトに大きく失望していた。
     真実かどうかわからない他人の噂を吹聴する行為は褒められたものではない。加えて今の語り口には、まるで自分は綾瀬たちよりも優れているような傲慢さがあったし、聖エルミン学園にはふさわしくないのだという、不遜な意識が見て取れた。そういう口ぶりは英理子だって不快な気分になったし、誰にとっても気持ちのいいものではないと信じたい。八方美人と言われる自分だって人間として立派なものではないと思うけれど、他人の噂を面白がって笑うことはしたくなかった。
     しかし、クラスメイトの思い上がった意識を糾そうともせず、笑顔を浮かべるだけで何もしない自分も同じようなものかもしれない――そう考えると、気持ちは暗く沈みそうになる。
    ――優等生ぶっちゃってさ
     そう言われたのは中学のころだった。あまり思いだしたくない記憶に限って、ここぞというときによみがえってくる。
    ――そんなにいい顔してたいワケ?
     昨日の、綾瀬の言葉と視線がありありと思いだされた。
     英理子だって、不必要に愛想よくしようと心がけているわけではない。単に、笑って流せる場面ならそれで済ませるほうが波風を立てずにすむからそうしているだけ。
     だから英理子にとって、綾瀬のように歯に衣着せぬ物言いをする人物は理解が難しかった。自分の意見を通すことの重要さはわかる。しかし、ああも人の神経を逆なでするような言い方をする必要はあるのか? それによって人から嫌われたらどうしよう、なんて不安を持つことはないのか?
    (……嫌われてもいいと思っているのかしら)
     綾瀬の言葉は、英理子にとってはかなりキツイ物言いだった。だとすると、綾瀬にとって英理子は、嫌われようがなんだろうが、どうでもいい相手ということになるのでは?
     英理子は、なんとなく暗澹たる気分になって、それ以上考えることを放棄した。大体、考えたところで答えなどは出るはずもない。
     午後の授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。古典の授業にはあまり集中できなかった。

    §

     英理子はその日の放課後、図書室で本を借り、ついでにその日の宿題も済ませた。これで帰宅後はたっぷり読書ができる――自然と軽くなる足取りで昇降口に向かう途中だった。
    「えー? なんでぇ?」
     不可解と不機嫌が混じったような声がしたのでそちらを向くと、自動販売機と格闘している女子生徒がいた。
     綾瀬だった。
     格闘と言ってももちろん取っ組み合いをしているわけではなく、しゃがんだり立ち上がったりを繰り返しているだけ。その合間に硬貨が落ちるような音がするので、自販機が投入された硬貨を受け付けないようだ。英理子も何度か経験したことがある。たいていは別の硬貨に変えればすんなりと飲み込まれていくのだが、綾瀬はそれをしない。両手が空の彼女の姿から察するに、必要な枚数だけをひっつかんできたのだろう。
    「……」
     英理子が迷ったのは、一瞬だけだった。鞄の中の財布から100円玉を取り出すと、綾瀬の後ろから白い手を伸ばす。
    「うわびっくりした――え? なんで?」
     不意に現れた他人の腕に、綾瀬が驚いているのは敢えて無視した。
     英理子が投入した100円玉は無事に自販機の中に落ちた。飲料のボタンは点灯し、押されるのを待っている。
     だが、ボタンを押すものはいない。英理子は綾瀬がそうするのを待っているし、綾瀬は綾瀬で、英理子に訝し気な視線を向けていた。
    「え、何? 割り込み?」
     どうやら綾瀬の中では、英理子が自分自身の飲み物を買うつもりで割り込んだことになっているらしい。
    「そんなことしませんわ。あなたの100円玉、自販機に通らないようでしたから」
     英理子は、言葉に「心外だ」という意志を込めたつもりだった。が――
    「……マジ?」
     綾瀬の声に、英理子はこの日初めて、彼女の顔を見つめた。丸く見開かれた目が、まっすぐに英理子を見ていた。
    「……どうぞ」
     そこには悪意も敵意もなく、英理子は気圧されたように促すしかできなかった。綾瀬の指が、炭酸飲料のボタンを押す。その爪は淡いピンクに塗られていた。
    「アヤセ知らなかったけどさ、自販機に通らない100円玉ってあんの? あ、あるから今買えなかったんか。まーいいや、はい」
     はい、と綾瀬が差し出したのは、自販機に通らなかった100円玉だった。英理子が投入したものと交換、ということだろう。受け取るだけの道理は、確かにある。しかし受け取る気は毛頭ない。
    「……結構です。これは、昨日のお礼ですから」
     そう言えば綾瀬は意固地になって押し付けてくるかもしれない、と、構えていたが、予想に反して綾瀬は素直に英理子の申し出を受け入れた。
    「そお? 別にお礼されるようなことしてないけどね、まあありがたくもらっとくわ」
    「――……」
     実にさっぱりとした態度だったので、英理子は自分が意地を張っているのが馬鹿馬鹿しくなったし、子供っぽいような気がして恥ずかしくもなる。
     脱力して肩を落としながら、英理子は綾瀬の態度が少し羨ましかった。
    昨日の確執なんてすっぱり忘れたような綾瀬の態度は、さっぱりして気持ちがいい。きっと綾瀬は自分の言動が他人にどう映るのか考えていないのだろう。人に嫌われることなんて全く考慮していないから、ある意味傍若無人にふるまえるのだ。その姿が眩しかった。
     紙カップにジュースが注がれると、綾瀬は満足そうな顔でそれを取り出し、英理子に尋ねる。
    「桐島、今帰りなの?」
     また、驚いた。英理子は昨日、綾瀬に名乗ってなどいない。だから名前を知られていたのは予想外もいいところだった。
    「え、ええ、そうですけど」
    「遅くない? HR終わってからなんかしてたの?」
     どうしてそんなことが気になるのか見当もつかないが、英理子はただ話の流れるままに答えた。図書館で本を借りて宿題をしていたと聞いた綾瀬は「へー」だか「ふーん」だか、判然としない相槌を返す。結局興味があるのかないのかわからない。社交辞令か何かだろうか。英理子は今、自分がどんな顔をしているのか不安だった。
     綾瀬はと言えば、良くも悪くも意に介さないような顔で話を続ける。
    「綾瀬は今補修の真っ最中だよ~チョベリバ~」
    「チョ……?」
     超・ベリー・バッド。要するに最低最悪の気分だという意味らしい。それを英理子が知るのは少し先になるが、現時点では不可解な単語に眉を寄せたままの英理子を、綾瀬は放ったままだった。
    「はー、このままバックレて帰りたいけどダメかな?」
     綾瀬は紙カップに注がれたジュースを飲みつつ、何故か英理子に意見を求めてくるが、答えは決まっている。
    「むしろ、いい理由がないと思いますけど……」
    「まあ桐島ならそう言うよね」
     カップの中身を飲み干す綾瀬は軽く笑っていた。それは英理子を「優等生ちゃん」と冷やかしているわけではなさそうだった。根拠はないが、自分の予想が当たっていたことについての単純な嬉しさのように思えた。
     幼い子供のような、他意のない笑み。昨日の出来事など忘れてしまったかのようなあっけらかんとした態度だった。どうしてそんな風に振舞えるのか、聞いてみたくもあったけれど、結局英理子は何も言えなかった。
     綾瀬も英理子の言葉を殊更に求めようとはしなかった。蝉も鳴かない晩夏の夕日が、昨日のように綾瀬の髪を照らしている。綾瀬のまっさらな額あたりを見つめながら、英理子はいつまでも迷っていた。
    「しょーがない、戻るか。じゃあね桐島、ゴチ!」
     そうして綾瀬は、教室の方へと戻っていく。最後の「ゴチ」というのが何か、英理子はその日一日考え抜いてようやく「ご馳走」を略したのでは?――という結論に至ったときには、普段の就寝時間を一時間過ぎていた。

    §

     綾瀬優香、というのが彼女の名前らしい。成績は下から数えたほうが早く、素行も良いとは言い難い。聖エルミン学園は決して難関校というわけではないが、それでも入試の偏差値は決して低いものではない。英理子は一般入試を受けたが、スポーツ推薦や指定校推薦の枠で合格した生徒も少なくはないと聞く。先日補修を受けていたと言うから、綾瀬もきっとその口ではないか……と、英理子は推測していた。
     クラスが違うので、英理子はこれまで綾瀬と接することはなかったし、綾瀬と顔見知りのような関係になった今でもその機会はない。ただ、いつかのように廊下を騒がしく歩いているところを見ることはあったし、英理子のクラスメイトたちの話題に上ることもあった。
    「そういえば昨日、サンモールで綾瀬さん見たんだけど、また別の男と歩いてたよ」
     大体、その手合いの話ばかりだった。そもそも最初に綾瀬のことを英理子に聞かせたクラスメイトも、綾瀬が援助交際をしているという真偽不明の噂を英理子の耳に入れたことを思い出す。思いだして、英理子は悲しいような腹立たしいような、不可解な気分になった。
     それは、綾瀬優香という人物の派手好きな表面だけで全体を判じようとする浅はかさに対するものだと、英理子は当初考えていた。けれど本当にそれだけだろうか、とも自問する。もしかしたら自分は綾瀬の美点を少なからず認めているのかもしれない。だから綾瀬優香という人物を否定されることは、自分自身まで否定されることだと思い込んで反発しているのかもしれない。
     それだけなら、まだいいのかもしれない。
     結局は、「自分が付き合う相手、好ましいと感じる相手が、人としてまっとうであり、落ち度がないことを望んでいる」だけなのではないだろうか。
     だって自分は、綾瀬を悪し様に語ったクラスメイトを軽蔑した。自分と同じものを好み、ともに語らえる友人だと思っていたのに、そんなことを言うのかと彼女を嫌悪した自分を否定できなかった。
     でも、他人に対する失望は、人を見る目がないと思ってしまった自分への失望でもあったのかもしれない。
     きっと綾瀬優香は、こんなふうに感じることもないのだろう。他人からどう思われているのか気にしていなさそうだし、他人に対しても何を思うでもないのかもしれない――と、勝手な想像をして、また英理子は自己嫌悪した。
     自分だって、綾瀬優香の人となりを好きなように思い描いているという点では、クラスメイトと変わらないではないか。
     どこまでも自分本位な考えに嫌気がした。夏の暑さを失った風が、英理子の頬を冷たく撫でている。

    §

     木々の色が少しずつ移ろうように、聖エルミン学園の生徒たちも段階的な衣替えを終えたころ。
     英理子は夢崎駅ビル内を満足そうな顔で歩いていた。念願の大型書店で面白そうな本をいくつか購入できたうれしさが表情と足取りに現れていた。神話、民俗学、はたまたトンデモ本と言われそうなオカルト関連の書籍。そういったものは御影町の書店や図書館には置かれていないか、あったとしてもかなり限られた数になる。片っ端から手にとっては中身を吟味し結局三冊ほどに絞り込んで購入したのだが、許されるなら興味がわいたものすべてを買いたかった。一抹の未練を抱えてはいたが、気づいてみれば書店にはたっぷり三時間滞在していた。英理子が入店したのは開店時刻きっかりだったので、とうに正午は過ぎている。空腹感にも今更気づいたほどだった。
     このまま帰宅するのも考えたけれど、そうなると昼食にありつけるのは午後三時ごろになってしまう。我慢できないほどではなかったが、駅ビルテナントの喫茶店の前で英理子は立ち止まった。
    「……」
     ステンドグラスがはめ込まれたドアが重厚な印象だったが、ビルの通路側は腰の高さほどの位置から上がすべてガラス張りになっているので、入りにくさはそれほど感じられなかった。それにファーストフード店よりは、こういう店の方が英理子の好むところでもある。
     ここで軽食を取って、それから戦利品の本を少しだけ読んでいこう。書店の袋を抱きしめるようにして、英理子は真鍮の取っ手を押し開いた。
     店内の照明は落ち着いたものだったが、明るすぎず暗すぎず、を意識しているらしい。軽く見まわしただけでも二名ほどの客が文庫本の中身に没頭しているようだった。昼食時のピークタイムは過ぎたのだろう、店内は静かなものだった。奥まった席で老夫婦が声を潜めて会話しているのが感じ取れる程度の心地よい空間だった。
     空いていた通路側の二人掛けテーブルに腰かけると、途端に足が疲労を訴えてくる。どれだけ夢中になっていたのかとおかしく感じながら、冷水の入ったグラスを受け取った。

     店内に小さく流れるクラシックのレコードが取り換えられたころ、英理子のテーブルの上には空になったミックスサンドの皿と、一杯分がかろうじて残っている紅茶のポットがある。英理子本人は買ったばかりの新書を半分ほど読み終わったところだった。不意に目を上げ、ガラス越しに外の通路を見る。時刻は二時を回っている。午前中よりは人通りが増えてきたかもしれない。本の中身と外の状況を比べ、英理子は「この一冊を読み終わったら、帰宅しよう」と決めた。冷めてしまったかもしれない紅茶のポットに手を伸ばしかけたとき、
    「――あ」
     ガラス越しに、目があった。
     制服ではない綾瀬優香だった。綾瀬は人の流れをせき止めるように立ち止まり、後ろを歩いていた若い女性ににらまれている。なぜか英理子が申し訳ない気持ちになって困ったような顔をすると、どういうつもりか、綾瀬は店内に入って来た。
     慌てたのは英理子の方だった。学校では騒いでばかりの綾瀬は、この静かな喫茶店でも騒いでしまうのでは。「桐島~!」なんて大声でぶんぶん両手を振り回したりするのでは――
     と、いう英理子の想像は杞憂に終わった。
     ドアベルを驚くほど静かに鳴らした綾瀬は、声一つ上げずに英理子の方へと小走りに寄ってくる。
    「よ、まさかまた夢崎で会うとは思わなかったよ~ 何してんの? また予備校?」
     猫のようなしなやかな動きで、綾瀬は英理子の向かいの椅子に腰を下ろした。あまりにも当然のような動作だったので、英理子も何も言えなかったし、喫茶店の店員も待ち合わせかと合点して水の入ったコップを運んでくる。綾瀬はメニュー立てを一瞥すると、「レモネードください」と、これまた小声で注文をした。
     拍子抜けしてしまった。というか、勝手に綾瀬の行動を想像してやきもきしていた自分が恥ずかしくなった。
    「今日は、買い物に……」
     綾瀬の質問に答えながら、泣き出しそうな気分だった。申し訳なさなのか、恥ずかしさなのか、英理子自身よくわからなかった。
    「へー」
     運ばれてきたレモネードの色は、綾瀬の髪の色によく似ている。輪切りのレモンをストローの先でつつく綾瀬は英理子の様子をあえて無視しているようだ。英理子は、そう感じた。
    「何買ったの? 服?」
    「あ、本を……」
    「そうなんだ~桐島がどんな服買うかちょっと興味あったけどな」
     顔を上げた綾瀬は、英理子のブラウスの襟元を見ている。夏が終わっても胸元が開いた服を着ている綾瀬とは対照的だと英理子は感じた。考えてみればまったくタイプの異なる二人が喫茶店で向き合っているのは実に奇妙に思える。
     奇妙だけど、これは好機でもあるかもしれない。
    「あの、あなたは?」
     何をしに夢崎までやってきたのか、それが聞きたかったのだが、綾瀬は眉を顰める。
    「その”あなた”ってのやめない? なんかくすぐったくてさぁ」
     機嫌を損ねたわけではなく、違和感に困惑しているだけらしい。
    「アヤセでいーよ。ってかアヤセって呼んで。名前で呼ばれんの慣れてないから。あ、”さん”もつけなくていいからね」
     グラスの中で氷が動いて、かろやかな音をたてた。
    「……あ、Ayaseは、どうしてここに?」
     英理子はそう尋ねるだけなのに、ずいぶん苦労した。なにせほんの数年前までファーストネームで呼び合う文化圏に所属していたのだから、英理子にとって苗字だけで呼び合うのは違和感を伴うものだった。
     綾瀬は満足げに笑い、かと思うと真剣な面持ちでテーブルに肘をつき、前のめりの姿勢になる。
    「いや実はさぁ――やっぱ内緒……」
     ふっと目を逸らした綾瀬の目元も、何か言いたげな唇も、学校で見る彼女とは違う色をしている。
    ――援助交際してるって噂もあるわ
    ――また別の男と歩いてたよ
     無責任な他人の口さがない噂が思い出される。英理子は喉の奥が詰まったような苦しさを感じた。
     綾瀬は誰と何をするために、夢崎まで来ているのか?
     そんな疑問は、普段の英理子は思い浮かべもしない。他人の私生活に立ち入るような、不躾だと感じられる思いが浮上したこともまた、英理子をひどく狼狽させた。表情にも出ていたらしく、視線を戻した綾瀬がぎょっとして体を強張らせている。
    「え、そんなに悲しい顔するなよ~もーしょうがないな桐島は、内緒だよ?」
     手招く綾瀬の爪が赤い。内緒、と言うくらいだから小声で何かを伝えようとしているのだろう。
     英理子は一瞬迷ったが、綾瀬の方に耳を近づけた。

    「実はね、アヤセこれから彼氏と初デートなの」
     
     ハツデート。ハツ・デート。初デート。
     英理子が聞こえた単語を品詞分解して、意味を理解するまでに数秒を要した。意味が分かった瞬間、得も言われぬ脱力感に見舞われる。
     なんだ。――なぁんだ。
     思わずそんな言葉とともに泣き出してしまいそうだった。英理子はその感情の正体がわからない。けれど自分が安堵していることだけは理解できた。全身の緊張が緩むのと同時に、表情もまた解れていく。
     ふと、疑問が浮かんだ。
    「デート、デートなら、待ち合わせとか……」
     ここでレモネードを飲んでいる場合なのか。そう問うと、綾瀬が肩をすくめた。
    「……早く来すぎちゃった」
     照れくさそうな顔の綾瀬は雄弁だった。きっと初めてのデートを楽しみにしていたに違いない。気合十分なメイクをして、かわいく着飾って、一番の自分を見て欲しいと綾瀬は思っている。それは当たり前の女子高生の感情で、ありふれた、どこにでもいる十代の少女の姿だった。
    「――よかった」
     英理子の口から出た言葉に綾瀬は怪訝な顔をしたものの、すぐに緩める。
    「なんだ、桐島わかるじゃん。フジュンイセーコーユーとか言われるかと思った」
     英理子には、綾瀬がどういう意図でそう言ったのかはわからない。冗談を言っただけのつもりかもしれないし、自分が傍からどう見られているかを認識した上での自棄とも取れそうだった。けれど、英理子の返事は決まっている。
    「言いません。だって、不純じゃないんでしょう?」
     綾瀬の顔を見ればそんなことはわかる。はっきりとした英理子の物言いに、綾瀬は気恥ずかしそうに視線をさまよわせた。
    「……桐島も実はデートだったりしない?」
    「あら、残念ですけど違いますわ」
     正真正銘一人です。そう言うと、綾瀬は目を丸くしている。
    「へー、じゃあ一人でこういうお店入れるんだ、かっこいーじゃん。アヤセ、友達とは大体ピーダイとかだし、喫茶店みたいな落ち着いた店って慣れなくてさ、年上と一緒じゃないと入りづらいよ」
     綾瀬は英理子に感心しているらしいが、なんとなく引っかかってしまった英理子はつい尋ねてしまった。
    「年上の人、って?」
    「親とか、兄貴とか、あと兄貴の友達とも入ったことあるかも」
     安堵の吐息は本日何度目だろうか。英理子は「そうだったのね」と、相槌のような独り言を漏らす。
     きっともう心を乱されることはないだろう、という確信があった。
     失礼な噂は、きっとそういう場面を目撃した誰かが邪推したのだろう。人は、自分とは異なる人間を異分子扱いし、怖れ、忌避あるいは嫌悪する。綾瀬はただ、家族や友人という大事な人たちと心安らぐ時間を過ごしていただけだろうに。なんだか英理子は腹が立ってきた。今度そんな噂を耳にしたら否定しなければならないとすら思えてきたのだが、
    「なんかみんな昔から可愛がってくれるんだよね。アヤセ、罪な女?」
     ――と、上目遣いに作ったポーズの綾瀬に毒気を抜かれてしまう。
    「――ふふ! そうかもしれませんわ」
     英理子はその日初めて、声を上げて笑った。綾瀬の逞しさが頼もしく、心強かった。
    「Ayaseは本当に……」
     声が詰まる。いろいろなことが、英理子の脳裏をよぎっていった。
     日本に戻りたくなかったこと、中学時代の人間関係、人目を気にするようになった自分への失望。
     あの日の綾瀬優香は何もかもが眩しかった。反感は嫉妬だったのかもしれない。あんなふうに振舞えない自分は、羨望に似たものを綾瀬に感じていたのだろう。綾瀬が、その憧れた姿のままでいてくれたのがうれしかった。こんな独りよがりの願望を他人に押し付けるなんて筋違いもいいところだ。わかっていても英理子の胸には感情がこみあげて抑えきれず、両目からはボロボロと涙があふれた。
    「え、え、え? ええ? なに、どしたの桐島⁉」
    「……なんでもありません、平気です」
     英理子は腰を浮かせる綾瀬を片手で制しながらハンカチで目元を抑えるが、その程度で綾瀬が引き下がるわけもない。店内を意識してかさすがに声は抑えられていたが、動揺と友人に対する気遣いは明らかなものだった。
    「平気なわけないでしょ~……! ちょっと、あ、え?」
     綾瀬のバッグから電子音が聞こえる。店内に響くそれはポケベルの着信音だろう。
    「あっ」
     取り出して、画面を確認した綾瀬の顔に更なる焦りが浮かぶ。理由は英理子にも想像できた。
    「それ、呼ばれてるんじゃありませんの?」
    「そうだけど、泣いてる桐島ほっていけないよ」
    「私のことはいいですから……! 準備してきたんでしょう、早く!」
    「よくないって、もー!」
     とうとう綾瀬はポケベルをテーブルの上に放り出してしまった。見えてしまった画面には「どこにいる?」と表示されているようだった。予想通り、相手が待ち合わせの場所に到着したらしい。今すぐ向かうべきだというのに、綾瀬は英理子の涙を止めようとオロオロしている。
     その姿を見て、英理子は申し訳ないと思いながらも笑った。笑いながら泣いて、綾瀬の優しさと純粋さに感謝した。

    §

     四月が来た。英理子が登校したとき、2年4組の教室にはすでに半数近くの生徒が入っているようだった。新学期の初日、引き戸を開けるときはいつも緊張するが、今日は少しだけそれが和らいでいる。
    「桐島~! 同じクラスじゃ~ん!」
     ドアの近くの席で男子生徒としゃべっていた綾瀬は真っ先に英理子に気づいて手を振ってくる。綾瀬と同じクラスであることは、張り出された一覧を見た時点で知っていた。
    「Ayase! 一年間楽しくなりますわ」
     ほとんど抱き合っていると言ってもいいような女子特有のスキンシップに、綾瀬と談笑していた男子生徒がたじろいだように笑っている。
    「あれ~? な、何? 二人とも友達だったの?」
     額の上あたりにゴーグルを乗せた彼の名前が上杉であることは英理子も知っている。良くも悪くも目立つタイプの明るい社交的な性格なので、一年のころから綾瀬とよくしゃべっている場面を見ることもあった。
    「Yes、その通りですわ」
    「へへ、まあね~?」
    「え~? 意外な組み合わせだな……」
     上杉の困惑も理解できるような気がした。まったく異なるタイプの綾瀬と自分とが仲良さげにしているのは彼の言う通り意外の一言に尽きるだろう。
    「でしょ? アヤセと桐島のなれそめ聞きたい?」
    「え、聞きたい聞きたい!」
     いたずらっぽく目を細めた綾瀬に、上杉は身を乗り出して食いついた。ぎょっとしたのは英理子の方だ。夢崎駅でのナンパ騒動やら喫茶店での顛末やら、率直に言って英理子にとっては、人に聞かれたくない類の思い出なのだから。
    「Ayase……」
     英理子は綾瀬の手首を軽くつかんで首を横に振って見せる。それで綾瀬も酌んで、上杉にはちょっとわざとらしく笑った。
    「ごめーん上杉、桐島がヤダって言ってるから秘密」
    「えー! そっちから話振っといて⁉」
     至極もっともな反応だったので、英理子も申し訳なさそうに眉を下げる。
    「Sorry! でもこれは私たち二人だけのsecretですの」
     言いながら人差し指を唇の前に立てる。
    「え、えー……そう言われるとミステリアスな感じしちゃうな……こう、ドキッとするよね、綾瀬にはないけど」
     なぜか上ずった声の上杉がいらぬ一言まで口にするので、綾瀬は「なんだとぉ?」とつかみかかるフリをしたのだが、
    「ほらー! 席につきな! もうチャイム鳴ってるだろ」
     張りのある声は担任の高見冴子のものだった。若草色のスーツも颯爽とした足取りも、彼女の人となりを示している。綾瀬と上杉の声で気づけなかったが、確かに冴子の言う通りチャイムが鳴り終わろうとしている。英理子を含めた生徒たちがそそくさと各自の席に腰を下ろすのを見届けて、冴子は鮮やかな唇に笑みを浮かべた。
    「よし、全員出席してるね。今年一年、このクラスの担任をする高見冴子です。担当教科は――」
     ハキハキとしゃべる冴子の声を聞きながら、英理子は膝の上で両手を組んだ。
     新学期が始まる。新しい一年が、この教室で始まる。知らない顔の方が多いはずなのに、英理子の胸は弾んでいた。

  • 夢見る頃を過ぎても

     父親が失職したのは俺が高3のときだった。理由は聞かされていないが、あの頃の報道を見ていれば大方予想はついた。まだ小学生だった弟ですら「父さんは悪いことをしたの?」と不安な顔をするくらいだったのだから。
    母はいわゆる専業主婦だったが、父の退職の直後からパートタイマーとして雇ってくれるところを探して歩き回った。父も表向きは気丈な顔をして、再就職先で警備員として昼も夜もなく働き始めた。必死に働いたのは弟が小さかったのもあるが、一番大きな理由は俺の進学問題だったのだと思う。かつて調理師の専門学校に進みたいと言った俺に、両親は快く賛同してくれた。専門学校の学費は高額だったが、父の稼ぎでもなんとかなるだろうと笑っていた。それも遠い記憶、ほろ苦い思い出でしかない。18歳だ、自分の願望がもはや夢物語でしかないことなどすぐに理解できた。
     俺は大学進学を決めた。最初は進学ではなく就職すべきだと思ったが、高卒向けの地元企業の募集も公務員試験の日程もすでに終わった後だった。どうしたらいいのだろうか、と、考えあぐねて相談に行った先の担任は、俺の家庭の事情なんてとうに理解しているだろうに、深くは尋ねることをせず単なる希望進路の変更としてあれこれ世話をしてくれた。
    「成績も悪くないどころかむしろいい方だからね、いや、正直に言うと学年主任の先生なんかは、君が大学進学しないことを惜しんでいたくらいだよ。私としても進学を勧めるかな。君くらい成績がいいなら、高卒で就職するより大学を出たほうがいろんな道が開けるだろうから」
     道が開ける、という婉曲な言葉だったが、多分「給料のいい仕事につけるから」という意味なのだと思う。両親にさらに四年間の負担を強いるのは心苦しかったが、四年後に俺がたっぷり仕送りできるようになればいい。なるしかない。
     だから担任の言う通り、成績がいい方だったのは不幸中の幸いだったのだと思う。自宅から通える距離の国公立大の中で、一番偏差値が高い大学への入学も夢ではないと言われたのはうれしかった。
    「私大でも、ここの学校は成績優秀者の学費を全額免除してくれる。こっちは独自の無利子奨学金制度があるから検討してみるといい。あと学費を払わなくていいのは――」
     その先は、声には出されなかった。学費免除の大学がどこなのかは俺でも知っているし、それを言わないのは担任の気遣いに違いなかった。主に女子から「くたびれたネクタイのさえない中年」なんて言われているが、俺はこの人の優しさを一生忘れないだろう。
     冬の訪れとほぼ同時に猛勉強の日々が始まった。平日は早朝から登校し、施錠されるギリギリまで居残った。休みの日もほとんど自室にこもっていた。両親は土日も働いていることが多かったので、あまり顔を合わせることがなかった。不在の両親に代わって弟に食事を作ることは多かったが、その作業自体は苦痛ではなかった。ただこの先の人生で、このように働いていくことがないのかと思うと、洞に向かって歩いているような徒労感を覚えるだけだった。
     結論として、俺はめでたく第一志望の大学に入学し、卒業し、東京の大企業に就職した。学生時代もバイト代を家に入れていたが、これからはもっとたくさん仕送りができる。特に弟はこれから進学などで金がかかる。金はいくらあってもいいだろう。
     就職はゴールではなかった。俺にはまだ、やらなければならないことがあった。
     俺は身を粉にして働いた。24時間戦えますか、そんな言葉を昔テレビで聞いた。戦える、戦えるさ。やりがいもある。結果は給与として明確に数値化される。けれど充実しているとは言えない。何が原因なのかわからない――いや、本当は知っている。知っているが、それはもう手放したはずの夢だ。そう言い聞かせながら深夜のオフィスで眠気覚ましの煙草をふかす。この先、俺はこうして何十年も生きていくのだろうか?

    §

    「俺、防衛医大に合格したよ」
     東京に遊びに来た弟を馴染みの居酒屋に連れて行くと、そんなことを聞かされた。
     久しく会っていないのでずいぶん背が伸びたなとは思っていたが、もう受験生だったのかと驚いてしまう。いや、そうではなく、俺が箸を取り落としそうになったのは、進学先の名前のせいだ。
     弟は昔から医者になりたいと言っていたし、成績も俺とは比べ物にならないほどよかった。そうはいっても国公立の医学部は狭き門だし、私大の医学部の学費なんて一般家庭に出せる金額ではない。防衛医科大学校はその点学費無料の上に手当までつくが、当然入試の難易度は高い。そんなところに合格したのかという驚きには、父が元自衛官という理由も含まれている。
     俺は高3のころ、無意識に自衛官や、それにつながるものを遠ざけようとしていた。防衛大への進学だって考慮すべきだったかもしれないが、しなかった。
    「兄さん、今まで俺たちのために我慢してくれてありがとう。でも、もうそんな必要はないし、俺たちだって兄さんが苦しんでいる姿は見たくない。今からだって、遅くはないんじゃない?」
     弟が差し出したのは、地元の銀行の預金通帳だった。俺が社会人になってから始めた仕送りがそっくりそのまま入っていると言う。
     俺はもしかしたら、父を恨んでいたのかもしれない。夢を諦めざるを得なくなった原因は父親だと思いつつも、親を恨むなんて許されないことなのだと、自分を抑圧していたのだろうか。だから父の職業に連なるものを忌避したのかもしれない。
     言葉に詰まった俺から目を逸らし、弟は頬杖でつぶやく。
    「父さんも母さんもそう思ってるよ。忙しすぎて帰ってきてくれなくて寂しがってる」
     うん、そうか、ごめんな。そう答える俺の声は震えていた。磨かれたテーブルの木目が、かすかに滲んでいる。

    §

     家族全員に背中を押された俺は、俺が弟のために送った金を調理師専門学校の学費に充てさせてもらった。入学した直後は二十代半ばで十代に交じることに抵抗があったが、すぐにそれもなくなった。辞めた仕事とは比べ物にならない充足感で、二年間はあっという間だった。
     卒業後は東京勤めをしていたころの伝手を頼って、日本料理の店で修行をした。有名ホテルの厨房でも学んだあと、俺は故郷の珠閒瑠市に戻ると港南区のシーサイドモール近くにテナントを借り、自分の店を開いた。はじめの頃は細々と営業をしていたのだが、地元紙の取材を受けた後から徐々に客足が増えてきた。「シリーズ・夢追う人」なんてタイトルでの取材は恥ずかしくて仕方なかったが、繁盛につながったので今となってはありがたいばかりだ。

     ある雨の日だった。その日の昼営業が終わる間際の14時直前、アルバイトに出すまかないを作り始めたくらいの時刻に、一人の若い男性客がのれんをくぐって入って来た。いつもなら13時半にはすべてのメニューが売り切れているが、雨で客足が鈍かったので店先にはまだ「営業中」の看板が出ている。なので、「まだ大丈夫ですか?」と心配そうな顔をする彼を、俺は笑顔で迎え入れた。
    「雨、ひどかったでしょう。よかったら使ってください」
     肩のあたりが濡れていたのでおしぼりとは別にタオルを差し出すと、彼は折り目正しい謝辞を述べる。真面目な性格のようだしスーツ姿ではあるが、如何せんその色合いが個性的な上に金属フレームの眼鏡のレンズにも色が入っている。カタギなのかそうでないのか、勘ぐってしまいそうになった。
     カウンター席の男性に鯖味噌定食を出したタイミングで14時になった。俺は外の看板を「準備中」にひっくり返す。雨脚は少し穏やかになっていた。
     男性客は定食を綺麗に平らげてくれた。皿の隅にまとめられた小骨に、几帳面さが見てとれる。
    「ごちそうさまでした」
     そのままカウンター越しに会計を済ませ、彼は財布をポケットに仕舞いつつ立ち上がる。そうしてドアの方に向かうのかと思っていたが、なかなか足は動かない。
     どうしたのだろうか、何か料理に不都合があっただろうか。俺は不安に息をのんだ。
    「あの、」
    「はい」
     何か言いたげなのは見ればわかるのだが、その後の一言がいつまでも出てこない。
    「……何か?」
     問いかけていいものか悩んだが、二人して黙りこくっていても仕方がない。
    「――いえ、先日の新聞記事を拝読しまして……」
     それはおそらく彼の言いたかったことではない気がしたが、問い詰めるわけにもいかないので話を合わせる。
    「そうなんですか、ありがとうございます」
    「社会人になってから専門学校に進まれたそうですね。ご苦労もされたことでしょう」
     おや、と、思った。本意ではないだろうと感じていたのに、その言葉は本心からの気遣いのようなものが込められているように思えたのだ。彼が何を言いたいのか、あるいは、聞きたいのか。それは知る由もないのだが、一つだけ否定すべきことがある。
    「いえ、これが夢でしたから。大変じゃなかったというと嘘になりますが」
     苦痛に感じたことは一度もない。そういうと、男性客は僅かに目を細めた。
    「きっとあなたにとって天職だったんでしょうね」
     薄く色の入ったレンズ越しに見た彼の目は、ここではない遠くを見ているように感じられた。何故だろうか、俺はその目を見て、東京で働いていたころの自分を思い出した。
     彼は思い出を振り切るように頭を下げる。
    「――定食美味しかったです。また来ます」
    「ありがとうございます。お待ちしております」
     最後にもう一度軽く会釈をして、男性は店を出ていった。それを見ながら思う。俺と彼とは似ていない。ピンと伸びた姿勢の良さは俺にはなかったものだ。
    だと言うのにその姿は、しばらく目に焼き付くほど、忘れがたいものだった。
     雨はまだやまない。

  • 断罪適格

     青葉区にある裁判所は年季が入った佇まいをしている。そういえばいつか訪れたときには建て替えだか移転だかについての公聴会が開催されていたことを思い出した。案外、なにもかもに興味を失った自分のような人間も、どうでもいいことを覚えているものだ。そう、入口には金属探知のゲートが設置されていて、古めかしい石造りの外観とのギャップがおかしくて口元が緩んだのも覚えている。しかし物珍しさに興味を引かれたのも最初の頃だけだった。ここへ何度も足を運ぶようになった今――裁判というものの当事者になった今となっては、ここも何もかもと同じ灰色の世界の一部に過ぎない。
     今日、息子を殺した男への判決が言い渡される。それがどのような結果であっても、私の苦しみは一旦の区切りを迎えるのだろう。願わくば重い罰を受けて欲しい、例えば、死刑とか。それが私の願いだった。
     民事訴訟の代理人を依頼した弁護士に聞くと、人を一人、それも過失で死に至らしめた場合に死刑が言い渡されることはほぼあり得ないらしい。
     耳を疑う自分と、それはそうだろうと思う自分がいた。
     まだ二歳にも満たない息子を殺した男の死を願う自分と、法治国家の市民として刑罰の妥当性を理解したつもりの自分。感情と理性が分離しているのかもしれない。わからない。息子を亡くして一年が経ったようだが、時間の経過すらおぼつかない私が何かを正しく認識できているとは到底思えなかった。

    「主文、被告人を懲役2年に処する。この裁判確定の日から3年間、刑の執行を猶予する」

     その度し難い結論を聞いた瞬間、私には見えた。背中しか見えないあの男がほくそえんでいるのが見えた。傍聴席の後方で、女が小さく快哉の声を上げたのも聞こえていた。喜ばしいことだろう。これであの二人は、子供を死なせた後ろめたさから解放されて、晴れて夫婦となるに違いない。息子の苦しみも怒りも恨みも知らん顔で、あの子を置き去りにしたあの日と同じように、なにもかもを顧みない淫蕩に耽溺するのだろう。
     視界が赤くなっていく。怒りに震えながら、それはただの錯覚か妄想だと理解する冷めた自分も感じていた。私は多分冷静だった。ここで叫んでも暴れても何の甲斐もないことはわかっていた。理解したのだ。所詮、司法などは頼るに値しない機構でしかないのだと。

     帰路の途中、地下鉄の中で三人の女子高校生たちの会話を聞いた。

     ――そういえばさ、先週平坂区で殺人事件あったじゃん。
     ――そんなんあったっけ? それがどうかしたの?
     ――あれってJOKERが犯人って噂だよ。
     ――それアタシも聞いた。殺されたのひき逃げ事件の犯人だって! 被害者がJOKERに頼んだんじゃないの?ってバイト先の先輩が友達から聞いたんだって。

     暗いトンネルの中で、上りの車両と行違う。轟音が言葉尻をかき消していき、それが止んだ後すでに彼女らの話題は変わっていた。他愛もないことで少女たちは笑いあう。その甲高い笑い声がいつまでも耳に残った。それはいつの間にか元夫の不倫相手の笑い声に変わっていた。当たり前だが許せなかった。許せるはずもなかった。元夫は、息子が死んだときに、自分が息子を置き去りにして不倫相手と密会していたのが知られると表面上はしおらしく反省してみせた。見苦しく涙まで流して床に手をついて、すまない、許してくれと私に希った。
     夢崎駅に到着すると、少女たちは笑いながら降車した。ベビーカーを押した女性が乗り込むのを、若い夫婦が手伝っているのが見える。
     許して欲しい?
     何を言っているのだろうか。許してほしい、と言うのは、すべてなかったことにしてくれと、そう言っているようなものなのでは?
     償える罪なんてあるのだろうか? 弁済しうる損害はあるかもしれないが、命だけはどうやっても還ってはこないのだから。
     息子は還ってこない。なかったことにはならない。だったら――
     地下鉄が動き出すと、赤ん坊が泣きだす。母親らしい女性があやそうとする光景は懐かしく遠いものだった。もう手の届かないところ。私の祈りもまた、届くはずのないものだった。そうだろうか?
     (そうか、殺してくれるんだ)
     ようやく、ここにきてようやく、私は自分の願いに気づいた。
     償ってほしいのではない、苦しんでほしいのだ。私の苦痛を上回るそれに苛まれ、息子よりも惨たらしく死んでほしい。それ以外にもう望むことなどない。
     赤ん坊の泣き声は止まず、地下鉄の乗車客は誰も気に留めていない。

     半月後、二人は遺体で発見された。発見のニュースから身元が発表されるまで二日を要したと言うから、遺体の状態は推して図るべし、だろう。私は警察の聴取を受けたが、どう見ても形式的なものだった。ニュースや新聞でも、現場の状況から一連の猟奇殺人事件と同一犯だろうという見方が主流のようだった。
     終わった。何もかもが終わった。晴れ晴れとした気持ちになるわけでもなく、何かを達成した感慨もない。私の中にあるのはただ、憎い相手がのうのうと生きている状況を作らずに済んでよかったという安堵感だけだった。それをせずに死ねないと思っていた、つまり裏を返せば、私はもはや、いつ死んでもよかった。そう信じるだけの心境に至っていた。
     
    「聞いた? JOKER呪いの噂。あれってJOKER呪いをやった人がJOKERになって、人殺ししてるんだって」
    「そうなの? 俺が聞いた噂だと、JOKER呪いをした人もJOKERに殺されるって……」

     最近、JOKER狩りという言葉を耳にするようになったが、どこで聞いた会話なのか思いだせない。噂が真実かどうかも、どうでもよかった。なんなのだろう? 今の、この私という存在は? 積極的に生きようとする意志はなく、日々の記憶すら定かではなくなっている。ああ、まただ。また目の前が赤く染まっていく。見知らぬ、中国風の衣服を着た男たちが私に向かってくる。そう、これで終わり。楽になれる。もっと早くこうすればよかった。あの二人を殺してと願ったとき、私のことも数にいれるべきだった。違う、私自ら手を汚すべきだった。悔いがあるとしたらそれだけだ。もうあの子には会えない。ごめんね、ゆるしてね――そんな言葉を思い浮かべて自嘲する。なかったことになんてできないと誰よりも自分がわかっていたつもりだったのに。
     けれど、何もなかったことにはならなくても、何もなかったように他人の世界は続いていく。そこに私はいないし、息子もいないし、元夫も不倫相手もいない。その世界に生きる人のことを、私はこれっぽっちも想像できないが、するだけ無意味なことに違いない。
     遠くから遠吠えのような音が聞こえる。
     昔飼っていた犬が死んだときのことを思い出した。最期に思いだすのが息子のことではないのは、私に与えられた罰なのだろう。

  • 桜の園に降る

     無医村と呼ばれる過疎地域への赴任を終え、東京の母校に戻った私を待っていたのは信じがたい現実だった。
    「――徳永先生、ですか? 助教授……?」
     研修医時代から世話になっていた助教授の名前がどこにも見当たらないので秘書に尋ねた、その時点で少し嫌な予感はした。徳永、という名前自体聞き覚えがなさそうな顔だったからだ。いくらなんでも、二十歳そこそこの新人だとしても、助教授の肩書を持つ人の名前に覚えがないというのはあり得ない。しかし私は、そのあり得ない可能性を願った。徳永先生がいない可能性よりも、私にあてがわれた秘書の資質に問題があるというほうがまだマシだった。
     しかしその数十分後、秘書が人事担当に問い合わせた結果を耳にして私は愕然とした。
    「徳永助教授は2年前に退官されています。それと……医師会に問い合わせたのですが、届出がなされていません」
     どうやら私の秘書は有能らしい。言ってもいないのに医師会への問い合わせまでしてくれたのは、彼女なりに徳永先生の行方を調べようとしてくれたのだろう。だが、届出がない……つまり徳永先生は、今現在、医師として働いていないのかもしれない。もしかしたらどこかで開業しているのではないか、そんな希望すら、あっけなく打ち砕かれてしまった。
     何も言えずに立ち尽くすばかりの私に、さらなる追い打ちがかけられる。
    「あの……それと……徳永先生が退官された事情ですが――」

    §

     新幹線を使うまでもない距離だったが、逸る気持ちがそうさせたのだろう。到着した新夢崎駅からバスを使い、私は目的地を目指した。正円の形をした珠閒瑠市を分断するように流れる川は、七夕川と言うらしい。その一級河川沿いにバスは進んでいく。繁華街らしい夢崎区とは違って、中央区の蓮華台という地域は落ち着いた街並みだった。バスターミナルと隣接している商業ビルもあるが、蓮華台の大半は住宅街だった。おそらくかつては珠閒瑠城の城下町だったのだろう。
     私が目指しているのも、その珠閒瑠城があった場所だった。今は本丸公園と名を変え、地域住民の憩いの場になっている。
     徳永先生の所在について調査を依頼した探偵から受けた報告は私を混乱させた。
    「ホームレス、って言うんですかね。今は公園で根無し草みたいな暮らしをしているようですよ」
     時折日銭を稼ぐために日雇いの現場に顔を出してはいるらしいが、大半はこの公園でぼんやりと過ごしているらしい。つまりは定職にもつかず、住居すらないのか。
     愕然とした。かつては最高学府の医局に在籍し、ゆくゆくは外科部長となることを約束されたような人が、なぜ――
     探偵から渡された写真の徳永先生の顔には、覇気が感じられなかった。穏やかな表情などとはとても言えない、諦念が色濃く感じられる暗い顔だった。
     信じられない、確かめなければならない、そう思ってここまでやってきたのに、本丸公園の入り口で、私はしばし立ち止まっていた。傍らを子供たちが駆け抜けていく気配も、ベビーカーを押した女性たちから不審の目を向けられているのも感じ取っていた。
     私は果たして本当に、ここに足を踏み入れるべきなのだろうか。かつて尊敬した人の姿を目の当たりにしてショックを受けずにいる自信はない。何も見ず確かめず、知らぬふりをして生きていくほうがいいのではないか、新幹線の中でもバスの中でも考えたことだった。それでも、探偵の言ったことが間違いである可能性を、万に一つもないだろう希望を、諦めることができなかった。
     散り始めた桜の木々が風に静かに揺れていた。
     春の午後、日差しは穏やかにすべてを照らしている。遊具で遊ぶ子供たち、それを見守る親の姿、仕事の途中なのかベンチで一服している男性、学校をサボっているらしい制服姿の女子学生。
    (徳永先生――)
     ありふれた光景の中で彼の姿は異様だった。いや、ホームレスという存在は残念ながら今の日本ではありふれたものかもしれない。異様だと感じてしまったのは、数年前まで大学病院で辣腕を振るっていたあの人がそうなっていることを理解したくない私のささやかな抵抗なのだろう。
     擦り切れて薄汚れた衣服、整えられていない不衛生な口髭、人目を避ける意図なのか目深にかぶられたサウナハットのような帽子。そこに面影など一つもない。柔和そうな印象を与えていた丸い眼鏡だけが、あのころの徳永先生のままだった。
    『二年前、医療過誤事件の責任を問われて退官されました』
     学内の派閥争いでどちらにも与しなかった徳永先生は、誰からも庇われなかったらしい――秘書の彼女が語った言葉を思い出す。徳永先生は一人きりで、誰からも見向きされていない。今も、二年前も。
    「あっ!」
     そのとき、幼稚園児くらいの子がベンチの目の前で転倒した。私はずっと、そのベンチに腰かけている徳永先生を見ていたので転ぶ瞬間もはっきり見ていた。距離があるので断言はできないが、地面についた手が変にねじれていたような気がする。骨折の可能性があるかもしれない、思わず駆けだそうとして、一瞬動きを止めてしまった。
     もし、もしも――徳永先生がまだ医者であってくれるのなら――
     私と同じようにあの子の手を確かめるのではないか。
     かすかな希望だった。願い、あるいは執着と言ってもいいかもしれない。目の前で泣いているこどもを放って平気な顔ができるような人であってほしくなかった。
     しかし徳永先生は、黙って立ち上がると何もせず、背中を丸めてのろのろとどこかへ立ち去ってしまった。その後姿には、誇りをもって職責に当たっていた在りし日の輝きはなかった。
     目の前で大きな扉が閉ざされたような、そんな幻聴を感じる。
     先生、あなたは、医者としての自分まで捨てたのですか。
     たまらなかった。私は走り、その肩を掴んで問い質したかった。それをしなかったのは、目の前の怪我人を優先したのは、自分が医者だという自負があるからだ。
     泣いている子供の手を確かめながら、私は徳永先生を恨んだ。恨みながら、まだ希望を捨てきれずにいるのも事実だった。
     先生、あなたがベンチから立ち上がるまで、ためらうような間があったように見えました。苦しそうな顔をしたようにも見えました。本当は手を差し伸べたかったんじゃないですか。医師であることを諦めていないんじゃありませんか。今のご自分が客観的にどう見えているかを考えて、あえて声をかけなかったんじゃないですか。もしかして僕がここにいることもわかっていて、任せようと思って立ち去ったんじゃないですか。そうですよね、先生、答えてください。お願いです、先生、先生――
     振り返った先に彼の姿はない。ただ舞い落ちる花弁と子供の泣き声が、嵐のように何もかもを乱していた。

  • かなしい街

     昼食時にやってくるあの人を意識し始めたのは、高校を卒業してからフリーターとして働いているコンビニで二回目の夏を迎えたころのことだった。
     女性にしては長身なので、まずそれだけで目を引く。加えてスタイルもよければ顔もいい。それだけならば近寄りがたい美人でしかなかったが、彼女はいつだって明るく溌剌としていた。支払いの後に商品を受け取りながら、「ありがとうございます」と笑ってくれる。
     男なら誰だって悪い気はしないと思う。いや、フリーター仲間の女性店員も「あの人すごく感じがいいですよねぇ」なんて言うから、性別を問わず好かれているに違いない。
     彼女は本当に、いつだって笑顔だった。日付が変わろうかというときに栄養ドリンクを買いに来るときも、疲れをにじませながら笑顔を欠かさなかった。多忙なせいだろう、昼食のタイミングを逃したらしい時刻にやってきて、ろくな弁当が残っていないときも落胆しながら笑っていた。
     あるとき彼女は首から社員証を下げたまま来店したことがある。俺は悪いと思いつつも、それを盗み見てしまった。あいにく裏返っていたので氏名はわからなかったが、キスメット出版の文字だけはしっかりと目に入った。
    そうか、出版社に勤めているのか。編集者、なのだろうか。
     遅い時間まで残らなければならないほど忙しいのも納得できる気がした。俺はいわゆる会社勤めをしたことはないけれど、どれだけ忙しくても疲れていても笑顔を欠かさない彼女は人並み外れているのだと思う。もともとの性格が明るいというのもあるだろうし、なにより周りに対する気遣いの人なのではないだろうか。店長なんて売り上げが少し悪いとすぐに不機嫌になって、俺はもうそれには慣れたけれど、新人の女の子なんかビビってしまっている。
     もしも彼女が店長だったら、いや店長じゃなくても同じ職場で働いていたら、雰囲気が悪くなることなんてないだろう。キスメット出版の社員が羨ましかった。俺も同じ職場に入れたら、なんて妄想はむなしいだけだ。箸にも棒にも掛からないような高校をなんとか卒業できた程度の俺には、出版社なんてキラキラした場所で働くことは叶わない夢でしかない。
     まして俺と彼女では、つり合いが取れるわけもない。
     だから店員と客として、時々関わることができるだけでもありがたいというものだろう。もしも俺がアルバイトの店員風情でなければ、それこそ立場だけでも店長であれば、疲れている彼女にコーヒーのオマケを差し入れることくらいできたかもしれない。下心あってのことではない、と思う。俺はただ、何かを返したかったのだと思う。いつも笑顔を向けてくれる彼女に、感謝を伝えたかったのではないだろうか。

     ここ数週間ほど、彼女は姿を見せない。これまでも一週間ほど見なかったことはときどきあった。きっと仕事が本格的に立て込んでいるとか、あるいは風邪か何かで休暇を取っていたのだろう。しかしこれほど長く彼女を見ないのは初めてだった。おまけに、街全体がおかしな事態になっていた。
     おかしな事態、なんて、小学生みたいな言葉でしか言い表せないのが悔しいが、JOKER呪いなんてものが流行り、ハリボテの飛行船が空を飛び、近所のバーでは武器が密売されているなんて聞く。死人が出るような物騒な事件も連続していたので、俺は彼女のことが心配だった。
     しかし気づいたときにはすでに、他人の心配なんてできるような状況ではなかった。俺が今こうして生きていられるのは、本当に運がよかったのだろう。

     街は、形ばかりは元の姿を取り戻した。それは全体をおおまかに見れば、というだけであって、個人のレベルで言えば散々なものだった。店長は行方不明、新人バイトは両親が大怪我を負い、俺は家族が無事だったものの、家が全壊した。とりあえずは市が仮設住宅を用意してくれるらしいが、当の市役所も被害甚大でいつになるかわかったものではない。友人の家に厄介になりながら、俺は彼女のことを思い出していた。まさか一連の災害(と言っていいだろう、これはもう)に巻き込まれているのではないかと思うと、沈んだ気持ちがさらに沈むようだった。
     それでも日常は続く。フランチャイズの本部から派遣されてきた社員が面倒そうに切り盛りする中で、俺はアルバイトとしての日々に戻っていく。しかし不思議なもので、かつての日常だったものの中にいると、安心するようなところがあった。

     三日ほど経った朝、彼女が来店した。朝の店外掃除をしていた俺にとっては不意打ちだった。
    「おはようございます」
     そう、彼女はよく挨拶をしてくれた。明るくて、こちらまで晴れやかな気持ちになれる声だった。けれど今となっては、それも過去の記憶にしかならないらしい。
     決して暗いわけではない。人によっては、落ち着いた声音だと評するだろう。俺にはそうは聞こえない。何か、彼女の中から何かが、そぎ落とされたのだと思った。
     誰もかれも同じだった。街も同じだ。表面上は元通りなのに、皆同じように何かを喪失し、代わりに悲しみと痛みを与えられている。それが避けられないものだと受け止めながら、それでも隠し切れずに溢れてしまう。
     彼女の声は、俺にはそう聞こえた。彼女の笑顔には、自分自身の一部をえぐられるほどの痛みを受け止めながら、それでも前を向こうとする痛々しさすら感じられた。
     そのとき俺は自分の中に降ってきた事実を、到底理解しがたい現実を、それでも「そうなのか」と受け止めた。
     もう、あの頃の彼女はどこにもいないのだという喪失感を。

  • トーマ・シュバルツの事情

    ⚠幻覚と捏造とシュバルツ兄弟に対する巨大感情(カプではありません)。モブが出たり過去捏造してたり好き放題です。










     帝国の冬は長い。
     体の芯まで凍えるような冷たい風がようやくやんでも、厚い雲が春の訪れを未だ阻んでいる。
     バン・フライハイトとフィーネが帝国領内のとあるコロニーにやってきたのは、そんな晩冬の日だった。
    「バン! 貴様、軍をやめただと!?」
     コロニーに滞在しはじめて三日目、どこから聞きつけたのか定かではない上にあまり聞きたくもないのだが、猛烈な剣幕でやってきたトーマにはさすがの彼らも目を丸くするしかなかった。
    「あらトーマさん、お久しぶりです。どうぞ?」
     とはいえフィーネのほうは生来のマイペースさゆえか修羅場をかいくぐってきた経験ゆえか、すぐさま表情を緩めて向かいの椅子をトーマに勧める。コロニーの長の家に、厚意を頂戴して寝泊りをしているのだが、当の家主はいきなり乗り込んできた帝国軍人に肝を冷やすばかりだった。
    「えっ、あ、はい……いや、そうではなくて! バン!」
     気を抜かれたようにフィーネの勧めにしたがって一旦腰を下ろしたはいいものの、トーマは即座に立ち上がってバンを指差す。指差されたバン本人よりも、部屋の片隅で立ち尽くしたままの村長のほうが緊張しきっていた。
    「なんだよ」
    「貴様なぜ軍をやめたのだ!?」
     いや、そんなことはお前には関係ないだろう。と、言いかけてバンは口を閉じる。 火に油を注ぎかねないからだ。もっとも、油をそそがれずとも勢いのままにトーマはまくし立てるのだが。
    「お前ほどのゾイド乗りがその力を遊ばせておくなどもったいない! いや別に! これは貴様を褒めているわけではないぞ! 断じてな!」
    「どっちだよ」
     相変わらずのらりくらりとしたバンに、トーマはさらに何事かを言おうとするのだが苦笑するフィーネに手を振られてさえぎられる。
    「まあ……とりあえず座ったら? はい、コーヒーでも飲んで」
     そうまでされてようやくトーマは椅子の上に落ち着いた。
    「すみません……あ、フィーネさん、塩は結構です」
     マイペースを崩さないフィーネにコーヒーを勧められ、トーマは謝辞を述べつつも一言は忘れなかった。
    「そう?」
     残念そうな響きをにじませつつも、フィーネは白い調味料入れを手元に引っ込める。 トーマが断らなければ、彼女は自分の思うままの「適量」をトーマのカップに入れていたことだろう。
     塩入りを逃れ得たコーヒーをトーマが一口すすると、バンは頬杖をついたまま話し始めた。
    「デスザウラーも倒した、レイヴンたちももう妙なことはしない。 ルドルフやルイーズ大統領なら、国同士の戦争になるようなこともありえない。だったらもう、軍人だってそんなにいらないだろ? 俺がいなくたってハーマンやオコーネル、それに、共和国と帝国の軍人がいれば十分だ」
    「それはそうだが……」
     理屈はわかるのだが釈然としない。バンのせいにするつもりもないが、かと言ってこのもやっとした心境の原因を自分の中に求めても答えなど見つからない。
     コーヒーの液面に、沈んだ顔の自分が写っている。
    「それに、別に俺は、最初から軍人になるつもりなんてなかったからな」
    「何?」
     顔を上げると、自分とは対照的に朗らかに笑うバンの顔があった。その隣で、フィーネも笑っている。
    「クルーガーのおっさんにだまされた」
    「バンったら……」
    「一人前のゾイド乗りにしてやるって言うんだよ、それで、ついていったら共和国軍に入れられた」
     つまり、本当に軍人になるつもりなど毛頭なく、言葉通りゾイド乗りとして成長したいだとか、そういう目的でバンは共和国軍に所属していたわけだ。
     フィーネは、それは彼らしい考えだと言って笑うだろう。それが彼らにとって当たり前だから。
     しかしトーマはそうではない。考え込みそうになるが、バンの明るい声にさえぎられる。
    「まあでも、結果としてはいい経験だったのかな」
    『いい経験だった。』
     すでに過去の話になってしまったような口ぶりに、もう一度ショックを感じてしまう。
    「やっぱ堅苦しいのは苦手なんだよ。それに、俺はもっといろんなものを見てみたい。いろんな場所を旅してみたい」
     そんなことは軍人をやりながらでもいいじゃないか。口にしかけて飲みこんだ言葉は、しかしバンには見透かされていたのかもしれない。
    「お前にとっては『そんなこと』なのかもしれないけど、これが俺のやりたいことなんだよ」
     もはやそれに対して言い返すことすら思いつかない。反論の余地などこれっぽっちも、残っていなかった。
    「お前にもあるだろ、やりたいこと」
     そう問われたトーマには、答えが思いつかなかった。

     トーマ・リヒャルト・シュバルツがそんな話をしているとき、帝都を挟んで逆方向に存在するとある帝国軍基地では、彼の兄――カール・リヒテン・シュバルツが二人の男女と話しあっていた。
     基地としては小規模な上、老朽化が進み近いうちに基地ごと移転する話すら持ち上がっている。そんな取るに足らない基地に、先月将官に進級したシュバルツが滞在しているのは異例中の異例だった。
    「――では、二人ともよろしく頼む」
     厳めしい階級に似つかわしくないさわやかな笑みを浮かべ、シュバルツはバインダーを閉じながら男女の顔を交互に見渡した。
    「なーんか相変わらず軍人みたいなことさせられるわねえ。まあ、払うもの払ってくれるんだったらいいんだけどさ?」
     ムンベイは言葉の上でこそ納得していないような口ぶりだが、頼まれたことについては別段異存はない。報酬はきちんともらえるし、依頼主はガイロス帝国、窓口はなじみ深いシュバルツとなれば不安要素は一つもない。口元が緩みそうになるのだが、隣に座っている男はどうにも納得していないらしい。
    「アンタねえ、いつまでぶーたれてんのよ。ガーディアンフォースだったんだからいいじゃないのよ」
    「俺はそんなもんになった覚えはねぇ」
     彼女に話を振られたアーバインは、本心から嫌そうな顔をしている。が、気に入らない仕事は引き受けない彼が大人しく椅子に腰を下ろしているのだから、なんだかんだでシュバルツが抱えている難儀な案件を手伝うつもりはあるのだろうし、そもそも彼だって義侠心のようなものは持ち合わせているのだ。
    「誤解しないでほしいのだが、私は君たちを軍人扱いするつもりはない。あくまで今回は帝国からの要請だ」
     書類上の依頼主は皇帝陛下本人だ。あの曇りない二つの目を思い出し、アーバインは腕を組んだまま呻ってしまう。
     ムンベイはめんどくさそうな顔をしながらアーバインを小突いた。
    「そうよ、アタシはともかくアーバイン、アンタはもともと傭兵みたいなもんだし、違うことと言えば今回の依頼主が帝国ってだけでしょうよ」
    「傭兵じゃねえ賞金稼ぎだ」
    「いいじゃないのどっちでも。報酬はもらえるんだし」
    「……お前にゃプライドってもんはねえのか」
     女ってのはこれだから。と、顔に浮かんでいるのをムンベイは歯牙にもかけなかった。
    「帝国軍が腕を買ってくれるのよ? 運び屋冥利につきるってもんよ!」
     この場合は窓口であるシュバルツの知り合いだからという理由なのであって、腕を買われた云々は一番の理由ではないのでは……と、アーバインは口には出さずに溜息だけを吐いた。何を言っても無駄だ。ムンベイが依頼を受けるとなれば自分もひっぱられるに違いない。
    「しょうがねえな……」
    「なーにもったいぶってんだか。 ルドルフの頼み、最初から断る気なんかなかったくせに、いちいちまどろっこしいったらありゃしないわよ」
    「なんだと?」
     シュバルツがさえぎるようにこほん、と咳払いをする。
    「仲がいいのは結構だ。その調子で現地でもよろしく頼む」
     仲がよくなんてないわい。
     と、反論しようとするが、シュバルツが立ち上がって窓の近くへ歩いていくので二人はタイミングを逃してしまった。
     窓の外はさすがに軍事基地の周辺とあって、目に見える範囲には集落の類はない。冬の冷たい荒野の、薄汚れたような茶色がただ広がっている。もの悲しい光景だ。
    「先だっての騒乱でわが軍も共和国軍も・・・・・いや、軍人だけではない。多くの命が失われた。いまだ混乱の続く地域もあるが、人員不足の軍だけではどうにも手が回らない。退役した元軍人、予備役だった者、士官学校の候補生、そこまで手を回してもまだまだ足りない」
     そもそもシュバルツがここにいるのも、本来の基地の長が別の任務に就かざるを得ないほど人手が足りないためだった。
    「それで俺たちにお鉢が回ってきたってことか」
     シュバルツは、窓の外を見つめたままうなずく。
    「…………あんたらの事情なんか知ったこっちゃねえんだけどな」
     とってつけた言い訳のようなことばをムンベイはひそかに笑った。
    「しっかし、こんなときに火事場泥棒みたいなことする連中がいるなんて世も末ってことだね、戦争も騒乱も終わったってのにさあ」
     呆れたように言いながら、ムンベイが脚を組み替える。と、アーバインが冷笑した。
    「そいつらも食ってくためには必要なんだろうさ」
    「だからって、何の罪もない村を襲撃するなんて許されることじゃないよ」
    「その通りだ。このところガイガロス郊外に出没する盗賊団が次に狙うのはここだろう」
     シュバルツが指差した地図上の場所は、この基地からもかなり離れた、小さな村だった。
    「奴らが使っているゾイドの数はそう多くはない。 武装を改造したダークホーンが一体、小型ゾイド……おそらくヘルキャットとみられる機体が何体か。合計で四体から六体らしい」
    「らしい、って何よ」
    「すまない、こちらも情報が入り乱れて正確なことはわからんのだ」
    「アンタが謝ることでもねえだろ。まあ、その程度ならなんとかなるだろうが……」
     頭の中で算段をしているのか、アーバインが顎のあたりに手を持って行く。
     それを見て、ああ、と、声を上げたのはシュバルツだった。
    「言い忘れていたがトーマ・シュバルツ大尉も同じく任務にあたってもらう」
     シュバルツ曰く、軍が何もしないように見られるのは体面が悪いらしい。それもそうだろうとムンベイたちは頷いた。要するに二人のお目付け役というわけだ。
    「そうなの? へえ……しかも大尉ねえ……」
    「形式だけの昇進だ。私と同じさ」
    「その大尉殿は現地にいるのか?」
     揶揄するようなアーバインの口ぶりに、兄であるシュバルツはこめかみのあたりを指で押さえながら眉を寄せた。
    「……別の任務の報告を兼ねてこの基地での打ち合わせに参加するように言っておいたのだが、どうにもどこぞかで油を売っているらしいな」
     壁の時計を気にするシュバルツは特に苛立っているようには見えないが、内心ではどうなのだろう。ほとんど感情的にならないタイプだろうな、とムンベイはシュバルツを評しているし、その評価は外れてはいないと思っている。
     おそらく内心では時間通りに現れないトーマに腹を立てているだろうし、それ以上に心配もしているのではないだろうか。
     なんと言っても兄弟なのだから。
     推測したところで、詮無いことではあるのだが。
    「失礼します」
     その時、控えめなノックと共に女性仕官が部屋に入ってくる。
     基地内で一番重厚であろうドアを静かに閉め、彼女はその場に直立した。
    「どうした」
    「トーマ・シュバルツ大尉から連絡がありました。これから基地へ帰投されるそうです。二時間ほどで到着予定と思われます」
    「なるべく早く――いや……大尉には直接現地に向かうように言ってくれ」
    「了解しました」
     終始抑揚のない声で用件を済ませると、美しい敬礼をして彼女は立ち去った。軍人かくあるべし、という気概が全身からオーラのように発されている気がする。
     どちらかというといい加減もとい、緩やかな気風の共和国軍になじみの深いアーバインとムンベイは、居心地悪いような身の引き締まるような、妙な気分になってしまう。
     その二人の方を見て、シュバルツはわずかに眉を下げた。
    「申し訳ないが、時間がそうあるとは思えんので、大尉とは現地で打ち合わせをしてもらえないだろうか」
    「ないだろうかも何も、そうするしかねえんだろ?」
     アーバインが立ち上がると、ムンベイもそれに倣う。
    「じゃ、ちゃちゃっと片付けてこようかね」
     気軽なムンベイの言葉にアーバインがげんなりとした顔になる。
    「何が『ちゃちゃっと片付ける』だよ……お前はグスタフでシェルター引っ張ってくだけだろうが」
    「アンタがささっと片付けてくれればあんな重くてでかいもん使わなくて済むんだけどねえ?」
     万が一のために住民の避難用の頑丈なシェルターをグスタフで曳いていく。それがムンベイの役目であり、アーバインと、そしてトーマは盗賊団を叩くのが任務だった。
    「その通りだな……難しいとは思うができれば襲撃前に叩いてもらいたい。住民の命はシェルターに避難してもらえば守れるが、家や畑はそうはいかない」
    「簡単に言うぜ」
     アーバインは笑う。とはいえ、一番じれったい思いをしているのはシュバルツ自身だろう。
     将官の肩書が付き、一時的に基地の責任者となってしまった以上個人レベルでの行動は当然できない。とはいえルドルフの即位後は文民統制が徹底してなされ、将官のシュバルツですら勝手に兵を動かすこともできない。トーマについては、彼は一応まだ、裁量権の高いガーディアンフォース預かりなので今回出動が可能だった。それだけだ
    「そんじゃ、行きますかね……弟に伝言あったら言っとくけど……どうする?」
     寸の間、シュバルツはためらい、苦笑する。
    「いや、結構だ」
    「そりゃそうか。そろって軍人になるくらいだもん、仲いいわよね」
     苦笑するムンベイに、珍しくシュバルツは、その目に戸惑うような色を浮かべた。
    「……私は反対したんだがな」
    「え?」
     何やら拙いことを聞いたかもしれない。
     ムンベイがそう思って謝ろうとすると、室内に小さなアラームが響いた。通信機のディスプレイが時刻表示と共に点滅しているのを見て、シュバルツはアラームを止める。
    「すまない、定期連絡の時間だ。では、よろしく頼む」
     半ば追い出されるようだったと思えないでもない……と、ムンベイはグスタフの操縦席で考え込む。そんなに妙なことを聞いたとは思えないし、あの兄弟の仲が悪いというのも考えにくい。とすれば、
    「ねえ」
    「なんだよ」
     アーバインのライトニングサイクスに通信回線を開く。ぶっきらぼうな返事は不機嫌なわけでも疲れているわけでもなく、この男の通常通りの反応だ。
    「なんで反対したのかね?」
     シュバルツはそのあたりの事情が今も引っかかっているのではないかとムンベイは推測してみる。しかしそもそも何故兄は弟の志願に反対したのだろう。シュバルツ家と言えば代々軍人を輩出してきた帝国きっての名家云々というのは当のトーマから耳にタコができるほど聞かされている。軍人にならないことを咎められるのならまだ理解できるが、その逆というのはどういうことなのだろう。
    アーバインは眠そうに大あくびをした。
    「知らねえよ。向いてねえとでも思ったんじゃねえか?」
    「向いてないのかしら……アンタはそう思うの?」
     ノイズ交じりに笑い声が漏れ聞こえる。
    「考えてることがすぐ顔に出るやつは軍人どころか賞金稼ぎにも向いてねえよ」
    「ああ、そりゃそうだ。バンにはつっかかっていくし、今日は基地に戻らないし……悪い人間じゃないと思うんだけどねえ」
     例の騒乱時は行動を共にしていたのだが、どうもトーマは直情的で熱くなりやすく、それがミスにつながることも少なくないように見える。根が素直でまっすぐと言えば聞こえはいいだろうが、確かに軍人に向いているかと聞かれると、自信を持って「向いている」とは言いづらい。
    「向いてないのかしらねえ……」
    「さあな……兄貴のほうはその辺よくわかってんだろうな」
     そりゃあ、同じ家に生まれて同じ家で育った兄弟なのだから、と、言おうとしたムンベイは思わず笑い声をこぼしてしまった。
    「んふふ」
    「……なんだよ気色悪い」
     呆れ交じりの返答にムンベイは眉を吊り上げた。
    「失礼ねえ。……ただ、あの二人にもこーんなに小さい頃があったのよねえ、って思ったらなんか笑えてきて」
     こーんな、と言いつつ自分の腹のあたりの高さで手のひらをひらひらさせるが、音声通信のみのアーバインには伝わるはずもない。もっとも、仮に映像で見ていたとしてもアーバインは何の興味も示さなかったに違いない。
    「余裕だなムンベイ。足ひっぱんじゃねえぞ」
     これ以上くだらない話に付き合うつもりはない、と言わんばかりに、アーバインは通信を切ってしまった。
    「こっちの台詞だっての!」
     悪態をついてもすでに相手には届きはしない。 ムンベイはオレンジ色のキャノピー越しに広がる冷たい荒野の先を見遣った。目的地は、まだ見えない。


     兄であるカール・リヒテン・シュバルツが、ガイロス帝国士官学校への入学を決めたとき、弟のトーマはまだ七歳だった。
     小さなトーマが寮生活のために荷造りをする兄の後ろをちょろちょろとついて回ったり、手伝いにもならぬ手出しをするさまは微笑ましくもあったが、一方でその顔に寂しさと悲しさが浮かんでいるのも事実だった。優しい兄が長期間家を空けることを理解はしていても心情的に納得はしていないらしいトーマは、結局兄の出立の前日にちょっとした騒動を起こしてしまった。
    「ぼっちゃまー!」
    「トーマぼっちゃまー!」
     使用人たちはほぼ総出で邸の中と庭を捜索している。トーマは外よりも部屋の中で遊ぶ方が好きな子供なので、邸の外には出ていないだろう。という意見が全員の間で一致している。とはいえ帝国屈指の家柄であるシュバルツ家の敷地は内も外も広大なだけあって、ちょっとやそっとでは小さな子供一人見つけられないのが事実だった。
     短い夏も終わりにさしかかる頃だけあって、日暮れの庭は肌寒い。 父は執務からまだ帰らず、母は邸内の捜索に加わっている。 十五歳のカールは庭を歩き回りながら、弟のふわふわとしたくせ毛を探していた。
    「トーマ! どこに行ったんだ!」
     こんな面倒をかけるような弟ではなかった。 出来が悪いとか、親から愛されていないわけでもない。とはいえことあるごとに兄のカールと比べてどうだのと評されているのは知っている。
     同じ親から生まれたとはいえ別の人間なのだ、比較されて何か言われるのはカールだって嫌なのだが、比較された上に、いくらオブラートに包んでいるとはいえ「兄よりも出来がよくない」と言われるトーマはなおのこと不愉快だろう。まだ子供だから
     わからないと思っているのかもしれないが、そういう悪意に対して最も敏感なのは他ならぬ子供自身だ。
    「トーマ、いるなら出てくるんだ。 怒らないから、ほら、夕食の時間だよ」
     迷路のように入り組んだ、腰ほどの高さの生垣の間を練り歩きつつ弟に呼びかける。母が目をかけているバラの花壇、カールが昨年植えた百合の鉢、そして唐突にビデンスが植わっているあたりを通り過ぎようとしたとき、足元に小さな影を見つけた。
    「お前、ここにいたのか」
     トーマは小さな体をさらに小さくして、膝を抱えて座り込んでいた。黄色いビデンスの花に紛れ、泣き顔が夕日に照らされている。ここはカールが百合を植えるとき、誤って種の入った袋をトーマがばら撒いてしまったせいで、ビデンスの花が植わってしまった。兄の真似事をしようと勝手に倉庫から持ち出したらしいが、転んで袋の中身をまき散らして、挙句ひざをすりむいたトーマを咎める者は誰もいなかった。
     ビデンスの芽が出てくると、母は笑いながら、「それならここはこのまま、トーマの花壇にしてしまいましょう」とその周りをレンガで囲った。その作業をカールも手伝ったのはまだ記憶に新しい。
    トーマが腰かけているのは、そのレンガの枠の上だった。
    「にいさん、」
    「心配したぞ」
     しゃくりあげるトーマの前にしゃがみこみ、カールは微笑みながら小さな頭を撫でた。くせのない直毛の自分とは違って、トーマの髪は巻き毛のようにふわふわとしている。赤ん坊のころは皆から「天使のようだ」とかわいがられていたものだった。
     もちろん成長した今、かわいがられていないわけではない。トーマを探そうと躍起になっているこの屋敷の人間は、一人残らず純粋にトーマの身を案じて行動しているのだから。
    「ほら、家に入ろう。みんな心配してる」
     できるだけ穏やかに話しかけたつもりだったのだが、トーマは叱られるとでも思っているのだろうか、ぎゅうと目をつむって首を横に振り、拒否の意思表示をしている。
    「誰も怒りはしないさ、ほら」
     手を差し伸べてもトーマはそれを取らない。それどころか、兄の手から逃れたいかのように身をさらに編ませて後ろにのけぞろうとしている。
    「何してるんだ、花壇の中に転がり落ちるぞ」
     カールはいい加減、空腹でもあったし苛立ってもいた。それなのに一向に動こうとすらしない頑なな弟を、いっそ抱えて連れて行こうかと無理矢理両肩を掴んだところ、トーマは再び泣き出してしまった。
    「なんで泣くんだ……」
     とっさに手を放してしまったが、これでは埒があかない。 途方に暮れたカールはべそをかいた弟の顔をハンカチでぬぐう。涙と鼻水にまみれた顔が綺麗になると、トーマは少し落ち着いたのかしゃくりあげるのをやめた。
    「なあトーマ、泣いても喚いても、僕は明日から士官学校に行かなきゃいけないんだ」
     トーマは小さくうなずく。
    「しばらく帰ってこないけど、父さまや母さまもいる。 寂しくはないだろう?」
     再び、トーマはうなずく。やはり頭ではちゃんとわかっているのだ。カールは弟の肩を掴み、にこやかに言い聞かせようとした。
    「だから僕がいない間、父さまがお仕事の間は、男のお前が家を守るんだ、いいね?」
    すると再びトーマは泣き出す。
    「だ、だからなんで泣くんだ?」
     思わず動揺してしまい、カールはその場に座り込んでしまった。あぐらをかいた兄を、トーマは涙をいっぱいためた目で見上げる。
    「みんな、ぼくにそういうんです。 にいさんがいなくなるから、そのあいだはちゃんとにいさんのかわりに、いえをまもれって。でも、ぼくにはできません」
    「どうして?」
    「だってぼくはにいさんみたいに、なんでもできない」
     カールは何も言えなかった。
     劣等感に押しつぶされそうな弟に、何を言えばいいのかわからなかった。
    「ぼくは、にいさんとおなじにするのはむりです」
     文武にすぐれ周囲からの期待も大きく、いずれは名門シュバルツ家の跡を継ぐことが約束されているとは言っても、カールはまだ十五歳の少年なのだ。弟に正しいことを説き、導く役目は彼には重すぎた。
     それでも、泣き止まない弟を放っておくことはできない。
     カールはトーマの小さな手を握る。
    「……トーマ、できないできないと言ってる間は本当にできないし、だからできないんだ。自分だってできるって思えば、なんでもできる。あたりまえだ。おまえはこの僕の弟なんだから。僕みたいになれる。なれるさ」
    「ほんとうに?」
    「ああ、本当だ。僕が嘘をついたことなんてあったか?」
     トーマが即座に首を横に振る。と、邸のほうから二人を呼ぶ声が響いた。
    「ほら、みんなが探しにきてる」
     屋敷の中をくまなく探しきったのだろう。使用人たちの声がだんだんと近づいてくる。
     トーマは不安そうに兄を見上げた。
    「おこられない?」
     カールは弟の目じりに残った涙を拭いてやり、くしゃくしゃと頭を撫でる。
    「怒られないさ。僕がちゃんと言ってやるから」
     苦笑したカールは、弟と手をつないで歩き出す。
    「にいさん」
    「うん」
     ぎゅうと手のひらを握りしめられる。見下ろしたトーマの顔は、泣き笑いのようだった。
    「にいさん……がっこうにいってもがんばってください」
    「うん、ありがとう」
     士官学校を出て本格的に配属されたとなれば、家に戻れるのも今まで以上に稀になるだろう。トーマは、寂しがるに違いない。
     なるべく、家には帰るようにしよう。 帰るときには、弟の好きなものを買って行こう。
    「そうだ、トーマ、一つ頼みがあるんだ」
     ふと思いついて、カールは視線を下げる。 きょとんとした顔の弟は頼みと聞くと少しだけ表情を明るくした。
    「なに?」
    「この前お前が作った――」


     ナデルバルトという名の村は、深い森を抱く山のふもとに位置する小さな村だった。主な産業と呼べるほどのものはない。
     山を切り開いた耕作地は狭く、例年厳しい寒さのため余剰分が出るほどの収穫も見込めない。
    しかし、貴金属の加工に関しては昔から一定の評価を得ているらしく、日々の農作業の合間をぬって制作されたものは高値で取引されることもあった。とはいえ最近ではその技術を買われた者は帝都をはじめとする都会の工房に引き抜かれ、村に残った人々が日常何をしているのかというと、やはり細々とした農作業ばかりだった。
    「遅い!」
     ナデルバルトに到着したアーバインとムンベイを出迎えたのはトーマだった。
    「いい気なものだな、いつ盗賊どもが襲ってくるかわからんというのに」
     それもねちねちとしたお小言付きなものだから、二人とも呆れて物も言えない。
    「アンタこそ基地の打ち合わせに顔も出さなかったくせによく言うよ!」
    「自分の寄り道は棚に上げて他人に説教たあ、大尉殿はずいぶんといいご身分みてえだなあ?」
    「そ、それはだな……」
     ムンベイの指摘とアーバインの皮肉にトーマはぐっと言葉に詰まってしまう。
     あの時点でトーマがいた場所のほうが、ムンベイたちがいた基地よりもナデルバルトに近い。おまけにムンベイのグスタフは低速な上に重いシェルターを曳いていたのだから遅く到着しても何の不思議もない。なので、アーバインとムンベイからすればトーマのお小言など言いがかりのようなものだ。
    「り、臨機応変に行動することも軍人としては重要なことだ!」
    「よく言うよ……」
     げんなりとした顔を隠すことなくムンベイは肩をすくめた。
     さすがに口には出さない、というか出せないが、軍人に向いているかいないかと聞かれれば、こうやって自分だけに都合のいいことを当たり前のように言うトーマは軍人には向いていないと言ってもいいのかもしれない。
    「貴様たちが遅いからこの俺がこの通り、必要事項をまとめておいた」
     都合が悪くなったと見たトーマは話を変えようとする。 ぺらりと差し出された紙切れには、何やら数字が書かれていた。
    「必要事項?」
     いまいち要領を得ないムンベイに、トーマはなおも苛立った顔を向けた。
    「住民の数だ! シェルターに避難させるなら数が必要だろう!」
    「ああ、なるほど。そりゃ……」
     それはそうなのだが、その情報はシェルターを用意する前に必要なのであって、すでにシェルターが運び込まれた現時点で提示されてもどうしようもない。
    「そりゃ、どうもね」
     なんとなく断りづらくて、ムンベイはその紙切れをありがたく頂戴した。
    ・大人百六十七人
    ・子供 五十八人
    ・作業用ゾイド 三体
    「けっこう子供が多いのねえ、ここ」
     ムンベイが思わずそう言うのと同時に、アーバインは積み上げた枯草の陰からこちらを見ている子供たちに気が付いた。
    「………ん?」
    「あっ」
     眼帯を付けた強面の男と目が合って、数人の少年少女たちはさっと身を隠す。
    「なに? どしたの?」
    「いや、そこにガキが」
     そこ、と指差す方を見ると、確かに小さな靴を履いた足が見え隠れしている。
     ムンベイは笑いながら声を張り上げた。
    「出といで! このゴリラみたいな兄ちゃんは見た目ほど怖くないからさ!」
    「誰がゴリラだ、誰が」
    「アンタよアンタ。 そういう顔するから子供が寄り付かないのよ」
     言うとおり、子供たちは姿を見せない。 ムンベイは苦笑しながら枯草の山に近づいていった。
     ひょいと顔を出して覗き込むと、まだ十にも満たないくらいの子供が四人、怯えた顔をしていた。
    「どうしたの?」
     できるだけ柔らかい笑顔を作ってやると、四人の中で一番年上を見られる少年が口を開いた。
    「あ、あのう、あの黒いゾイド、おねえちゃんたちの?」
     黒いゾイド。 アーバインのライトニングサイクスだろう。
    「あれ? あれはね、あのゴリラ兄ちゃんの」
     この期に及んでなおゴリラと言うか。指差されたアーバインはもはや言い返す気も起きずに腰に手を当てて立っているだけだった。
     一方の少年たちはというと、見知らぬ大人とはいえまだ話しかけやすそうなムンベイではなく、どう見ても関わりづらいアーバインが持ち主だと知って落胆と狼狽を隠しきれなかった。
    「ゾイド、好きなの?」
     尋ねてみると、四人そろって大きくうなずく。
     ははん、とムンベイは目を細めた。
     アーバインのライトニングサイクスは最新鋭機で、そこらに出回ってもいない。何しろあの研究所からいわばぶん捕ってきたようなものだからそれも当然だ。
     見たこともないゾイドを見たいと思うのは子供も大人も同じだろう。 村に入る途中にも好奇心むき出しの視線をいくつか頂戴していた。 アーバインはさぞ居心地悪かったろう。
     ムンベイはにこりと笑う。
    「頼んでみてごらんよ? おねえちゃんがいっしょについてってあげるからさ?」
     小さい頃の自分を思い出すようで放っておけなかったのだ。ゾイド乗りなんてやってる人間で、 ゾイドが嫌いなやつはいない。 アーバインだってそうだ。だから子供たちに見せてやらないわけはない。
    「本当?」
    「ほんとにみせてくれるの?」
    「大丈夫だって!」
     小さな手を引いて、ムンベイは子供たちを促した。居心地の悪いアーバインは、頼まれるのが嫌だったのか、それとも照れ臭かったのか、頼みこまれるより先に子供たちをライトニングサイクスのほうへと促した。
    「微笑ましい光景だわねぇ」
     満足そうに笑いながらアーバイン達を見送るムンベイと一緒に、トーマもぼんやりと同じ方を見ていた。
    「でもこのあたりじゃディバイソンも珍しいんじゃないの? 見せてって言われなかった?」
     共和国製ゾイドであるディバイソンを帝国領で見かけることはあまりないのではないか。同じ共和国製とは言っても輸送用ゆえいたるところでお目にかかるグスタフはこの際レアリティの問題外だ。
    「……ああいう高速ゾイドが、子供は好きなんだろう」
     察するに、トーマのディバイソンは不人気……とは言わずとも、ああして囲まれることはなかったらしい。
     高火力で重装甲のディバイソンにも愛好家はいるとは思うが、子供にはまだわからないのだろうか。きっと足の速い男子が女子に人気なのと似たようなものだろう。それも少し違うか。ともかくムンベイはそう納得することにした。
    「アンタも子供のころはあんな感じだった?」
    「は? 何を突然……」
     トーマは予想しなかった質問に目を丸くした後、怪訝そうに細めている。感情も豊かなら表情も豊かなことだ。
    「いや、ゾイド好きが高じて軍人にでもなったのかな? って思って」
    「はあ……馬鹿馬鹿しい」
     嫌味なほどに長い溜息の後、トーマは胸を張った。
    「我がシュバルツ家は代々栄誉ある軍人を輩出してきた。父も兄も生まれながらに軍人となることを定められていたようなものだ。ならば俺も軍人になるのが当然というものだろう! ゾイドの好き嫌いなど関係ない!」
     一息に言い切ると、満足したようにトーマは口元を緩めた。
     心なしか頬まで血色がよくなっている気がする。
     ムンベイはそのエリート意識とも呼ぶべきかもしれない彼の自負に、呆れ半分に頷いていた。
    「はあ、そりゃご立派なことで……あれ?」
     ムンベイは首を傾げた。何か違和感があるのだ。
    「でもアンタ確か、ヴァシコヤード・アカデミーに通ってたんじゃないの? それも飛び級で」
     フィーネから聞いたことだ。ヴァシコヤードと言えば帝国の頭脳との評判も名高い名門中の名門校だ。生半可な実力で入学できるわけもないそのアカデミーに飛び級で入学したというのだからトーマは本来その方面が得意分野のはずなのだ。
    「そうだよ、大体そのビークだって自分で開発したんでしょ? 別にそれが悪いって言うわけじゃないけど、なんでわざわざ自分が最前線に出てくるのさ?」
     研究者なのだからわざわざ戦場に赴く必要もあるまいとムンベイは考えていた。もちろん、正式に卒業した後に軍属になったとあればそれは不自然ではない。が、仮にそうだったとしてもトーマの場合、兵器開発のような部署に配属されそうなものだ。なぜまたガーディアンフォースなんて、危ないところに……。
    「関係ないだろう、そんなこと」
     都合が悪いのか、トーマは苦虫をかみつぶしたような顔で地面を睨んだ。何があるわけでもない。むしろ、何もない。
     ムンベイは追及をやめなかった。
    「でも、変よ。だってアンタ、今は休学扱いになってるんでしょ?」
    「なんでそれを、」
    「フィーネ」
     この名前を出すと大人しくなるのは少し前から変わらない。涙ぐましいようで複雑な気持ちになるが、ムンベイは食って掛かろうとしたトーマをけん制した。
    「フィーネが言ってたんだよ。休学ってことはまた戻るの?」
    「お前には関係ない。……俺はビークの調節をしてくる」
     気まずそうに吐き捨てると、トーマはディバイソンの方へ大股で歩き去った。
    「変なこと聞いちゃったかね?」
     半ば確信しつつムンベイはため息を吐いた。アーバインは相変わらず子供たちに囲まれている。僕も乗せてほしい、馬鹿言ってんじゃねえ。そんな応酬が冷たい風に乗って運ばれてくる。
     それを聞くともなく聞いていたムンベイは、背後から声をかけられた。
    「あの、もしかして、軍から派遣された賞金稼ぎの方でしょうか?」
    「そうだけど?」
     振り返ると、ムンベイよりも二歳ほど年下に見える少女が立っていた。ざっくりとしたストールを羽織り息を切らせている彼女は、赤く染めた頬のまま安心したように笑う。
    「よかった……あ、私、エルマと申します。村長の妹です」
    「ああ! そうなの、あたしはムンベイってんだ。よろしく――妹?」
     見た限り、エルマはせいぜい二十歳前後。娘ではなく妹。 ということは、村長もずいぶん年若いに違いない。
    「すみません、兄は足が悪くて、その、みなさんをお迎えに上がれず……」
     ムンベイの驚愕を勘違いしたのだろう、エルマは瞼を伏せて詫びた。 慌ててムンベイも両手を振る。
    「ああ、そうじゃないのよ! ずいぶん若い村長さんなのねって思って」
     ムンベイの故郷もそうだったし、二年前の旅の道中に立ち寄った街やコロニーも、大半は老人世代が代表を務めていたものだ。
     エルマの表情に陰りが見える。
    「あ、はい……昨年父がなくなりまして」
    「あ、そ、そうなの……それは、」
     ご愁傷様……。ムンベイは消え入りそうな声で辛うじてそれだけ述べると、居心地の悪さに頬を掻いた。
    父を亡くし、おそらく家長である兄も足が悪いとなれば苦労も多いことだろう。そこにこの、盗賊団の騒ぎである。同情するつもりはなかったが、さすがに気の毒だと感じてしまった。
     エルマは気丈にも明るく振る舞って見せる。
    「私たちが避難できるシェルターを運んできてくださったと聞きました。よろしければ、兄に詳しいお話をお聞かせ願えませんか?」
     ド田舎の村娘にしては、というと失礼だが、エルマはなかなか育ちのいい娘に思えた。
    「そりゃもちろん。案内してくれる?」
    「はい!」
     ムンベイはライトニングサイクスの方へ声を張り上げた。
    「アーバイーン! あたしは村長さんのところに行くからー!」
    「は⁉ てめ、ちょっ……」
     相変わらず子供たちに捕まっているアーバインはすぐには行動できない。それを放ったまま、ムンベイはエルマと共に歩き始めた。
    「……いいんですか?」
    「いいのいいの。ああ見えて子供好きなんだから」
     適当な言い訳と共に手をひらひらとさせながら、ムンベイは村の一番奥まった家を目指す。そこが、エルマと兄、テオの住む家だ。
     道中、ムンベイはエルマから色々なことを聞いた。母親はエルマたちが小さい頃に亡くなったこと。父親が亡くなったのは、先の一連の騒動が原因だったこと。兄は手先が器用なので、足が悪くても彫金細工でなんとか生計を立てられるということ。
     その兄は、かつてヴァシコヤード・アカデミーに在籍していたこと。


     村の子供たちにさんざ懐かれたアーバインは、ムンベイがエルマの家に招かれて三十分ほど経った後にようやく姿を見せた。
    「ひでえ目にあったぜ」
     言うほどうんざりしているように見えないのは、なんだかんだで彼も子供と接することが嫌いでも苦手でもないからだろう。
     そうでなければバンやフィーネ、そして彼らよりもさらに幼かったルドルフと旅をするなんて到底できなかったに違いない。と、ムンベイは確信している。
    「ごめんなさい、あの子たち、ゾイドが好きで……。あんなに珍しいゾイドを見て、きっとはしゃいでしまったんだと思います」
    「あ、いや、別にいいんだが」
     申し訳なさそうに眉を下げるエルマに、アーバインはたじろぐ。この男、どちらかというと子供よりも女のほうが苦手なのかもしれない。
     エルマは三人分の茶を淹れ終わると、夕食の支度をすると言って応接室を出て行った。
     兄妹二人だけで暮らしているとはいえ、さすがに村長の家は広く、過ごしやすい造りになっている。
     ムンベイはエルマのお茶を一口飲むと、対面に座るテオの顔を見つめた。
    「それで、トーマはいないけど、いいの?」
     明日以降のことについてムンベイとアーバインは、村長であるテオ・ローベルの話を聞くことになっている。が、ここにトーマはいない。大方ディバイソンのコックピットに籠って何かしているか、あるいは何もしていないのだろう。
     テオ・ローベルは妹のエルマに似た、優男風の外見をしている。線は細いが意思の強そうな目は、村長の任を背負っているからだろうか。
     その目を細めてテオは苦笑した。
    「あいつとは先に少し話しました。アカデミーにいたころとはずいぶん変わって……」
    「なんだ、アンタ、あいつのこと知ってたのか」
    「ええ、僕もアカデミーに在籍していたんです。 脚がこの通りになってしまったのと、村長をやらないといけないので休学していますが」
     そう言って笑うテオの右足は、膝の関節を含めてそれから下が全部、金属の義足になっていた。
     アーバインは無言でそのつま先を見ている。 どうしてそんなことになったのか、聞いていいものか逡巡しているようだった。
     テオは、慣れているのだろう。聞かれる前に口を開く。
    「旧プロイツェン派のテロで、ヴァシコヤード・アカデミーの研究室が狙われました。僕は片足で済みましたが、友人が何人か……」
    「……そりゃ、」
     災難だったな、と、軽く言えるものなのかよくわからない。
     テオの口ぶりから、彼の友人の数人はそのテロで命を落としたのだろう。生き延びることができたのなら、それは確かに「片足で済んだ」のかもしれない。が、それは本人だから言えることであって、アーバインやムンベイからすれば、片足の喪失はあまりに大きな被害としか言えない。
     沈黙に支配された場を、テオは笑顔で破ろうとした。
    「トーマは、もっと運がよかった。あいつはその日、たまたま建物の外にいたんです。たしか兄上が迎えに来るのを確かめに行ったんじゃなかったかな……」
    「へえ……」
     そんなことはつゆ知らず、ムンベイもアーバインも目を丸くして驚いた。
     トーマは知らずのうちに命拾いしていた。それは確かに運がいいと言えるだろう。
     しかし、兄と待ち合わせている間に研究室が襲撃され、友人数人を亡くし、テオも大怪我を負い。
     トーマはそれを、どう感じただろうか。もちろん近しい人の死を悼む気持ちや、テオに対するなんらかの、同情のような感情もあっただろう。それ以上に、彼は自分の不甲斐なさだとか、罪悪感に打ちひしがれたのではないだろうか。
     ムンベイはふと、テオに向かって尋ねてみることにした。
    「あの、どうしてトーマがアカデミーを休学して、軍に入ったのか、知らない?」
    「軍に?」
    「おい、」
     アーバインが咎めるような視線を投げるが、ムンベイはひかなかった。
    「だっておかしいでしょ? 研究者だったのに、それをなげうって最前線に出てくるなんてさ。兵器開発専門で、ずっと帝都のラボにいるとか、そういうんならあたしだってわかるけど」
     テオは顎に細い指を当てて少し考え込む。
    「それは……僕にもよくわかりません。でも、確かにあの事件から一か月ほどで、あいつは軍に入りました。何か関係があるのは、事実だとは思いますが――」
    「テオ、入るぞ」
     そのとき、当の本人が玄関のドアを無遠慮に開けて入って来たらしい音が聞こえた。不自由なテオに余計な手間をかけさせたくないのだろう。
    「トーマ、ここだ! 応接室! お二人もいるぞ!」
     ああ、と快活な声でテオの呼びかけに答えたトーマがすぐに来ると思いきや、エルマの声がそれを遮る。
    「あ、すみません大尉さん。手が離せなくて……すぐにお茶をお持ちしますね」
    「いえ! お構いなく! 食事の支度でお忙しいでしょう? いやあとてもいい香りですね」
    「え? ええ……」
     エルマが慌てて出迎えたらしいが、トーマは鼻の下でも伸ばすのに一生懸命なのだろう。なにせあの男、惚れっぽいことにかけてはずば抜けている。
     何やら不穏なものを感じてしまい、ムンベイは思わずテオに耳打ちしてしまった。
    「妹さん、あぶないんじゃないの?」
    「ああ、それなら大丈夫です。エルマは……」
     テオがこっそりと教えてくれたことを聞いて、ムンベイもアーバインも驚きつつもトーマに同情せざるをえなかった。いや、別にトーマがエルマに対して明確な思慕の念を抱いているとは思わないのだが。
    そうこうしているうちにトーマが応接室のドアを開けてずかずかと入ってくる。
    「話は済んだのか?」
     開口一番にそういうことを聞くので、テオは苦笑、ムンベイとアーバインはため息を吐くしかできなかった。
    「済んだのかもなにもあんたも一緒じゃないとだめに決まってんでしょうが……」
    「そうか、やはり俺がいないと駄目なようだな!」
     違う、そうじゃない。
     と、否定するのももはや面倒で、ムンベイとアーバインは聞こえよがしにため息をついた。
     苦笑いしていたテオがきゅっと顔を引き締め、口を開く。
    「実は、昨日の時点で盗賊団からの要求が来ています。内容は、冬を越せるだけの食糧と、金銭。明日までに用意できなければ村ごといただく」
    「とんでもない要求してきたもんだね」
    「ええ、その通りです。そんなもの、呑むわけにはいきません」
     テオの力強い言葉は、さすがに村長だけあった。
    「どのみち村の財産全部明け渡せって言ってるのと同じようなもんだろ。俺らが逃しちまえば、また別の村を襲うに違いねえ」
     アーバインの推測にトーマも頷く。
    「これ以上やつらの蛮行を許すわけにはいかん! いいか、絶対にここでやつらを一網打尽にするぞ!」
     相変わらず仕切りたがるトーマをもう誰も止めはしなかった。
     呆れつつも、さすがは軍人として一応の教育を受けただけあって、てきぱきと迎撃のための配置だとか村民の退避場所だとかを指示している。
     知識もあるし、飛び級するくらいだから頭もいいのだろう。
     ムンベイはトーマの、案外がっしりとした顎が檄を飛ばすのをぼんやり見ていた。
     軍人になりたかったのだろうか?
     だったらアカデミーに入学したりするだろうか?
     ムンベイが考えたところで詮無いことだが、迎撃準備の話よりもそちらに意識が向いてしまうのを、止められなかった。


     トーマがヴァシコヤード・アカデミーに入学すると、彼を取り巻くものは一変した。
     飛び級だったものだから、周りは全員自分よりも年上。人見知りでもあったトーマは、周囲とはなじめずに孤立した。
     けれど本人としては孤独なつもりはなかった。
     別に、ともだちごっこをしたくて進学したのではないのだから、一人ぼっちでもかまわない。
     そう言い聞かせるようにしていたので、自分から誰かに話しかけることもなかった。
     寂しくなかったというと嘘になるかもしれない。
     だけどつらくはなかった。
     進学すればいいじゃないか。お前は頭がいいんだから。
     兄がそう褒めてくれたのだ。
     だから逃げ出すなんてことはできない。逃げ出したら、きっと兄さんは僕に失望する。
     そういう思い込みがあったせいか、あったおかげというべきか。 とにかくトーマは一日も欠席せず、アカデミーに通い続けることができた。幸い教授陣からは目をかけられていたし、他の学生からネガティブな感情を向けられることもなかった。親しくつきあうことも皆無だったのと同じように。
     それはともかく、入学から半年ほど経ったある日、トーマは本格的にとあるプログラミングに取り組み始めていた。
     研究課題は「人工オーガノイド」について。
     ゾイドと融合することでその性能を飛躍的に向上させるオーガノイドの確保は帝国、共和国の双方にとって死活問題であったこともあり、かつてはオーガノイドを巡って多数の犠牲者を出した事件も多くあった。
    人工のオーガノイドがあれば、そんな悲しい事件は起こらなくてすむ。それに、量産が可能なシステムを構築できれば圧倒的な戦力を保持し、抑止力として使うことができる。
     こうしてトーマは人工オーガノイドの研究を進めた。
     これがあれば兄は自分を見直してくれるに違いない。
     トーマは日夜を問わず開発に没頭していた。一人きり残されたコンピュータールームで、背後に人が立っても気づかないほどに。
     研究を始めて一年ほどが経った。 共和国との戦争も終わり、オーガノイドを必要とするような状況ではなくなったが、トーマは相変わらず人工オーガノイドの実現に心血を注いでいた。
     完成とは言えずとも、実用レベルまでもう少しでこぎつけられる。そんな折だった。
     その日もトーマは深夜まで大学に残ってうんうん唸っていた。
     どうしても、一か所だけ上手くいかないところがある。何をどう書き換えても動かないアルゴリズムを相手に、正直いらだってもいた。空腹や眠気も一因だったかもしれないが、キリの悪いところで中断したくはない。
     だから遅くまで一人っきりで格闘していたのだが、凝り固まった考えのためか他の要因のためか、問題は一向に解決しない。
     そのとき、背後から見知らぬ腕が伸ばされてくる。
    「ここ、間違ってる」
     節くれだった細い指先がキーボートを軽快に操作すると、あっという間にプログラムが走り始めた。エラーチェックの結果を示す完了音が鳴り、完成を知らせてくれる。トーマは今起こった出来事を認識できずにぽかんと口を開けるばかりだった。
    「あ、ごめん、勝手に書き換えて」
    「いえ……」
     振り返った先に立っている、 突如現れた人影はトーマよりも少し年上の、優しげな面立ちの男だった。それがテオだ。
     研究室で仮眠をとっていたテオは、コンピュータールームが未だに明るいことに気が付いて様子を見に来たらしい。
    「そうしたら、君だ。トーマ・シュバルツ君? ……って呼んでいいのかな?」
    「……はい」
     兄よりは年下だけれど、自分よりは年上。今まで接したことのない年代の相手に、トーマは緊張していた。
    「そんなに警戒しないでくれ」
     苦笑するテオは、おそらく悪い人間ではないのだろう。それはわかるのだが、どういうふうに接していいのかトーマにはよくわからない。
    「あの、ありがとうございました」
    「ううん、それじゃ――」
     そう言ってテオが立ち去ろうとすると、ぐうう、とトーマの腹が鳴る。
     そういえば昼から何も食べていなかった。と、トーマが恥ずかしさに身を小さくさせるのを見て、テオは目を丸くしたあとに大きく噴出した。

    「ちょっと待ってて、今お湯を沸かすから」
     トーマはテオに連れられて、彼の所属する研究室に来ていた。
     腹が鳴ったのは恥ずかしかったのだが、空腹なのは否定できなかった。
    「あの、すみません……」
    「気にしないで。こう言っちゃなんだけど、もうすぐ賞味期限が切れそうなのもあるから。食べてくれると正直助かる」
     そう笑いながらテオが分け与えてくれた買い置きの食料品と、手ずから入れてくれたコーヒーをトーマはありがたく頂戴することにした。
    「砂糖はとミルクはいい?」
    「……大丈夫です」
    「そう?」
     強がってブラックで飲むのだが、テオはたっぷりの牛乳を自分のマグカップに注いでる。それを見ると、トーマは少しだけ後悔した。兄はいつもブラックで飲んでいるものだから、大人は皆そうなのだと思い込んでいたのだ。
     テオは一息つくと、トーマの顔を見据える。興味津々な表情の中に、親しみやすさのようなものがあった。
    「僕はテオ・ローベル。学年は一緒だと思う。あんまりこういう言い方、気に入らないと思うけどさ、君は話題だよね」
    「はあ……」
     何の話だかわからないが、テオはトーマに興味を持っているらしい。
    「飛び級してきたのもそうだけど、人工のオーガノイドを作ろうとしてるって。みんな驚いてるよ」
    「え、」
     意外だった。てっきり飛び級してきたことをあれこれ言われるものと思っていたが、むしろテオが、あるいは周りが注目しているのはトーマの研究内容らしい。
    認められたのだろうか。
     かあ、と顔が熱くなるようで、トーマはコーヒーのマグカップを握りこむ。
    「別に、そんなに大したことをしてるわけじゃないし、大体できるかどうかもまだわからない――」
    「できるさ!」
     力強い声に顔をあげると、テオは輝くような瞳でトーマを射抜くように見つめていた。
    「例え人工でも、オーガノイドを使えばゾイドは動く。スリーパーなんかとは比較にならないほどの強さを備えたままで、だ。それが実現すれば人間は戦争に行かなくてすむ。死んでしまう人だって少なくて済むんだ」
     テオは、誰かを亡くしたのだろうか。
    「あ、す、すまない……つい興奮してしまって」
     気圧されたトーマが二の句を告げずにいると、テオは照れ臭そうに口元を覆った。捲し立ててのどが渇いたのか、コーヒーを一息に岬ると、テオは再びトーマに向き直る。
    「君の組んだプログラム、少し見ただけでもどれだけすごいものかわかったよ。ずるい申し出だとは承知しているけど、頼みがあるんだ。僕は無人兵器の研究をしているのだけど、プログラムを共同開発させてもらえないかな」
    「それは……」
     言い淀んでしまう。確かに、人工オーガノイドと無人兵器の制御システムには、設計思想という点で共通するものは多いと思う。二人で開発すれば負担も減るし、よりよいものができるかもしれない。
     けれど、信用してもいいのだろうか。と、いう不安が一つ。
     もう一つは、過大評価されているような居心地の悪さだった。
     黙り込んだトーマに、テオはそっと微笑んだ。
    「もちろん今すぐに返事が欲しいわけじゃない。いつでもいいから、もし一緒に研究してもらえるのなら、またここに来てくれ」
     そして、カップを掲げ歯を見せて笑う。
    「でも、コーヒーを飲みにくるだけでもいいけどね」
     礼を述べて研究室を出たトーマは思い悩んでいた。
     優秀な兄と比べられ、不出来な自分を恥じるばかりだった過去。そこから逃げるようにして入学を決めたヴァシコヤード・アカデミー。本当に自分は、人から評価されるような人間なのだろうか、そんな技量があるのだろうか。
     やさしい兄は「お前はそういう才能があるのだから」と言ってくれる。けれどそれがやさしさゆえの嘘でないとどうして言い切れるだろう。
    「……いやなやつだな」
     家族まで疑ってしまいそうな自分が恨めしくなる。自分にも何か、自信を持てるようなことがあればいいのに。これまでに何度も繰り返した問答を、また頭の中で広げてしまう。
    ――マイナスの感情に引きずられるな。
     兄の言葉を思い出した。
    ――おまえはこの僕の弟なんだから。
     こんな僕でも、誰かに認められることがあるのでしょうか。
     寮の自室に戻ったトーマは、机の上の小さな影に目をやった。
     カラフルに色分けされた、ヘルキャットのおもちゃ。 ただの置物だったものを改造し、ぜんまいで歩行できるようにしたのは自分だ。
    ――これ、お前が作ったのか!?
     今の自分よりも少し幼い兄が興奮したように目を丸くしている。
    ――すごいなトーマ!
     ああ、あれが最初に褒められた作品だった気がする。
     そっとヘルキャットに触れると、わずかにぜんまいが巻かれていたのか、二三歩進んで、すぐに止まった。トーマはなんとなくひっくり返して内部のチェックを始めてしまう。歯車のかみ合わせには問題ないが、摩耗が激しい。 今度、新しい部品を買ってきて交換しよう。
     トーマは大きな口を開けてあくびをすると、ベッドの中にもぐりこんだ。眠りに落ちる前、そっと決意をしながら。
     明日、テオの研究室へ行こう。


     夜更けの村は寒さの厳しさのせいもあって、外は静かなものだった。テオから貸し出された防寒着をはおり、アーバインは村の外の小高い丘へと足を伸ばしている。散歩などではもちろんない。盗賊団が夜襲をかけるのではないかという懸念からの、見張りのようなものだ。
     向こうはおそらく、アーバインたちが用心棒としてやってきたこと、すなわち、テオが彼らに屈するつもりがないことなどとっくに把握しているだろう。ならば力ずくで村を制圧する可能性は高いはずだ。
    雪が降るほどではないが、冷たく澄んだ空には幾多の星が煌いている。星見を楽しむほど風雅ではないし、そういう場合でもない。
    「さすがに、むやみに近寄ってくるほどバカじゃねえか」
     物音の類は一切ない。 アーバインは眼帯のレンズを廻し、暗視モードをオンにする。
    辺りに怪しい影はなかった。
     夜間に襲撃されないのはありがたいが、明け方まで油断はできないだろう。
    「なんだ、アンタまだ起きてたのか」
     寝床を提供してくれているテオの家に戻ると、エルマが出迎えてくれた。もう日付も変わるだろうに、アーバインが呆れていると、彼女はこう言う。
    「兄と大尉さんのお話につきあってたらこんな時間で。そろそろ休ませていただきます」
     ムンベイはすでに二階の客室で寝息を立てているらしい。
    「ああ」
    「兄たちはまだ起きているみたいです。 あ、兄の部屋にお茶を用意していますので、よろしければ」
    「ああ、わかった」
     では、おやすみなさい。そう言って階段を上って行くエルマを見送ることなく、アーバインは暖を求めてテオの部屋へ向かった。ノックをすると、穏やかな声に応じられる。
    「どうぞ」
     暖炉の前で、テオはロッキングチェアに、トーマは厚い絨毯の上に座り込んでいた。テオは何も持っていないが、トーマは何か、小さなパーツの塊相手に格闘している。
    「何してんだ?」
    「修理だ。見てわからんか」
     顔も上げずに呆れた返事をするトーマは、確かに小さなおもちゃの人形を修理しているらしかった。人形、といっても人型のではない。 ゴルドスだろうか。四足歩行のゾイドのぜんまい仕掛けのおもちゃだ。
    「めずらしいもん持ってんだな」
     こどもがよく持っている、かなり普及しているタイプのおもちゃだ。アーバインにも覚えがある。戦争中は軍のマーキングが入ったものがよく売れたが、今はどうなのだろう。
    「村のこどものです。 壊れていたのを直してくれと頼まれていたのを忘れていまして」
    「へえ」
     アカデミーに通っていた村長で、年若く親しみやすければそういう要望もあるのだろう。直しているのはトーマだが。
    「トーマの方がこういうのは得意ですから」
    「褒めたって何もでないぞ」
    「知ってるよ。あ、紅茶なら僕が、」
    「いや、あんたは座っててくれ」
     苦笑するテオとトーマは仲がいいように思えた。アーバインは無理に立ち上がろうとするテオを制し、保温ポットの中から紅茶をカップに注いだ。
    「棚にブランデーがありますよ」
     テオが示した飾り棚には確かに琥珀色の瓶がある。今夜は冷えることだし……と、アーバインは申し出をありがたく頂戴することにした。
    「悪いな、もらう」
    「どうぞ。……外は冷えたでしょう?」
    「ああ。だが連中、まだ近くには来てねえらしいな」
    「しかし明け方まで気は抜けん」
     ねじ回しをきりきりと回しながら、トーマが重い調子で口にした。アーバインもテオも同じように、緊張をにじませた表情になる。
    「だろうな……」
    「すみません、お二人にはご負担をかけます」
    「これが軍人としての仕事だからな」
     何でもないように言って、トーマは工具を床に置いた。
    「ほら、できたぞ」
     テオの手に渡ったゴルドスのおもちゃは、ぎいぎいと小さな音を立てて四肢を前後に動かしている。 左の掌の上で数歩歩ませると、テオはにっこりと笑った。
    「ああ、ありがとう。 やっぱりトーマに頼んでよかった」
    「たかがこれくらい」
     トーマは珍しく照れ隠しのように口をとがらせている。からかうようにテオは棚にもたれているアーバインのほうを振り返った。
    「アカデミーにいたころ見せてもらったんですが、関節の一つも動かないようなただの置物を、トーマはぜんまいで動くおもちゃにしてたんです。それも、こんなに小さなころに」
     こんな、と言いながら、テオは自分の胸のあたりに手をやって背丈の小ささを示そうとする。 昼間も誰かがそうやっていたような気がして、アーバインは奇妙な感覚だった。
    「別に、そのくらい普通だ」
     トーマは居心地が悪そうな顔で工具を箱にしまっている。案外丁寧な手つきなのは、やはりそちら方面のほうが性にあっているからだろうか。
    テオは苦笑した。
    「そんなことない。トーマ、君はもっと、自信を持つべきだと思うけど」
    「俺は自分を誇りに思っている」
     真面目くさった顔で言うのは家名のことだろう。そんなことはテオにだってアーバインにだってわかったし、トーマだってテオが何を言いたいのかわかっているのだろう。そうでなければ、ああも気まずそうな顔などしないに違いない。
    「見張りに行ってくる」
    「あ? ああ」
     おもむろに立ち上がると、トーマは工具箱をテオの傍らのテーブルへ戻し、そのまま外へと出て行った。
    まだ思春期の中にいるとでも言うのだろうか。 アーバインは少し鼻白んでしまいそうだった。
     テオはやれやれと言いたげにため息を吐いた。
    「アーバインさんもお休みになりますか」
     もうすぐ日付が変わる。
    「あー……いや、もう一杯飲んでいく。 アンタもどうだ」
    「そうですね、今日は冷えますし」
     アーバインがポットの紅茶を注いでやると、テオは恐縮しきった顔で頭を下げた。
    「すみません、お客人に」
    「構わねえよ。やれるやつがやりゃいいんだ」
     適材適所ってやつだな、と、言って、何か違うような気がしないでもない。 テオは、そうですねと同意してくれたが。
    「……この脚、冬は接続部が冷えてかなわないんです」
     膝のあたりを撫でながら苦笑されて、アーバインはあいまいにうなずいた。
    「だろうな」
     感覚としてなんとなく想像はつくけれど、実際に脚の先に金属の何かをつけたことはないのであれこれ言う気にはなれなかった。
     テオは少しだけ強い目をする。
    「自分がこうなってみて初めて思うんですが、もう少しいい素材で作れそうなものじゃないかと。……トーマにこの話をしたら、そうかもしれんな、としか言ってくれませんでした。昔はあれこれ話し合っていたのに、もう工学に興味はないのかな……」
     さびしそうな目をしているその理由はなんなのだろう。テオは友人の態度の変わりようを嘆いているのか。
     まあ色々事情もあるに違いない、 と、 アーバインが柄にもなく励ましの言葉をかけようとしたそのとき、
    「……何か聞こえなかったか」
    「え?」
     テオには聞こえなかったようだが、アーバインの耳にははっきりとその音が聞こえた。
     まずい、と思った時にはすでに遅かった。
     まず大きな振動、追いかけるようにして、風切りの音と近くに着弾したらしい轟音。
     砲撃されている。
    「アーバインさん!」
    「村の外だ! 家には当てねえつもりだ!」
     盗賊たちが狙っているのは村の財産であり、焼け野原ではない。今のはただの脅しだろう。 アーバインはカップや酒瓶をテーブルの上に置くとドアを開ける。駆けだす前にテオを振り返り声を荒げた。
    「俺は出る、アンタは妹とムンベイと一緒に避難しろ!」
    「わ、わかりました!」
     アーバインがライトニングサイクスの元へとたどり着くと、ディバイソンからの通信を知らせるアラートがけたたましく鳴り響いていた。
    「遅いぞ!」
     案の定の怒鳴り声は無視してアーバインは状況を尋ねた。
    「敵はどこだ」
    「貴様の正面右手の林の中から砲撃している。中距離砲撃用の武装を付けているなんて聞いていないぞ!」
     トーマの言葉の合間に、振動や砲撃音が聞こえてくる。どうやらすでに林の中で交戦しているらしいが、シュバルツの話にあった通り護衛に複数のヘルキャットがいるのならば、高火力とはいえ鈍重なディバイソンでは不利だろう
    「俺に言うな」
     おそらく主力は中距離砲撃武装を施したダークホーン、そしてそれを援護するヘルキャットが複数。光学迷彩をつかっているかもしれない。
    「今から向かう。 雑魚は俺が引き受けるから、てめえは親玉をぶっ潰しちまいな」
     懐に飛び込んで格闘戦に持ち込めばディバイソンに分があるだろう。軽量機体の高速ゾイドであるライトニングサイクスではダークホーンの重装甲に打ち負けかねない。
    「だったら早くしろ!」
    「へえへえ。……いくぞ、 サイクス」
     軽やかな雄叫びを上げ、ライトニングサイクスは漆黒の体を闇夜へと走らせる。
     断続的な砲撃にさらされ、トーマは焦燥を感じていた。地響きのような音と振動は、うっすらと覚えている、忌まわしいあの事件を思い出させる。 今まで忘れそうになっていたことなのにどうして突然思い出したのだろう。


     テオの所属する研究室にトーマも入り浸るようになるのにさほどの時間はかからなかった。面倒見のいいテオのおかげもあってかトーマは研究室の面々に受け入れられ、可愛がられたし、互いの研究の成果を見せ合うのはとても楽しかった。
    「なあ聞いたか、テロの話」
     誰かがそう言いだしたとき、トーマは帰り支度を始めていた。
     明日は久しぶりに兄が任地から帰宅する。 ならばとトーマも寮から家に戻ろうと伝えたところ、カールは「大学まで迎えに行ってやる」と言ってくれた。もうそろそろその時間だろうかというときに、なにやらきな臭い話題が出てトーマは少し嫌な気持ちになった。
    「ああ、知ってる。帝都のそこかしこで爆破テロがあった話だろう?」
    「そりゃそうなんだが、今や帝都の外でもテロや襲撃事件が相次いでるって話だ」
    「何のために?」
     確か先週逮捕された実行犯の一人は旧プロイツェン派の過激組織員だったと記憶している。まさか愉快犯だとか、何の考えもなしにテロ行為を行っているわけもあるまい。
     おそらく帝都からその外へと警備の目を向けて、クーデターでも企図しているのではないか。
     トーマが当て推量を口にすると、その場の面々は口々に「なるほど」と感嘆した。
    「さすが、軍人家系だと違うなぁ」
     褒めてくれているのだろうけど、「軍人」という言葉を、「家」という言葉を聞くと気持ちが暗くなる。ごまかすように笑ったトーマは、教授の女性秘書から呼びかけられた。トーマに電話があったらしい。
    「お兄様からお電話だったんですけど、すみません、切れてしまったみたいです」
    「兄さんが」
     もう迎えに来てくれたのだろうか。約束よりも少し早い時間に首を傾げつつ、トーマはエントランスまで様子を見に行くことにした。
     上着をはおって荷物を抱えると、研究室の仲間はにこやかに見送ってくれる。 楽しめよ、とか、久しぶりに兄貴に甘えてこいよ、なんてからかいもあったけれど。
     いい友人にめぐまれた。トーマは口元が緩むのを堪えながら階段を下りて行く。途中で「食堂で腹ごしらえをしてきた」 テオとすれ違い二言三言交わした。
     トーマは研究室のある棟のエントランスに出た。が、そこには誰もいない。正門からやや離れている上にそれなりに背の高い木々に囲われているため、そこからは人影は見えなかった。
     もしかしたら遅れるという連絡だったのだろうか。さすがに軍用の連絡先は知らないのでこちらからかけ直すこともできない。外は寒いことだし研究室に戻ろうかと踵を返した、そのときだった。
    「――⁉」
     耳をつんざくような轟音と衝撃波でトーマはその場でよろめいた。 何が起こったのか、当然瞬時には理解できない。
     しばらくして冷たい風が気味の悪い熱と焦げ臭さを運んでくる。まさかと思って見上げたその先には、黒煙が立ち上り赤い炎がちらちらと見えている。研究棟の三階付近は無残な有様だった。
    「な……」
    一体何が、と、口を開いたトーマの頭の中で、先ほどまでの会話が繰り返される。

    ――なあ聞いたか、テロの話
    ――ああ、知ってる。帝都のそこかしこで爆破テロがあった話だろう?
    ――そりゃそうなんだが、今や帝都の外でもテロや襲撃事件が相次いでるって話だ

     考えられないことはないし、それになんの不思議もない。
     単純な話だ。次にテロリストの標的になったのが、このヴァシコヤード・アカデミーだったというだけ。
     頭では理解できているのに目の前の出来事を信じられない。
     トーマはふらふらと歩き始め、エントランスを再びくぐろうとする。
    「みんな、みんな無事で、いてくれ」
     あんな爆発に巻き込まれていてはただで済むはずがない。テオの研究室は四階、爆発は三階。もしかしたらまだ間に合うかもしれない。
     早く逃げろ、でないと――
     そこで、トーマの記憶は途切れている。

    §

     目を覚ました時、母の顔があった。消毒液のにおいから察するに、病室なのだろう。
    「今、何日ですか」
     目元をわずかに赤くした母に尋ねると、あの事件から一日も経過していなかった。トーマは二度目の爆発で爆風に吹き飛ばされ、雑木林の近くで気を失っていたところを救助されたこともそのときに知った。
     帝都へ戻るために近くを通っていた兄の部隊が救助部隊に先んじて行動していたことも知った。
     テオが崩壊した建物の瓦礫に脚を挟まれ切断を余儀なくされたことも、彼以外の友人たちは四階で起こった二度目の爆発によって全員死亡したことも、トーマはその時に知った。

    §

    「感情で行動しているのではないか」
     目も合わせずに兄は冷たくそう言った。
     あれから二週間。アカデミーはようやく授業を再開し学生の姿も戻ってきた。そこにトーマの姿はない。 未だに生家の中で思いつめたような顔をしていると思ったら、突然「軍に入隊する」と言い出すのだ。
    これが一時の気の迷いでなくてなんだと言うのだ。
     カールは呆れ、何度も溜息とともに思いとどまるよう説得した。 父は一連の騒動で帝都の議場に詰めているし、母はトーマの頑固さに匙を投げたその結果カールが呼びつけられた。
    「僕は冷静です」
     それでもトーマは考えを曲げなかった。
    「友人の仇を取ろうだとか、恨みを晴らしたいとか、そういう浅はかな考えで軍に入ろうとは思っていません」
     そんな言葉が自ずから出てくる時点で、トーマはその考えを持っているのと同じだ。 シュバルツはため息を隠さない。
    「では何故」
    「二度と繰り返さないためです」
     応接室の暖炉の中で薪がはぜる。トーマのくすんだグリーンの瞳は、恐ろしいほどにまっすぐだった。
    「二度とあのような事件を起こしたくないのです」
     カールは立ち上がり、飾り棚の前へ歩きながら淡々と述べた。
    「お前一人が軍属になったとして、テロの類がなくなるわけがない。そこになんの因果関係も見出すことなどできない。お前はただ、自分ひとりが生き残ったことに対して自己満足の贖罪を果たしたいだけだ」
     トーマが自責の念に駆られていることは火を見るよりも明らかだった。誰よりもやさしく思いやりがあるから、そんな不必要な感傷で馬鹿な思いつきをするのだ。
     その愚かさにカールは苛立った。それでも弟よりはずっと冷静だったし、感情を隠すのは得意だった。
    「違います! 俺は、」
     遮るようにカールが差し出したのは、飾り棚に置かれていたヘルキャットのおもちゃだった。
    「お前の手は何かを壊すためにあるんじゃない」
     トーマが初めて作った機械仕掛けの人形を褒めてくれたのは他ならぬ兄だった。
     お前には才能がある。こうやって人を喜ばせるものを作って、世の中の役に立てる。 それはとても素晴らしいことだ。もっと誇りをもっていいのだ。
     忘れたはずがない。 アカデミーへ進学を決めたきっかけの言葉だったのだから。それを投げ捨てて軍へ入るのか。そう問われた気がして、軍は何もかもを破壊するのだと言われた気がして、トーマは悲しげに兄を睨んだ。
    「……平和を築くために軍があるのだと教えてくれたのは、兄さんです」
     人形のぜんまいを巻いていたカールは、その指を止めた。 冷たい指先が離れても、ヘルキャットはその脚を動かすことはなかった。
     結局反対を押し切るようにしてトーマは帝国軍へとその所属を変えた。
     折しもテロ事件を受けてか、ガーディアンフォースの設立が検討されている頃であり、トーマは一も二もなくそれに志願した。帝国軍よりも個人の裁量権が大きく、その上任地の定めもない。きな臭い情報があれば即時にそこへ向かって行動が可能なガーディアンフォースならば、遠くはなれたところで手も出せずにやきもきすることはおそらくないだろう。数か月後、辞令を受け取ったトーマはほっとしつつも焦燥を感じていた。それが何によるものかは、わからない。
    「トーマ、アカデミーに通っていたあなたはとても楽しそうだった。やめてしまうなんてもったいないわ。 退学じゃなく、せめて休学にしてちょうだい」
     母に拝み倒されてアカデミーは休学届を出したけれど、おそらく戻ることはないだろうと思う。
     研究室のあった建物は解体され、別の場所に新築されると言う。 爆破事件のあった場所には、モニュメントが作られるとも。
     それを見に行くことも、生涯ないのだろうなと、トーマはぼんやりと考えていた。


    「大丈夫でしょうか……」
     不安げな顔ではおったストールをかき寄せるエルマと、その肩を抱いてやるムンベイ。その近くに座るテオもまた、考え込むように眉を寄せている。 村人たちは全員ムンベイが曳いてきたシェルターに入っているが、いくら頑丈とはいえ赤色灯の下の表情はどれも暗いままだった。
    「大丈夫よ。このシェルターはなんてったって帝国製なんだから。仮に被弾したってちょっとやそっとじゃ破られないわ」
    「ムンベイさん」
     エルマの手の震えを止めようと、ムンベイはできるだけ明るい声をだし、小さな手を握ってやる。
    「それにアーバインもトーマも村には近づけさせないし、きっと林の中で敵は全部仕留めるに違いな――」
     言い終わらないうちに轟音にさえぎられる。村からだいぶ離れているにも関わらず、これだ。先ほどアーバインから無線で知らされた「中距離射撃装備のダークホーン」の砲撃だろう。
     着弾の振動から察するに、いくら帝国製のシェルターでも、直撃すれば無事では済まないかもしれない。危険だがグスタフでシェルターを曳いて遠くまで逃げるか――
    「信じましょう」
     テオはまっすぐにシェルターの壁を見つめていた。
    「トーマはきっと、やってくれますよ」
     あまりにも自信たっぷりなものだから、ムンベイは呆気にとられてしまった。なんだか肩の力が抜けてしまったようで、こんなことを口にしてしまう。
    「あんたは、トーマが軍人に向いてるって思う?」
     テオは少し考える素振りを見せたが、困ったように笑うだけだった。

    §

     アーバインは苛立っていた。
     盗賊団がヘルキャットを使っているのならと昼間のうちにトーマがヘルキャットの音紋解析パターンを送信してくれていたのだが、今彼らに攻撃をしかけてくるヘルキャットのそれとまったく一致しないのだ。
    「おいどういうことだ!」
     光学迷彩で姿を消した敵からの砲撃に圧倒され、アーバインはトーマにがなる。 話が違うじゃないかと詰め寄られてもトーマは冷静だった。
    「おそらく不正改造を施して正規のものから音紋を変更したんだろう。敵ながらあっぱれだ」
     その声音に本心からの賞賛を感じとってしまい、アーバインは呆れてしまう
    「感心してる場合かよ……!」
     二体共に一方的に砲撃されるばかりでまったく突破できそうにない。 相変わらずダークホーンは村の方にむかって砲撃を行っている。装填に時間がかかるのか連続しての砲撃は行われないがその分威力が大きい。あれではいくらシェルターとはいえ直撃を食らえばただでは済まないだろう。
     アーバインは舌打ちし、頭の中であれこれと考えをまとめ始めた。このままでは時間を浪費するばかりだ。
     まずやめさせなければならないのはダークホーンの砲撃だ。重装甲のダークホーンを相手にするならディバイソンのほうが適役だが、そのためにはヘルキャットの護衛網を突破しなければならない。軽快なライトニングサイクスならばともかく、鈍重なディバイソンではただ突破することは難しいだろう。
    うまくいかないものだ。
     この際一か八か、サイクスでダークホーンに挑むか……かなり分は悪いだろうがここでぐずぐずしてはいられない。 アーバインがあれこれと考えをめぐらせていると、トーマが無線越しに提案してきた。
    「おい、熱源カメラの感度を限界まで高めればあるいは判別できるかもしれん、やってみろ」
     幸いビークのサポートがあればそれも容易だ。あくまでトーマのディバイソンであればの話だが。 アーバインのほうはビークのサポートなど言うに及ばず得られるはずもない。それに、
    「さっきセンサーをやられた!」
     狙ってやったのだとしたら大したものだが、サイクスのセンサーユニットは片方破壊されている。 全く使い物にならないことはないが、普段の半分ほどしか性能が発揮できていないようだった。
    「何い? 貴様それでも――」
     トーマがくどくどと言い始めるので、アーバインは逃げ出すようにサイクスを走らせた。
    「ぐだぐだ言うんならてめえで相手しろ! 親玉は俺がやる」
    「あっ! こらアーバイン、勝手な行動は――」
     闇夜の中、サイクスは雑木林の奥へと駆けて行った。さすがの機体性能とパイロットの腕と言うべきか、まばらに生えた木々にはぶつかりもしない。
     しかしその背後をヘルキャットは当然追いかけるに違いない。砲撃の火花を認めるや否や、トーマは声を荒げた。
    「そうはさせん! ビーク! 熱源センサー感度最大!」
     きゅいん、という反応音の後、トーマのヘッドマウントディスプレイ内に赤い影がいくつか投影された。林の奥へ追撃をかけるヘルキャットだ。
    「これで貴様らも丸裸と言うわけだ!」
     トーマがトリガーを引くと、三連衝撃砲が的確にヘルキャット二体を撃破する。残りは三体。センサーはしっかりとその影を捉えていた。
    「ミニマム・ファイヤー!!」

    §

     林を駆け抜けたアーバインのライトニングサイクスは、しばらくして開けた場所に出てきた。どうやら林を抜けてしまったらしい。あたりには隠れられるような障害物の類はなく、ただ茫漠たる荒野が広がるばかり。当然ダークホーンどころか他のゾイドも、人影すらも見当たらなかった。
    「畜生……どっから狙ってやがる」
     センサーさえ生きていれば発見できただろうが、今となってはそんなことを言ってもしょうがない。ちょうど目の前になだらかな丘陵地が見える。そこからスコープと目視で確認するしかなかろうと、アーバインは歩をすすめた。
     もしかしたら丘の上から砲撃しているのかもしれない。 アーバインは慎重に歩を進めた。 サイクスの上体をギリギリまで低くして、最後の数歩を一気に駆け上がる。
    「いねえな……ッ!?」
     丘の頂上に着地する寸前、ちょうどサイクスの喉笛のあたりを砲撃された。至近距離、しかも跳躍した途中で身動きもとれず、アーバインはそのまま丘の斜面に叩きつけられた。
    「クソッ!!」
     ダークホーンは丘陵地の頂上に穴を掘り、その中に身をひそめていた。登ってくる相手からは完全な死角だった。センサーが生きていれば感知できただろうが今となっては何もかもが遅い。
    「システムフリーズだと……⁉」
     甲高い電子音が響くコックピット内で、文字通り身動きできないアーバインは握りこぶしをコンソールパネルに叩きつけた。
    「おいどうした!」
     無線にトーマの声が入る。眼下を見れば、ディバイソンがその巨体を揺らし林の中から躍り出てくるところだった。 ヘルキャットはすべて片付けたのだろう。残すところはあのダークホーンのみ。
     しかし。
    「すまねえ! こっちはフリーズしちまった! 丘の真上にダークホーンが――」
     言い終わらないうちにミサイルポッドの発射音がした。 火を吹き上げながら、十を超えるミサイルが丘の下めがけて降下していく。 が、 照準合わせのためにミサイル群が一旦真上まで上昇したのをトーマは見逃さなかった。
    「ビーク!」
     十七連突撃砲の砲身それぞれがミサイルをとらえて角度を調整する。間に合うのか、と、アーバインが固唾をのんで見守るが、杞憂だった。
    「ファイヤー!」
     正確無比の一言に尽きる。 一発の撃ち漏らしもなくミサイルを叩き落とし、迎撃に充てられなかった弾はそのままダークホーンの真上に降り注いだ。
     高火力のディバイソンから容赦のない砲撃を受け、これではいくら重装甲を誇るダークホーンといえども堪え切れるものではない。
    「すげえな……あ……?」
     そしてそれは、ダークホーンの間近に横たわるライトニングサイクス――アーバインも見逃さない。
    「てめえええええ!!」
     上からはミサイルの残骸やら火の粉やらが降りかかり、その一方で撃破されたダークホーンだったものが飛んでくるわ、あろうことかディバイソンの砲弾すら近くに着弾した。
     生きた心地がしないとはこういうことだろう。
     ほんの数十秒ではあったが、アーバインは煉獄の中で息をひそめているような気分だった。
    「殺す気か!!」
    「何を言う。ちゃんと照準からは外しておいたぞ」
     あっけらかんと真顔でそう言うものだから、アーバインは二の句も告げなかった。土煙の向こうから重い足音のディバイソンが近寄ってくる。
    「手痛くやられたようだな」
     面目次第もない。トーマに言われるのもそうだが、ムンベイに何を言われるかと思うと気が重かった。
    「まあともかくこれで任務完了というわけだ」
    「そうだな……」
     トーマもアーバインも一仕事終えた安堵感からキャノピーを開放する。冬の夜の寒さは厳しいが、それすら胸がすっとすくように感じられた。
    「村の被害はどうだ」
     アーバインが尋ねると、トーマはコンソールパネルを操作する。おそらく、シェルターのムンベイと通信しているのだろう。
    「幸い軽微なようだ」
     ややあっての返答を聞いて、ようやく心の底から安堵できた気がした。
    「そりゃよかった――」
     と、視界の端で何かが動く。 丘陵地の地面がわずかに盛り上がり、動いていた。その動きには見覚えがある、どころの話ではなかった。あれはゾイドが地中を動き回るときのそれだ。
    「まずい――」
     とっさに二人ともコックピットに腰を下ろしてキャノピーを閉じようとする。が、 ヘルディガンナーがうなり声とともに躍り出で、その銃口を向けるほうが早かった。


    10

     どこまでも白が続いている。
     足元には何か、やわらかいものが敷き詰められていた。
     雪だろうか。
     トーマは一歩踏み出そうとして、やめる。
     どちらへ、どこへ向かえばいいのかわからなかったからだ。
     ここがどこかもわからないのに、むやみやたらと動くのは得策ではない。そう結論付けてしばらく待つことにした。
     何を?
     ここにこうして立っていれば誰かがなんとかしてくれるのだろうか。そう思い込んでいるのか。
     自問したところで答えなど見つかるはずもない。トーマはそのまま立ち尽くす。寒さは感じない。ただ、不安と焦燥だけは膨れ上がっていった。
     どのくらいそうしていただろう。
     かしゃかしゃと何かが触れ合う音がする。金属だろうか、冷たく、けれど軽い音。歯車と歯車がかみ合ってスムーズに動いている音。好きな音、心地いい音。
     足元を、無数の白い四足の人形が横切っていた。それらはトーマの背後からやってきて、彼の立つその脇を規則正しく進んでいく。見たことがある。あれは、自分が作ったものたち。
     この手から生まれ、この手を離れていったものたち。先頭が見えなくなるほどに遠ざかっても、背後から怒涛のごとく押し寄せる。それらはだんだんと大きくなっていき、押しつぶされそうな恐怖感すらもたらした。
     自分の作ったものに、つぶされるのか。
     背後で、ごうと風が巻き起こる。見上げた先、自分の頭の真上を、ひときわ大きな人形が跳躍していた。
    あっと声を上げて、両腕で頭を覆いそうになる。 その刹那、トーマは確かに捉えた。
    ――大きくなったら、何になりたい?
     少年が見ている。
     何も知らないまなざしで、微笑みながらトーマを見ている。

    11

     ばりばりとショートする音が聞こえる。 アーバインが恐る恐るに目を開けると、そこにはヘルディガンナーの残骸が転がっていた。砲撃された跡が腹部のあたりに見え隠れしている。
     一体どうして。
     自分もトーマも砲撃どころかヘルディガンナーの攻撃をかわす余裕すらなかった。一体誰が。
    「無事か、トーマ!」
     スピーカー越しの声が聞こえる。声の主を探しアーバインがあたりを見回していると、土煙の向こうから四足歩行のゾイドが駆けてきた。
     赤と黒のセイバータイガー。 ガトリングを装備した特徴的な機体はシュバルツの愛機だ。
    「トーマ!」
     ディバイソンに駆け寄ると、シュバルツはコックピットから身を乗り出して弟の安否を確認しようとする。何の余裕もない、切羽つまった表情だった。そこには軍人として、という体面の問題は一切ない。ただ兄として弟の無事を案じる顔だった。
    「兄さん」
     トーマはコックピットの中で呆然としたままだった。
    「無事か⁉ 怪我はないな⁉」
     あれやこれやと心配して語りかける兄を気遣うでもなく、変わらずトーマは呆けたようにコックピットに立ち尽くしている。
     頭でも打ったのだろうか。それにしては顔つきはしっかりしているように見えるが……アーバインもまた怪訝な顔で兄弟のやりとりを見ていたが、トーマはようやく口を開くと、
    「俺はアカデミーに戻ろうと思います」
     なんの脈絡もないことを言い出した。
     藪から棒に何をと眉をひそめるアーバインとは対照的に、シュバルツは弟の申し出にしばらく目を丸くはしたものの、ふっと気が抜けたように笑った。
    「――そうか」
     何がなんだかわからないのはどうやらアーバインだけらしい。夜明けが近づいた丘陵地へ向かって、シュバルツが率いてきたのだろう一個師団がぞろぞろとやってくる。どうやら隊長はいてもたってもいられず、真っ先に駆け付けたらしい。
     ふっと笑ったアーバインの鼻先を、白い雪が掠めて行った。

    §

     雪が溶けるのは早かった。
     久しぶりの休暇を生家の庭で過ごすシュバルツは、長い間庭師と家人に任せきりだった植物の世話に精を出している。あれもこれもと手当たり次第だったわけではないが、振り返ってみれば相当数の鉢や花壇を作って来たらしい。
    「兄さんはこういうことを仕事にしたいと思ったことはないんですか」
     背後で庭仕事を手伝っていたトーマが尋ねる。土で汚れた手袋で顔を掻いたのだろうか、子供のように泥がついていた。
    「ない」
     きっぱりとした返事に、トーマは不思議そうな顔をした。
    「私は多分、趣味を仕事にするのは向いていないだろうからな。そうしてしまうと、息抜きの手段がなくなる」
     一時期はコックピットにすら鉢植えの黒百合を持ち込んでいたと聞いたことがあるので、トーマはなんとなしに理解できるような気がした。
    「お前はきっとうまくやれるさ」
     おそらく笑っているのだろう。背中の方からは何もうかがえないが、今まで何度も聞いてきた兄の言葉がとても軽く聞こえてしまった。やっと、自分は自分の思うままにしていいそうするべきなのだと思えた気がする。
    「子供のころ、僕は自分も兄さんのようにならなければならないと思っていました。家のせいにするつもりはありませんが、そういうものだと思っていたのは、事実です」
     つぼみをつけたコデマリが風に揺れた。
    「私もお前にそういうことを一度言ったような気がする。もうずいぶんと昔だと思うが」
     それを言ったのはまさしくこのあたりだったような気がする。
     兄にそう言われて、トーマは首を傾げた。
    「そうですか? あまり覚えが……」
     記憶にないらしいトーマを見て、脱力してしまった。
     こっちはいらぬことを言ってしまったものだと、言うべきではないことを言ってトーマの道を狭めてしまったと思い込んでいたというのに。だからこそヴァシコヤードへの進学にあたっては背中を押したし、軍人になると言い出したときも止めたのだ。だというのに、トーマは兄の言葉など知らぬという。
    「……いや、それならいい」
     結局やきもきしていたのは自分だけで、トーマはトーマなりに自分だけで悩みぬいてここまで歩んできたわけだ。
     まるで子離れのできない親になっていたような気分だった。
     あるいは、信頼していなかったのかもしれない。
    「テオ・ローベルも復学するそうだな」
     シュバルツが話を変えると、トーマは複雑そうな顔になった。
     あの事件の直後、復学するのだと息巻くトーマに「実は自分も春から復学する」とテオは笑った。ナデルバルトの長だというのに、いいのかと聞くと、
    「妹が婿をもらう。彼が次の村長さ」
     そのときのトーマの顔は見ものだったとムンベイはしばらく笑っていた。
    「妹御の心配もなければ安心して研究に向き合えるだろうな」
    「そうですね……」
     今頃エルマは、幼馴染の青年と結婚式でも挙げているのだろうか。
    「トーマ、」
    「えっ、あ、いや!」
     呆れたような兄の苦笑に、トーマは一つ咳払いをし、すうと息を吸い込んだ。
    「このトーマ・リヒャルト・シュバルツ、当然親友の妹君の幸せを願っております! 臣民の幸福は帝国の繁栄に直結し、ひいては――」
     シュバルツは腰に手を当てて笑う。
    「トーマ、いい加減そういう口調はやめてはどうだ。お前はもう軍人じゃないんだから」
    屈託なく笑う顔は、少年のころのようだった。
    「そう、ですね」
     軍人ではない。
     事実上の退役が、その手続きが惜しくなかったというと嘘になる。 ガーディアンフォースの仕事はやりがいがあったし、もう少しでビークの射撃命中率は九十九パーセントに達するところだったのに。
     けれど、今のトーマは胸を張って先へ歩いていける。
    「しかし短い間でも軍人をやれたのは、いい経験でした」
     そう言った後に、いつかどこかで聞いた言葉をなぞったような気がして奇妙な気持ちになった。果て、どこで誰が言ったことだったか。思い出せないが、まあいい。
     それを聞いたシュバルツが満足そうに笑い頷くと、東屋から母が二人を呼んだ。 せっかく父もいるのだからお茶にしよう、と。
     道具を置き、手袋を外しながら兄弟は庭を後にする。
    「トーマ、お前顔に泥がついているぞ」
    「そういう兄さんだって髪についてますよ」
    「何? なんで早く言わないんだ」
    「そんなことを言われても……まだ手入れは終わらないじゃないですか」
     その足音の後では花々が色とりどりに咲き乱れている。

  • サンクチュアリーの呼声

     ⚠広義のマクムン(マクマーン×ムンベイ)
     ⚠名有りモブがほぼ主人公
     ⚠ゾイドアニメ無印の数十年後が舞台
     ⚠死ネタ











     少女は走っていた。自分を捕らえていた人身売買のブローカーたちが酔いつぶれている隙に野宿のテントを抜け出し、方角もわからぬ深い森の中を駆ける。
     どこへ行けば助かるという保障があるわけでもない。野生の動物か何かに襲われて、自分の運命が破綻する時が早まるだけかもしれない。しかし少女は走った。息が続かなくなっても、足がもつれても、走ることをやめなかった。
     そのうち獣道が開けてきて、轍がうっすらと刻まれた地面にたどり着く。人里が近いのかもしれないと思い、少女は声を張り上げようと試みた。
    「た――」
     助けてください、と叫ぼうとしたのに、声はかすれたまま吐息となってでていくばかりだった。立ち止まった焦燥の彼女に追い討ちをかけるように、背後から轟音が迫る。木をなぎ倒す音、おそらく、いや、それは確実に、連中のゾイドが追いかけてきている音だ。
     少女は青ざめる。しかし再び走り出すにはあまりにも体力は欠乏していた。ふらついた、としか言いようのない足取りで彼女は絶望に囚われる。
     これで自分の運命は定まってしまう。つかまって、そしてどこへ売り飛ばされるのだろうか。昨夜の連中の話から察するに、“そういう商売”の店か、それともどこかの貴族の妾か。
     考えるほどに惨めで情けなくて、少女の目から涙が溢れた。もう泣くほども残っていないと思っていた涙が次から次に溢れるのが、我ながら不思議だった。
     手械で括られた両手で涙を拭おうとすると、バランスを崩してその場に倒れこんでしまった。もう、これで終わりだ。覚悟を決めようとした彼女は、しかし雑木林の中から現れた人影に一瞬我を忘れてしまう。
    「おや……」
     それは初老の男性だった。品のいい身なりと柔和そうな表情、双眼鏡を首から下げた姿からは敵意など微塵も感じさせない。貴族とは言わずとも有産階級に間違いない彼にとって、手械をはめられた小汚い少女など見るに堪えないものに違いない。
     しかし彼は、わざわざ片膝を地面につき、まごうことなき紳士の所作をもって彼女にその手を伸べた。
    「どうしたのかな、お嬢さん?」

    §

     レブラプターが二機、ヘルディガンナーが一機、そしてコマンドウルフが一機。いずれも軍の正式仕様ではない。到底民間登録に通りそうにない重武装のそれらは、木々をなぎ倒しつつ森を進撃していった。
    「あのガキどこ行きやがった」
     コマンドウルフの男が毒づくと、彼の眼前のモニターの中でレブラプターの男が体をびくつかせた。昨夜自分が見張りをしていたときに、少女は囲いから脱した。うっかり寝入ってしまい、見逃した責任はどうあってもとれそうにない。自信の先行きに絶望したような態度が余計に気に触ったのか、男――窃盗団の首領である――は舌打ちする。
    「見張りもできねぇヤツはうちにゃあいらねぇ。わかってんだろな」
    「う、うす……」
     仲間の下卑た笑いが萎縮した男に向けられる。余裕綽綽といった表情が示すとおり、彼らはあっという間に小さな足跡を見つけた。型落ちではあるが帝国軍正式の熱源センサーがヘルディガンナーには搭載されている。少女の姿は見えないが、近くにいることは間違いないだろう。
    「近いな……。おい、大事な売り物だ、無傷で確保しろ」
    「了解」
    「りょーかい」
    「りょ……あ?」
    「どうした」
     首領の男が、ヘルディガンナーの男の呟きに反応する。
    「いえ、熱源が二人分……」
    「何?」
     言うや否やモニターが全面砂嵐と変わった。その原因がどこからか飛んできた砲弾のせいだと理解するまで、彼らは数秒の時間を要した。
    「なんだ!」
    「よ、横からダークホーンが!」
     泣き叫ぶような部下の声に辺りを見回すと、ガトリングを二門ずつ搭載したダークホーンがこちらに狙いを定めていた。その数、十では収まらない。
     こんなところに帝国軍がいるわけがない。ここはただの森林にすぎず、当たり前だが軍事基地ではない。軍や国家がこの辺りで極秘の活動をしているなどと聞いたことも無い。ほとんど恐慌状態に陥った彼らは、逃げ出すことも反撃することもできずにいた。
    「おかしらぁ」
    「情けねぇ声出してんじゃねえ!」
     そう叱責するもののこの構成では勝ち目などないに等しかった。
     少女を逃がしてしまった男は己の運命を呪いつつこう思う。ああ、やはり人身売買なんて前時代的なことに手を染めるのではなかった――と。

    §

    「彼らは帝国軍に捕縛されたそうだ」
     受話器を置きつつそう言う老紳士のにこやかな笑みを見ても、少女の顔はこわばったままだった。
     自分を助けてくれた紳士に招き入れられたのは森の中には似つかわしくないほどの豪邸だった。
     おそらく使用人と思しき格好の老婦人に風呂の中に追いやられ着替えさせられ温かい飲み物を提供され、少女の頭は半分混乱、半分安堵に支配されていた。
     古いとは言え彼女が持っていたどの衣類よりも上等のワンピースを身にまとい、彼女は応接室のような部屋で縮こまっている。硬い表情に何を見たのか、老紳士は痛ましそうに片手を顎に添えた。
    「しかし……今時借金のかたに娘を売り飛ばされるなんてね……」
     眉を寄せる主人に同感したのだろう、使用人の老婦人が何度も頷いた。
    「おっしゃるとおりです。あたしも娘と息子がいますけどね、そんなことする人間は親なんていえませんよ。大体、人間とも思えないってもんです」
    「マーサ、」
     それが老婦人の名前なのだろう。紳士はたしなめるように言葉を続けた。
    「どんな人であれ、彼女にとっては家族なんだ。そういう言い方はいけない。君の気持ちもわからないでもないけれどね」
    「……そうですわね。申し訳ございません」
     少女の目に再び涙がこみ上げてきた。こんな仕打ちをされてまで父親を憎みきれなかった理由を紳士に言い当てられたような気がして、そして、自分のその感情にはどこも間違ったところが無いと言われた気がして。
    「あら、あら。よっぽど怖かったんでしょうねぇ」
     マーサがハンカチで少女の涙を拭ってやる。レースで縁取りされたハンカチの持ち主にしては乱暴なように思えたが、少女にはそれすら暖かく、嬉しかった。
    「君、名前を尋ねてもいいかな。……ああ、わたしはマクマーンと言うんだけれど」
     そう名乗った老紳士は、陽の光を受けてとても優しく見えた。笑みを浮かべる口元から覗いた歯が光ったような気がしたのだが、それすら自然に見えるくらいに、彼のまわりは静かな光に満ちていた。
    「――わたし、エリスって言います。あの……助けてくださって、ありがとうございました」
     マクマーンはにっこりと微笑む。
    「いいさ。この辺りはああいう連中がけっこうやってくるんだ」
    「旦那様はいつも人助けをされるんですよ」
    「おかげで帝国軍に感謝状をもらったこともあるくらいさ」
     冗談交じりの台詞に笑いながら、知りもしないくせにマクマーンはそういう人物なのだろうと、エリスは思った。裕福な身の上であるから、だけでなく、きっと彼は人助けすることが喜びなのだろうと、生意気にもそう感じたのだった。
    「ところでエリス、このあとどうするつもりかな」
    「……」
     戸惑った理由は、まさか助けておいて妾か何かにするつもりではないのかと疑ってしまったからだった。到底そういうことをしそうな人とは思えないのだが、わが身に降りかかった出来事が出来事だったので、エリスは身構えてしまう。もちろんそれは、杞憂に過ぎなかった。
    「いやなに、実は彼女――マーサがそろそろ隠居したいというものだからね。もし行くところがないのならうちで働かないかと、そう思ってね」
    「まあ! それはいいお考えです!」
     曰く、マーサは最近生まれた孫の面倒を見たくてしょうがないらしい。国境近くの小さな町に暮らす息子夫婦が同居しないかと誘ってくれているし、すぐにでも行きたいのだが、と、彼女は数日前から打診していた。
    「わたしが、ですか」
     それはエリスにとってもありがたい申し出だった。父のいる村には戻れないし、かといって無一文で学も無く、農作業の他には仕事もできない自分はどこへ行っても野垂れ死にするしかないのではと危惧していたからだ。
    「難しいことなんかありませんよ、それにあたしがばっちり、仕事を教えてあげますからね!」
     マーサはすっかりその気になっているらしい。
     エリスは逡巡した。というよりは臆していた。自分に、こんな立派な邸で働くことなど勤まるのだろうかと。
     たしかにマクマーンは優しそうだし、住み込みできる働き口などそうそうない。
     迷う余裕などなかった。ここ以外に、自分がいける場所などないのだから。エリスは決心し、勢いよく頭を下げた。
    「よ、よろしくおねがいします!」

    §

     それから一週間。
    「ああ、そっちじゃないのよ。これはね……あらやだ、まーた故障かしら」
     エリスは紺色のワンピースと白いエプロンに身を包み、生まれて初めての「仕事」に四苦八苦していた。掃除・洗濯、簡単な料理であれば彼女もできないことはないのだが、いかんせんこの邸は広すぎる上に調度品は高価なものばかりでエリスを戸惑わせる。
     今もエリスは見たことも無い掃除用具らしき機械の使い方を教わっている最中だ。
    「これ、なんなんですか?」
    「旦那様のお知り合いからいただいた掃除用の機械よ。こうやって、スイッチを入れたら動くはずなんだけど……。はぁ。随分前にもらったものだからもう駄目なのかしらねぇ」
     マーサはそう言うと諦めたのだろう。モップを二本持って来て、エリスに一本を差し出しつつ笑った。
    「やっぱり体を動かしてこそね」

     広い邸内をモップがけしながら、マーサは色々なことを教えてくれた。
     一日の仕事内容、お客様を迎えるときのマナー、何かあったときの連絡先。あまりにも膨大すぎてエリスの頭は半分も覚えられそうにない。こんな状態で使用人が務まるのかと不安で仕方がなかったが、書斎に飾られた写真の群れの前で聞いた話は忘れられそうになかった。
    「あっ……この人、先代の皇帝陛下……」
     今よりもずっと若いマクマーンの横で、同じくエリスが知っているよりもずっと若い、青年時代のツェッペリン三世が笑っていた。名君と仰がれた彼は惜しまれつつも二年前に退位し、今は皇后と共に悠々と暮らしているらしい。おそらく若い頃から聡明だったに違いない顔立ちに、エリスはマーサに問うた。
    「旦那様は陛下ともお知り合いなのですか?」
    「そうですとも。あなたは生まれていなかったから知らないだろうけど、昔陛下が大変だったときに、旦那様がお助けになったんですよ」
     マクマーンは貿易商として身を立て、いまや世界中に手を伸ばす会社の創設者として名高い。ここ数日で、そのくらいはエリスの知るところとなっていたのだが、まさか皇帝とも交友を結んでいるとは思わなかった。
     自分が仕えようとしている人は、とんでもない人なのかもしれない。
     人助け好きな主だということは十分すぎるほど知っているので半分くらいは納得したのだが、もう半分くらいは畏れ多いような、自分の場違いさが恥ずかしくなるような、そんな感情だった。
    「旦那様はいつだって、どんな人だって、困った方をお助けになります。あたしはその場にいませんでしたけど、きっとその時だって、相手が陛下だからお助けになったんじゃないと思いますよ」
     エリスにもわかる気がした。きっとマクマーンは伸ばされた手を振りはらうことなど、できないどころか思いつきもしないに違いない。
     他に飾られた写真を、エリスはしばしの間眺めていた。数人で写った集合写真、誰かの結婚式の写真、小さな子供たち、風車の並ぶ風景。エリスはふと、疑問に思う。
    「旦那様は、ご結婚されていないのですか?」
     彼の家族と思われるような写真が一切ないのだ。エリスの無邪気な質問にマーサは苦笑する。
    「ずっとお独りでいらっしゃるのよ」
    「そうなんですか……」
     死別や離婚などではなく、ずっと独身だったということを聞いてますますエリスは不可解に思う。彼ほどの男性であればよりどりみどりだっただろうに。
    「どうして旦那様がお独りなのか、お勤めしていればわかりますよ」
     マーサはそう言い残すと、書斎の掃除を終わらせて出て行こうとした。エリスもそれに倣うのだが、後ろ髪をひかれるように今一度、書斎の中を振り返る。なぜか目についたのは、赤いドレスを着た女性の写真だった。

    §

     穏やかな午後、エリスは庭にあった。すでにこの邸で働いて一ヶ月が経つ。一日の仕事内容はすっかり覚えたし、マクマーンの食べ物の好みもわかってきた。しかし未だに、どうして彼が独身であるのかの理由はわからずじまいである。聞いてみようかと思っても聞けずじまいだったのだが、マーサは昨日をもって息子夫婦のもとへと引っ越してしまい、今は広い邸にマクマーンとエリスのみである。おそらく、二度と尋ねる機会はないだろう。
     けれど、知りたいと思う心と同時に、それは知ってはならない秘密なのではないかという、直感のようなものがエリスの中にある。
    (だってどう考えても、一人っきりでいなきゃいけない理由が幸せなものだとは思えないわ)
     きっとマクマーンが一人でいることの裏側には、悲しみがあるに違いないとエリスは推測した。そして、人の悲しみに安易に触れることはしたくないとも思っている。
     己の職の本分はわきまえているつもりであるし、人としてもしてはならないことはしたくない。それ以上でも、それ以下でもない。
     ただ、寂しさだけが胸にあった。
     毎度のことながら、思いつめてもしょうのない考えを振り払い、彼女はポケットに忍ばせた子袋の中身を広げる。
    「ほうら、ごはんですよ」
     エリスが呼びかけると、軽やかなさえずりとともに小鳥たちが庭に舞い降りた。無論色とりどりの野鳥が彼女の言葉を解して舞い降りたわけでなく、エリスが手にしているパンくずにつられたからに他ならない。が、マクマーンが同じようにしているのを見ていると、どうしてもそうやって、小鳥に呼びかけてしまうのだ。
    「そんなに慌てなくてもたくさんありますよ、ほらほら、取り合いしないの……」
     エリスの故郷は寒村である。農業で生計を立てるほかはないのだが、痩せた土地ゆえ十分な出来高が得られるとは限らない。父もまた苦しみぬいた末に酒におぼれて借金を重ね、母は若いままに死んでしまった。エリスはこんなふうに、穏やかな心で野鳥と戯れたことなどない。こんなに手入れの行き届いた庭を見たことなどない。
     おそらくこれが豊かさなのだろう、と、エリスはしみじみと感じた。それは何も物質的な豊かさではなく、エリスは今、己の心がとても満ち足りていることを知っている。
    「わたしもお前達も、旦那様がいるからこんなに幸せなのね」
     エリスの独り言に反応したかのように、青い鳥が首を傾げた。エリスは再び、微笑む。
     マクマーンの趣味は野鳥や野の草花の観察だった。「金持ちの道楽さ」 と彼は嘯くのだが、対象を収拾したり標本にしたりせず、ただ観察するだけに留める彼はやはり、優しいのだと思う。すべてはそこにあるだけで美しく、そしてその存在は何事にも代えられないすばらしい奇跡なのだと、彼はエリスに語ってくれた。
     少女にはまだその言葉の意味がよくわからなかった。ただ理解できたのは、彼の果てしのない愛情だけだった。

     ふと、車の音が聞こえる。数羽の小鳥達は驚いて空へと去ってしまった。
     それを追うようにエリスは顔を上げつつ不審に思う。今日は来客があるなどと聞いていない。というのも、料理人のいないこの邸に来客がある場合には、帝都あるいはどこかの街からわざわざ料理人を呼び寄せなければならないからだ。そして当分、その予定はないと聞いている。平素はエリスがマクマーンに食事を作っているのだが、客人に出せるほど豪勢なものは作れない。どうしたものかと思い悩んでいるうちに訪問者は門をくぐろうとしている。エリスは両手のパンくずをはたいて落とし、ワンピースの裾を乱さぬよう気をつけながらそちらへ急いだ。

    「あら、新しく入ったメイドさん?」
     珍しい色の車だった。ワインレッドと言うのだろうか、派手だが決して下品ではない。その中から出てきたのは、マクマーンよりも少し若い、初老の婦人だった。
     白いものが半分ほど混じった髪は品よく複雑に結われ、おそらく南のほうの出身だと思われる色濃い肌にオレンジの長い巻きスカートがよく似合っている。朗らかで、活動的な印象を与える人物だった。
     しばしその健康的な外見に意識を奪われていたエリスは、慌てて背筋を正す。
    「エリスと申します、マダム」
     スカートの裾をつまんで一礼すると、婦人はにっこりと微笑んだ。柔和な、暖かい笑顔だった。マーサと同じに、年を重ねた人間の暖かさを感じるし、マーサよりもずっとたくさんのことを知っているような深い思慮も見て取れた。不思議な女性だと、エリスは感じた。
    「ムンベイよ。よろしくね」
     あっ、と、声を上げそうになったのを堪える。なぜならば今しがた聞いた名前は、あの、赤いドレスの写真に添えられた名前と同じだったからだ。
    「マクマーンはいるかしら?」
     優しい眼差しにうろたえつつも言葉を捜そうとしていると、玄関のドアが開く。邸の主人が自ら迎えに上がったらしい。
    「やあ、ムンベイ」
     こんなことはめったに、というより、まずない。それだけ彼女が、マクマーンにとって重要な人物なのだろう。そのくらいは、エリスにも理解できた。
     そしてどうやら、ムンベイの顔を見るに、彼女にとってもマクマーンは特別な存在らしい。深くなった目じりの皺が、とても美しい影を落としているのだから。
    「お久しぶりねマクマーン。近くに用事があったものだから寄ったんだけど、急で悪かったかしら」
    「とんでもない。僕はいつだって、君の訪問を心待ちにしているんだ」
     そう言う彼の白い歯が輝く。エリスが未だに慣れないそういう台詞も身振りも、ムンベイにとってはどうやら見慣れた光景らしく、ただ一言「相変わらずね」と笑うだけだった。

     庭を一望するテラスに、エリスはティーセットを運んだ。自分が作ったものなので自信は無いのだが、午前中に焼いたばかりのレモンパイが共に並んで供されている。
    「ごめんなさいね、急に訪ねちゃって……あら、これ、とてもおいしいわ」
     申し訳なさそうなムンベイは、しかしレモンパイを口に運ぶとにっこりと微笑んだ。
    「ありがとうございます」
     エリスは安堵した。もし失敗をしたら恥をかくのは自分ではなく、マクマーンなのだ。メイドになって初めて迎える客が優しい人でよかったと、エリスはほっと息を吐きたくなった。
    「まだ一ヶ月ほどだけどね、どうだい、とてもいい子だろう?」
    「ええ。まるであたしの若い頃にそっくりね」
    「そうかい?」
    「あら、違うって言うの?」
     二人の間には不思議な空気がある。彼女がマクマーンにとって大切な人だということはわかるが、ムンベイの左薬指には金の指輪が輝いていた。もちろん、マクマーンは指輪などただの一つもしていない。どういうことなのだろうと思いつつ、エリスはその場で首をかしげるのを堪えていた。
    「君はエリスとはまた違う魅力に溢れていたよ。いつだって美しく、溌剌としていた」
    「今は?」
    「今だってそうさ。君は今日も、昨日までとは違う魅力に溢れているね」
    「ありがとう」
     傍で聞いているエリスが赤面しそうな台詞にも、ムンベイは平然と笑いかけている。ますます謎は深まるばかりだ。結局二人はどういう関係なのだろう。唖然として立ったままの彼女に、ムンベイが苦笑した。
    「あなたがそんなことばかり言うから、エリスが呆れているわよ」
    「も、申し訳ありません」
     これではまるで立ち聞きしていたようだと思い当たって、エリスはテラスから退出しようとする。それをマクマーンは留めた。
    「ああ、ちょっと待って。まだムンベイを紹介していなかっただろう?」
     エリスは振り返り、二人に向き直った。
    「彼女、ムンベイはね……僕の片想いの相手だよ」

    §

     夕刻の森は魔物が住まう。赤く染まった空を見ていると、小さい頃に聞いた話も本当のことのように思えた。
     ムンベイは二時間ほど前に帰っている。マクマーンからあんなことを聞かされても、エリスは何がなんだかわからなかった。もしかしたら、歳をとれば二人の関係についてわかるようになるのかもしれない。少なくとも、今のエリスには、どうしてマクマーンがあんなに平然として、他人を選んだムンベイと会ったりできるのかわからなかった。

    「確かにムンベイはわたしを選ばなかった。それは事実だ。でも彼女は今もこうしてわたしに会いに来てくれる。それは、素晴らしいことだと思っているよ」

     彼女を見送った後に、マクマーンはエリスにこう説いてくれたのだがそれでもわからない。会いに来ると言ったところで、せいぜいお茶か食事をするだけのようだし、それはずっと昔から変わっていないらしい。
     この世の中にはわからないことが多すぎる。
     マクマーンは、エリスの思考を察したのか肩に手を置きながら笑いかけた。
    「エリス、わたしは何かを返してほしいわけではないんだよ」

     それはそうなのだろう、ということは彼女にもわかる。
     しかし、それで主は満足なのだろうか、とも、考えてしまう。
     愛されたいと願わないのだろうか。もしも自分が同じ立場だったら、引き裂かれるような胸の痛みを堪えられる自信がない。自分がまだ二十年足らずしか生きていないせいかもしれないとは思ってみるものの、年を取ったところでマクマーンと同じ心境に至れるとは到底思えなかった。
     日没の方角はすでに闇に飲み込まれている。
     マクマーンの心は、このような闇を知らないのだろうか。
     エリスには、わからない。

    §

     エリスはそれから五年、穏やかに暮らしていた。
     時折マクマーンが興した会社の人間や昔の知り合いが訪れたり、逆にマクマーン自ら帝都へ芝居を観に出かけたりする。しかし年々その頻度は少なくなり、彼は杖をついて歩くようになった。食べるものの量も減って、一日中横になっていることもある。医者を呼ぼうとしてもマクマーンは拒否するので、エリスの不安は増すばかりだった。
    「旦那様、ほんの少しでもいいですから、お医者様に診ていただきましょう」
    「エリス、心配はいらないよ。わたしは少し疲れているだけさ」
     そのくせ彼はいつの間にか弁護士を呼んで遺言状を作ってしまったらしかった。黒いスーツに身を包んだ男性が邸に出入りしているのを見ると、まるで死神に取り付かれたような気分になってしまう。
    「エリス」
     遠くを見ているマクマーンを、見ているのが近頃は辛い。
    「はい、旦那様」
    「近頃わたしはよく眠れるよ。朝もすっきり、目覚めることができるしね」
    「それは……ようございました」
    「……エリス」
    「はい」
    「――いや、今日もいい天気だね」
     エリスすら薄々の予感を覚えているのだ。マクマーンが気づいていないわけがなかった。
     誰も逃れることなどできないと知っていながら、いや、知っているからこそ、エリスは「運命の日」が一日でも遅く訪れることだけを祈った。彼女にできることはそれくらいであり、しかし現実は、彼女が思うほど優しくはなかった。

    §

    「旦那様、」
     いつもの起床時間を過ぎても呼びつける声を上げなかった主に不審を抱き、エリスは寝室の前まで出向いた。目覚めがいいと言っていた主が遅くまで寝ているなどありえない。ドアをノックしても返事はなく、エリスはノブに手をかけようとして、手を引っ込める。
     嫌な予感がした。ドアを開けるのが恐ろしかった。
    「――旦那様!」
     エリスはメイドらしからぬ粗暴さでドアを叩く。うるさいと一喝してほしかった。怒鳴って欲しかった。なのに何も聞こえない、何も起こらない。
     エリスは泣き出しそうな顔でドアを開けると、マクマーンの元へと駆け寄った。
    「旦那様!」
     マクマーンの手をとると、かすかではあるものの脈拍はあった。よかったと安堵するが、エリスは動揺したままマクマーンに声をかけ続けるしかできない。
    「旦那様、しっかりしてください!」
     マクマーンには意識がないのか、エリスの呼びかけにも応じない。ようやく目を開けたかと思っても、すぐに瞼は閉ざされてしまう。
     彼女は邸の中を駆けた。誰かいればはしたないと叱責されそうなくらいに、裾を乱して走った。
    そして電話機の前に来ると、息も整えずにボタンを押す。コール音は何度も繰り返された。その一分一秒すら物狂おしいほどの時間に思える。ようやく繋がったかと思えばかかりつけの医者の間延びした声に苛立ちはつのる一方だった。
    「もしもし、ドクター、急いで来て下さい。旦那様が、旦那様が……」

    §

    “ご家族を呼んで差し上げなさい。もうわたしたちにできることなど……”

     神様、とエリスは口の中で呟いた。
     もう彼女を包むものは絶望の他に無く、無常にも時は進むばかりだった。
     医者は最期の時のために、マクマーンの家族を呼べと言う。しかし、エリスには彼の家族の心当たりなどないし、何より信じたくもない事実に動揺するばかりで何も手につかなかった。
     これではいけないとわかっている。マクマーンが自分に望んでいることはおそらく、ただ泣き暮らすことではなくてきちんと仕事を全うすることに違いない。
    「ごめんなさい、旦那様、ごめんなさい……」
     エリスはぼろぼろと涙を零しながら、電話機の前で主に詫びた。方々へ連絡しなければならないのに、こんな状態ではそれも無理からぬこと。エリスは自分が情けなかった。恩人の最期が近づいているというのに、何もできない、何も返せない自分が恥ずかしかった。
     誰か助けてと、呟きそうになって、エリスはまた涙を零す。
     結局自分は最初から最後まで誰かに頼るしかできないのか、と。
     けれどそれを見透かしたのか、電話越しに手は差し伸べられた。
    「……っく、は、い」
    ――もしもし? ムンベイだけど。
     その朗らかな声を聞くと、エリスは一旦堰きとめていた涙を再び溢れさせた。ただならぬ気配を察してか、ムンベイの声も少しだけ低くなった。
    ――エリス? どうしたの、何があったの?
    「だっ……旦那様が、旦那様が……!」
    ――落ち着いて。マクマーンに何かあったのね?
     エリスはしゃくりあげるばかりで声も上げられない。ムンベイの問いかけに頷くばかりなのだが、電話越しでは何も伝わらないに違いない。エリスだってそのくらい理解しているのだが、言葉の代わりに嗚咽が漏れるだけで、何も伝えられなかった。
    ――すぐにそっちへ向かうわ。
     それだけ言うと、ムンベイは電話を切る。エリスはわけもわからぬままにその場に崩れ落ち、高価な絨毯に涙の染みを増やすことしかできなかった。

    §

     ムンベイが到着したのは翌日の早朝だった。慌ててやってきたのだろう、いつもの着飾った彼女ではなく、普段着にストールを羽織っただけのような格好だった。
     隈を作ったエリスの腫れた瞼を見るや否や、察したのだろう。一旦彼女を抱きしめると、「不安だったわね」 と、ねぎらう言葉をかけてやった。
     ひとしきり泣いて落ち着いたのか、エリスはそれを聞いても顔をくしゃりとさせるだけに留める。しかしその内心はムンベイの指摘どおりに不安でいっぱいのままで、今だって気を張っていなければ泣きじゃくっていたに違いなかった。
    「昨夜は、奇跡的にもちこたえて、でも、ドクターが、もって今夜だって……」
     覚悟はできたと思っていたはずなのに、言葉にすると悲しみ支配されてしまう。エリスの説明を聞くと、ムンベイは化粧もしないままの顔に穏やかな笑みを浮かべた。
    「マクマーンのところへ、案内してちょうだい?」
     それは全てを受け入れるような、何もかもを覚悟したような、優しくも力強い微笑みだった。口元に寄せられた皺を見るたび、エリスはムンベイに対して深い敬意と憧れをもってしまう。老境に至った彼女は、マクマーンの言うとおりに美しい。きっと歳を重ねるほどに美しさも増すのだろう。エリスは、小さく頷くとムンベイを寝室へと案内した。

     驚くほどに質素にまとめられた寝室の中に、マクマーンの横たわるベッドがあった。
     傍に医師と看護師が控えているその風景は、確実に一つの生命の終わりが近づいていることを物語っていた。
    「マクマーン、」
     呼びかけるムンベイに、彼はゆっくりと瞼を開ける。視線もまた同じようにゆっくりと入り口のほうを向き、ややあって驚きが浮かんだ。
    「やあ……驚いたな」
     かすかに浮かべようとした笑みは弱弱しく、エリスはたまらなくなった。
    「エリス、カーテンを」
    「はい……旦那様」
     細くなってしまった指先が指し示すカーテンを引くと、部屋中が真っ白な朝の光で満たされる。清浄で冷たい光だった。きっと毎朝、このように美しい光を浴びて世界は生まれ変わるのだろうと、エリスは不意にそんな考えを抱いた。そしてその美しい光を、きっと主は明日の朝、見ることができない。
     ムンベイがベッドサイドの椅子に腰掛けるのを横目に見つつ、エリスは耐え切れなさそうな自己を感じてドア付近に佇んだ。医師達も察したのか、すでに席を外した後だった。
    「最期に、君に会えてよかったよ」
     衣擦れの音がする。今まで触れることの無かった二つの手が、触れ合っていた。
    「やぁね、随分と弱気じゃない」
    「自分のことくらい、わかるさ」
    「……そう。そうね」
     静かだった。きっと窓を開ければ彼の愛した小鳥がさえずり、彼の愛した花の香りが流れてくるのだろう。それすらもう二度と得られぬことを、二人は知っているのだろうかとエリスは疑わしく思ってしまう。そのくらいに、二人とも落ち着いていた。
    「君は歳をとってもきれいだね」
    「あなたも変わらないわね。光る歯はずいぶん少なくなっちゃったけど」
    「ひどいなあ」
    「事実じゃない」
     いつもと変わらないままに会話する二人が、だからこそ悲しかった。これで、これですべてが終わってしまうなどと考えたくも無かった。
     こうやって事実から目を背けようとする自分は子供なのだろうか。エリスは自問する。答えなどわからないと言い切ってしまいたかったが、そんな問いを投げかけている時点で、自分が子供でしかないことは痛感していた。
    「ムンベイ、」
    「なぁに」
    「僕は幸せ者だったな」
    「なによ藪から棒に」
    「事実を言ったまでさ。僕は君と、ずっと共にあることはできなかったけれど、こうして君に見守られて、死んでいける。それが幸福だって、言っているんだ」
     息を継ぎつつの言葉を言い終わると、マクマーンは大きく息を吸い込んだ。
     時は、止まらない。
     泣くものかと、エリスは天井を睨んだ。静かに、穏やかに、主を見送ろうと思った。
     不意にエリスは五年前のことを思い出す。

    ――エリスはわたしと彼女のことが、気になるようだね。
    ――はい……あ、し、失礼しました。
    ――いいよ、気にしていないさ。
    ――ありがとうございます。
    ――エリス、
    ――はい。
    ――想いが必ず通じるとは限らないし、むしろ思うようにいかないことのほうが多いのだと、わたしは思う。けれどそれを恨みがましく思うことは、とても残念なことだと、わたしは思うよ。
    ――……。
    ――負け惜しみのように聞こえるかもしれないけれど、僕は彼女が幸せなだけで満たされる。そうして時々、僕に会いに来てくれるだけで、十分さ。
    ――……わたしはまだ、未熟みたいです。

     結局あのときのエリスにはわからずじまいだったし、今も全てを理解できたとも思えない。
     けれど、
    「あたしも幸せだったわ。あなたとめぐり会えて、あなたに愛されて」
     そう言うムンベイの言葉を聞くと、理屈ではなく、何かが氷解していくような心境になった。
    「僕の想いは、迷惑じゃなかったかい?」
    「そんなわけないでしょう」
     小さく笑うムンベイの声は、少しも震えていなかった。
    「そうか……なら、よかった……」

    “すべてはそこにあるだけで美しく、そしてその存在は何事にも代えられないすばらしい奇跡なんだよ”

     マクマーンのその言葉は、ムンベイのことを言っていたのかもしれないし、彼の愛した鳥や草花の自然、あるいは世界そのものに対するものかもしれない。
     けれどエリスにとっての美しい存在、尊いもの、そして奇跡は、彼女の主に他ならなかった。
     今、奇跡は終わる。
     彼の人は静かに目を閉じ、穏やかなままに眠っていた。
     ムンベイは無言だった。静かな笑みを湛えたままに彼の頬に触れ、しばしの間黙祷していた。

     どれだけ時間が経ったのか。エリスはムンベイの元に歩み寄り、口を開きかける。
    「旦那様を――」
     何も、言葉にならなかった。
     “旦那様を看取ってくださって、ありがとうございました”
     それだけは伝えたいのに、何一つとて言えなかった。この上なく穏やかな主の顔を見ると、こみ上げてくる涙に勝るものは何もなかった。
     たまらず彼女はその場に膝をつき、嗚咽をこらえるように両手で口を覆う。
    「エリス、いいのよ」
     ムンベイはそう言うと、彼女の肩に手を回して抱き寄せた。
    「いいのよ……泣きなさいな」
     言葉の終わりすら待ちきれず、エリスは声を上げて泣いた。どこにこんな涙が残っていたのかと、呆れるほどに泣きじゃくった。
     部屋を満たしていた陽の光が、雲に遮られる。薄暗い一瞬は、しかし直後に、再び白い迎え火にはらわれた。

    §

     あわただしい葬儀を終えると、今度は弁護士と会社役員が極めて事務的な顔をしてやってくる。
     故人に対して上辺だけの弔辞を述べる彼らにエリスは憤慨しそうになるが、最後までこの邸の使用人らしく毅然とした振る舞いをしようと心がけていた。もっとも、遺言状に目を通し、「しかし……周到な方ですなあ」などと呆れ半分にのたまう弁護士に大しては、エリスは手元のクッションを投げつけてやろうかとすら思った。しかしすんでのところで留め、それはマクマーンの敏腕を褒めているのだと解釈して気を落ち着かせる。
     実際、エリスも驚くほどにマクマーンは身辺整理を済ませていた。
     土地と邸は共和国のとある大学に寄贈し、生態系を研究するのに役立ててほしいと書き残しているし、自衛用のゾイドは帝国軍に引き取ってもらうための手続きがほぼ完了していた。そして遺産は一部を残して慈善事業の財団に寄付するようにと遺言状には記されている。
    「わたし……こんなにもらってもいいんでしょうか……」
     その“一部”の寄贈先はエリスだった。マクマーンにとっては雀の涙ほどの額だろうが、所詮は村娘でしかないエリスにとっては数年遊んで暮らせる額である。はいそうですかと受け取るには、ちょっとどころではないためらいがあった。
    「いいんじゃない? 人の厚意は受け取っておくものよ」
     エリスに任された事後処理を自発的に手伝うため、ムンベイは邸に滞在している。紅茶のカップを口に運びながら、彼女はエリスの背中を押した。
    「それだけあればどこの大学にもいけるし、どこかに小さな家くらいは建てられるわよ。マクマーンはきっと、あなたが自立するのを願ってるはずだわ」
    「……そうですね」
     エリスは遺言状の写しを丁寧にたたみ、テーブルの上にそっと置いた。
    「わたしは旦那様から色々なものをいただくばかりでした。お金とか、そういうものだけじゃありません。とても大切なものばかりです」
     主からの最後の贈り物を、エリスは大事に使おうと心に決めた。
    「あの人は……本当に、お人よしだったものね」
     苦笑するムンベイを見ていると、こうして思い出を語り合える人がいることをありがたく思った。きっと自分達の胸のなかに、いつまでもマクマーンは居続ける。これもまた奇跡なのだろう。
    「お優しい方ですものね」
    「そうね、あたしももらってばかりで――」
     ムンベイの言葉は、途切れた。
    「ムンベイさん……?」
    「――ごめんなさい」
     マクマーンの死に際にも、葬儀の際にも涙を見せなかった彼女が、初めて泣いていた。こぼれる涙は一滴などではなく、後から後からこみ上げては頬を濡らしていく。
    「いやね、ごめんなさいね。こんなおばあちゃんが泣いたりなんかして」
    「ムンベイさん……」
     両手で口元を覆い、ムンベイは嗚咽交じりに話し始めた。
    「あのとき、本当はね、後悔しそうだったの。これでよかったのかしらって、あたしは間違ってたんじゃないかって……。あたしはいつだって、あの人の優しさに甘えてばかりだった。ひどい女よね、どうして、どうしてもっと、あの人のことをまっすぐに愛せなかったのかしら」
    「そんな……」
    「あたしだって、あの人からは与えられるばっかりだったわ。何一つ返せなかった、何一つできなかった。こんなこと、今言ったってしょうがないけど、でもやっぱり、どうにかできたんじゃないかって――」
     眉間に皺をよせるムンベイは、己を断罪しているのだろうか。すれ違いとすら呼べない心の交差は、見ているだけで辛かった。
     エリスは自分のハンカチを差し出し、首を横に振る。
    「そんなことない、そんなことないです。旦那様はいつかわたしに、仰ったんです。何か返して欲しくてこんなことをしてるわけじゃないって。旦那様は本当に、ごく自然に、いろいろなものをわけてくださいました。それに、旦那様は、いつだって、ムンベイさんのことを話すときは、一番幸せそうでした」
     数日前に止んだと思っていたのに、また体の中心が震え始めた。涙は止められない。
    「エリス、」
    「旦那様は嘘なんか仰いません、ムンベイさんが来てくれるだけで幸せだって、そこにいてくれるだけでいいんだって。それに、旦那様はムンベイさんのことになると、ご自分のこと、“僕”って仰って、それで――」
     自分が言っていることが支離滅裂だとわかっている。それでもムンベイに何かを伝えずにはいられなかった。その伝えんとすることもわからぬまま。
     多分、大切なことはムンベイだって知っているのだろうとエリスは思う。こんなにも長い間親交の途絶えなかった二人の間に、特別な感情がなかったわけがないのだ。ムンベイはわかっている。エリスはその感情に、もっと自信をもって欲しかった。それが何であれ、すばらしいものであると訴えたかったのだ。
    「エリス……」
    「だから……そんな悲しいこと言わないでください……」
     その感情は、言葉になどできるものではないと思う。しかし、言葉で表せないものが存在しないと断じられるのは不本意だった。
     ムンベイはマクマーンのために、普段着のまま化粧もせず、駆けつけてくれた。たとえそれが愛であると誰にも認められなくとも、そこにあるだけで尊く、美しい存在はたしかに、この世にあり続けるに違いなかった。

     深い愛を残して逝ってしまった彼を思い、エリスは泣きじゃくった。ムンベイも、同じく涙を溢れさせた。
     もう泣くものかと思っていたはずなのに、いつまでもいつまでも、二人の涙は涸れることをしなかった。

    §

     あれから数年が経った今も、エリスは時折邸を訪れる。
     寄贈された先の大学は、マクマーンの遺志を慮ってか、手を加えないままに邸を残していた。定期的に研究チームがやってきては邸をベースキャンプにして調査を行っているようだが、品行方正な学生らのおかげで邸は綺麗に使用されているらしい。
     最低限の手入れだけが為された庭は、時期によっては雑草も茂り放題に伸びている。かつてここで働いていた頃には考えられない光景でもあるので、少しばかり胸の奥が痛むようでもあった。
     時は流れ続ける。
     しかし外観が変われど、この庭はここにあり続ける。小鳥はさえずり、花は風に揺れ、そして日差しは降り注ぐ。
     全てを祝福するように、いつくしむように。彼の人の愛が誰かの胸のうちで増幅し、再び分け与えられる時を待つのと同じに。
     永遠に。

  • 雪にも影はある

     年の瀬も迫る12月のことだった。
     稲葉正男は、もはや勝手知ったる足取りで御影総合病院の表玄関をくぐる。訪問先は級友の園村麻希が入院している病室で、今日の用件……というより口実と言ったほうがいい建前は、冬休み中の諸々に関するプリントの束だった。
    「あら、こんにちは稲葉くん」
    「ちっす」
     病棟の廊下を歩いていると、稲葉を知っている看護婦や職員とすれ違うことも多いので、挨拶めいた声かけを受けることもあった。彼女らの大半は稲葉の甲斐甲斐しさについて感心するだけでなく、なにやら特定の意味がにじんだ微笑を向けることもあった。稲葉は、そこに込められた意味がわからないわけではない。大体、入院患者でもなければその親族でもない自分が病院側に顔と名前を憶えられていることも不自然と言えば不自然。それについて気恥ずかしいような気持ちが湧くこともあったが――
    『大切に想っている人に会いに来ることをどうして恥じる必要があるだろうか』
     言語化できるほど自覚的なものではなかったけれど、稲葉は自分の行動について疑うことはなかった。ただ、少なくとも週に一度は病室を訪れるクラスメイトに対して毎度笑顔を返してくれる園村の、本心だけはわからなかった。わからないけれど、わからないままのほうが心地いいと感じる自分を否定できなかった。
    「稲葉君、」
     ノックの後にそっと扉を引くと、園村は読んでいた本のページから顔を上げ、にっこりと微笑む。両の頬がゆるやかに膨らんだその笑顔を稲葉は好ましく感じていたし、一時は真冬の空もかくやというほどだった顔色が日に日に良くなっていくのがとてもうれしかった。自然と笑顔を返しながら後ろ手に扉をしめ、逸る気持ちを無理に抑えつつベッドサイドに歩を進める。
    「冬休みのプリント持ってきた」
    「ありがとう。……そっか、もう冬休みなんだね」
     十枚程度の紙の束を手渡すと、園村はゆっくりと紙面を改める。うつむき加減の睫が長いこと、丸く整えられた爪が何も塗らなくても桜色をしていること、顔を動かすのに合わせて揺れる髪の動き。そういう、特定の何かにというわけではないけれど、稲葉はしばし見惚れていた。いや、見惚れると表現するのは少し本質からずれている。かつて沈んだ目をしていた麻希にも今や春を迎える花のような生命力が満ち溢れているという事実に、稲葉は胸を打たれているのかもしれない。
     クラスメイトの誰よりも自分は麻希の見舞いに訪れた自負がある。だから麻希の回復を誰より近くで見守る権利だってあってほしいと思うが、それを行動に移さないだけの分別はあった。
    (いや、一番は園村のおふくろさんだ)
     自分に釘を刺すように言い聞かせる。今は、自分は彼女の一番ではない。それが「少なくとも今はまだ」であってほしいという、ささやかな願いを稲葉は握りつぶせずにいる。プリントを一枚ずつめくって確認する指先が、誰を求めているのかなんて考えたくはなかった。
    「そういや姫野が言ってたの聞いたんだけどよお、一時帰宅できるんだって?」
     さも今思い出したように口にしたが、実際のところ、今日はこのことを話題にしようと決めていた。自然にふるまえただろうか、と、稲葉は気が気ではなかったが、麻希は何かを気にするような素振りはない。
    「あ、うん、そうなの!」
     プリントから視線を上げた麻希は、ただただ自分の回復を喜んでくれる友人に、はにかむように笑っている。
    「よかったなぁ。……おふくろさんと過ごすのか?」
    「……うん。お母さんも長めにお休みとってくれたし、家でゆっくりしようか、って」
    「そっか、うん、親子水入らずってやつだな」
     稲葉の問いかけに対しても、麻希は表情を強張らせることもなかった。あの日、「母親」と聞いただけで発作を起こしたように取り乱した姿は影も形もない。きっと二人は当たり前に、幸せな母子として今を過ごしているのだろう。それは一クラスメイトでしかない稲葉にもよく理解できた。

    §

    「そうそう、姫野ちゃんから聞いたんだけどさ、マキちゃん、お正月は一時帰宅できるって」
     その日の昼休みの教室で、そう切り出したのは上杉秀彦だった。大半の生徒が昼食を済ませた後の、緩慢とした空気がふっと湧き上がる。
    「へえ、よかったな。そんなに元気になったんだ?」
    「ええ。先日お見舞いに伺ったときは私とAyaseと三人で中庭を散歩しましたもの」
    「ねー。園村、最近顔色めっちゃいいもんね」
    「一時はICUに入っていたことからすると、かなり回復したということだろうな」
     順に藤堂、桐島、綾瀬、南条。それぞれに友人の快癒を喜ぶ一言が出てくるので、いささか乗り遅れた気もしながら、稲葉は人差し指をたて、その場の顔を見回す。
    「あ、じゃあさ、遊びに誘わねえ? 遊びっつーか……あ! 初詣とかどうよ⁉」
     カラオケもゲーセンも園村には似合わない。かといって美術館のような静かな場所は稲葉自身がごめん被る。ほかにどこかよさそうなスポットは……考えをめぐらして比較的すぐに出てきた案としては悪くはないと稲葉は自画自賛した。悪くない思い付きだったようで、皆の顔も明るくなる。綾瀬も表情で賛同するが、即座に眉間に皺が寄った。
    「えー初詣? アヤセもう約束入れちゃったんだけど~でも園村とも遊びたい~」
    「なーに言ってんだよ、そんなの――」
     当然、めったに会えない園村を優先すべきだろう、と口を開きかけた稲葉を制したのはゆきのだった。
    「ちょっと待ちなよ。初詣って、まさか夜中から出歩くとか言わないだろうね?」
     どこか担任教師に似た鋭い目つきにたじろぎながら、稲葉は首を横に振る。
    「――言わねえ言わねえ! 朝、午前中だけ!」
    「間があったな」
    「あったねぇ」
     揶揄するような藤堂と上杉に「うるせえ」と返すが、予想もしなかったところから指摘が入る。
    「おい、そもそも正月の神社の人混みは相当なもんだろ。あいつをそんなところに連れ出しても大丈夫なのか?」
     そう言いつつも、頬杖をついた城戸玲司の顔は少し困惑していた。彼としても確証が持てなくて、指摘というより問いかけのつもりだったのかもしれない。が、浮足立った面々を落ち着かせるには十分すぎる。
     あ。と、全員の口が丸く開かれる。考慮すべき前提に気づいていなかった、という顔だった。理性的な一言に、それぞれがクールダウンしていく。
    「……確かに。いくら回復しているからと言っても園村は入院中の身だ。城戸の言う通りだな、俺も園村を大勢の集まる場所に連れ出すと言うのは賛成しかねる」
     南条が渋い顔で腕を組み、桐島が不安げに指先で口元に触れる。
    「そうですわね……人混みの中で風邪とか、万が一インフルエンザなんてかかったらと思うと……」
    「あ……」
     ただでさえ身体が弱い麻希が感染症にでも罹患したら、最悪の場合は入院病棟に逆戻りだ。そのくらいは、稲葉にも理解できた。
    「園村がインフルにかかったりしたら、ちょーヤバイんじゃないの?」
     机に半分突っ伏していた綾瀬が硬い表情で身を起こすと、傍らの上杉が茶々を入れる。
    「そ、アヤセみたいな健康優良児とは違うからね~」
    「……ん? それどーゆーイミだっ!」
     両耳を引っ張ろうとする綾瀬と、笑いながら逃れる上杉のおかげか、わずかにその場の雰囲気が和らいだ。
    「あー……あとさ、マークの言う通りみんなで集まるのもいいけど、今の園村は……お母さんと過ごすのがいいんじゃないかな」
    「確かにね。自宅でゆっくり、親子水入らずで過ごすなんて、二人には久しぶりなんじゃないのかい?」
     藤堂と、彼のセリフを補完するゆきのの考えにはその場の全員が同意を示した。稲葉は、自分の提案が適切なものではなかったことをすんなりと飲み込む。
    「だよなー! 正月は家族団らんって決まってるもんだしな。それに園村がちゃんと元気になりゃ初詣だってなんだって行っていいだろ? 退院したらその時こそみんなで遊びに行こうぜ!」
     その提案は今度こそ皆にとっての最適解だったようで、それぞれが明るい顔で同意を示している。それで稲葉の心にあった黒いシミ――ただ少し考えればわかりそうなことに気づけなかった歯がゆさと、馬鹿みたいに舞い上がってしまった自分のみっともなさを恥じ入る気持ちは、すっかりと消えてしまった。その一連のことは、おそらく本人も自覚していないことだった。
    「家族団らんもいいけどさ~なんか忘れてない?」
     そこへ手を挙げる男が一人。上杉だった。
    「1月1日って言えば?」
    「なんだよ、正月だろ?」
     なぜか問いが向けられたのが自分なのかわからないまま、稲葉は答える。が、口を尖らせた上杉が「ブブー」と言っている通り不正解らしい。
    「正解はおれ様の誕・生・日! ってことで誕生日パーティー的な? 開いちゃってもいいんだぜ?」
     ――と胸を張るものの、いっそお約束のような清々しさで彼は断られていく。
    「あ、アヤセ先約ありだから無理」
    「Sorry、私は家族でGranmaのところに行きますの」
    「あたしはバイト」
    「俺もバイトだ」
    「玲司、バイト始めたんだ? あ、俺も寝正月やるから無理」
    「俺は特に用事はないが断る」
    「最後の二人はウソでも用事があるって言ってほしかったなあ⁉」
     どっと笑い声が起こる。その様を稲葉は鼻白んだような顔で見ていた。麻希のことを話していたのに結局自分が中心の話にするのかよ、と。別にそれが嫌というわけでもない。これが南条だったら嫌味の一つも口にしただろうが(そして返り討ちにあうのだろうが)、上杉に対してそういう気は起らなかった。
    「マーくんは?」
     しかし上杉の方はそうでもないのかもしれない。
     稲葉はさして気にも留めていないが、傍から見れば上杉秀彦という男は、稲葉によく突っかかっている。今みたいに敢えて嫌がるあだ名で呼ぶのもその一環だった。
     が、やはり稲葉は意に介さない。
    「行かねーよ、バカ」

    §

     母親と過ごすことを楽しそうに語る麻希を目の当たりにして、稲葉はほろ苦い安堵を感じていた。二人を差し置いて自分(たち)と過ごして欲しいという安直な願望を口にした反省、それを仲間がいさめてくれたことへの感謝。昼休みの出来事を何気なく思い浮かべながらふと壁に目をやると、先日まで非常に殺風景だったカレンダーが大変賑やかなことになっていた。
    「――あ、カレンダーね、みんなが色々書いてくれたの」
     稲葉の視線に気づいた麻希によれば、クラスメイトが学校で何をしているのか知りたくて、書いてもらったらしい。クラスマッチとか、期末試験とか、とうに終わったイベントのことも記されている。
    「……あいつら、人の病室のカレンダーに何書いてんだ」
     稲葉は呆れながらも立ち上がり、壁のほうへと歩いていく。12月のカレンダーの終わり、来年の1月1日の欄は非常に賑やかなことになっていた。まず、上杉の字で「おれ様のBATHDAY!!」、それを二重線で消して「Birthday」に訂正している細い文字――多分これは南条の万年筆だろう。そこに横から矢印が飛んできて、「バカ?」と丸っこい字が並んでいる。蛍光ピンクは綾瀬の筆跡に違いない。園村に尋ねると、稲葉の予想はやはり当たっていた。
    「いっぱい書いてもらって、みんなと一緒に過ごしてるみたいだなあって、なんだか見てるだけで楽しくって。あ、シールは優香と英理子がくれたの」
    「へー……」
     確かにクマのシールが貼られている日もある。服薬の確認のために貼っているらしい。24日と25日は、柊とベル、キャンディーケインのシールで飾られていた。
    「そういえば南条君が、クリスマスツリーの話してたら、『欲しいのか? 手配が必要ならやるが……』なんて言い出して――」
     それから麻希は、見舞いに来てくれたクラスメイトのことを話して聞かせてくれた。稲葉も知っている友人たちだけでなく、担任の高見冴子はもちろん姫野や葛西、美術部の面々も顔を見に来ているらしい。
     自分の知らない人間の話など聞いたところでつまらなくもあったが、なまじ知っている人間と親しくしている様子を聞かされるよりはマシなのかもしれない――それが浅ましい嫉妬だとは自覚していないまでも、稲葉は自分の子供っぽさを否定できなかった。
     友達は、多い方がいいに決まってる。自分が社交的な性格だから、稲葉はそう信じているし、麻希にも大勢の友人ができれば、それは喜ぶべきものだという自分の理屈も理解できる。それでもなお、麻希が笑うのは自分の手によるものであってほしいと願ってしまう。しかしそんな矛盾した心境を正確に認識しているわけでもなく、稲葉は小骨のような違和感に一抹の気持ち悪さを感じながら、麻希が身振り手振りを交えて闊達に話す様を見ていた。
    「――って、上杉君が言ったの。もうおかしくて、私も優香も笑っちゃったし、その話したら城戸君まで笑ってたの。めったに声出して笑ったりしないのに、ふふ……すごいよね、上杉君って」
     麻希は思いだしているのだろう、口元を両手で押さえて背を軽く丸めている。そういう様子こそあまり見たことのないものだったので、稲葉は新鮮さに表情がほころんだ。
     が、上杉が「すごい」というのはどういう意味だろうか。麻希の意図は測りかねたが、なんとなく、持ち上げるような発言には異を唱えてしまう。
    「そうかあ? アイツは素でバカやってるだけだろ? 何にも考えてねえっつーか、考えて行動するタイプじゃねえと思うけど?」
     そう言うと、麻希は少し、考え込むような顔をする。
    「うーん……上杉君は、自然にみんなを笑わせてるように見せてるんだろうけど、でも人を笑わせたり楽しませるのって、簡単にできることじゃないと思うんだ」
     そんなわけはないだろう、と、笑い飛ばすには、麻希の表情は真剣だった。微笑みを浮かべて、まるで子供に言い聞かせるようなやわらかい響き。
    稲葉はすぐに返事ができなかった。居心地の悪い沈黙が満ちたその時間を終わらせたのは、外からのノックの音だった。
    「園村さーん、検温しよっかー……あら、お友達が来てたのね」
     体温計を取り出しながら入って来た看護婦に、稲葉はほっとしてしまう。
    「こんちわっす。あ、じゃあ園村、俺そろそろ帰るわ」
     看護婦に軽く頭を下げ、稲葉は丸椅子から腰を上げる。問答をしていたわけではないけれど、園村の言葉について何も言えなかったことが、稲葉の中でひっかかったままだった。

    §

     麻希の言葉のせいだろう。翌日から稲葉は上杉を観察することが増えた……のだが、観察したところで人の内心までわかるはずもない。いつものように上杉がクラスを沸かせる場面に遭遇しても、考えてやっているとは思えなかった。
    (けど園村が間違ってるとも思えねえ)
     人を笑わせたり楽しませるのは、簡単にできることではない。麻希はそう言っていた。
    もし簡単にできるとしたら、上杉にエンターテイナーとしての天賦の才があるということだろうか。
    (それはムカつくな)
     上杉が天才だという仮定は稲葉には受け入れがたいものだったので、そうではない仮説について考えてみる。
     天才でないなら、どうしたらいいのか。決まっている、努力するしかない。大体、世の中には天才なんて一握りしかいなくて、大多数の凡人は努力を重ねてばかりだ。いつだったか、城戸も言っていた。手品の練習はもう何度繰り返したことか、と。何の苦もなく手元から花を消したり逆に出現させたりするあの涼しい顔の背後には、見たものが想像もしないくらいの地道な研鑽があるのだ。「まあ、それを悟らせねえのもミソだけどな」と、城戸が言葉を濁したのもわかるような気がした。
    (確かに。ヒイヒイ言いながら手品披露するなんて、ダセぇしな)
     だったら上杉秀彦は、人を笑わせるために努力というものをしているのだろうか?
     成績は悪い意味で自分と似たり寄ったりで、真面目という言葉からは程遠い。そんな上杉が努力なんてするのだろうか?
     稲葉には結論など出せそうにもなかった。
     休み時間の終了を告げるチャイムが鳴る。まだ席に戻っていない生徒が多かったので、二学期最後の授業は担任のお小言で始まった。

    §

    「せんせー、終わったぜ」
     考え事に気を取られていたせいだろう、小テストの点数がはかばかしくなかった稲葉は、放課後に補修を受ける羽目になってしまった。補修と言っても対面の講義ではなく、プリント課題を提出できればそれで帰宅できる。さっさと終わらせようと思う者もいれば、監視者の目がないのをいいことにダラダラと時間をかけてしまう者もいる。稲葉は後者で、かつ最も進捗が遅く、結局補修受講者全員のプリントをまとめて職員室まで持って行く役目まで追加されてしまった。
    「はい、ご苦労さん。っていうかね、稲葉、アンタちゃんと真面目に授業聞いてんの?」
     持って行けば持って行ったでお小言が追加される。が、高見冴子は「説教の長さと効果は反比例する」説を支持しているのかいないのか、二言三言でそれは終了した。
    「今度一桁点数取ったら家に連絡するからね」
    「ゲッ……勘弁してくれよ~」
     両親の耳に入ったら面倒なことこの上ない。げんなりとした顔を隠さない稲葉に、冴子は苦笑を浮かべる。
    「勘弁も何もちゃんと勉強してりゃいいじゃないのさ。あ、でも上杉みたいに高得点でもヤマが当たっただけってのは意味ないからね?」
    「へーい……」
     確かに採点後の上杉は「イエーイおれ様ヤマカン大当たり~」とかなんとか叫んでいた。ヤマが当たって高得点というのは上杉らしいかどうかわからないが、努力して高得点を取るよりは「らしい」と稲葉は思う。ああ、そうだ。同じだ。上杉が人を笑わせるのだって、数撃ちゃ当たるというやつなのでは? こう言ってはなんだが、麻希よりは自分のほうが上杉との接点は多い。買い被っている、というやつだろう。
     それが正解に違いないと思いつくと、途端にもやもやが晴れていく。麻希には悪いがそうに違いない。
     そうと決まれば後は早かった。職員室を出た稲葉の足取りは軽く、彼は昇降口まで小走りで到達した。

     病室に麻希の姿はなかった。通りかかった看護婦に尋ねると、「さっき下に降りるって言ってたから、図書スペースじゃないかしら?」と教えてくれた。礼を述べて階段を降り、案内掲示板で図書スペースの位置を確認する。中庭に向かう渡り廊下の手前にあるそこにも、麻希の姿はなかった。
    「あれ……まいったな……」
     入れ違いで病室に戻ってしまったのだろうか。今日は口実もないまま足が向いてしまっただけなので、大人しく退散するか――と、稲葉はニットキャップの上から頭をかきながらその場を後にしようとしたが、曲がり角の向こうから聞こえてきた会話に足が止まる。
    「――ってなわけで今日のおれ様は絶好調なのよ」
     でひゃひゃ、と、特徴のありすぎる笑い声に心当たりは一人しかいない。その一人が病院内で会話する心当たりも一人しかいない。軽やかな笑い声が聞こえなくても答えはわかりきっている。おもわず「げっ」と声が出てしまうところだった。
     麻希と談笑しているのは上杉だ。それだけでも気に食わないのに、二人の他に声がしないということはつまり、二人きりなのだと気づいてなおさら機嫌が悪くなる。
     つい、表情が強張ってしまうのを稲葉は自覚していたし、それが八つ当たりでしかないこともわかっていた。上杉には抜け駆けした気もないだろうし、そもそも抜け駆けという言葉自体この場に適切ではないのだろうが、稲葉にとって本質はどうでもいい。知らないうちに上杉と麻希が談笑している事実だけで気に入らない。
     なので、その場に割って入ろうとしたのだが、らしくもなくトーンダウンした上杉の言葉に勢いが削がれる。
    「でもマキちゃんは、今日はなんだか元気ない?」
     稲葉が足を止めた場所からは、二人の姿は直接には見えない。通路の中庭側は全面ガラス張りになっているので、そこにうっすらと反射しているのがちらりと見える程度だ。人一人分のスペースを開けて同じベンチに座っているらしい足元しか見えない稲葉には、麻希の表情など知る由もなかった。
    「……病室戻る?」
     元気がないのが体調不良なのだとしたら、上杉の言う通りにするべきだろう。しかし、麻希はそうしなかったので少なくとも病状が芳しくないわけではないらしい。
     稲葉には聞こえなかったが、麻希は小さく息を吐いた。浮かべた笑みは、自嘲にも似ている。
    「ここに入院してるソウタ君、っていう小学生の男の子がいてね、病院の図書スペースで会って、時々話すようになったの。その子も入院が長くて、お母さんがいなくて、だからかな、なんだかほっとけないっていうか……」
     麻希は、ソウタという少年のことを気にかけるようになったと言う。入院を余儀なくされた子供の例に漏れず、ソウタは病状の良しあしに関係なく塞ぎこむことが多かった。原因は入院の退屈さや、検査や処置の苦痛、それらもあるが、何よりも少年の心を苛んだのが孤独だった。
    『マキちゃんはいいな。やさしいママが、まいにち、きてくれる。ぼくのパパはぜんぜんきてくれないし、すぐかえっちゃう……』
     ソウタの訴えは、麻希にとっても覚えのある寂しさだった。
    『パパはぼくのこときらいなんだ』
     だから、ソウタが涙声になるのも理解できた。自分だって同じように感じていたから。母にとって自分は、優先順位で仕事に劣るくらい、どうでもいい存在なのだと。
    『そんなことないよ、ほんとうに嫌いだったら、一日だって病院には来ないと思うよ』
     そもそも優先している仕事だって、しなければ入院費用を支払うこともままならない。大人には当たり前の事実でも、幼い子供には理解の及ばないことだろう。それでも、本当に息子をどうでもいいと思っているのなら身を粉にして働きもしないし、まして入院などさせないのは紛れもない事実だ。
    『ソウタ君のパパは、ソウタ君のことすっごく大事に思ってるはずだよ』
     麻希は小さな手を握ってそう伝えた。伝わってほしかった。

    「……ソウタ君、なんて?」
     麻希の話が途切れると、黙って聞いていた上杉が静かに切り出す。
    「……じゃあ毎日お仕事に行ってるから、僕よりお仕事のほうが大事なんだ、って」
    「そっか~……」
     園村の慰めに対してなんというクソガキ……と、稲葉は一人歯噛みしていたが、麻希は小さく笑っているようだし、上杉も納得しながら苦笑しているような声色だった。当事者の麻希が笑って流すのはともかく、上杉は友人の厚意が無下にされたことについて何も感じないのだろうか?
     麻希は続ける。
    「同じだな、って思ったの。私もずっと、お母さんに対して同じ風に感じてたから」
     あの事件が起こった当日のことは稲葉も覚えている。取り乱して容態が急変するほど、園村にとって『母親』は禁忌の単語だった。
    「……それで、気づいたの。ああ、私、本心からソウタ君のために言葉をかけたんじゃないんだ、って。私と同じだから、あのときの私に伝えたかった言葉を、あのときの私がもっと強く言ってほしかった言葉を、ただ口にしてるだけなんじゃないか、って。なんだか人を利用して、自分が救われたがっているみたいでみっともなくて恥ずかしくて……」
     途切れた言葉の後に、小さく笑ったような気配がした。
    「それから私、何にも言えなくなっちゃった」
     人の声と足音が遠くからかすかに聞こえる。さっきまで意識すらしていなかった音が耳に残るくらい、静かだった。
    「難しいね、人が、どうしてほしいのかを知るのって」
     空元気だろう、麻希は張り上げ気味の声だった。話を切り上げようとしたらしいが、上杉は敢えてそれを無視する。
    「んー……ていうか、それってほとんど無理だよね」
     言葉に反して、突き放すような響きはなかった。
    「無理だから、予想したり、推理とか?するワケでしょ? そんでそのベース?基準?になるのって、自分の経験じゃないかなって思うワケ。自分がされてうれしかったから、人にも同じことするんじゃないかな~おれ様だってそうだし」
     自分のつま先を見つめたまま、稲葉は上杉の言葉を聞いていた。ふと気づくと、白い床の上を灰色の丸いものがゆらゆら揺れている。それが何かすぐにはわからなかった。中庭に降る雪の影だと気づいたのは、数秒後のことだった。
    「だからさ、『あのとき自分はこうしてほしかった』『自分が同じ立場なら、こうしてもらえるとうれしい』っていうことをするのだって、みっともないことでもズルいことでもなくて、ごく当たり前で、普通のことじゃないのかなぁ」
     稲葉の視線は、雪の影を無意識に追いかけていた。吹けば飛ぶような軽い雪のひとひらが、こんなにはっきりとした影を作ることを、稲葉はこの時初めて知ったのだと思う。
    「実はねマキちゃん……ちょっとお耳を拝借……」
    「何? ……えっ――そ、そうなんだ……?」
    「ほら、笑ってよ~笑ってもらえたほうがあのときのおれ様は救われるの!」
    「え⁉ え、でも……えぇ~⁉」
    「イカすでしょ、おれ様のあだ名、ブラウン様よ~?」
     麻希が何を耳打ちされたのかはわからないが、上杉の過去にまつわる話だということは推測できた。自分の知らないことで麻希が笑っているのを聞くともなく聞きながら、稲葉はその場から動こうとしない。
    「……俺はさ、多分、あのとき、誰かが笑い飛ばしてくれればよかったのに、って、そんなこと考えてばっかだから、バカやってんだろうね」
     しんみりとした口調だった。稲葉の聞いたこともない声色には、園村の言ったことが正しかったのだと納得させるものがあった。
    「きっといるよ、上杉君が笑わせてくれたおかげで助かった人も、救われた人も」
     やさしい声だった。なんとなく、この二人は今、共通点を感じているのだろうということを稲葉は理解した。そして「何も考えずに行動」していたのは自分の方ではないか、という疑問が浮かんでいたたまれなくなる。
     こんな自分では、きっと麻希の悩みに気づくこともなかっただろう。もしもの話だが、自分は麻希の手を引いて引っ張り上げることはできても、隣に並んで辛抱強く話を聞くことはできそうにない。そういう確信があった。
     だから上杉が麻希の悩みに寄り添うことができたことは――悔しいけれど――認めるしかなかった。こういうときに頭ごなしに否定せずに受け入れられるのは、稲葉の自覚していない美徳だった。
    「はは、励ますはずが逆に励まされちゃったっすね」
     サンキューベリマッチョ、などとふざけてしまうのは上杉の照れ隠しだ。きっと人が思うよりもずっと繊細な人物なのだろう。麻希はそう感じた。
    「……ソウタ君とまた話してみようかな。私、小さいころね、病院の中に友達がいなくて寂しかったの」
     友達になれたらいいなあ、と、麻希は両手を組みなおす。上杉は麻希と同じように中庭を眺めながら意地の悪い笑みを浮かべた。
    「友達か~……おれ様予想しちゃうけど、マキちゃんはいたいけな少年の初恋を奪っちゃいそうよね」
    「――はつ、えっ⁉」
     麻希は動揺し、上杉は予想通りの反応が返って来たのが楽しいらしく笑っている。
     稲葉は軽く笑うように口元を歪めた。癪だが上杉の言う通りだと思う。彼女に心を奪われた一人としての、確信だった。

    §

     その後、麻希は通りかかった看護婦に夕食の時間が近いと促され、図書スペースで借りた本を抱えて病室へと戻っていった。上杉はそれを見送り、少し間を開けてベンチから立ち上がる。数学担当の教師から託されていた追加の課題プリントもきちんと渡した。忘れ物はない。
     ほとんど人気のなくなった待合ロビーを抜け、外来受付終了の札が掲げられたエントランスへと向かう。外はすでに暗いものの、少し前まで降っていた雪は影も形もなかった。
     なんとなく、立ち止まって背後を振り返る。もちろんそこには誰もいない。ただ自分たちが先ほどまでかけていたベンチを見つめながら、らしくないことをしたかもしれない、と、上杉は目を細めて笑った。
     浮かぬ顔をした麻希の事情に立ち入りすぎたかもしれないし、自分の言ったことは的外れかもしれない。高校生にもなれば、耳障りのいい社交辞令を使うことも覚えてしまう。麻希がそうでないとは限らない、という暗い考えが浮かぶたび、腹の底に鉛が沈んでいるような気分になった。
     それでも苦しさを感じることは昔よりもずっと少なくなった。単に自分が成長したからだとか、心境の変化があったからとか、それだけではないと理解している。
    「……ヤダヤダ」
     愛すべき友人たちのおかげ、自分を受け入れてもらえた安心感。そんな、口に出すどころか考えるだけで全身がむずがゆくなるものを意識から追い出し、上杉はもう一度歩きだした。
    「――うわ⁉」
     どこかの歌ではないけれど、三歩進まないうちに大きく後ずさりしてしまったのには理由がある。誰もいないと思っていた正面入り口に人影があったからだ。
    「……よぉ」
     もしも照明がなかったなら、上杉は腰を抜かしてひっくり返っていたかもしれない。しかし一応はまだ診察中の病院入口はまだ十分に明るく、その人物の姿を、クラスメイトの稲葉正男の全身をはっきりと照らしていた。
    「え、え何? どったのマーくん」
    「その呼び方やめろ」
     本気で驚いた自分をごまかしても、稲葉はじっとりと睨んで取り合わない。
    (えー……何? なんかご機嫌斜め?)
     こう言っては何だが、稲葉は感情が顔に出やすい、いわゆる「わかりやすい」人間だ。この場に稲葉がいる理由は、彼の想い人でもある麻希の見舞いだろう。しかし病院内ではなく、玄関で遭遇するとはどういうことか――と、深く考えなくても推測はできた。
    (もしかしなくても、マキちゃんと話してるとこ聞いてた……? それが気に入らなくておれ様のこと待ち伏せしてたってコト~?)
     不良の「呼び出し」じゃあるまいし……と、上杉は自分の口の端がひくつくのを感じた。
     ちなみに、可能性として稲葉が本当にたった今御影総合病院に到着したという可能性も考えられなくはない。が、もしそうだとしたら稲葉は自分などに目もくれず麻希の病室に駆け込んでいるはずなのでその可能性は除外していいだろう。何かに苛立っている様子を見ればそんなことはすぐにわかった。
     まいったな、嫌だな、と、上杉は稲葉から視線を外す。トラブルというものが根本的に苦手なのだ。もめごとからは逃げるが勝ちの精神で生きているので、こういう場面の対処法には、上杉は疎い。「もしかして見てた? 聞いてた?」と尋ねたほうがいいのか、それとも「さっきのはなんでもないよ~相談ってほどでもないしさ~」なんて端から逃げてしまうべきか……いや、そもそも相談の最中に、不特定多数には聞かれたくないことも言った気がする……うわ恥ずかしい……と、立ち回り方を思案したり煩悶したりしている上杉に、しかし稲葉は背を向けて歩き出す。
    「マーク……?」
     さすがにどういう意図なのかわかりかねて声をかけると、首だけで振り返った顔は呆れていた。
    「なにぼさっとしてんだよ、お前も帰んだろ」

     どういう状況なのかわからないまま、上杉は稲葉の半歩ほど後ろについて歩く。大通りはつい先日までクリスマスの賑わいを見せていたが、今は年末のせわしなさのほうが感じられた。ちょうど社会人の帰宅時間なのか、周りに人は多くても、自分たちくらいの年代は少なかった。だから余計に、稲葉と二人で歩いている事実が気にかかってしょうがない。
     なんのつもりなのだろうか? 用がなければ病院の前で待ち伏せをする必要もないし、並んで帰らなければならない理由もない。いっそ「何か言いたいことでもあるのか」と尋ねてしまおうか――と、さっきから何度も口を開きかけてはつむぐ、それを繰り返している。結局のところ、そういう度胸がない自分のことを、上杉はまだ受け入れられないのかもしれない。
     稲葉の歩みが少し緩められた。
    「俺が言うことじゃねえとは思うけどよ……」
     ためらいを含みつつもはっきりとした口ぶり。おそらく歩きながら、もしかしたら病院の前で待っていたときから、稲葉は何を言おうかと逡巡していたのだろうか。
     上杉は何も言わずに続きを待つ。
    「園村の周りに、お前みてーなのがいてよかったって思うぜ。俺じゃあんなの、無理だからな」
    「……んん?」
     それはどういう意味なのか? と首を動かしてみせる。稲葉は視線だけを動かして眉間に皺を寄せ、
    「礼を言ってんだよ」
     と、ぶっきらぼうに一言で終わらせる。
     到底礼を言っているような態度には見えなくて、上杉は思わず笑いそうになったのを堪える。
    「……いやほんと、マーくんが言うことじゃない、うん、ないね」
     親兄弟とか彼氏ならわからないでもないセリフのまっすぐさが眩しかった。
     心無い人ならば稲葉を、思い上がりと評するだろう。上杉はそうは思わなかった。むしろ実のところは、羨ましかったのかもしれない。それが第三者からどう思われるかなどに頓着せず、思ったままの言葉を口に出せる強さが。
    「うるせーな二回も言わなくてもわかってるよ」
     とはいえ稲葉も照れくささはあるらしく、話はそれだけだと言って終わらせた。
    「メンゴメンゴ。マークからお礼言われるなんて雪が降るかな」
     上杉も同じだった。まさか正面から「そんなふうに口にできるお前の強さがすげーと思ってるぜ」なんて言いたくもないし寒気がする。
    「雪ならさっき降ってただろ」
    「あ、確かに。おれ様がらしくないこと言っちゃったからかな~でひゃひゃひゃ、」
    だからいつも通りに茶化して、おしまい。それでよかったのだが。
    「は? 何言ってんだよ。俺が病院に着く前から降ってただろ、雪」
     それはボケに対するツッコミでもなく、もちろんボケを重ねたわけでもなかった。笑ってすらいないその顔は、「らしくないことじゃなくて、あれは園村のために真剣だっただけだろ」と言っている。
     上杉は一瞬呆気に取られた後「ぶは」と、大きく息を吐いた。
    「……ほんと、マークってそういうとこ」
    「はあ?」
     これが、稲葉正男という男の恐ろしいところだ。どうしたって自分にはないものを持っている稲葉のことが、それに無自覚である稲葉のことが、羨ましかったのだ、上杉は。
     ……なんてことは口が裂けても言わない。気づいていないならいないままでいい。それがせめてもの悪あがきというものだろう。だからそんな稲葉から不器用にも礼を言われたことは、なんだか一矢報いたようで気分がよかった。
    「なんでもないっすよ~あ、あそこのラーメン屋こないだテレビでやってた!」
     空腹を刺激する油のにおいを追いかけると、歩道に面して「ラーメン」の明るい看板が掲げられている。
    「あ、俺も見たわそれ。トンカツみてーなでっかい肉乗ってるやつだろ⁉」
     奇しくも同じ深夜番組を見ていた二人は、誘いあうわけでもなくラーメン屋に突進する。新規開店の花スタンドの前にはすでに行列ができつつあった。
    「並んでんな~……」
     出鼻をくじかれた気がしたのは稲葉だった。もし空いていたら一も二もなく飛び込んでしまったかもしれない。しかしこのまま大人しく帰宅するには、テレビで見たパーコー麺は魅力的にすぎた。
    「いやいや、並んでるけどラーメン屋の回転は早いモンだと相場が決まってるし? おまけに一人客が多そうだからすんなり入れると見た」
     名探偵ブラウン様の推理よ。と、ポーズをつける上杉を「ダッセェ」と一蹴しつつも、稲葉は行列の最後尾へと向かう。
    「お、いっちゃう? マーくんママのご飯があるんじゃないの?」
    「ババァの飯くらいラーメン食った後でも余裕だし、っつーかやめろっつってんだろソレ」
    「うっは、育ち盛りの食べ盛り、頼もし~」
     行列で待っている時間はたわいない会話に消費されていく。きっと明日になれば忘れてしまうようなささいな話題。
     空に雲はなく、澄んだ星の光が静かに輝いていた。

  • 受難の日

    ⚠セベク編冒頭で山岡さんが助けた看護婦の視点です。読後感はよくないと思います。






     セベク・スキャンダルと呼ばれるあの事件が起こった当時、まだ看護師が看護婦と呼ばれていたあのころ、私は看護婦として働き始めて一年目の、新米もいいところだった。けれど看護婦としての経験のなさはこの際まったく関係ないだろう。私の人生を狂わせた原因は私の、人間としての弱さがきっかけの一つだったのだと思う。

     あの日は遅番だった。夜勤を含む業務を億劫に感じながら出勤し、業務が始まった直後のことだった。勤務先の御影総合病院は説明のつかない異変に見舞われた。
     本当に説明のしようがないので、今でも私はあの事件のことを理解できていない。もちろん、事件当時も何が何だかわからなかった。しかし私が理解できていようがいまいが、事態は悪化の一途をたどるだけだった。
     建物の構造が変化しただけならまだよかった。確かに混乱はしたけれど、医師も看護婦も受付の事務員も、戸惑う患者たちを懸命に落ち着かせていた。それだけだったなら、まだどうにかなった。
     致命的な異変はその後すぐに発生した。然るべき場所に安置されていたはずのご遺体が私たちを襲ってきた瞬間、すべては音もたてずに壊れてしまった。
     死体が動くはずもなければ生き返るわけもないという常識も崩れた。それらが明確な殺意を持って向かってきた瞬間、私達の生命の保証は完全に消えた。パニックに陥った集団は冷静な判断力を失った。そうしてそれらは易々と、たった今までそこにあったはずの命を奪っていった。
     無惨に引き裂かれていく人々は、声を張り上げて口々に何かを叫んでいた。もはや意味を持った言葉とは到底言えない。断末魔の叫びというのは、ああいった絶叫のことを言うのだろう。
     地獄というものが現実にあるとしたら、この場所に違いない。
     決して見慣れているわけではないけれど、傷口から流れる血を見たくらいで腰を抜かしたことなど今までなかった。だというのに、それが突如として降りかかったからだろうか、私はおよそ人間のものからはかけ離れた鋭い爪が人体を肉塊にしていく様を、へたりこんだまま眺めることしかできなかった。助かろうと言う意志はすでに消えていた。どうあがいてもあの化け物たちから逃げおおせるとは思えなかった。むしろその瞬間を待つまでの恐怖のほうが耐え難く、いっそ一思いに殺されて、楽になりたいとすら感じていた。
     しかし因果なもので、逃げようとあがいた人ばかりが襲われて死んでいく。絶望して何もできない私はその場面ばかりを見せられていっそう絶望を強くする。まさに生殺し。いったいいつまでこんな拷問のような時間が続くのだろうかと思ったのかは定かではない。けれど、私の視界は一瞬で変化した。
    「――はッ!」
     恐怖にまみれた叫び声でもなく、無謀な抵抗で立ち向かう自棄の絶叫でもなかった。体に芯を据えるための呼吸のような、この場で唯一の冷静な声。それと同時に私の前に躍り出たのは、黒い燕尾服の背中だった。
     私はどうやら本当に呆然としていたらしく、化け物と私の間にその人物が割って入った理由すらわからずにいた。
    「早く! 立ってお逃げなさい!」
     振り返ったその人――老人と呼べる歳の男性は、白髪の生え際から真っ赤な血を流していた。傷はそれだけではない。燕尾服はところどころが切り裂かれており、色のせいで目立っていないが出血量は相当なものだろう、彼の足元には大量の血だまりが出来つつあった。あ、だめですよ、その傷でそんなに動いちゃいけませんよ。なんて、間抜けな言葉が咄嗟に出そうになって、私は笑ってしまった。なんで今更、死の間際にさえ、看護婦として動こうとしているのか、と。
     老人はどこから取り出してきたのか、長い柄のモップで化け物に立ち向かっていた。それでは相手などできないのでは、と、考えて、じゃあ何なら対抗できるのだろうか、などと疑問を浮かべてしまう。つまり私はそのとき極度の恐慌状態に陥っていたのか、そこから逃げようとも思わなければ、一人化け物に立ち向かう老人を手助けすることもなかった。それだけではない。最後まで私は、彼が私を助けようとしていたことに気づけなかった。せめて気づけていたらそれが、老人の献身に対する報いになっただろうに。
     結論から言うと、立ち向かった老人は死に、絶望していた私は生き残った。
     おかしい、逆ではないか? 尋ねたところで、誰が答えてくれるわけでもない。
     まるで悪い夢のようだった。
     あの出来事を忘れたことはない。私は今も、そのすべてを鮮明に覚えている。しかしその記憶の中でも一際忘れられない光景があった。
     詰襟の制服を着た少年が、老人の遺体の傍らにうずくまって泣いている。絞り出すような嗚咽が周りを憚らない慟哭に変わっていく様を克明に思いだせる。
     悪い夢であってほしかった。
     本当に、なぜ悪い夢でないのだろうか。

    §

     それからの記憶はあまりない。しかし私が打ちのめされていようが消沈していようが、日々はただ流れていく。街はそれまでの姿を取り戻し、人々はゆるやかに日常へと復帰していった。
     御影総合病院も元通りになった。奇妙に入り組んだ構造は嘘のように解消し、ところどころに残った惨劇の痕もあるいは修復されあるいは塗り隠された。その工事費はすべてセベクによって供出されたらしい。あれは口止め料も入ってるだろうねえ、と、生き残った看護婦長がこぼしていた。言葉の意味はよくわからなかったけれど、セベクがあの事件にどう関与しているのか、私は知らないし知る気にもなれなかった。
     工事の間、他所の病院に転院した患者のうち、七割は御影総合病院に戻らなかった。当然だと思う。あんなことがあった場所に好き好んで戻るなんて普通ではない。医師も、私を含む看護婦も、本心では転職したがっている空気が病院中に蔓延っていた。
     それでも患者の何人かは御影総合病院へ戻って来た。担当の医師を変えたくないから、とか、引っ越しをするわけにもいかないから、という理由で再入院の手続きに踏み切っていた。経営陣は安堵していることだろう。この病院も、街と同じようにいつか何事もなかったかのように静けさを取り戻せるのかもしれない。このときの私はまだ、自分も同じように不安も後ろめたさもない日常に戻れるものだと信じていた。
     しばらくはあわただしくも静かな日々が続いた。何か報道規制でもされていたのか、予想していたマスコミの襲来などはまったくなかった。あの事件と同じように、私の知らないところで何か大きなものが動いているのかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。私がかつての私を取り戻せるのならば、それ以外はどうでもよかった。
     病院は少しずつにぎわいを取り戻している。
     再入院を決めたうちの一人が、私が勤め始めるよりもずっと前から入退院を繰り返している高校生だった。幼少期から虚弱体質の彼女は、担当の医師とも長い付き合いなので……という理由らしい。わかるようなわからないような理由だと思った。入院受付の窓口で一度だけ顔を見たことがある。釣り目がちだけど大きな目と、小さな口元のほくろが印象的な少女だった。
     彼女が入院している「園村」と掲げられた病室には、毎日のように制服の集団が見舞いに訪れていた。あの事件の前にはこんなに賑わっている病室はなかったので、そこは自然と注目を集めるようになった。誰も言わなかったけれど、一室だけでも明るい雰囲気の場所があるのは救いだったのかもしれない。
     ある日のことだった。
     私がその病室の前を通りかかると、見舞いの集団とすれ違った。集団といっても三人ほどだ。彼らは私の姿を見ると「こんにちは」とあいさつをしてくれる。案外礼儀正しいのか、と、少しうれしくなってこちらも返事をしようと口を開きかけた瞬間――
     立ち止まってしまった。
     集団の中の一人、眼鏡をかけた精悍な顔つきの少年。彼は、彼はあの少年だった。死んだ老人の傍らで泣きじゃくっていた少年だった。
     低い泣き声がありありと思いだされる。それは私が日常を送るために無意識に封をしていた記憶をこじ開けて、私の精神を引き裂いていく。彼らを迎えた病室のドアが閉められるのを漫然と見送る私の手から、束ねたカルテが音を立てて落ちていく。
    「ちょっと、どうしたの⁉」
     少し離れた場所にいた同僚が慌てて拾い集めてくれる間も、私は立っているのがやっとの状態だった。
     私を打ちのめしているのは、なぜ彼がここにいるのか、という疑問ではなかった。会いたくもない相手が来院していることと、もし来院の目的が例の少女の見舞いだとしたら、あの子が入院している限り私は少年と遭遇する可能性を回避できないのでは、という確信に近い推測のせいで、私はじっとりとした絶望に包まれていくのを感じていた。
     しばしの後、病室から明るい笑い声が聞こえてくる。
    「若いってすごいわね、あんなことがあったのに、もう立ち直ってるのかしら」
     同僚は苦笑している。私は同じ顔を返せただろうか。彼らとは違って、微塵も立ち直っていない私は。
     少年は、あの場にいた看護婦が私だと気づいただろうか。
     人目もはばからずに慟哭するほど、おそらく彼にとって大切な存在だったあの老人が命を落とした原因が私だと気づいただろうか。
     私のせいだと知ったなら、私が彼を殺したも同然だと詰るのだろうか。
     あの時と同じように、怜悧な顔を激情に染めて、絶叫のような慟哭で、私の罪を糾すのだろうか。
     その日の業務のことを私はあまり覚えていない。
    ただ、あの日の記憶とともに焼き付けられたすすり泣く声だけが、耳の中で嵐のように渦巻いていた。

    §

     あの園村という少女はまだ退院ができないらしく、彼女の友人たちの見舞いは途切れる気配がない。
     私は、逃げた。
     いつ訪れるともわからない断罪の瞬間に怯えることから逃げた。彼にそんなつもりがあってもなくても、私はあの姿を見るだけで叫びだしたくなっていた。彼と同じ制服を見るだけでも血の気が引くほどだった。
     睡眠障害と摂食障害で勤務中に倒れた私は、あの事件の影響だろうと医師に告げられた。カウンセリングと、しばらくの休職を勧められたけれど、もうここには、御影町にはいられないと思った。
     年が明ける前に私は御影総合病院を退職した。まだ大学を出たばかりの新人で、大した戦力にもなっていなかったからそれほど引き留められることはなかった。
     荷物をまとめて街を出るとき、私はほっとしていた。これであの目に糾弾されることはない。しかし瞼を閉じても世界がなくならないのと同じように、罪を突きつけられなくても罪が消えたわけではないことは、理解していた。

    §

     退職と同時に御影町を離れた私は、そこからずっと西の大都市に引っ越した。御影町には飛行機か新幹線を使わなければ戻れない距離だった。もうあの少年に会うことはないだろう、という実感のおかげで私はかなり落ち着いていた。
     しばらくは体調の回復に努めながら求職活動にいそしんだ。新しい職場はすぐに見つかった。桜が散り始めたころ、私は市で一番大きな総合病院に、ICU看護婦として勤務し始めた。ICU――集中治療室の患者は一般病棟の入院患者よりも容態の管理に神経を使うので、その分余計なことを考えずに済んだ。異変に気づけなければ失われるかもしれない命というのは、プレッシャーでもあったが希望でもあった。
     逆に言えば、私が気づきさえすれば救われる可能性がある。
     それが詭弁だというのは理解していた。
     私は今目の前にある命に必死に向き合うことで、あのときただ震えることしかできなかった自分を否定したいだけだ。いくら他人を救ったところであの老人は還らないし、そもそも今後救われた命があったとしてそれは看護婦の私が救ったわけではない。理解している、だから大丈夫。私は私の狡さ醜さを自覚している。その自覚は自分が偽善者だと嘯くよりもずっと醜悪であることも理解している。つぎはぎだらけの免罪符で何とか理論武装して、私は毎日重症患者と向き合っていた。向き合えていると信じて働いた。亡くなる患者も少なくはなかったけれど、回復して一般病棟へと移る患者、それから無事に退院まで至った患者を見る度に、私の精神もまた回復しているように思えた。そう願っていただけにすぎなかったとしても。
     この病院で勤務して四年目を迎えるころ、私は手術室勤務への転属を打診された。病院側は腹腔鏡下手術の件数が増加傾向にあるため、オペナースも増やしたいという意向のようだった。しばらく悩んだものの、その申し出を受けようという気になれたのは、新しいことに挑戦してみようという前向きな心境になれたからかもしれない。きっとこれは私にとってもいいことなのだと思った。そのときは、そう思えていた。
     手術室勤務と言っても手術に立ち会うだけが業務のすべてではない。手術を控えた患者の病室を訪れ術前の確認をすることもある。ICU勤務のころにはほとんどなかった患者とのやり取りにもようやく慣れたころ、それは再び私に牙を剥いた。
     前日に手術を済ませた患者の容態を確認しようと入った病室の床に、週刊誌がページを開かれたまま落ちていた。どうやらベッドの上でそれを読んでいた患者が落としたらしく、ベッドの上から懸命に腕を伸ばしている。
    「点滴抜けちゃうからいいですよ、取りますから」
     そう声をかけると、老人は恐縮しきっていた。週刊誌の表紙は下世話なゴシップの見出しばかりだが、入院中は退屈なのでこういうものでも楽しみになるのだろう。開いたままのページは落ちた勢いで少し曲がっていた。伸ばしてから渡そうと思ってなんとなく目にしたモノクロの記事の中に、あの少年の写真があった。
     久しぶりに血の気が引く感覚に襲われたものの、私はどうにか踏みとどまった。その後の業務もなんとかこなし、夜勤の同僚への引継ぎも終わらせることができた。さすがに四年も看護婦をやっているのだから、この程度で倒れたり取り乱したりすることもなかった。
     週刊誌の記事の内容は知らない。読もうとは思えなかったし、読むような余裕もなかった。ただ、大きな文字の見出しだけが私の目に焼き付いて消えない。
     “南条財閥の御曹司”
     あの少年の素性は、そういうものだったらしい。
     私は南条財閥の名前に、その強大さに恐れおののいたわけではない。しかしある意味ではそうかもしれない。この国の生活基盤に、あの財閥は深く広く浸透しすぎている。
     帰宅途中の繁華街は煌びやかだ。私はそのとき、どうしてこんな大きな街に引っ越してきたのか、数年前の自分を恨んだ。あちらこちらに、見たくもない文字が躍っている。看板も広告も、数歩歩くごとに「南条」の文字に行きあたる。
     南条電気工業、南条不動産、南条商事、南条海上火災保険、南条林業、南条信託銀行、南条造船、南条重工業、南条エンジニアリング、南条情報システム……
     めまいがした。また、慟哭が聴こえてくる。
     彼の顔を見たくなくて逃げても、彼の名前からは、逃れられない。
     ああ、どこか、彼の気配を感じない場所へ行けたら――。

    §

     一年後、私は中東の某国へと赴任した。特殊法人の海外協力隊の一員として、任期二年の派遣だった。看護婦としての実務経験は短かったものの、ICU勤務とオペナースとしての経験が考慮されたのは幸いだった。誰かは私を「素晴らしいキャリアを積み重ねている」と評したけれど、私は全く前向きな心境ではなかった。日本とは似ても似つかない、乾燥した土埃の町。所謂発展途上にあるため、各国政府からの支援の手が差し伸べられた、豊かさからは程遠い国。ここまで逃げるために私は看護婦としての人生を積み重ねてきたのだと思うと、利己的な自分に吐き気がするようだった。人のため患者のためではなく、自分自身のために職を利用している。戴帽式でこの口から紡いだ誓詞は何だったのか。そうまでして精神的な安らぎを求めているのか、何にも脅かされずに生きたいのか、人を死なせておいて自分だけは――そう自問することは自分自身に罪を突きつけるのと同じだった。それは当然のように私の精神を摩耗させる。疲弊しきった心身は医療という業務の敵だ。だからと言って自問することをやめ、己の罪深さから目を逸らすようなことはしたくはなかった。だから、何も考える暇もないほどに忙しい日々を望み、ただただ毎日の業務に没頭した。
     日本から逃げ出したことは、正解ではあった。コミュニケーション一つとるにも拙い英語を使うしかないので、余計なことを考える余地は全くなかった。日本語の文書などはほぼないので、私の周りに「南条」の文字はどこにもない。過去を思い出して苛まれることも少なくなった。ここに居れば、ずっと日本に帰らずに済めば、もしかしたらこのまま、穏やかに一生を終えられるのかもしれない。
     ようやく見出した光明は私を安定させたものの、私が穏やかであればあるほど、任期の終了が近づくのが恐ろしかった。また日本に戻らなければならない、また怯えながら暮らさなければならない。任期の延長はできないだろうか、別の団体が海外派遣の募集をしていないだろうか、いやいっそ、就労ビザを取得してどこか別の国で一生働けないだろうか――。
     そんな矢先だった。
     クーデターが発生したのは、任期終了の二か月前だった。

    §

     おおよそ二年ぶりに戻っても、日本は特に変わってはいないようだった。あるいは、変わっているけれど私が気づけないくらいに摩耗しているだけかもしれない。
     真新しいソファに腰を下ろしたまま、私はただぼんやりと患者として呼び出されるのを待っている。大学病院の待合ロビーは、懐かしい騒がしさはなかった。私がいる整形外科病棟と小児病棟が離れているせいだろうか。それとも県内随一の大学病院という事実が、ある種の緊張感を与えているからだろうか。天井の照明を鈍く反射する冷たい床を見つめたまま小一時間が経過したころ、ようやく呼び出された私は診察室のドアをくぐった。
     診察は経過観察のみだったが、学生らの見学があったせいか思ったよりも時間がかかった。日本ではまずお目にかかることのない銃創だからだろう。私も自分自身の傷が塞っていく様子を、何度も観察してしまった。一時は生死の狭間をさまよったというのに、因果な性分だと苦笑するほかなかった。
    私が傷を負った原因でもあり、私たち医療団が帰国するきっかけともなったクーデターは、国連軍や大使館の予想をはるかに上回る速度で国内を制圧していった。私たちが、まさか病人やけが人もいる医療センターに攻撃は仕掛けてこないだろうと、俗にいう平和ボケをしていたのも事実だった。数年前まで内戦続きだった過酷な国のことなど、しょせん私たちは理解できていなかった。クーデターを起こした自称革命軍のうち、快進撃に酔ったごく一部の青年たちが医療センターを襲った理由はわからない。もしかしたら理由などないのかもしれない。いずれにせよ彼らは駆け付けた国連軍によって一掃された。私を撃った顔も知らぬ青年も、もうこの世界のどこにもいないのだろう。
     我々医療チームを含め、センターにいた半数ほどは生き残り、半数ほどは命を落とした。非戦闘員、しかも病人、怪我人、医療従事者を襲った悪行は世界の知るところとなり、国連軍の介入に正当性を与えた。これは仕組まれた悲劇だったのかもしれない。ともに生き残った医者がつぶやいたのを思い出す。私はそれを聞いても特になにも感じなかった。いや、もし所謂平和というものの、礎になれたのだとしたら、私はそこで死んでしまってもよかったと思っていた。嘘だ。そんな大義名分とは別に、私はそこで死んでしまったなら、それはそれでもういいと考えていた。
     しかし、また生き残ってしまった。生きるか死ぬかの瀬戸際までは至れたのに、その先へ向かうことは結局できなかった。私の腹部の銃創は深くはなかったが、救援まで時間を要したことと、運び込まれた隣国の病院の衛生環境の悪さのせいで私は重体患者となってしまい、設備の充実している大国の大病院まで転送された。クーデターの被害者という肩書が、名も知らぬ医師や看護師(そういえば、日本を離れている間にこういう呼び名が定着したらしい)の意欲を向上させたのかもしれない。意識を失ってから何日たったのか、目を覚まして自らにつながる輸液ラインを目にした私は泣いた。生きていることは、うれしくなどなかった。まったくの良心から私を救命してくれた医師たちの前で、同じ医療従事者としてそれを口に出せない苦しさが、涙となって溢れたようだった。

     今日の診察の最後を医師はこう締めくくった。
    「身体的な外傷は完治したと言えるでしょう。幸い後遺症も機能の制限も残らないから、あなたが望むなら看護師としての仕事も続けられると思います。ただ、少し気になるところがあるのでカウンセリングを受けてください」
     31番の窓口に提出してくださいね、と、カルテを手渡してきた若い看護師の姿をまじまじと見てしまった。ここ数年で看護婦が看護師と呼ばれるように変わったのと同じように、見た目も大きく様変わりしている。ナースキャップもなければ、スカートでもない。思わず、動きやすくて働きやすいだろうな、と、感じてしまった。
    「どうか、しましたか?」
     心配そうに顔を覗き込まれて、私は首を横に振るとそのまま踵を返す。視界はかすかに滲んでいた。
     羨ましかったのだと思う。身軽で、朗らかで、どこへでも駆けていけそうな彼女が。何も服装だけではない。私のように心にまとわりつく罪の意識などとは無縁だろう彼女が羨ましかった。自分にもかつて用意されていたかもしれない未来をそこに幻視したようで、私は言葉に詰まった。
     そんなものは許されてはいない。誰がどう許したとしても、私は私を許せない。仮に私が自分を許せたとしても、私の中の老人と南条少年はいつまでも私を断罪するだろう。
     向かった先、心療内科と掲げられた札を見て、ああ、そう言えばこの大学は日本で初めて心療内科を設置した大学だったと思いだした。大学の看護学科に在籍していたころ、そう聞いた記憶がある。そんな場所に回されるとは、私は傍からどう見られているのだろうか。
     心療内科の待合室はなかなかに混んでいた。大人、子供、男性、女性。一見普通に見える人が心を病み、あるいは困難な日常を送っているのかもしれない。そういう意味では、確かに私も心療内科を受診すべきだった。あの事件が起こってすぐ、病院での勤務中に倒れてしまったあの頃に。
    (そうしていたら、何か変わっただろうか?)
     問診票に記入している間も、人の流れは絶えなかった。患者同士、あるいは患者と看護師が会話している声も聞こえていた。耳に入って来た情報を整理すると、ここには医師だけではなくカウンセラーも在籍しているらしい。私は一体どんな処置を受けるのか。半分くらいは興味本位だった。もう半分は、カウンセリングによって、失われた光明をもう一度見つけられるかもしれない、という期待だった。
    (今からでも、遅くはないだろうか?)
     記入が終わった問診票を窓口へと提出するために立ち上がると、向かいから歩いてきた女性と目があった。
     薄く微笑む色白な彼女を、私はどこかで見た気がする。
     どこだっただろうか。とても重要な記憶と結びついている気がして、思考を放り出すことができない。
     つい記憶を手繰ってしまい、思いだした瞬間に呼吸が止まったような気がした。いっそ永遠に止まってくれたらよかった。

     釣り目がちな大きな目と、口元のほくろ。
     髪は短く切られているけれど、あの面影は変わらない。
     ああ、どこまでも――本当にどこまでも、罪は追いかけてくる。

    「あ、落としましたよ」
     私が落とした、問診票の挟まったクリップボードを拾って彼女はにっこりと笑う。白衣の首からは、「臨床心理士 園村麻希」と書かれた名札がネックストラップで下げられていた。
     あれから10年近く経っている。高校生だった彼女が社会人になっているのは当たり前と言えば当たり前だ。病院に勤務していてもおかしくはない。おかしくはないけれど、どうしてここなのだろうか。どうして私は逃れられないのだろうか。それとも私がこれまで、卑怯にも過ちを振り切ろうと逃げ回ったからだろうか。

     視界が揺らぐ。あの時のように倒れてはいない。どうやら膝から力が抜けて、私はうずくまってしまったようだった。

     どうしてこんなことになってしまったんだろう?
     逃げてはいけなかったのか、向き合わなければならなかったのか。あらゆるものを切り裂き、剥ぎ取り、最も目にしたくないものを、犯した罪の重さをまざまざと見せつけられることを受け入れなければならないと言うの?
     人を見殺しにして生きている事実は、こうまで惨たらしい仕打ちをするのか?
     私は死ぬまでこの狂気の中に居なければいけないのか?

    「どうしました? 大丈夫ですか?」
     大丈夫です、なんでもありません。
     そう言いたいのに、漏れ出るのは死人が呻くような嗚咽だけだった。あのときの動く死体が発していたおぞましい喘鳴に似ていた。発作でも起こしたような私の姿に周りがざわつくのがわかる。彼女は、園村麻希は、私の背を抱きながら看護師に車椅子かストレッチャーも用意するよう、的確に指示していた。

     騒がしい待合室の中で、私は昔観た映画の、ラストシーンを思い出していた。
     静かなピアノを背景に、老人が車椅子を押されている。
     “私は許そう”
     そう繰り返しながら彼はどこかへと去っていく。
     “私は許そう”
     私が見殺しにした老人が笑っている。車椅子で、両の掌を天に向けて、神の代弁者のように、天の使いのように。
     “私は許そう”
     けれど私は知っている。彼が許そうとも、誰が許そうとも、罪は消えないことを。ほかならぬ私自身が許しても、罪を犯した事実からは逃れられないことを。
     ああ、思いだした。あの日私は、諦めた。逃げようともせずに殺されるのをただ待っていた。諦めたくせに、生き残ってしまった後に逃げようとしたから駄目だった。
     理解した途端、こみあげてくる笑いをこらえられなかった。
     よかった、もう逃れなくていい。一生逃げられないのだから、最初から逃げる必要なんてなかった。
     よかった、もう罰せられる瞬間に怯えなくていい。だってこの狂気と恐慌が、私にすでに与えられ続けている罰なのだから。

     “私は許そう”

     嵐は去った。すべてをなぎ倒し、平らげて、嵐は去った。
     そこに何が残らなくてもいい。私の求めた静謐は、それだけは確かにあるのだから。

  • 発行日:2021.3.3
    ジャンル他:デビルサマナー他、葛葉の皆さんの短編4本
    版型:B6
    ページ数:表紙込み28ページ
    表紙:色上質紙-最厚口-黒/ピュアホワイトトナー
    本文:色上質紙-厚口-黒/ピュアホワイトトナー
    印刷:しまや出版オールピュアホワイト印刷セット

    表紙4

    表紙2-扉(本文、3ページ目)

    黒い紙に白トナー印刷の本、出したい…!
    そう思って作った本です。黒地に白なので長編は避けて短編にしました。(短編ならそう目が疲れることもないとは思います…)

    オンデマンド印刷特有のテカりがあるので、光の当たり具合によっては銀色にも見えます。私は大喜びだったけどその辺は人によるかもしれません。反射のせいで読みづらいということはないです。(個人の主観ですが…)

    うまいこと写真が撮れなかった…白が強く出てるように見えますがここまでコントラストが強くはないです。でもはっきり白だとわかるくらいには白。印刷は本当に綺麗。

    データ

    表紙データ

    フォント:筑紫Aオールド明朝 Pr6N R/サイズ- 9
    フッターも同じフォント。サイズは8。
    以下ページ設定など。

    印刷所:しまや出版

    https://www.shimaya.net/
    同人誌印刷所、対応が事務的なところ(それはそれで好きなんですが)とフレンドリーなところとあると思うんですがしまやさんはフレンドリーなところですよね、そして手厚い。使ってみたいセットとかオプションがいっぱいで、このホワイトトナーのセットも「絶対しまやさんで作ろう」と思った本でした。カセットテープのケースに入ってるやつがすごく気になる…

    以上、同人誌作りの参考になれば幸いです。

    本の現物はこちらから→BOOTH

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  • 偲/懷念

     人影もまばらなバスを降りると、そこは相も変わらず異界の入り口のように静かだった。
     男の目の先には、百年以上前に石畳で覆われたきりの狭い上り坂が続いている。自動車のようなものは端から想定されておらず、斎(いつ)く者の歩みだけを受け入れている。男は神の教えを知らず、また殊更に知ろうともしないが、墓参を拒まれたことはなかった。しかし、このバス停に降り立つといつも、厳粛な空気が男の内側を清めていくような気がした。目的地までは、さらに距離があるにもかかわらず。
     男が坂へと歩を踏み入れると、ゆっくりと坂を下る黒衣の老婦人と行き違った。両者は薄い微笑みだけを浮かべて軽く目礼を交わす。他人と言えど深い悲しみを知るもの同士の儀礼めいたやりとりが、男は嫌いではなかった。
     坂は緩やかだが、長い。山道というほど鬱蒼としてはいないが、都市部のようには人の気配は感じられない。道の両脇には低木が植わり、季節によっては野花が咲くこともあった。若いころは何を感じることもなかったのだが、それらは墓参者の心をいくらか慰めもするのだろうと、男は素直に受け止めている。

     目的の墓所まであと半分、というあたりから男の息は上がり始めた。額には僅かな汗も滲んでいた。しばらくして立ち止まり、息を整えながらふと思う。前回はもう少し先まで一息で行けたはずなのに、と。そうしてまた、薄い笑みを浮かべている。呼吸が乱れる原因は紛れもなく年齢を重ねたという事実だが、彼は己の衰えを自嘲したわけではなかった。ただ、こうして今の今まで生き永らえていることに些か後ろめたい歓びを感じ、同時にそんな心境に至ってしまった自分の変化が少し、可笑しかっただけだった。
     あとどのくらいだろうか、と、ここに来るたびに考えてしまう。かの人が眠る場所は限りなく近く、気が遠くなるほどに遠い。訪れようと思えばいつでもできるのに、同じところに自分が到るのは果たして――
     上空を旅客機が横切っていく。数十秒遅れの轟音が聴こえなくなると、男は再び歩き出した。風はなくとも、薄曇りの朝は肌寒い。

     男は小高い丘の上の墓地にたどり着く。入口に佇む聖母子の像は変わらない、何かを告げんとする御使いの像も変わらない。物言わぬ石像には一礼をするでもなく、男は緩やかな歩みを進めていく。
     広大な敷地内に、人の気配はなかった。
     墓地を訪れるたび、男は時間の流れからはじき出されたような気分になる。きっと、かの人を亡くしたときのことを思い出すのだから、そう感じるのだろう。しかし喧騒から切り離され、灰色の石と十字架が規則正しくどこまでも続いているここは見たこともない世界の終わりのようで、もし墓地というものが彼岸と此岸の境界なのだとしたら――自分も少しずつ、あちらに近づいているのだろう――ゆえに、肉体に刻まれた年月のことを、しばし忘却してしまうのかもしれない。
     死者の間を歩く。名も知らぬ誰かがそこに生きていたことを、静かに示す標の中を進んでいく。
     白い亡者たちの囁きが聞こえる気がした。いつかお前も役目を終えて、ここではない場所で朽ちた墓標になり果てるのだ、と。そんなことはとうに理解しつくしているし、男はそれが悲しいわけでも恐ろしいわけでもなかった。かと言って喜ばしいとも感じない。いつか、もっと若い時分の彼は、それを渇望したこともあったかも、しれない。だが――
     確かに抱いていた強い感情を薄れさせる年月というものに対して、どんな言葉を当てはめていいのか、まだ彼にはわからなかった。惨いのだろうか、それとも優しいのだろうか。どちらも違う気がした。時間という、主体的な自我などあるはずのないものに寄り添うことも寄り添われることも、人の勝手な感傷に過ぎない。
     薄れるものがある一方で、後悔と罪悪感は揺るがない事実としていつまでも在り続けた。愛した人を死に至らしめ、自分だけが漫然と生き続けているこれは、紛れもない罪だ。男は長年そう感じていた。このような生き方しかできないことを恨みもしたし、そのような生き方しか赦されないのだと己に言い聞かせてもいた。
     けれどいつからだろうか、悔恨も罪の意識も彼女への愛情が前提であると気づけば、じんわりと鈍い痛みが広がるように歓びが塗り重ねられていった。
     愛してその人を得るのは最も幸福で、愛してその人を失うのはその次によい――という言葉がある。かつて男はその言葉が本当に、嫌いだった。所詮失ったこともない果報者が、耳あたりの良い言葉を連ねただけではないのか、と。
     しかし今、愛した女を失って数十年を経て、男は確かに『己は真実不幸であるのか』という疑問を否定できなかった。ただ一人を、己の末期の瞬間まで想い続けることのできる生が、どうして不幸だと言えるのだろうか。

     立ち止まり、男は跪く。墓石には、かの人の名が刻まれている。刻まれた当初はおそらく、文字の輪郭は鋭く整っていたのだろう。今、指先で触れる懐かしい響きはやわらかい。数十年の月日はあらゆるものに等しく降り注ぎ、洗い流し、残るべきものだけを残していったのかもしれない。

     一生を捧げるというのがどういうものか、男にはわからない。そんな経験がないからだ。しかしあの日から、彼女を失ったあの瞬間から、彼は常にかの人を想い続けている。それを以って一生を捧げていると嘯くのは欺瞞だろうか。失わなければ、生涯思い続けることもなかったかもしれない。失ってしまったからこそ、際限なく美化され続ける記憶に囚われているのかもしれない。
     しかし思い込みであっても歪んでいるとしても、男にとって日々は不幸ではなかった。もはや幸不幸を論じるのも的外れだと思えるほど、彼女を想う月日は彼にとって存在して当たり前のものとなっていた。
     男はいつからか、愛した人――愛する人を想うたびに、自らの内側が満たされていくことを自覚した。それまで彼自身を含む、彼女を死に至らしめたすべてに対する憎悪の炎が彼の身を焼いていたというのに、数十年を経た今、気が付けばただ穏やかな凪がどこまでも続いている。
     幸福、なのかもしれない。
     死んでしまった人に対してそう感じることは不義理としか思えなかったし、受け入れがたかった。彼を知る人たちが『きっと彼女も男の幸福を願っている』と慰めてくれたこともあったが、そんなものは生者の理屈に過ぎないと、頑なに受け入れようとしなかった。彼女を失った悲しみは、自分だけが穏やかに生き永らえていいわけがないという罪悪感に変わって、いつまでも男の胸中に澱として残り続けた。
     しかし――その罪の意識もまた、彼女を想うがゆえなのだとしたら。
     彼女を愛し続ける想いが、その時々に形を変えているのであれば。

     それは幸福なのではないか。

     男は、受け入れることにした。受け入れるほかなかった。受け入れてもなお彼の胸を刺すほどの悲しみはそこにあったが、悲しみがもたらすのは必ずしも苦痛とは限らないことを知った。
     かつては彼女へのあらゆる想いが、記憶が薄れて消えることが恐ろしかった。しかし今、男は苛まれながらも愛を抱き続けている。何もかもを忘却してしまうことに比べれば、なんと満ち足りた生だろうか。彼女が生きていたころと変わらぬ愛を、ややもすれば、あの頃よりも純度を深めたかもしれぬ愛をその身に宿し続けている。こんなにも罪深いままに生き続けられることを、赦しと言わずしてなんと言おうか。赦しでないのなら、幸福としか呼べないではないか。

     男は墓石の前に花束を横たえた。白いばらの花弁の、外側の数枚が落ちる。それを拾い集めてゆるく握りしめる。彼女の墓前で手を合わせるべきなのかどうか、男にはわからないが、形ばかりの正しさに殉じようとは思わなかった。ただ静かに瞼を閉じれば、在りし日の姿がそこにある。それで十分だった。
     自分は変わっただろうか、変わらずに――変われずにいるのだろうか。それが良いことなのか悪いことなのか、褒められることなのか憐れまれることなのか、何もかもはすべてが終わるときにわかる気がした。だから、

     今年も、まあ、なんとか生きてるよ。

     笑ってしまうほど格好のつかない報告は、口には出さなかった。報告というのは、少し違うかもしれない。葬儀が生者のためにあるように、墓参りも墓参者のための儀式だろうから、ここですることはすべて己のための行為に違いあるまい。それは懺悔か、内省か。ともかく男はそれを、数十年続けてきた。そしてこの先も――もう、あとどれくらい続けられるかはわかったものではないが――生ある限りは果たしたいと思う。
     男は立ち上がり、しばし墓碑をじっと眺める。刻まれた名を口に出して呼ぶこともせず、またな、とも、言わず、ただ風が吹きすぎるように静かにその場を後にした。

     ここは何もかもから隔てられた聖域、鐘も鳴らなければ讃美歌も聞こえはしない。ただ静寂だけが永劫に横たわっている。

     すべては、静かに流れていく。
     残された花はゆるやかに、朽ち果てるのを待つ。
     分け隔てなく到来する終わりが、その身を撫ぜていく瞬間を。

  • さよならリグレット/魂のゆくえ

    発行日:2022.2.19
    ジャンル他:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ/マクガエカル周り
    版型:B6
    ページ数:表紙込み32ページ
    表紙:ペルーラ スノーホワイト 135kg/CMYK+ゴールド印刷
    本文:アラベール ホワイト 90kg/CMYK印刷
    印刷:プリンパ(B6無線綴じ冊子印刷)

    表紙4

    表紙2、本文(P3)
    話が始まる前に曇天で薄暗い雰囲気を出そうという意図だったんですが、表2がペルーラ、P3以降がアラベールでちょっと印刷の出方が違ってしまったのが個人的に惜しかったです。

    本文は前半だけ背景がグレーにしています。(薄暗い雰囲気を演出したかった)CMYKのPSDデータで入稿しているので、PDFデータを印刷したものよりは画質は良くないです。可読性を損ねるほどではないですが…

    元のデータはWordなので、PDFに書き出したものをPhotoshopで一枚ずつグレーの背景に載せて統合→書き出し…しています。(今思うとよくやったなこんなこと…)

    本文後半。アラベールはコミック紙のようなちょっとラフな感じ(好き)。あとクリーム系ではない真っ白な用紙で後半の明るさを出そうという意図です。コミック紙白の小説本けっこう好きなので今までも何冊か作りましたが一般的には不評なんだろうか…

    ひとつ前の写真は撮り方が悪くてすごく読みづらそうに見えますが印刷はとてもきれいです。
    (そしてアップで写真を撮って気づいたけど裏がちょっと透けてますね。今気づいたくらいなので、読むにあたって差支えがあるほどではないと思います)

    本文の最終ページと表紙3。
    繋げてラストシーンの青空に。

    データ作成など

    表紙データ
    作成は画像部分はクリスタで、文字入れと位置や色調調整などの仕上げはPhotoshopでやってます。

    特色?のゴールドを使うので、レイヤーで版分けしてます。

    CMYK版
    背景にグランジ模様というのかなんというのか、もやっとした模様を入れてます。めくったら出てくる全面写真が際立つように表紙はシンプルに作りました。

    ゴールド版(※実際には背景が透過になっています)

    ゴールドカラーのキラキラ感が伝わらない写真(…)
    ペルーラは裏も表もじんわりとしたパール系の光沢紙で、黒を置いたところは光沢が消えてますが、ゴールドの部分は光沢が残ってます。

    PDFで書き出した本文データ。(後半)

    フォント:筑紫Aオールド明朝 Pr6N R/サイズ- 9
    筑紫明朝大好きです…ほんとに好きすぎて、買ってからこっちほとんどの本は筑紫明朝で出してます。オールドはシリアスな話によく使ってます。
    フォントサイズは9(単位なんだっけ…)これまで出したA5-2段組みの本でも大体9でした。(一度8.5で作ったけど小さい気がして9に戻した)
    フッターのノンブルとタイトルも筑紫Aオールド明朝です。サイズは何故かノンブルが8,タイトルは7でした。

    本文のページ設定
    たしかこれの直前に作った本が、しまやさんのテンプレートを使ったもので、それと同じB6サイズということで流用した記憶があります。

    サイズと余白。断ち切り分として+3mmすると見た目の印象が変わってしまうので原寸で作ってます。

    その他(その他?)

    入稿データ一覧。前半(03~18、19は中扉)はPSD、後半(20~29)はPDFでの入稿です。

    印刷所:プリンパ

    https://www.prinpa.net/
    むちゃくちゃたくさんの紙が選べる+特色(ネオンピンク・ゴールド・シルバー・ホワイト)が使えるので組み合わせを考えるだけで時間がとけていく…トップページの印刷実例集が見てるだけでも楽しいしとても参考になります。
    ページ数多めの本は値段設定がないので惜しい…と思っているけど問い合わせたら対応してくれたりするのだろうか(未確認)

    以上、同人誌作りの参考になれば幸いです。

    現物はこちらに数冊→BOOTH

    本文はすべて公開しています。
    このサイトで読む / pixivで読む

  • WordPress 備忘録 とリンク

    備忘録 / リンク集

    昔々にWordpressを使っていたとき、途中でデータベースがぐちゃぐちゃになってしまって以来苦手意識があったのですが先人たちの知恵のおかげであっというまにオシャレな(個人の感想です)サイトができました…感謝…これは感謝の備忘録と言う名の、すぐに何もかもを忘れる自分のためのページです。*多分随時更新

    参考にさせていただいたサイト
    WordPressで2時間で同人サイトを作る方法【初心者向け】

    無料なのにWordpress導入できるサーバー
    StarServerFree

    スターフリーサーバーは提供終了となったそうです。今までありがとうございました!
    新規サービス「スターレンタルサーバー」が提供開始になったとか。えっ無料SSLも使えるの…?

    ↑も言うことなしのサーバーなんだけど、SSLの関係でサーバーを変更した
    LOLIPOP!レンタルサーバー
    WordPress簡単引っ越しなるコマンドがめちゃくちゃ便利でした。実質なんもせんでも安全に引っ越しできる。最高。
    あとドメインはずーっとムームードメインで管理してるけど、なんやかや10年以上のお付き合いでした。これからもお世話になります。

    その簡単引っ越しコマンドによって引き起こされるWPのエラーについて
    【ロリポップ】「一部のファイルがWordPressから書き込みできません」と表示されたときの対処法
    あちらを立てればこちらが立たず感ある

    移転するとURLが変わるよね、リダイレクトが必要だよね
    サイト移転に必須!!301リダイレクトの為の.htaccess書き方5選
    今回は簡単引っ越しを利用した関係でディレクトリ構成が変わってないので、「2.新サイトと旧サイトのディレクトリ構成がまったく同じ場合」の書き方でOKでした。1行でいいの助かる。

    移転したあとこの記事に追記して更新しようとしたら「更新に失敗しました。 データベース内の投稿を更新できませんでした。」と表示されて困った話
    こちらのページがヒントになりました。
    この記事の末尾に絵文字を入れていたのが保存NGの原因のようでした。消したら保存できた。謎。
    元の記事は絵文字入った状態で保存も更新も何度もできたので謎。サーバーの関係なのかphpのバージョンの関係なのか…謎(特に解明したくないので絵文字を消した)

    理想通りのテンプレート
    FUKASAWA

    今のテンプレートはこちら
    Gridframe

    記事を開くとアイキャッチ画像がボケボケになるのでそんなアイキャッチは記事を開いたら非表示にする対策
    記事内ではアイキャッチ画像を表示しない

    特定のカテゴリの記事を投稿一覧に表示させない(この記事のこと)
    特定カテゴリの記事を非表示にする「Ultimate Category Excluder」プラグインの使い方を解説!

    記事に「♥」(いわゆる”いいね!”ボタン)を設置する。できれば連打できるやつがいい。
    WordPress プラグイン – WP ULike

    感想をもらえるとうれしい!感想をもらうためにWAVEBOXへの動線を整備しよう…すべての記事の末尾にWAVEBOXへのリンクを追加するのだ…!
    記事の最後に定型文を自動表示するWordPressプラグイン!Add Widget After Content

    アップロードした画像が増えて収拾がつかなくなったのでフォルダで整理できんのか?デフォではできないがプラグインはある。しかもフォルダ移動させても記事のURLを変更させる必要はない!
    WordPressプラグイン – FileBird

    小説の表紙?サムネにしている写真はここに大変お世話になっております。
    Unsplash

    お世話になっておりますリンク集

    リンクについて
    検索除け済みのサイト様はリンクフリーです。報告不要。
    URL:https://knj.daa.jp/nnn/
    banner:(画像リンク可)

  • 交点

     晩冬。自動ドア越しの夕日がコンビニエンスストアの中を橙色に融かしていた。店外に面したマガジンラックの前で経済誌をめくっている男性を見るともなしに見て、YIN&YANのアルバイト店員・黛ゆきのは二つ隣の棚の間にコンテナを運ぶ。
     あの雑誌をラックに並べたのはゆきのだった。陳列しながら感じた、「一体誰がこんな意味の分からない本を読むのだろう」という疑問に対する答えは得られたものの、今度は「あんなものを読んで何が楽しいのだろうか」という新たな疑問が生じてくる。
     けれど――
    (まあ、アタシには関係のない世界のことだ)
     ゆきのは、そう結論付けた。考えたところで答えの出ないことに、頭を悩ませる必要はない。それに考えるべきことはほかにあった。先ほどトラックで配送されてきたばかりの商品を並べながら、ゆきのは彼女が抱えているトラブルについて考えを巡らせる。
     端的に言えば、困っていた。
     もう少し詳しく言うと、金銭的に困窮している。
     家計が常に火の車というわけではない。黛家の生活が慎ましやかなのは事実だが、彼女がYIN&YANでアルバイトをしているのはほとんど自分のためだ。時折弟たちに小遣いをせびられることもあるが、それで困ったことはなかった――昨日までは。

    §

     小学校に通う弟の様子がおかしいことに気づいたのは、母親不在の夕食を囲んでいるときのことだった。普段ならきょうだいに負けじとおかわりするのに、一杯だけで箸を置くので、具合でも悪いのかと聞けば強張った顔で笑ってみせる。そういうはっきりしない態度はゆきのの好まざるところだったので、食事の後片付けが済んだあとに捕まえてはみたのだが、これがなかなか、口を割らない。しかしさすがに小学生の彼が、高校生、かつある意味では最大の畏怖の対象である長子のゆきのにいつまでも知らぬ存ぜぬを通せるわけもなかった。

     友人から借りたゲームソフトを誤って壊してしまった。月曜日には返す約束なのに、どうしよう。

     そう語る弟の声は、徐々に涙声になっていく。叱られるのが怖いのではない。友人に申し訳ないというそれだけで泣いているのでもない。ただそんなことで姉に心配をかける自分の不甲斐なさが悔しくて、少年はとうとう涙をこぼした。
    「ああ……泣くんじゃないよ」
     わざと壊したわけでもなし、ちゃんと説明して誠心誠意謝れば、きっと相手もわかってくれるだろう。弁償に必要な金なら自分がどうにかする――ゆきのにそう言われて、弟はようやく人心地がついたような、ほっとした表情を取り戻した。
    「週明けに返すなら、日曜日に一緒に買いに行けば間に合うだろう? ほら、今日はもう遅いから、寝な」
     すでにきょうだいたちが枕を並べている部屋に弟を送り出すと、ゆきのは細い溜息を吐いた。
    (まいった……)
     弟の手前ああ言うしかなかったのだが、弁償するための金銭的余裕はなかった。
     ゆきのはテレビゲームに馴染みはないが、ソフトが大体いくらするのか、その程度の知識はある。それは大人からすれば微々たる額かもしれない。しかし、高校生の彼女にとってはちょっとした金額だった。
     アルバイトの給料日前なので、財布の中身は確認するまでもない。遅くに帰宅した母に頼ることも避けたかった。というより、避けなければならなかった。ゆきのが個人的に金欠だという嘘をついてもすぐにバレそうだったし、そもそもゆきの自身、嘘はつけない性分だ。だからと言って真実を話すわけにもいかない。弟自身が母にこの事実を知られることを嫌がっていたし、母の性格からして息子が他人の物を(わざとではないにしても、)壊してしまったと知れば、一も二もなく相手の家に謝罪に赴くに違いない。そうなれば向こうの保護者だって巻き込んでしまう。身勝手ではあるが、そこまで話を大きくしたくはない……というのが、ゆきのたち子供の理屈だった。
     となると、ゆきの自身がどうにかして、日曜日までに、ゲームソフトを買えるくらいの金額を、しかも即金で――稼がなければならない。
     やはり、頭を抱えるしかなかった。
     誰かに借りるわけにもいかないし、あてもない。かといって頭を抱えているだけで状況が好転するわけもない。
     とにかくゆきのは動いてみることにした。早速翌日、バイト先の雑誌コーナーに並んでいた無料の求人情報誌をかたっぱしから持ち帰り、条件に合う求人を求めてひたすら捲る。
     日払い・単発・高校生可。
     予想はしていたが、すべての条件を満たす求人情報はめったにない。かろうじて条件を満たしていた引っ越し業者のバイトも、電話したときには定員満了で募集を締め切った後だった。
    「……まいったね」
     何度目だろうか。大の字に寝そべって、そうこぼすほかなかった。落胆しながら、どうして高校生ではいけないのかと八つ当たりのような感情が湧き出ていた。大人はきっと、高校生の本分は学業なのだから、という正論をぶつけてくるのだろうと思うと無性に腹が立った。
    「……」
     そうやって憤慨するのも少し懐かしい感覚のように思えて、ゆきのは小さく笑う。腹を立てたところで何も解決しないのだから、無意味なことは考えないことにした。周りに当たり散らすだけだったころよりは大人になれたのだろうか、という感慨が一瞬ゆきのの脳裏をよぎる。けれど一番尊敬する大人の顔を思い浮かべてみればそんな考えは思い上がりに等しいものだと感じられた。
     何もしなくても、年月が経てば年齢だけは重ねられる。これまでにゆきのが接した大人の大半からはそういう印象しか得られなかった。いつか自分もそういう大人になるのだろうか、なってしまうのだろうか。自分がこうなりたいと思い描く大人に近づくことはできるだろうか。
     徐々にゆきのの意識は薄れていく。まどろみの中に浮かんでいたもののことは、もう覚えていない。

    §

     さらに明けて木曜日はアルバイトの日。品出し、レジ打ち、弁当のあたため。単純作業のようでそうでない仕事は、程よくゆきのの思考を奪っていく。そうこうしているうちに時刻は夜の八時を回っていた。
     結局この二日間で解決策と呼べそうなものは何一つ思いつかない。給料日は五日後。もう少し後になれば、ゆきのは世の中に「給料の前借」という禁じ手があることを知るのだが、今このときに持たない知識など引き合いに出しても仕方がない。弟にああ言った手前、やっぱり無理だと撤回することだけは避けたいのだが、明日までこんな調子では自分の謝罪のやり方を考えるほうにリソースを割かなければならなくなる。むしろ今からそっちを考えたほうが現実的な気がし始めて、ゆきのは大きく息を吐き、棚から回収した賞味期限間近の品が入ったコンテナを持って立ち上がった。
     そのときだった。
    「あっ! あ、ああ、ああ~~~っ⁉」
     甲高い声が店内にこだまする。酔っ払いが現れるにはいささか早い時間だが、その声は明らかに平静さを欠いており、店員と客のすべての意識を奪った。もちろん、ゆきのも思わず目を向けてしまう――と、その声の主と思しき女性と視線がぶつかってしまう。
     ……察するに、彼女は自分を見て例の悲鳴を上げたようだった、と、理解したゆきのはもちろんいい気はしない。思わず、にらみつけそうになるのは抑えたものの眉間に皺が寄っている。しかし相手は臆したふうでもない。
    「あ、あ、あの、あなた! あなたバイト⁉ バイトの子かな⁉」
     それどころか、誰もがぎょっとするほどの勢いでその女性はゆきのに詰め寄った。詰め寄ったとしか言いようがない剣幕だった。
    「……そうですけど」
     ゆきのの目には不信感と、かすかな動揺が浮かんでいる。制服を着ているのだからアルバイトなのは見ればわかるだろうに。なんなのだ、この女は。
     気の弱い人物だったなら、ひと睨みで態度を改めただろう。が、やはりというか、この女性にはまったく通用していないらしい。今時めずらしいくらい大きな眼鏡の奥から、度の強さで大きさがわからない二つの目がじっとゆきのを見ている。
    「あの、フリーター? 毎日バイト?」
    「いや毎日じゃないです。学生なんで」
    「学生⁉ 大学生⁉」
    「……高校です」
    「高校生!!」
     まくしたてるような質問にゆきのは少し、逃げ出したくなった。ただ、相手はゆきのよりもずっと背が低く、不審ではあるが敵意や害意はまったく感じられなかったのでつい流されるまま対応してしまう。なんだか背中が後ろに反っているような気がしたがおそらく気のせいではないだろう。上体がしなっているのは二人とも同じだった。
     その無茶な体勢に気づいた女性が、「あ」と小さく息を吐いて、上半身を起こす。おきあがりこぼしのようだと思った。
    「高校生なんだ……ええ……すごいねぇ、こんなに背が高くて、それに美人!」
     にっこりと人のいい笑みだったが、むしろ得体の知れなさが強まって胡散臭いことこの上ない。取り繕うような賛辞をあっさり受け取れるほど、ゆきのは世間知らずではないが、つい相手をしてしまった。こんな女性に関わらないほうがいいのでは……。そう思っていたのに、ゆきのの口から出た言葉はまるで正反対の意図だった。
    「……あの、なんなんですか?」
     別に知りたいわけではないのに、適当にあしらってしまえばいいのに、わずかな好奇心が深入りを許してしまう。だが、おそらくゆきのがそう言わなかったとしても、彼女の行動は同じだっただろう。
    「あっ、ごめんね、私こういうもので……」
     言いながら、上着のポケットから取り出したのは角が柔らかく折れた名刺だった。普通名刺と言ったら名刺入れというものから出てくるのではないだろうか? 高校生のゆきのでも、この女――片桐という苗字らしい――はズボラなほうの人種だと判断できた。
     片桐はひとつ咳ばらいをして、やや神妙な顔になる。
    「いきなりごめんなさい。実は……」

    §

     さらに一夜明けて、金曜日。
    「黛」
     放課後の教室前を歩いていたゆきのは、背後からの呼びかけに振り返る。
    「――あ、冴子先生」
     袖を通さずにジャケットを羽織った担任教師が神妙な顔で立っていた。思わず「先生、そんな顔してどうしたんだい?」なんて言葉が漏れそうになるが、なんとなく圧しとどめてしまう。おそらく、こぼれたところで高見冴子は「それはこっちのセリフだよ」と呆れたに違いない。
    「浮かない顔してるね。小テストの点数も振るわなかったし、何かあったのかい?」
    「……」
     不調を把握されているのは気まずかったけれど、心のどこかではそれがうれしかったのも事実だ。
     冴子は受け持っているクラスの生徒をよく見ている。四十人近い担任生徒を一人一人見守っている。ゆきののことも例外ではない、大事な生徒の一人だと言外に告げられたようで、ゆきのは体の芯が熱くなるのを自覚した。高見冴子は、ゆきのが尊敬する数少ない大人の一人だった。だから、向けられた心配そうな視線も突っぱねることはしない。少し躊躇いはあったものの、ゆきのは意を決する。
     冴子が担任だから、という事実のためだけではない。彼女はゆきのにとって、ほぼ唯一の「尊敬に値する大人」だから。それが一番大きな理由だった。
    「先生、実はちょっと……話が」
     こめかみの、髪の生え際あたりをかきながらゆきのは口を開いた。幸い、今日はアルバイトの予定もない。

    §

     窓の外はすでに日が暮れかけて、御影町の町並みは濃い紫色に沈み始めていた。受験シーズンも落ち着いて利用者がいないせいだろう、冷え切った進路指導室はストーブを点けても中々暖まらない。
    「なるほど。それで日曜日までにお金が必要なんだね?」
     ぎりぎりまでストーブの囲いに近づけた両手を擦り合わせながら冴子は二三度頷いて見せる。どこから話したものかと思案したが、要領よくまとめるのは不得手だという自覚があったので、ゆきのはそもそもの発端――つまりなぜ彼女が金策に頭を悩ませているのか、を説明した。つっかえながらのゆきのの話を、冴子は辛抱強く聞いてくれた――ようにゆきのには感じられた。
    「バイト先の給料日はまだ先だし、日雇いのバイトも見つからないし、どうしようって思ってたときに、あの人が現れたんだ」
     そうまとめたゆきのは、昨日渡された名刺を冴子に見せる。と、冴子は目を見開いた。その表情はなんだかうれしそうにも思われた。
    「へー、キスメット出版の」
    「先生、知ってるの?」
    「ああ、大学の時の後輩がここに勤めてるんだよ」
    「ふぅん」
     きっとその後輩のことを思い出して、冴子は笑みを浮かべたのだろう。「まあそれはさておき」と、当の冴子本人が脱線した話を戻す。
    「その片桐さん? が、どうして黛に声をかけたのさ」
     それはゆきのにとっても謎だった。
    「……それはあたしにもわからないんだけどさ、なんでも明日撮影予定のモデルの一人が急病とかで、代わりになるモデルを探してるらしくて、あたしがそのモデルとそっくりだから代理でモデル、やってくれないかって」
    「はあ?」
     冴子はあからさまに怪訝な顔をした。
     これを怪しいと言わずしてなんだと言えるのか。あまり詳しくはないが、ファッションモデルならば専門のプロダクションや事務所があるだろうし、代理を探すならそこをあたるのが筋ではないのか?
    「先生もそう思うよね……」
     ゆきのは冴子の疑問が昨日の自分のそれと同じことに安堵した。やっぱりこの話は、話だけならおかしい気がする。するのだが――
    『おねがい! 人助けだと思って! 別の撮影も入ってて他に任せられそうなモデルさんがいなくて、あなた、あのモデルさんにそっくりなの! ね、どうかな⁉ 撮影は土曜日なんだけど日当3……いや5万で! どうかな⁉』
     藁をも掴むというのはああいう態度のことを言うのだろう。変な女だと思うし言っていることもすべてを信じられるわけでもないとは思うが、彼女が進退窮まっているのはうそではないように感じられた。どう見ても困っている人間を「怪しいから」という理由で突き放していいのだろうか?
     ゆきのにはどうしても、できなかった。進退窮まった片桐の懇願に根負けして、ゆきのはどうにか「一日考えさせてくれ」「高校生なのだから親の許可だって学校への申請だって必要だ」と絞り出し、片桐の攻勢をなんとか振り切ったのだった。片桐としても危ない橋を渡る気はないらしく、
    『そ、そっか! そうだよね! 親御さんとか学校とか、あるよね! ウンウン! わかった! じゃあ明日の夕方までにここに電話してくれる? あっもし必要だったら私が説明に伺っても――』

     以下割愛。
     とにかくゆきのにモデルをやってもらう、やってもらえなければこの腹掻っ捌いて責任を取るしかない、とでも言いだしそうな剣幕だった。高校生のゆきのにとって一生分のそれにも匹敵するのではと思えそうな心労をなんとかあしらって、帰宅したころには心は――揺れていた。
    「え? やってみたいの? モデル」
     本心から意外そうな冴子に片手をひらひらと振り、ゆきのは、それについては否定してみせる。
    「そうじゃなくて……正直、日当5万ってのはすごく魅力的だし……」
     金額につられているようで憚られたものの、そこは正直に打ち明けた。
    「それに、あの人が困ってるのは嘘じゃないと思ったから」
     ゆきのの言葉は予想外にきっぱりとしていた。そう言われると、冴子も無下に否定する気を削がれていく。うん、と、一言返すと、ゆきのは言葉をつづけた。
    「あとさ、家帰ってから考えたんだけど、もしあの人が高校生をだましてどうこうって考えてるならさ、もっと気が弱そうな子に声かけないかな? バイト先には女子も高校生もアタシ以外にいるのに、それでもアタシに声をかけた理由があるなら、それを簡単に無視していいのかな、って」
     確かに、ゆきのの言うことにも一理ある。ゆきのには、たとえ不埒な輩に声をかけられてもきっぱり断る意思の強さがある。それが彼女の表情や姿勢にも表れている。子供の無知に付け込んで悪さをしようという不埒な輩は、敢えてゆきののようなしっかりした子には声をかけないだろう。それに、親や学校に話すと言ったゆきのを止めなかったのも、信が置けるように思えた。
     しかし、冴子の不安はぬぐえない。見ず知らずの他人に対してゆきのは少し甘いように思えた。もしかしたらその人物は、ゆきのの情の厚さを見抜いていたのでは? などと邪推してみるが、冴子はゆきのと片桐の会話を聞いたわけでもないし顔も見ていない。まさかこれから直接会って直談判するわけにはいかないが、お誂え向きというか、幸い手元に名刺はある。そこに目を落として考え込んでいると、ゆきのが「先生」と呼びかける。顔を上げた冴子が目にしたその表情は先ほどまでとは打って変わって、やたらともじもじしていた。
    「あと……これ、先生だから言うんだけどさ……」
     ためらい、それから、わずかな恥じらいで、ゆきのは両手の指先を握りこんだ。
    「――あたし、カメラに興味があって」
     意を決したゆきのの告白に、冴子の目がこれ以上ないほど大きく見開かれた。冴子がそんな顔をする理由はもちろんある。
     今は落ち着いているものの、少し前まで黛ゆきのは素行不良の生徒だった。周囲の、特に大人には不信感しか持っていないようだったし、自分の将来にだってどこか捨て鉢の刹那的な少女という印象を与えていた。
     それが今、カメラに興味があると言う。
     冴子はようやく心の底から納得した。ゆきのがきっぱりと断らなかった理由は金銭的なものでも情に流されてのことでもない。
     彼女は、見つけたのだ。
     ゆきのは、おそらく無自覚だろうけれど、大きく変わろうとしている。これを喜ばしいと言わずしてなんと言うのか。教師である自分が一番、魂を揺さぶられる瞬間は、生徒の成長を目にしたときなのだから。
    「――黛!」
    「えっ、はい⁉」
     冴子は感極まったと言わんばかりに両手でゆきのの肩を叩く。痛いと言われてもお構いなしで、勢い余って自分よりも上背のあるゆきのを抱きしめそうなほどだった。
    「いいじゃないか! 興味があるなら社会科見学がてら行っておいで!」
     カメラで撮られる方に興味があるのか撮る方に興味があるのか、それともカメラの機構に興味があるのかわからないが、なんにせよカメラが現実に使われている場面を間近で見るのはとてもいい経験になる。と、冴子は背中を押したのだが、
    「……先生、止めないのかい?」
     ゆきのは少し眉を下げ、驚きと困惑と高揚をその顔に浮かべた。
    「そりゃ危ない話だったら止めるよ? でもそのバイトが危なくなくて、黛がやりたいっていうんなら、あたしにはそれを止める理由が見つけられない。校則にもバイトは届け出ることっては書いてあるけど、モデルやるのがダメなんてどこにも書かれてないからね」
     知らないことに触れること、いろんな経験をすること、たくさんの人に出会うこと、それはきっとゆきのを、見たことのない場所へ連れて行ってくれるだろう。
     それでも、ゆきのの不安や不信はぬぐえないらしい。
    「……本当に、危なくないのかな。アタシ考えても考えても答えは出なくて、わかんなくて……でも相談って言っても、誰に言えばいいのかわからなくてさ……」
     だから親にも――そもそもの発端を考えれば話す選択肢は絶対に取れないのだが――話していない。かといってクラスメイトに相談できるわけもなく、気が付けば金曜日の授業はすべて終わってしまっていた。
     冴子は少しだけ表情を緩める。変わりつつあると言っても、そんなに何もかも、一息に変化するわけではない。
    「そりゃそうだよ、黛。あんたはまだ高一だ。急にそんなわけのわからない話されたら、あたしだって混乱してすぐには結論出せないよ」
     むしろ、自分に打ち明けてくれてよかったと冴子は続ける。
    「黛、あんたはそのことをきちんと話してくれた、あたしは何よりそれがうれしいよ」
     片手をゆきのの肩に力強く置き、冴子は一言一言を噛みしめるように口にした。人を信じることは、人を疑うよりも難しい。ときには裏切られ傷つくこともあるだろうし、ゆきのは過去にそういう思いをしたのかもしれない。それでも人を信じて相談しようと思えるようになったことが、冴子はうれしかった。それは担任の教師として、同時に一人の大人としての、冴子の偽らざる本心だった。
    「危なくないかどうかは、大人のあたしが確かめようじゃない」
     大人ができることは、多少の道案内とつゆ払いだけだ。
     言いながら冴子は立ち上がり、進路指導室に置かれた電話の受話器を取った。傍らの分厚いノート(後から聞いたが、それはエルミン生が職場体験学習などでかかわった企業などの情報が載っているノートだという)を捲って目当ての番号を見つけ出すと、プッシュボタンを一つずつ押していく。どこにかけているのだろう、と、ゆきのは不安げな視線だけを向けた。
    「あ、お忙しいところ失礼します。私、聖エルミン学園で教師をしております高見と申しますが……」
     いつも生徒たちに向けるより少し高いよそいきの声。少しだけ冴子を遠く感じられて、ゆきのは窓辺まで足を向ける。日はとうに落ちていた。御影町は、ほどなくして夜の色に包まれるだろう。今ゆきのが見ている方角が、確かキスメット出版の本社がある珠閒瑠市だ。御影町からは地下鉄と在来線を乗り継いで、一時間まではかからない。ゆきのも何度か、夢崎区の繁華街を訪れたことがある。しかし、キスメット出版のある青葉区には足を踏み入れたことがなく、高架を走る電車の中から野外音楽堂を眺めた程度だ。一体どんな街なのだろう、どんな人が働いているのだろう。そんなことを考えながらゆきのは、受話器を持つ冴子をガラス窓の反射ごしに見つめていた。
    「あ、吉川君? ごめんね突然、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
     冴子が電話した先は、キスメット出版文芸部に勤める――かつての後輩だった吉川という名の――男性だった。冴子はさすがに用心深く、片桐の名刺に書かれた番号に電話しなかった。まず本件において部外者である彼に、片桐という女性が確かにキスメット出版に在籍しているのかを確認したのだ。
    「片桐さんね、同期から聞いて知ってますよ。割と最近入って来た人って。おもしろい人らしいですよ。なんか毎日素っ頓狂なことしてるって」
     結論から言えば片桐は確かにキスメット出版に勤めていて、ファッション誌から情報誌までを担当するカメラマンのアシスタントをしていることが確認できた。彼女が社員食堂でちゃんぽんをおかずに唐揚げ定食二人前を平らげたなどというどうでもいいエピソードを得てしまったが、ともかく最終的に目的は達せられた。冴子は後輩の某氏と二言三言近況を語ったあと、片桐の所属する部署まで電話を回してもらった。そうして当の片桐本人に自分の名と立場を明かした上で、撮影の詳細を確認したようだった。
     傍らでそれを聞くともなく聞き、真剣な表情の冴子を見るともなく見ているゆきのの心境は落ち着かなかった。結局事態は大きくなっている気がしていたたまれない。親は巻き込まずに済んだけれど、冴子の手を煩わせてしまった。吉川という人まで面倒をかけてしまった。どうしてこんなことになったのか、と、そもそもの原因を考えないわけではなかったが、弟のしでかしたことについて姉の自分が責任を取るのは(ゆきのにとって)なんら道理を外れたことではない。……ただ、そこに自分の興味関心が混ざってしまったので、まったく正当なものだと言うのも憚られる。それでも乗り掛かった舟、ゆきのは動き出した船から港を恨めしく見るような真似はしなかった。
    「はい、ええ、ではよろしくお願いいたします。はい……失礼します」
     一呼吸おいて戻される受話器。それに合わせてゆきのは大きく息を吐いてしまった。
     結局、ゆきのはその仕事を引き受けることになった。掲載誌もブランドも確認したけれどいかがわしい類のものではない。片桐と通話した冴子は「変わった人だけど、社会人としてはごくまともに思える」と評しているので信用はできるのだろう。多分。
    「先生、わざわざ電話してくれてありがとう……あたしだけじゃどうしたらいいかわかんなかったよ」
     ゆきのは頭を下げた。本心から感謝していた。縁もゆかりもない会社に電話をするというのは、高校一年生のゆきのにはなかなか難しいことだった。それを冴子に肩代わりしてもらったのは少し情けないが、心理的ハードルの一つはクリアできた。一つだけ、だが。
     冴子は「いいってことよ」と片手を振る。
    「よし! じゃあ明日はあたしもついていくからね!」
    「――え⁉」
     ゆきのは一瞬、泣き出しそうな顔を懸命にこらえて、あたかも驚いただけだという声を装った。
    「いいだろ? 一応監督ってことで。あと、あたしも撮影の現場とかちょっと見てみたいし」
     興味があるのは黛だけじゃないぞ、と、白い歯を見せる冴子は、片桐から「もしゆきのさんがご心配ということでしたら、先生もお越しください」とまで言われていたらしい。ああ、それで「いいんですか?」という、やや遠慮がちな相槌がさっき聞き取れたのか……と、ゆきのはどこか上の空で思い出す。
    「そういうことなら、あたしは構わないけどさ……」
     目を泳がせながらほっとしている自分の虚勢など、冴子は簡単に見抜いているのだろう。行ったこともない撮影スタジオに一人で乗り込む心細さも、見当もつかないモデルの仕事に対する不安も。
    「そうかい? じゃあ明日の待ち合わせは――」
     全部お見通しの冴子に、どれだけ感謝しているのかを伝えるすべも思いつかない。思いつかないからと何も言わなくていいわけはないのに、そのときのゆきのにできたことは冴子との待ち合わせの日時を決めるくらいだった。

    §

     そうして翌日。
     片桐に指定された撮影スタジオは、珠閒瑠市青葉区の大通から一本入った静かな場所にあった。キスメット出版のある通り沿いは、新聞社を含めた多くのマスコミ関係企業がひしめいている。その関係でこのビルも各階に大小さまざまなスタジオが用意されているのだろう、エレベーターホールも通路も、あわただしくも独特の雰囲気でごった返していた。
     その中の一員として、今日の一日を過ごすのだ。なんとなく背筋を伸ばしたゆきのは、緊張した面持ちで指定された7階へと向かったのだが――

    「……ゴメンナサイ」
     片桐はスタジオの入り口ドア前に立っていた。自分たちを出迎えてくれているのか、そう推測したゆきのたちが声をかけると返って来たのは何故か謝罪の一言。数日前の覇気はどこへやら、しなびた野菜のような表情と姿勢で、まるでその場に崩れ落ちてしまいそうな消沈ぶりだった。
    「ど、どうかしたんですか?」
     撮影が中止にでもなったのかと聞くと、片桐は首を横に振る。確かにスタジオの中からは人の気配も声もするし、大きな荷物や機材を担いだスタッフも多数出入りしているようなので中止ではないのだろう。
    「ほんっとー……に、ごめんなさい!!」
     彼らの邪魔にならないよう、通路の行き止まりまで移動すると、片桐は体を90度折り曲げて再び謝罪した。
    「――つまり、急病だったモデルが戻って来たから、撮影は本来の人員でやるって……そういうこと?」
     片桐のしどろもどろな説明を要約すると、そういうことらしい。ちなみに要約したのは冴子のほうだった。
    「はいぃ……」
     片桐の声は消え入りそうなほどか細かった。申し訳なさそうに眉を下げているのも、何度も頭を下げているせいで半分ふらついているのも、そうなるのはまあ、わかる。ただ、だからと言ってここまで来たゆきのと冴子が「はいそうですか」と黙って納得できる話でもない。それは片桐も重々承知しているらしく、くたびれた封筒をゆきのに差し出してきた。
    「さすがに最初に言ってた額をお支払いするのは無理だけど、交通費と迷惑料と思って、受け取って……くれる、かなあ……?」
     弱弱しくなる語尾が、中身は一万円だけど、と、申し訳なさそうに付け加える。
    「……一万……」
     金額の話だけで言えば、今日の往復交通費と弁償すべきゲームソフトの代金を合わせてもなんとかおつりがくる。だから、本当に金額だけで言えば、ゆきのにはなんの異論もない。そもそも、迷惑料の名目でお金がもらえるとは思ってもいなかったし。
     ただ、受け取っていいのだろうか、という躊躇いはあった。
    より正確に言うなら、これを受け取ってこのまま帰ってしまうのは、もったいないような気がしたから、ためらった。それは弟のしりぬぐいに起因するお金の話ではなく、ゆきの自身の中に知らぬ間に生まれていた、灯火のようなものが、そうさせたのだろう。
    「片桐さん」
    「は、はい」
     ゆきのの指先が封筒にかかるのを待っていた片桐は、やおら真剣な面持ちで再び声をかけられて更なる緊張に身を浸している。
    「迷惑料っていうの、よくわからないけど、もらえるならアタシ、困ってたからすごく助かります。って言っても、働いてもないのにもらっていいのかわかんないですけど……それだけでもお礼を言わなきゃいけないけど、その恩を仇で返すようなこと言って申し訳ないんですけど、お願いがあって」
     ゆきのは一つずつ言葉を選んだ。弱みに付け込んでいるようで気が引けたし、非常識なことを言っているのかもしれない、という不安もあった。でも、もし自分が間違っていたら、傍らで見守ってくれている冴子が、きっと正してくれるだろうという信頼もあった。
    だから、ゆきのは口にすることができた。
    「撮影、見学させてもらえませんか」
    「――へ?」
     片桐のしゃっくりのような返答が聞こえた瞬間、ゆきのは自分の顔が熱くなるのを感じた。瞬間、何を言っているのかと反論されるのが怖くなって、ゆきのの口からは言葉が溢れて――止まらなかった。
     写真に興味を持っていること、カメラマンという職業に関心があること、プロがどんな機材を使っているのか知りたいこと、本物の撮影現場を一度見てみたくて、今日はここまでやってきたこと、建物に入った瞬間から気分が高揚してたまらなかったこと、モデルなんて絶対に柄じゃないとわかっていても、カメラへの興味がそれを凌駕して、ここまで来てしまったこと――。
     ゆきのが言いたいことをすべて言い終わったとき、片桐は目も口もぽかんと開けていた。そのしまりのない顔で、頭一つ以上上にあるゆきのの顔を見つめている。片桐が驚いて、そんな顔になっているのはゆきのにもわかった。それ以上に圧倒されていることも理解できた途端、恥ずかしくなって逃げ出したくなる。
     それでも意地と虚勢で踏みとどまって、そうして二人して硬直すること十数秒。
    「――ちょっと待ってて!」
     言い終わらないうちに片桐はゆきのの手に封筒を押し付け、踵を返してスタジオの中へと駆けていった。その背中が見えなくなると、ゆきのは封筒を握ったまま傍らの冴子を振り返る。冴子の表情は、穏やかなものだった。
    「先生、アタシ……まずいこと言ってなかった?」
    「いーや?」
     首を振る冴子が頼もしく笑う。教え子を見守るように緩められた目元に、嘘や慰めの気配はない。ほっとする反面、冴子にも今の自分の言葉を聞かれた事実に思い当って叫びたくなる。今まで誰にも、それこと昨日ようやく冴子に初めて打ち明けた自分の「興味があること」を熱弁したことが気恥ずかしくて。
     冴子は眩しそうに目を細めた。情熱、そう言うとゆきのは照れて否定するかもしれないが、心が強く求めるままに動くことは、思春期の特権だ。戻って来た片桐から「二時間くらいでもいいなら!」という条件付きの許可をもらったゆきのの表情を、冴子は眩しそうに眺めていた。

    §

     あれから数年が経っても、ゆきのはあの日のことを時折思いだす。今日も出先の自動販売機の前で、あのとき片桐が飲んでいた缶コーヒーを見かけて表情を緩めてしまった。

     「大人ってね――まあ、私は立派な大人じゃないかもしれないけどさ、まあそれはともかくとして……人は歳を重ねると、自分より年下の人を無条件で助けてあげたくなるものなんだよ」

     片桐は、自分のカメラをゆきのに見せながらそう言った。甘い缶コーヒーをちびちび啜りながら、休憩時間のことだった。
     ゆきのの手には収まりきれないほど大きな最新型のデジタル一眼レフカメラは、ずっしりと重い。何の気なしに尋ねた値段を知って、ゆきのは手のひらに汗がにじむような気がした。こんなにも高価――だけでなく、商売道具として最も大切なものに違いないのに、どうしてほとんど初対面の高校生に触らせてくれるのか。そう尋ねたゆきのに対する返事だった。
     それが一般論として真実なのかどうかは、高校生のゆきのには判断できなかった。けれど片桐の本心だろうということは、伝わった。
    それに、同じ夢を見ているんだから、余計に手助けしたくなっちゃって――と、片桐に笑いかけられて、ゆきのは虚を突かれた思いだった。
     これは「夢」なのだろうか?
     自分の中ではまだ確固たるものとして定まっているわけでもない。具体的なビジョンが思い浮かぶわけでもない。でも、傍から見たら自分は「カメラマンを夢見る高校生」に映っているのだろう。プロのカメラマンである片桐が、「手助け」してくれているのだから。
     将来のことなんて、深く考えたこともなかった。毎日なんかどうでもよくて、ただ過ぎ去っていくだけの日々だと思っていた自分にも、「夢」が出来たのかと思うとくすぐったくて、でも、ゆきのは多分、うれしかった。
    「でもゆきのちゃんがモデルやってるのも見たいなあ~」
    「だからやりませんって」
     本気なのかわからない片桐をあしらいながら、ゆきのは渡された缶コーヒーを口にする。驚くほどに甘ったるいそれを、表情に出さずに飲み下すくらいはかろうじてできた。
     高校を卒業して数年が経ち、カメラマン見習いとしてキスメット出版に出入りするようになったころ、片桐はすでにそこにはいなかった。片桐との再会を強く望んでいたわけでもなかったのだが、いないと聞くとわずかに寂しい思いを感じた。彼女と関わりのあった人に聞いたところ、片桐の本業は山岳カメラマンで、あの「職場見学」の時期は怪我がもとで一時的にキスメット出版に勤務していたということだった。
     ゆきのは、狐につままれたような気分だった。本来出会うこともないような人に出会っていたのは、何かの偶然かいたずらだと思えた。
     もしもドラマや映画なら、きっとその出会いはゆきのの人生を変えてしまうものとして用意されているだろう。けれど仮に片桐と出会わなかったとしても、ゆきのはキスメット出版に出入りしていたような気がした。軽んじているわけでもなく、まして否定したいわけでもない。ただ、同じ道を目指した人間同士、どこかでその歩みが交差するのは必定なのではないかと、そう感じただけだった。
     貯めたお金で買ったデジタルカメラは、肌身離さず持ち歩いている。あのデジ一には及ばないが、ゆきのの愛すべき相棒だ。まだ納得のいく一枚はなかなか撮れないけれど、思考錯誤の道のりも中々に楽しいものだと感じている。
     カメラを持ったゆきのは、カメラを持った片桐とどこかですれ違うこともあるだろう。同じだけど、少しだけ違う道の途中で。
     ゆきのは気まぐれに自販機に硬貨を投入し、あのときの缶コーヒーのボタンを押した。普段は決して選ばない、砂糖の入った甘いコーヒー。
     案の定、眉をしかめるほどの甘ったるさだった。
     けれど片桐も、どこかの山小屋でこの味を懐かしんでいるのかもしれない。そう思うと、存外悪い気分はしなかった。

  • 2023-10 らくがき

    エグゼクティブただよぴ

  • かつては肩を並べて

    「はあ、そうすると先生方、まるで天皇陛下のようですなあ」
     しみじみと感慨深い、と言いたげな感心がその言葉の中にはあった。天皇のようだ、と、言われた方の俺は、まったくなんのことなのかわからずに「はい?」と裏返った声を返してしまう。相談者のじいさんは「ああ、失礼しました」と、本当にそう思っているのかわからない顔で笑っている。
    「亀山先生、村上先生、どちらも天皇の諡と同じですから」
    「――ああ、そういうことですか」
     亀山というのは俺のことで、村上は去年迎えた新入りのことだ。確かに亀山天皇、村上天皇、日本史の教科書で見た記憶がある。同じタイミングで村上も理解したらしく「ああ~!なるほど~!」と、学生気分の抜けない明るい声を上げていた。
     法律相談のために弁護士事務所を訪れる人間にしては、爺さんは朗らかだった。相談内容がトラブルがらみというわけではなく、今後の財産管理と遺言作成に関するものだからだろうか。雑談を挟みながらの相談が終了し爺さんが出ていくと、村上弁護士が思い出したように笑う。
    「亀山先生とセットだとロイヤルになれるんですね~」
    「何がロイヤルだよ、たまたまだろ」
     そんなにおかしいだろうか、と、苦笑していると、湯呑を下げに来た事務員が、
    「ちょっとちょっと、先生方だけじゃないですよ、私も!」
     と、割って入ってくる。私も、という彼女の苗字は、
    「ほんとだ! 白川さん!」
     してやったり、とばかりに口の端を上げている白川さんは得意気だが、正直それは惜しい。天皇の方は確か、白河じゃなかったか。「”カワ”違いでしょ」と指摘すると、
    「そんなの誤差の範囲ですよ、大体ほんまもんが揃ってたらちょっと恐れ多いと思いません?」
     だから丁度いいんですぅ、と、白川さんは結論付けて給湯室へと洗い物に入っていった。村上は三人そろったのがツボに入ったのかまだ笑っている。
    「お前何がおかしいんだよ」
    「えっへへ、あは、ごめんなさい、でもすごくないですか? こうなったらもう一人くらいロイヤル弁護士入れましょうよ!」
    「なにがロイヤルだよ、大体人増やすほど仕事ねえぞ」
    「え~じゃあ入れる入れないは別にして、亀山先生のお知り合いとかにいません? ロイヤルな人。えーと、醍醐とか? 天武とかはないですよねえ……人の苗字でありそうな……う~ん」
     村上が声に出してうんうん唸っているので、俺までつられて考えてしまう。醍醐はありそうだけど後醍醐はさすがにないよな、そもそも天皇の名前自体そんなに詳しくない。それは村上も同じだったようで、インターネットでなにやら検索している。仕事もせずにこれだったらさすがに咎めるが、村上は仕事の出来については文句の付けようがなかった。なので、しばらくは好きにさせる。
    「あ、あった。えー……と……あ、三条とかどうです? 花山、カザンじゃなくてハナヤマさんならいそうですよね。あとは~……朱雀? 亀山先生、朱雀って苗字あると思います?」
    「知らん」
     無視して書面の作成を続けている間も、村上はくだらない「調査」を続けていた。腕時計をちらと確認すると、時刻は三時の五分前だった。あと五分は大目に見てやろう。どうも相手が若い女子だと強く出られないので、調子が狂いそうだった。
    「村上先生、清和さんとか、どうです?」
     まさかの援軍、白川さん。三人分の湯呑を盆に載せて給湯室から出てきたと思ったら村上に入れ知恵しだす。
    「……」
     無言で湯呑を受け取るのは俺のささやかな抵抗だった。そうこうするうちに二人はヒートアップして、次から次に苗字を投げかける。宇多、堀河、二条、一条、六条、鳥羽、高倉……こうして並べられると、案外天皇の名だった苗字というのは多いことに気づかされた。巻き込まれた俺は油断していたのかもしれない。
    「伏見!」
    「いない」
    「えー? 花園はどうです?」
    「いない」
    「じゃあ、嵯峨!」
     その名前を聞いた一瞬、胃の腑が浮いたような錯覚を覚えた。
    「――いや、いない」
     なんとか答えた俺を、村上が見ている。不自然さに気づかれたのかとひるんだが、そういうわけではなかったらしい。
    「なかなかいないですね~……亀山先生、検事時代の人でもいいんですけど」
    「だからいねえよ。お前、この事務所をどうしたいんだよ」
    「え~? 亀山・村上法律事務所にもう一人天皇の名前が並んだら単純におもしろくないですか? わかる人にはわかるインパクト大! ですよ?」
    「……バカヤロウ」
     イロモノ事務所じゃねえんだぞ、とだけ釘を刺して、俺は再び書面と向き合う。村上もいい加減飽きたのだろう。パソコンの前から移動すると、案件ファイルの棚へと向かっていった。文章は思い浮かばず、すでに文字になった情報も意識の上を滑っていく。
     先ほどの村上の、若さゆえのまっすぐな目が俺に過去を思い出させる。嘘はついていない。嵯峨なんて弁護士の知り合いは、俺にはいない。
     あいつは、最期まで検察官だった。ヤツ自身の信じる正義をまっとうし、検察官として死んだと聞いた。
     俺が知っているのは、ただそれだけだ。

  • にがて

    ⚠パロです。異母兄弟の仲が悪くない世界線が見たかっただけのパロです⚠

    <登場人物>
     神取賢介:故人。鷹久は前妻(死別)との間の子。玲司は後妻(離別)との間の子。名前だけ登場。
     神取鷹久:神取家当主。政界に出ようという気はない。
     アキ:神取の娘。法的には娘。血縁関係については非公開。はつらつな5歳児。
     城戸玲司:幼少期に両親が離婚してから母子家庭で育つ。新婚・一児の父。













    「あー! レイジくんだ!」
     子供特有の甲高い声に呼び止められて、城戸玲司は背後を振り返った。自分の背丈の半分ほどの位置に、見知った顔を認めて、彼は少しだけ表情を険しくさせる。見知った顔の少女は「アキ」という名前の5歳の少女で、玲司にとっては一応、姪にあたる。アキは子供らしからぬ真っ黒なワンピースをまとい、子供らしい勢いで玲司に向かって駆け寄ってきた。この後何が起こるのかは、これまでの経験で簡単に予想がつく。
    「どーん!」
     予想通り。アキは駆けてきた勢いをまったく緩めることなく、玲司の片足に抱き着く。玲司としては子供に好かれる人間である意識は微塵もないが、アキはどういうわけか小さいころから玲司になついていた。それこそよちよち歩きのころからこんなことをされていたのだが、あのころならまだしも、それなりに成長した最近のアキに抱き着かれると、もはやタックルに近い。体格には恵まれているのでまさか転がるようなことはしないが、玲司は人知れず両足に力を入れて踏ん張ってしまうのだった。今は、そうする理由がもう一つあるのだが。
    「なんだ、お前こんなとこに、一人か?」
     何がおかしいのかしがみついて笑っているアキは返事をしない。
     こんなところ、と玲司が言うのには理由がある。なにしろここは、城戸家がよく使うスーパーマーケット。子供一人でスーパーにいる理由としては、おつかいの可能性ももちろんあるだろう。ただ、アキの「保護者」は5歳の子供におつかいなどさせるわけがないし、するにしたって特売日を設けているような安売り店は使わないだろう。まさか迷子になって、見知った叔父の姿を見て縋って来たのだろうか?
     玲司は一応、親族の端くれとして気を回す。アキの家とは没交渉気味だが、さすがに姪を放って自分の買い物に戻れるほど薄情でもない。
     と、アキが駆けてきた方向、菓子売り場の棚の影からぬるりと大きな影が現れる。
    「アキ、危ないからよしなさい」
     窘める気があるのかないのか、どこか甘さがにじむ低い声。自分と同じくらいの背丈のその男を見て、今度こそ玲司は眉を寄せた。
    「はぁい、パパ」
     パパと呼ばれた通り、その男はアキの「父親」で、玲司の兄にあたる。兄といっても異母兄で、父の後妻だった玲司の母は玲司が物心もつかないころに離縁して別居し始めたので、兄――神取鷹久のことはほとんどよく知らない。初めて会ったのは玲司が中学に上がったばかりの頃、父の葬儀のときだった。それに会ったからといって付き合いが始まるわけでもなく、数年に一度、父の法事が神取の家で行われるたびに顔を見る程度の間柄だ。ただ、細々とした用事で神取の家を訪れる機会はそれなりにあったので、アキとはそのたびに遊んでやることもあった。狙っているわけではないが、玲司が神取の家を訪れるとき、鷹久はいつも不在だった。最近は用事自体がないので、最後に神取家を訪れたのはおおよそ一年前、父の七回忌。あのときも当主である鷹久は来客対応で忙しくしており、ろくに言葉も交わしていない。それが残念ということもなければ、むしろほっとしていた。
     玲司は、この兄にどう接していいのかわからないから。
    「探していたのは見つかったのかね?」
    「うん、ねぇ2こ、かってもいい?」
    「最初に1つだと言っただろう? 約束を違えてはいけない」
     小さな手に円筒形の何か(多分、菓子だろう)を持ってワガママを言う娘と、それを聞き入れない父親。そんな光景を玲司はただ見つめるだけだった。傍目からはごく普通の父娘に見えるが、父親のほうは二十代で某企業の支社長に上り詰めたほどだし、そもそもが元法相の神取賢介の長男でもある。間違いなく富裕層に入る「兄」がなぜこんなところにいるのか。
    「アキにせがまれてね。これからレッスンで時間もないからここに寄っただけだ」
     まさか心を読んだわけではないだろうが、鷹久は「弟」にそう語った。その言葉にはどこか言い訳のような響きがあることを、鷹久本人も自覚していた。
    「あのね、バレエのきょうしつでね、みんなこれつけてるからアキも、かってもらうの!」
     ぎこちない空気に頓着しないアキだけが、はつらつとした態度だった。自慢げにアキが見せたのは、手に持っていた菓子。それはぱっと見で円筒形だったが、よく見ると六角形の柱のような形だった。ハートや星の形をした、どう見ても菓子ではないキラキラした何かの写真がいくつも載っていたので、玲司は思わずアキに尋ねてしまう。
    「菓子じゃねえのか?」
    「レイジくんも欲しい?」
     なんでそうなる。
     思わず言葉に詰まった玲司の視界の端で、鷹久が口元を押さえていた。やりとりがおかしかったのかと思っていると、どうやら少し違うらしい。
    「アキ、玲司に買わせようとしていないか?」
     発言の意味がよくわからず玲司は何の反応もできなかったが、どうやらアキは図星を突かれたらしく曖昧に笑ってごまかしている。あの父娘の間でどういう理屈が共有されているのかはさっぱりわからないが、玲司はただ、呆れ混じりに感心していた。たった5歳でも悪知恵(?)が働くのか、と。
    「さて、そろそろ行かないと間に合わないぞ、アキ」
     腕時計を見ながら、鷹久がアキの手を取る。アキは「え~レイジくんと遊ぶ~」などと、本気かどうかわからない駄々をこねていたが、
    「アキ、玲司だって用事があって買い物をしてるんだ。それにそんなに騒ぐと赤ちゃんが起きてしまうよ」
     と、父に諭されてぴたりと動きを止める。
    「あかちゃん?」
     どうやらアキは、気づいていなかったらしい。玲司の胸のあたりに抱っこ紐で固定された赤子のことに。
     そもそも玲司がここにいるのも、体調不良の妻を休ませるために子を連れて外出し、ついでに何か食べられるものでも作ろうかと思って立ち寄ったという経緯だった。アキの「タックル」にいつもより強めに踏ん張ったのも、万が一にも転倒して我が子を傷つけないため。そのとき咄嗟に片手で我が子の尻のあたりをかばったのだが、アキは本当にまったく、気づいていなかったようだった。
    「……あかちゃん?」
     さすがに鷹久もその反応は予想外だったようで、「ほら、玲司が抱っこしているだろう」と言葉で示している。アキはその言葉で好奇心が刺激されたのか、「あかちゃん」を一目見ようと背伸びをしている。が、視線が届くはずもない。玲司はごく自然に、アキにもよく見えるように身を屈めてやった。身長差が大きいので、ほとんどしゃがみこんでいると言ってもいい。
    「あかちゃんだ……」
     紺色の抱っこ紐の中で、小さな小さな赤子が眠っている。みつめるアキの目は大きく見開かれていた。玲司は、わずかな申し訳なさを感じていた。そういえばアキはまだ、この子に会ったことがないな、と、思って。その前提を考えれば、自分が赤子を連れているなんて思いもしないだろうし、気づかないのも無理はないだろう。
    「……撫でてみるか?」
     罪滅ぼしというわけでもないけれど、なんとなくそう水を向けてしまう。
     アキはためらっているのか、何度か瞬きをして、
    「いいの?」
     と、手を伸ばしかける。そのまま頬のあたりに触れるのかと思うと、小さな手はしばらく虚空をさまよっていた。
    「……アキがさわっても、だいじょうぶ?」
     気持ちはわかる。こんなにも小さい存在に、このまま触れても大丈夫なのだろうか、という不安は、玲司にもあったから。だが、アキは玲司とは比べ物にならないほど小さくか弱い。玲司が触っても大丈夫なのだから、アキならなおのこと平気だと語って聞かせる。
    「そっと撫でるくらいなら大丈夫だ、起きない」
     促してやってようやく、アキの手が柔らかい髪をなでた。地肌から浮いている毛先に触れるくらいだったので、もう少ししっかり触ってもいいのに、と、玲司は苦笑する。
    「やわらかい……あかちゃん、あったかいね」
     ほんのわずかな接触でも、赤子特有の柔らかさと体温は実感できたらしい。ただ、声音にも表情にも、そして態度にも、興奮や喜びではないものがにじんでいた。不安、恐怖、そんな言葉に近しいけれど、それよりもずっとあどけなくて、根源的な感情。玲司はそれを確かめようとしたが、近寄る靴音に遮られた。
    「アキ、本当にそろそろ間に合わなくなるよ」
    「うん……」
     伸ばされた神取の大きな手が、アキの小さな手とつながれる。鷹久は「では失礼」などと気取った言葉で締めくくろうとしたが、寸の間の逡巡の後、玲司と向き合う。

    「その子が小さいうちはまだ難しいだろうが、落ち着いたら三人で顔を見せに来い。皆、気にかけていた」

     それは玲司にとっても予想外だったが、言った鷹久本人にも予想外だったのだろうか。やけに強張った表情で無理に笑おうとしているようで、玲司はよくわからないまま一瞬気圧される。
    「――ああ、わかった」
     ようやく返事をした後で、「しまった、これでは約束したも同然じゃないか」と一抹の後悔が浮かぶ。しかし、別に致命的に関係が悪いわけでもないし、気にかけている「皆」というのも、おそらく訪問のたびに声をかけてくれる古くからの使用人たちのことだろうと思うと、確かに何の音沙汰なしというのも礼を失している気がする。玲司は覚えていないが、使用人たちから可愛がられていたというのを、母からは確かに聞いているから。
     一瞬母の顔が浮かんだのは、もしかしたら玲司だけではなかったのかもしれない。
    「……もちろん、四人でも構わないが」
     とってつけたような言葉でも、そこには気遣いがある。
    「……聞いとく」
     玲司はくすぐったさを隠すように、口元を隠しながら頬をこすった。
    「じゃあね、レイジくん」
     手を振るアキに同じように返し、玲司は兄と姪を見送った。父の緊張が伝播したのか、抱きかかえられた子がむずかるように身じろぎをする。それを揺らすようにしてあやしながら、玲司はアキの不思議な態度がひっかかっていた。

    §

     スーパーのレジで会計を済ませる間も、待たせていた車に乗り込んでそれが動き出してからも、アキはじっと黙りこんでいる。あんなにせがんでいた食玩つきの菓子も、開けることもせずに小さな手に握りしめたままだった。
    「どうした、アキ」
     さすがに見かねた鷹久が、どこか具合でも悪いのかと聞くと、アキは首を横に振る。その顔つきは機嫌を損ねているというよりは、何かを深く考え込んでいるように思われた。
     親の贔屓目を抜きにしても、アキは聡明な子供だ。鷹久はそう認識している。まだ5歳の子供でも、物思いにふけることもあるだろう。気がかりをあえて追求せず、鷹久は後部座席の背もたれに体の重みを預けた。
     車の進みは常よりも遅かった。工事の予定などは聞いていなかったのですが……と、運転手が恭しく弁明する。彼がその日のルートに工事などの障害情報がないことまで確認していることは鷹久もよく知っているところだ。仮に渋滞の原因が事故ならばその責を問うわけもない。そう言うと、初老に差し掛かった運転手は安堵したように会釈した。
    「ねえパパ」
    「うん?」
     とうとう車が止まってしまったタイミングでアキが口を開く。
    「アキね……ううん、なんでもない……。ね、あかちゃん、ちっさくて、やわらかかったよ」
     鷹久は目を細めて、「そうか」と頷いた。小さな娘がさらに小さな赤子に触れる様子は大変愛らしかった。その一方で、鷹久本人の記憶がこじ開けられるような趣もあった。
     アキは先ほどのやり取りを反芻しているのか、赤ん坊に触れた手を開いたり握ったりしている。あまりに柔らかくて脆そうな存在が不安だったのかもしれない。自分にも覚えのあることなので、鷹久は懐かしさでわずかに表情を緩めた。
     再び考え込んでいたアキが顔を上げる。パパ、と、呼びかける声は、少し緊張しているようだった。
    「アキは、あかちゃんとなかよくしたほうがいい?」
     よくわからない問いかけだった。
    「……アキは、仲良くしたくないのかな?」
     言葉を選んで尋ね返すと、アキはきっぱりと、それだけは否定する。
    「ううん、なかよくしたいよ? でもね、うーん……どうしたらいいのかな? パパ、アキは、あかちゃんのこと、“にがて”なのかも」
     おや、と、鷹久は眉を上げた。苦手、とはまた、5歳児にしては難解な言葉を使うものだ……と。幼稚園に通い始めてから、めきめきと言葉を覚えてきてはいたものの、ほとんどはたわいのない語彙ばかり。これまで「好き」と「嫌い」で周りを二分してきたアキの世界が広がりつつあるのだろうか。
     それはともかく、なぜこの文脈で「苦手」が出てくるのだろう。念のため、どういう意図で苦手という言葉を持ち出したのか、鷹久は確認することにした。正確な議論のためには、言葉の定義づけは欠かせない。
    「アキ、苦手、という言葉は、幼稚園のお友達から聞いたのかな?」
    「ううん、レイジくん」
     どきり、と、鷹久の心臓が小さく跳ねた。まさかその名前が出てくるとは思わなかったが、納得もした。あの異母弟が自分を苦手だと思っていることは予想の範囲内だから、二人でそんな話をしたのかもしれない。
    「レイジくんがね、言ってたの。おじいちゃんのパーティーのとき」
     アキが言うパーティーとは、亡き父、神取賢介の七回忌のことだ。法要というものを理解せず、まして祖父にあたる人物には会ったこともない彼女なりに、法事の意味を捉えようとしているのだろう。
    「ほう?」

     アキは、神取家の所有する別邸で催された七回忌の際に玲司と話をしたらしい。父の鷹久は挨拶で出ずっぱり、使用人は忙しい上に、そもそも来客は疎遠な親族と政財界に関わりのある年配者ばかり。話し相手もおらず暇を持て余したアキは、同じく手持無沙汰だった玲司を見つけて破顔一笑、「レイジくん!」と、いつものように突撃していった。
    「ああ、お前か」
     濡れ縁に胡坐をかいていた玲司は、後ろから飛びつかれてもびくともしない。その頑強な在り方もアキの好むところだった。それに、玲司は今のように抱き着かれても、父や使用人たちのように、「もっとおしとやかに」「上品に」とは言わない。だから居心地がいいし、たまに見せてくれる手品も楽しい。アキにとって玲司はお気に入りの友達だった。
    「なにしてるの?」
    「別に、ぼーっとしてた」
     アキは、玲司の隣にちょんと腰を下ろし、彼が眺める方を見る。濡れ縁が面している庭は、純和風の邸宅には珍しく、綺麗に整えられた芝生が広がっている。奥に植わっている木々が晩秋になれば赤く色づくことを玲司もアキも知っている。しかしアキはわからなかった。この度の法要の為に造園業者がいっそう丹精込めて手入れをしたので庭がいつになく整っているのは間違いないのだが、玲司は庭なんて眺めて何が楽しいのだろう?
     不意に背後が騒がしくなる。アキと玲司がほぼ同時に首だけで振り返ると、鷹久が来客の一組を歓待しているところだった。鷹久は先頭の老人と力強く握手を交わし、法要が行われる母屋の大広間へと連れ立って歩き去っていく。
     その様子を見ている玲司の顔つきは、決して晴れやかなものではない。「レイジくん、アキのパパのこと、きらい?」
     ぎょっとした玲司がアキを振り返ると、まっすぐな黒い瞳が見つめ返してきた。玲司は気まずくて視線を逸らしてしまいそうになる。子供というのはお構いなしに切り込んでくるものだと理解はしている。ただ、ほかならぬアキに「父親が嫌いなのか」と言わせた事実について、罪悪感のようなものはあった。
    「……いや、ちょっと苦手なだけだ」
    「にがて、って、なに? きらいじゃないの?」
    「あー……」
     玲司は腕を組んで考え込む。言われてみれば、嫌いと苦手は同じようで微妙に違う。違うのはわかっても、説明には困ってしまう。玲司が上げた視線の先は、すっかりと晴れた空だった。
    「嫌い、ではない」
     それは玲司の偽らざる本心だった。第一、さして付き合いのない相手に好きも嫌いもない。だから消極的な意味ではあるものの、玲司は鷹久を嫌悪、まして憎悪することなどただの一度もなかった。むしろ玲司の方が気後れしているフシもある。離縁した後妻の子が法事とはいえ出入りしてもいいのだろうかと思いながら喪服を用意したのだが、鷹久は「よく来てくれた」と玲司を歓迎してくれた。多分、歓迎していた。いや、やっぱりわからない。表情が少し和らいだような気もするけれど、強張っていた風にも見えた。
    「嫌いじゃ、ねえんだけど……」
     眉間に皺を寄せて考え込む玲司を、アキは黙って見上げていた。
     玲司は鷹久のことがわからない。これに尽きる気がした。結局これまで互いを知る機会がなかったので、相手の表情や言葉一つとってもそれがどういう意味を持っているのかわからない。鷹久は玲司に、「来客の相手は面倒だろうから読経が始まるまでは離れで休んでいて構わない」と言い残していった。それは玲司の立場を慮って気を遣ってくれたのかもしれないし、玲司では気づけないくらいの悪意が込められた嫌味だったのかもしれない。
     でも、後者ではないと思った。希望的観測でも願望でもなく、一応は血を分けた弟としての、勘のようなものかもしれない。
     異母兄が自分をどう思っているのかわからないので、自分もどういう態度でいればいいのかわからない。それが、玲司の結論だった。
    「嫌いじゃないけどよ、どういうふうに接したらいいのかわかんねえ」
     玲司はその心情をかみ砕いてアキに語って聞かせたが、子供にはそれでもまだ難しかったらしい。
    「せっし?」
    「接する、な」
    「せっするってなーに?」
    「接するってのは……」
     言葉に詰まった。会話する、というのは何か違う、意味が狭まった言葉のような気がする。付き合うという意味も、アキにはまだ伝わらないのかもしれない。ほかにどう言い換えたものかと頭を悩ませる玲司の眉間に深い皺が刻まれていく。
    「おともだちになること?」
     見かねたのか、アキがそんなことを言う。
     子供同士の世界であれば、「接する」=「お友達になる」という論理も正解かもしれない。
    「……うーん……いや、そりゃなんか違うな」
     が、玲司はやんわりと否定した。苟も兄弟なのだから、お友達なんて言葉を使われるとなんだかぞっとしなかった。
     アキの眉間にも、うっすらと皺のようなくぼみが見えてきた。
    「うーん、じゃあ……なかよくすること?」
     玲司は、小首をかしげた少女の顔から庭に視線を移す。
    「……うん、まあ、そういうことになる……のか?」
     玲司の想定していた「接する」の意味は、「社会人として恥ずかしくない程度に、当たり障りのない対応をする」くらいのものだ。それを「なかよくする」と言い換えるのは大変な拡大解釈のような気もした。しかし、当たり障りのない付き合いというのは、客観的に見れば「なかよくしている」と言えなくもない。
     それに第一、これ以上アキのほうにも語彙があると思えなかったし、自分のそれだって大して豊富なわけでもない。ついでにいえば、ようやく言葉の意味がわかった喜びで口角を上げているアキをがっかりさせるのも忍びなかった。

    「……だからね、アキもどうしたらあかちゃんとなかよくできるのかわからないから、にがて、でしょ?」
     なるほど、と、鷹久は眉を下げる。アキの中では「苦手」=「なかよくする方法がわからない」になっているらしい。その解釈が間違っていないとは言い難いが、なにやら無性に健気だと感じてしまったせいか、鷹久は訂正することを放棄した。そのうち、小学校に入りでもすれば正しい意味も覚えるだろう。
    「ああ、そうだな」
     でもなかよくしたいと考えているのはいいことだ、アキがそう思っているならきっと仲良くできるよ。そう付け加えると、アキは晴れやかな顔で笑った。ただそれだけで気がかりが消えたのだろうか、思い出したように菓子の箱を開けて、中身を手のひらに取り出している。
    「おはなのかたちだー!」
     どうやら好みのデザインだったらしい。おもちゃのネックレスは真ん中に赤い石(といっても、プラスチックだろう)が嵌った花の形をしていた。早速首に通そうとするも、チェーンがアキの頭のリボンにひっかかっている。
    「レッスンのときには外すんだよ」
     リボンにひっかかったチェーンを指先で外してやりながら言うと、アキは「はぁい」と気のない返事をする。それを咎めることもないのだから、我ながら甘い……と、鷹久が苦笑を浮かべると、車がようやく動き出した。
    「ねえパパ、にあう?」
     アキは誇らしげに、ネックレスのかかった胸を反らせる。ネックレスと同じ赤のネックレスは、黒いワンピースによく合う。
    「ああ、世界一」
     まあそんなことはお構いなしに、目に入れても痛くないほどかわいい娘は何を身に着けても世界一だ。そんな感慨を込めた言葉を贈られて、アキはいっそう気をよくしている。

     赤い色を見ると、思いだすことがあった。
     あれは鷹久がまだ小学生だったころ。母を亡くして何年かの後に、この家にやってきた女性。その人が産んだ小さな命に初めて触れた日のこと。
     離れの一室を覗き込むと、産院から戻ったばかりの「弟」を抱いていた継母が、穏やかに微笑んで手招きする。庭から吹いてくる初秋の涼しい風に背を押されるようにして、鷹久は畳の上を静かに歩んだ。
     覗き込んだ腕の中には、信じられないほど小さいひとの姿があった。
    「触ってみる?」
     そう言われると触らないわけにはいかない気がして、鷹久はおずおずと手を伸ばす。触れると言ってもどこに触れればいいのだろうか。迷いながらゆっくりと近づいた指先は、赤い頬でも産毛のような髪でもなく、きゅっと握りしめられた小さな手に触れていた。
     産まれたばかりで、まだ目も開いていないのに、本当に小さいけれど爪がある。その気づきに感動したせいだったのかもしれない。どんなに小さくても一つの命としてそこにあることを思い知ったような気がして、鷹久は心が打ち震えたような気がした。
     その直後、外部からの刺激のためだろうか、赤子が手をもぞもぞと動かし始める。あ、と、思って鷹久は手を引っ込めようとしたのだが、咄嗟のことで行動が遅れたのだろう。
     指先が、捕まってしまった。
     どうしよう、と、頭の中が真っ白になる。なにしろこれは、初めての経験だった。赤ん坊の手は、鷹久が思っていたよりもずっと力強かった。それでも、振りほどこうと思えばできただろう。でも、しなかった。すれば弟を傷つけてしまいそうだと思ったから。
     どうしたらいいのかわからなかったし、今もその後自分がどうしたのか覚えていない。
     記憶に残っていることと言えば、離れの畳が西日に染まってやたらと眩しかったことと、「なかよくしてあげてね」という継母の言葉だけ。
     しかし果たして自分は、その言葉の通りにできているのか。まったく自信がない。

    「ねえねえ、パパも、レイジくんのこと、にがてなの?」
     なにせ娘からこんなことを言われる始末だ。鷹久は困ったように笑って肩をすくめる。
    「ああ、ずっと昔から、苦手なままだ」
     答えるまでもないことだろうけど、「苦手」という言葉を用いることについては、今だけは悪い気はしなかった。どうやら弟も同じように感じているらしい。それを知った鷹久の笑顔は、これまでのように強張ってはいなかった。

  • 17

    「それはある日の夕方のことだった……人気のない放課後の校舎をその生徒は歩いていた……クラスメイトはもちろん、教師たちもほとんどが帰宅しているような時間……廊下も壁も血のように赤い夕陽でべったりと染め上げれている……不気味すぎる光景に、生徒は早くその場から逃げ出したくなった、どうして忘れ物なんてしたのだろうと後悔してもどうしようもない……そしてそいつが廊下を曲がった瞬間! ……“ソレ”は姿を現した……ズル、ズルズル……そんな音をたてながら、下半身だけで移動する世にもおぞましい怪異が!今!そこに~~~!!」

     ――というのが、上杉の語った怪談だった。いや……よくよく思い出せば、あれは怪談とはとても言えない。なにしろ本人の性格と語り口のせいでまったく恐ろしくない上に、あまつさえ途中で噛んでいて、その場にいた桐島に至っては薄く微笑みながらも懸命に笑いをこらえていた。ちなみに上杉には桐島の努力はまったく伝わっていないようだった。もっとも、たとえ桐島が噴き出していたとしても、それはそれで“オイシイ”のだろう。
     ともかくそんな、一週間もすれば忘れてしまいそうなことを思い出したのには一応の理由がある。俺の目の前にある光景はその怪談モドキにある意味酷似しており、ある意味ではそれよりもずっと不可解だったからだ。

    「……⁉」
     時刻は正午を少し回ったところ。開け放たれたままの教室の窓からは湿気を含んだぬるい風とセミの鳴き声が入ってくる。三階の教室の外には視界を遮るものはほとんどなく、夏の午後らしい真っ白な雲がそびえているのがよく見えた。教室の引き戸を開けて中に入ろうとした俺がそれらの次に見たものは、這いつくばったような体勢の、人間の下半身だった。
     もちろん、ぶった切られた人体の一部とか、人形の類ではない。よくよく見れば上半身は無事に(?)つながっているし、単に並んだ机の影に隠れて一瞬見えなかっただけだとわかる。上杉の怪談モドキのせいで一瞬声を上げそうになった自分が少し情けなかった。
     だが、目の前の異常が人間だとはわかっても、その人物が――いや、あの暑苦しいルーズソックスは綾瀬だとすぐにわかるのだが――何をしているのかというのは結局わからない。何か目的があって床に這いつくばっているのは間違いないだろうが、その理由にはまったく見当がつかなかった。大体、俺の知る綾瀬優香という女子はああいう奇行に走るタイプではない。しかし、俺は綾瀬と特別親しいわけでもないので、俺が知らないだけで綾瀬には妙な習慣があるのかもしれない。……いや、ないだろう。親しくはないとしても去年から同じクラスの顔なじみなので、そのくらいは判断がつく。
     ともあれ俺も教室の入り口でただ突っ立っているわけにもいかない。よりによって窓側の自分の机から鞄を回収しなければ俺は帰れないのだから。しかしこの状況、何も言わずに入っていっていいものか、それとも「何をしているんだ」と声をかけてみるべきか。どう振舞ったものかわからないまま、なぜか「ドアを開けた時点で気づけよ」という八つ当たりめいた非難まで浮かびそうになる。
    「あれ? 城戸?」
     が、突如として体を起こした綾瀬がこちらに気づいたので、俺の混乱はその瞬間に無駄なものとなり果てた。
    「え~? いたなら言ってよびっくりすんじゃーん、てか城戸、アヤセのピアス見なかった? さっき落としちゃったことに気づいてさあ、もうマジ最悪なんですけど~教室になかったら廊下まで探すべきだと思う?」
     おまけに聞いてもいないのに状況説明入りの、これはなんだろうか、愚痴なのか質問なのか……まで聞かされる。だがおかげで事態の把握はできた。綾瀬が床に這いつくばっていたのは、落としたピアスを探すためだったわけだ。
    「ピアスっていうのは、いつもしてる銀色のやつか?」
     見覚えのある特徴を述べると、綾瀬は何故か驚いたような顔をする。
    「そうだけど、城戸、意外に見てるんだね」
     俺は怪訝な顔をするしかなかった。さっきは「アヤセのピアス見なかった?」と、まるで知り合い全員が自分の持ち物を把握していることを前提にしたような問いかけをしたというのに。いや、それはともかくとして、俺は少しだけ気まずさを感じた。「意外に見ている」というのはどういう意味だろうか。
    「なんか、あんま他人に興味ないと思ってた」
     綾瀬は立ち上がり、両手を叩きながら「ふは、」と笑った。よくわからない感情の動きとしか思えないが、どうも俺が気持ち悪がられているわけではないらしい。
    「……ピアスは見てねえな」
    「そっかー……だよね、アヤセもめっちゃ探したし……」
     綾瀬は誰かの机の上に腰かけてパタパタと手のひらで顔を仰いでいる。俺はといえば、どうしたものかとしばし悩んだ。用事でもあればそれを口実にこの場を後にできたのだが、どうにも俺という人間は方便であっても知り合いに嘘を言うのが苦手らしい。それに、あれだけ懸命に探そうとしているのを見た後に踵を返すのはためらわれた。
    「ピアスなんて小せえもの、そう簡単には見つからねえだろ……お前、教室以外にどこに行ったんだ?」
     時間はあるし、後味が悪いし、そういう消極的な理由からの発言だったが、綾瀬は俺が見たことのないような顔をした。感激と驚きと興奮が入り混じった、なんとも言い表しづらい表情だった。
    「え……えー⁉ なに⁉ いっしょに探してくれるの⁉ ウッソ城戸やさし~~! 知ってたけどね!」
     知ってたってなんだ。というかうるさい。俺も知ってたし再確認にすぎないが、この女は本当に四六時中うるさい。一瞬、協力を申し出た後悔に見舞われたが、撤回するのはさすがにサマにならない。
    「で、教室以外に行った場所は?」
     幾分うんざりしながら問いただすと、綾瀬はなぜか指折り数えつつ行動を思い返し始めた。
    「今日はぁ……えーとまず朝教室に入って、それから体育館。あ、校長先生の話聞きながらピアス触ったの覚えてるから、そんときまではなくしてなかった! そのあとトイレ行ってぇ、教室戻ろうかと思ったけど暑かったから図書室でちょっと休んで……そんで教室戻ってHRっしょ? で、帰ろうとしたらピアスないじゃん! って気づいた」
    「……そうか」
     あまり期待はしていなかったのでそこまで落胆もしなかったが、綾瀬の発言からは落とした場所を全く絞り込めないことしかわからない。もう一度教室の中にピアスが落ちていないことを確認して、俺たちは教室を出た。まずは綾瀬の行動順をなぞるように体育館へと向かう。その道すがらも綾瀬の口は閉じることを知らんとばかりにまくし立てるばかりだった。いくら登校日とは言っても夏休み真っ只中なのだから、今まで残っている生徒はほとんどいない。いるとしても運動場か体育館か、それぞれの部室くらいなものだろう。人気のない午後の廊下に綾瀬の声はよく響いた。何をそんなに話すことがあるのかと呆れるほどだったが、あれは沈黙で間がもたないのを避けるためだったのだろうか……いや、そういう気の回し方は、上杉はやっても綾瀬はしないだろうとは思うが――
    「――あ」
     唐突に綾瀬の足が止まる。つられて俺も立ち止まる。ピアスを見つけたわけでもなければ、何かを思い出したわけでもなさそうだった。綾瀬は廊下の窓の外を向いている。尖った小さな顎は、ようやく話すことをやめていた。
     視線の先は中庭だった。春秋の過ごしやすい季節にはここで談笑したり昼食をとる生徒も少なくないが、さすがに真夏の今は人影もない――いや、いた。女子二人と、彼女らに挟まれるようにして男子が一人、合計三人が中庭を横切って歩いている。いずれもよく見知った顔だった。もちろん綾瀬も知っている……どころか、親しい三人に違いない。だが、俺がそうであるように綾瀬もまた、あの三人に声をかけようとは到底思いつかないようだった。
     三人は傍から見れば仲睦まじげだった。それぞれ両手に本を何冊も抱えているから、どこかに運んでいる途中だろう。どういう状況なのかよくわからないが、三人のうち一人はよく図書室に出入りしているので、大方司書に用事を頼まれたのを残り二人が手伝っている……といったところか。まあ、あの三人はいわゆる三角関係なので俺の思いもよらない思惑も含まれているかもしれないが。
     三角関係、そういうわけでおいそれと声をかける気にもなれず、俺は三人が中庭を横切っていくのを黙って眺めていた。なんとなく気づかれたくない気がして、窓枠の外側に身を隠してしまう。綾瀬のほうは、何故か――眉間に皺を寄せていた。そこには嫌悪とか、怒りとか、そういう感情は見てとれない。ただどういうわけか、ひたすらに悲しそうな顔をしていた。
     悲しい? なぜ部外者の綾瀬がそんな顔を……?
     はっと気が付いてしまった。
    「……お前まさか、お前まで……?」
     ややこしい関係の当事者が三人から四人に? となるとそれは四角関係というのになるのか? いや、というか、綾瀬が? 本当に?
     どういう言葉をかけていいのかわからないまま、ただ綾瀬が苦しそうな顔をしている原因が”そう”なのかを確かめようとした。したのだが。
    「は? ――あ! 違うし! アヤセにはちょーかっこいい彼氏がいーまーすー! あん中に混じる気とかないし!」
     綾瀬は意味不明と言いたげな顔でこちらを向いて数秒、俺の言いたいことを理解すると、途端に泡を食って否定した。そういえば、他校に彼氏がいるというのはわりと最近、どこかで耳にしたような記憶があった。なので、綾瀬があの三人の中にそういう意図をもって割って入ることはない、それは間違いなさそうだった。
     では、なぜ綾瀬は自分のことのように悲しそうな顔をするのだろうか。だったらなんでそんな顔してんだと、聞いていいものか判断のつかない俺が口を開くより先に綾瀬は感情を垂れ流した。
    「マジでそーいうんじゃなくて! そうじゃないんだけど……だって、今は三人ともあーやって笑ってるけど、いつかは、園村か桐島か……じゃなかったら二人ともか、泣かないといけないわけじゃん? それってさ、つらいよね……もしどっちか一人だけが失恋ってことになったらさあ……うわ、それ考えたくない……大体アヤセ、そーなったらどんな顔して会えばいいワケ? って感じじゃん?」
     窓枠から身を乗り出して腕を外に垂らし、背中を丸めてぼそぼそとそんなことを言っている。
     中庭の三人はすでに姿を消していた。
     どうやら綾瀬は三人の行く末を案じてつらそうな顔をしていたらしい。ついでのように自分の立ち回りも案じているようだが、俺にはそれは、照れ隠しのように聞こえた。
     綾瀬の言うことには一理ある。あの三人が今の関係をずっと先の未来まで続けていくというのは、到底現実味がない。いつかはあの三人の関係も変わるし、それは決して後味のいいものでもないのかもしれない。
     しかし綾瀬優香という人間が他人のことでここまで思い悩む人間だったのかと思うと、少し意外だった。いや、意外というのも失礼なのかもしれない。綾瀬だって人並みに悩みもするだろう。それを表に出さないだけで。
    「今のまま、三人もあのまま、そんでみんなで遊んだりして、めっちゃ楽しいじゃん? そしたらさ、なんかずっと、このままでもいいんじゃないかなって……あ! やだ~! こんなメソメソしてたら百合子のこと言えた義理ないじゃんね!! ……って思ったらアヤセのプリチーな顔が曇っちゃったのよ」
     百合子という名前には聞き覚えがない。俺の知らない綾瀬の友人か、それとも芸能人か何かか。
     結局綾瀬が話しかけているのは俺なのか夏の空なのかわからんほどに、その発言は独り言めいていた。実際俺はただの一度も口を挟むことはなかったので、その場においては壁のようなものに過ぎなかっただろう。特に返事も相槌も求められなかったのは、俺にとっては幸いだった。
     綾瀬は大きく長い溜息を吐いた後、勝手に回復した。
    「ま、アヤセも高3の夏だし? ちょっとセンチメンタルジャーニーなワケ」
     照れ隠しのように額に指をやっている。とりあえず言いたいことはすべて吐き出したようで、表情はいつものような飄々としたものに戻っていた。
     センチメンタルなんとかはさっぱりだが、感傷に浸りたくなる気持ちはわからないでもなかった。あと1年も残っていない高校生活のことや、卒業後の進路を見据えてそれぞれに努力しているクラスメイトを見ていると俺だって焦燥感に駆られる。現に、先ほど進路指導室まで呼び出されていた俺もまた、このまま高校生活が続けばいいのに……という逃避を思い浮かべたのだから。
     いつまでも、このまま――甘ったるい感傷だ。
     ここ(エルミン)に転入してきたころは、こういう感情を自分が持つとは想像もしていなかったし、今も自分で「ウソだろう?」と言いたくなるときもある。一年前の自分が今の俺を知ったら「悪夢のようだ」と頭を抱えるかもしれないし、もっと遠い未来の俺があの頃を俺を「悪夢のようだ」と懐かしむ日も来るかもしれな、
    「城戸ってさ~モテるでしょ?」
     つくづく、綾瀬優香という女は、本当に何もかもが唐突だった。
    「……は?」
     いきなりなんだと軽く睨んでも意に介さず、結んだ髪の毛先を指にくるくると巻き付けている。
    「だってやさしいし? あと余計な事言わないし? 今のだってさ、例えば南条だったら絶対おせっきょーだし、稲葉は見当はずれの励ましとかしそうじゃん? 上杉? あいつ笑いとろうってのがミエミエ。よけーなこと言わずにそばにいてくれるのっていい男って思わない?」
    「男の俺に聞くのか、それを」
     綾瀬は、それもそうかと笑い飛ばした。
     ともかく、どうやらそれが綾瀬の男性観らしいが、
    「まあ城戸はアヤセの好みじゃないけど」
     俺は対象外のようだった。なんとなくほっとした。顔に出ていたのか、綾瀬は意地悪く目を細める。
    「ほら、そこで「おまえだって俺の好みじゃネーヨ」とか言わないっしょ?」
     綾瀬はまた笑った。笑顔に紛れて「好みじゃないけど何考えてるかくらいはわかるよー」と、言われたような気がした。
    「あ、そういう意味じゃモテモテのあいつと似てるよね。黙って話聞くの得意そう」
     それが誰を指しているのか、敢えて口に出す必要もなかった。
    「アイツか……」
     いや、似ていないと思う。もちろん綾瀬が今言っているのは、「余計なことを言わずに黙って話を聞く」という一点でのみ、俺とアイツが似ているというだけというのは理解している。だとしても、俺としては自分がアイツと似ているとは思えなかった。なにしろ根本的なところが違う。俺は何を言うべきなのかわからずに黙っているだけだが、アイツはそのときどう振舞うべきかわかった上で黙っていることのできる男だと思う。それは決定的な違いだと思うのだが、
    「ふーん? でも女の方からしたら、黙って話聞いてもらってるってことには変わんないじゃん?」
     結果が同じであれば、そこまでの経緯はどうでもいいらしい。つくづくよくわからない生き物だと思った。そのよくわからない生き物と、どうして俺はここにいるのだろう……と、見失っていた目的を思いだそうとしたとき、また別の見知った顔が階段の方から現れた。
    「ここにいたのか綾瀬……ん? 城戸? 珍しい組み合わせだな」
     珍しい組み合わせという評価は同意するが、俺としては南条が綾瀬を探していたという事実の方が珍しい。
    「げ、南条」
     別に綾瀬は南条を嫌っているわけではないと思う。綾瀬が顔をしかめた理由は、さっきの「南条だったら絶対おせっきょー云々」を言った矢先に本人が現れた気まずさのようなものだろうか。
     一方の南条はいつものように尊大な顔で呆れたように溜息を吐き、中指で眼鏡の位置を正している。見る人によっては傲岸不遜な人物と捉えられるだろうが、どうやら俺たちは「南条はそういうヤツだし」と流せる程度には慣れてしまったようだった。
    「“げ”、とはなんだ、聞き捨てならんな、そういうことを言うのならこれはよ……元の場所に戻しても構わんが?」
     南条が開いた手のひらには、銀色の小さいものが見える。
    「え? あー!アヤセのピアス!」
    「うるさっ……」
    「……貴様は自分の声量を客観視できんのか」
     この日一番の大声だったので、俺も南条ものけぞり気味に眉間に皺を寄せてしまった。よっぽど大事なものだったのか、綾瀬はキャーキャーとはしゃいだような声で、どこに落ちていたのかと南条に詰め寄っている。その答えは妙に歯切れが悪かったが、気になったのは俺だけらしい。やはり綾瀬はピアスが戻って来たという結果に満足するばかりで、南条がそれをどうやって見つけたのかという経緯はどうでもいいようだった。
     ともかく一件落着。俺は教室に鞄を取りに戻ろうとしたのだが、何故か綾瀬にシャツの袖を引っ張られる。
    「なんだ」
    「アヤセがお礼にアイスおごっちゃる!」
     なぜか綾瀬は誇らしげだった。表情はどうでもいいとして、その申し出は面倒だ、というのが正直な感想だ。
    「見つけたのは南条だろ」
     半ば押し付けるようなことを言うと、視界の端で南条が迷惑そうな顔をしたのが見えた。綾瀬は意に介さない。
    「そうだけど探すの手伝ってくれたのには変わりないじゃん? ねー渡り廊下の自販機に新しいの入ったってたまきが言ってたから行こ~!」
     よく見たら南条も袖を捉えられていた。綾瀬は上機嫌も上機嫌なのだろう、見つけた南条はともかく、何もしていない俺にも礼をしてくれるらしい。多分、礼。綾瀬自身がアイスを食べたいという欲求はまったく隠せていないが。
    「いや別にいらん。俺は帰る」
     心底面倒そうな顔の南条の気持ちもわからんでもない。アイスを食べている間、綾瀬はあの甲高い声で、俺たちにとってはどうでもいいことをしゃべり続けるに違いないのだから。それはまあ、面倒には間違いないのだが、無下にするのも綾瀬に悪いというものだろう。
     それに、面倒だと思うことと、嫌だと思うことはまったく別だ。
    「南条、そう言わずに、付き合えよ」
     南条は――よっぽど驚いたのだろう、珍しく口をあんぐりと空けていた。しかし御曹司に似つかわしくない表情はそう長くは続かず、何か唸るような声(?)を出した後、黙ってうなずいた。
    「よーし! じゃ行こ! 何味にしよっかな~」
     スキップしそうな足取りで綾瀬は階段へと向かっていく。その後ろを、俺と南条はやや緩慢な歩みで追いかけた。
    「どこで拾ったんだ?」
     綾瀬に聞こえないように声を落として尋ねると、南条は「む」と一瞬眉を寄せる。何か言えない事情でもあるのかと思えば、そうではないらしい。
    「敏いな……いや、実は俺が拾ったのではない。横内が拾ったらしいが、届けてくれと頼まれた」
    「ああ……」
     さすがに、理解した。横内は大人しい性格でさほど目立つこともなく、俺も話したことすらないのだが、綾瀬に想いを寄せているにも関わらずその綾瀬から気の毒なほど毛嫌いされているということだけは知っている。託された南条も一旦は「お前が届けるべきなのでは」と促したものの「僕が返しても、綾瀬さんは嫌だろうから……というかさすがに何度も罵られたくはないし……」と、横内は遠い目をしたという。恋は盲目という言葉があるが、そろそろ横内も光を取り戻しつつあるのかもしれない。
    「どこがいいのか俺にはさっぱりわからんが……ままならんものなのだろうな」
     南条の言葉は辛辣でもあり、同時に他人の感情は尊重すべきだという意志を感じさせた。
    「何を笑う、城戸」
     南条に軽く睨まれる。どうやら顔に出ていたらしい。
    「いや、一年くらい前のお前なら、「綾瀬のどこがいいのかさっぱりわからん」で切り捨てるだけだっただろうに、変わったな、と思っただけだ」
     南条は一瞬悔しそうな顔で言葉に詰まった。別に言い負かそうというつもりでもなかったが、南条は宣戦布告とでも受け止めたのか、なぜか俺に反撃してくる。
    「変わったというならお前のほうがよっぽどだな。一年前のお前なら綾瀬の提案など蹴っているだろうに」
     自覚していなかったわけではない。ただ、南条から見てもそうなのかと思うと、なんとなく気恥ずかしいような気がしただけだ。
    「……そうかもな」
     言いたいことはわかる。俺だって珍しいと思う。アイスが食べたかったわけではないし、断って綾瀬の機嫌を損ねてしまっては……なんてことも考えてはいなかった。
     ただ、そんな日もあっていいような気がしただけだった。
    「ちょっと二人ともおーそーいー!」
     階下から綾瀬が叫んでいる。相変わらずやかましい。これ以上やかましくなられても困るので、俺たちは歩みを速めた。
    多分――残り少ない夏の日に、なんということもない思い出を残したかったのかもしれない。17歳の俺は、いつかどこかの遠い未来で「あれはなんだったんだろうな」と笑える記憶が、一つ増えることをよしとしたのだろう。
     腕組みした綾瀬と、1時には帰るからなと宣言する南条。よくわからない組み合わせで、綾瀬が選んだよくわからない味のアイスを食べて、中身のない話を続ける。一つだけ収穫があるとすれば、百合子の正体だけだったが、きっと百合子という名前を俺はすぐに忘れてしまうだろう。
     反面、渡り廊下の木陰から見た空の色は忘れられないほどに鮮やかだった。甘ったるいアイスの赤が、よく映える夏だった。
     

  • きもだめし

     においだったのか音だったのか、とにかく、きっかけというのは本当に、なんということもない。それがきっかけだったということすら認識できないまま、いつか見た光景が色鮮やかによみがえる。
     生い茂る黄色い花の群れ、淡い光を通すステンドグラスの窓、二度と動かない鳩時計、そして翻る白いスカートの裾――それらを見たのはまだずっと幼いころ。迷い込んだ人気のない廃墟でのことだった……と、思う。確証が持てない。というより、それが事実であってはならないという警告を含んだ違和感が俺の中でどんどん膨れ上がっていく。
     御影町の古い館は、中から女のすすり泣く声が聞こえるので幽霊屋敷と呼ばれている。こんなものは俺たちの世界には、なかった。なかったはずだ。
    (いいや、幽霊屋敷はあった。セベクの真新しいビルが建つ前、あの場所は確かに廃墟だった。)
     そうだ。知っているはずだ。何度も忍び込んで遊んでいた。けれど一度だけ、説明のつかないことがあったのを思い出した。
    「……全然違う場所だったんだ、あれは」
    俺はこの場所を知っている。ずっと前から、ずっと昔、まだ子供だったころから。たった一度だけ足を踏み入れてしまった、幽霊屋敷じゃない幽霊屋敷のことを、俺は知っている。
    「――稲葉君?」
     先を進む仲間たちの顔が、輪郭が、うっすらと霞んでいく。
     埃っぽいにおいが薄れて、春の日差しで視界が白くなっていく。

     ここがどこなのか、俺は確かには答えられなかった。
     なぜなら。
     あのとき俺が迷い込んだ朽ちた洋館と、この幽霊屋敷はひどく――似ている。

        §

    「……めずらしいね、あんたがそんなもの読むなんて」
     顔を挙げると、黛が興味津々な視線を俺の手元によこしていた。机の上にひろげられた「そんなもの」というのは、物理の教科書のことだった。
    「べっつに……気まぐれだよ」
     黛は、バカが何読んでんだとは思っていないだろうが、なんとなくかっこ悪い気がして教科書を閉じてしまう。どのみち、ろくな情報は得られなかったから教科書にはもう用事はなかった。あと半月もすれば冬休み、期末試験も終わった昼休みに教科書を開いているのはクラスの中では俺くらいだった。
    「ふうん? まあ、いいか。それより稲葉、英語のプリント出してないだろ?」
     黛は黒いバインダーを持っていた。中には生徒から回収したプリントが挟まっているらしい。プリント、プリントね……。
    「提出するような課題とかあったっけ?」
     黛はニコリともしない。
    「あったよ」
    「知らねぇなー」
    「あんたが知らなくても事実として存在してるんだよ」
     やりそびれたならさっさとやって出しな。黛はそれだけ言い残すとアヤセの席に向かっていった。
     黛の呆れた声が、何故かひっかかる。
     例えば、俺が知らないだけで実際は起こっている事件があるように、思い出していなくても確かに起こった出来事というのは、あるんじゃないか?
     そして正反対に、実際には起こっていないのに、なぜか事実として記憶してしまっていることもあるんじゃないか?

        §

    「……それは何か? タイムトラベルとかタイムトリップとか、そういう荒唐無稽な現象のことを言っているのか?」
     想像はしていたので、南条に渋い顔をされても特にムカつくことはなかった。放課後の教室からは、重苦しい灰色をした分厚い雲が見える。
     迎えの車が事故渋滞にはまったとかで教室で待ちぼうけしている南条を捕まえて、俺は自分の疑問をぶつけた。少し前だったら、南条は「何を馬鹿なことを」と取り合うこともしなかっただろうし、俺だって南条に尋ねる気にもならなかったと思う。けれど、あの一連の事件にともに巻き込まれてしまったことが、あらゆる意味で俺の背中を押した。
     南条も”あの”幽霊屋敷のことはもちろん覚えていた。でも、俺が小学生の頃にそこに入った記憶があると言うと、さすがに俺の言ってることが意味不明、みたいな顔つきになって「入った記憶があるのは当然じゃないのか? 自分でも言っていただろうが、子供の頃に遊んでいたと」と、もっともなことを言う。まあ、そういう反応をされるのはわかっていた。だから南条の誤解というか思い込みを解くために、俺はできる限りの説明をした。
     園村の世界の幽霊屋敷は、現実世界にあった幽霊屋敷とはまったく別だったことと、その別物のはずの幽霊屋敷に、ガキのころの俺が迷い込んだ記憶があること。
     それでも南条は「単なる記憶違いじゃないか」と突っぱねるんじゃないか、と、いう不安は的中した。南条は予想していた通り「荒唐無稽」なんて言い出したのだが、
    「……お前が荒唐無稽って言うんなら、ありえない話なんだよな」
    「そうとも限らんだろう」
     言ったそばから否定する。さすがに意味が分からなかった。
    「は?」
    「デヴァ・システムは、俺の知っている――というか、大多数の物理学者が信じている20世紀の物理学の常識から逸脱しているものだ。無論俺もデヴァ・システムの仔細を把握しているわけではないが、根本的なところでそもそも、物質の即時空間転移を単純なエネルギー量の過多で解決できるとは到底……」
     俺が眉間に皺を寄せると、南条は眉を吊り上げた。俺が「理解不能」な顔をしていることに気づき、
    「つまり、常識で測れないものなのだから、非常識なことが起こってもおかしくはないんじゃないか」
     と、要約してくれる。
     確かに。現に、デヴァ・システムは園村の意識と結びつくなどということが起きたのだから。南条ですら説明ができないほど突拍子もないことらしい。ちなみに俺は、物理の教科書を捲っても何が関係ある分野なのかすらわからなかった。そして多分南条よりも詳しい専門家も、どれだけ考えても「信じられない」という結論を下すのかもしれない。
    「だから稲葉、デヴァ・システムが十年前の御影町につながった可能性は――少なくとも俺には否定できん」
    「じゃ、じゃあつまり、ガキのころの俺が、あの幽霊屋敷に入っちまったかもってのは、ありえるんだな⁉」
     南条がそう言うなら、間違いないんじゃないか。興奮気味の俺に食い掛られて、南条は一歩後退する。
    「結論を急ぐな。可能性がある、ということと、それが実際に起こったかどうかはまったく別の話だ」
     すぐには理解できなくて、十秒ほどかけて南条の言葉をかみ砕く。
     つまり……できるできないの話と、やるかやらないかの話は違う、できるけどやらないことがあるように……ってことか?
     南条は呆れ気味に「まあ、そういうことだな」と頷く。
    「じゃあ、結局俺は、夢でも見てたのかもしれないってことなのか?」
     口をへの字に曲げた南条は、面倒そうに、それでもたっぷり数十秒は考えたあとに、こう絞り出した。
    「わからん。単なるデジャヴかもしれんしな」
    「なるほどな……デジャヴって何?」
    「……デジャヴとはつまり――」
     俺の疑問に答えた南条は、それからしばらくすると迎えの車が到着したからと言って帰っていった。
     俺はすぐに帰る気にはなれず、しばらく冬の町を見ていた。
     はらはらと雪が降ってくる。ああ、どうりで寒いのか。
    「俺も帰るか……」
     独り言は、空っぽの教室に嫌なほど響いた。
     まだ夕方とも呼べないような時間、静まり返った校舎が少し恐ろしくて、俺は足早に外に出る。雪が本降りになる前にと思っていたはずなのに、学校の外には雪など影も形も見えなかった。

        §

    「あ、稲葉君」
     呼びかけられて、ぎくりとした。落ち着いたやや低い声に振り返るまでもなく、相手の顔が思い浮かぶ。
    「こ……こんちは」
     園村のおふくろさんだった。御影総合病院に入院する娘のため、今日も大きなバッグを抱えている。
    「いつもお見舞い、ありがとうね」
    「いえ、俺にはこんくらいしかできないっすから……」
     それにその見舞いは園村のためというより俺自身のためでしかないし、そんなことはおばさんには筒抜けかもしれないが、それはこの際どうだっていい。
     なんとなく二人並んで園村の病室へ向かっている、その間おばさんは何か話しかけてくれていた。
     俺はおばさんの顔をよく見ることができなかった。ギクッとしたのも、声をかけられたのからじゃない。
     今日俺は、ここに来るつもりはなかった。
     なのに、どうしてここにいるのだろう。無意識に足を運んでしまうほど園村に会いたかったのか。それは可能性として否定できないのがちょっと情けない。けど、今はもう一つ思い当る理由があった。
     おばさんは、セベクに勤めていた。ただ勤めていただけじゃなく、デヴァ・システムの開発に、それもかなり深いところまでかかわっていた。
     南条がわからなくても、おばさんならわかるんじゃないか?
     俺は多分、頭のどこかでそんなことを考えていたのだろう。ぶつけるべき質問は、すらすらと頭に浮かんだ。

     デヴァ・システムが作った園村の世界に、十年前の俺が迷い込む可能性はありますか?

    「――あ、すんません! 俺ちょっと忘れ物したみたいで! 今日は帰ります!」
     開きかけた口から出てきたのは、言い訳めいた逃げの一手だった。
    「え? あ、稲葉君?」
     唐突に立ち止まった俺に、おばさんは当然驚いている。一瞬だけ見えたその顔に申し訳なさを感じつつ、俺は足早に病院を後にした。

     聞けなかった。そんなバカみたいな質問をすることが恥ずかしかったのもあるが、おばさんにデヴァ・システムのことを聞いてはいけないと思ったからだった。
     娘が、園村がデヴァ・システムと同調してしまったこと、その原因は娘にあまりかまってやれなかった自分にもあるとおばさんはいつかこぼしていた。いい記憶じゃないに決まってる。それに今、回復しつつある園村とおばさんはやっと仲のいい母子に戻りつつある。俺の変な質問で、水を差す気には到底、なれなかった。

        §

     総合病院を出て、大通りをまっすぐに歩く。角を曲がった先、背の高いビルが建つ前は崩壊寸前の廃墟があった。それが、俺のよく知る幽霊屋敷だった。そして園村も、よく知っているはずだった。
    ――麻希が小さい頃、よく幽霊屋敷で迷子になって探しにきたの。
     おばさんはそう言ってた。だとすると、俺と園村が子供の頃に出会っていた可能性はゼロではないと思うし、俺が十年の時を遡って園村と出会うなんて話よりは断然信憑性がある、と思う。それが本当なら、なんで覚えてないんだと自分を殴りたくもなるが。
     けど、俺はその「一番信憑性のある仮説」を信じられなかった。
    「なんでだろうな……」
     首を反らせて上を見る。セベクビルは、今も御影町にそびえている。あの事件の前からなんとなく人を寄せ付けない雰囲気があったが、今は門のところに制服の警察官が目を光らせているので、わかりやすく人を寄せ付けていない。警官が配備されているのは、中で調査を行っているという名目らしい。本当のところは分かったもんじゃねえよな、と、何日か前に城戸がぼやいていた。
    「……」
     親父くらいの歳の警察官ににらまれたような気がして、俺はセベクビルから少し離れる。セベクの敷地と街を隔てる塀には、「近隣住民の皆様へ」から始まる看板が打ち付けられていた。同じ文面は紙に刷られて御影町の全世帯に配られているので読んだことはあるが、なんとなくもう一度目を通してしまった。
     先月に発生した事件の原因はセベクにもあるが、それはあくまで御影支社内での不祥事に過ぎないということ。セベク本体と、佐伯グループは原因究明のために調査をしており、御影町の住民に対しては被害の補償をする準備があること。またセベク御影支社は解散するが、残されたビルと敷地については町も交えて協議中であること……。
     堅くて回りくどい文章はかいつまんでいうと、そういう内容だった。結局今の時点では何もはっきりしていないし決まっていない。大体、調査中とは言うけれど、あの事件の真相を世間に公表したところでどれだけの人が信じるのだろうか。セベクが開発した機械は一人の女の子の意識と融合して、もう一つの世界を作ってしまったなんて話を。
    「信じるわけねーよな、悪魔が街にあふれて、俺らはそいつらと戦ったんだぜ、なんて」
     言ったところで夢でも見てたと笑われるに違いない。いつだったか、桐島は「そうですわね……最悪の場合(if worst)、私たちはSEBECの化学兵器のせいで幻覚を見ていたと判断されて病院や実験施設に監禁されるかもしれませんわ!」なんて、冗談なのか本気なのかわからないことまで言っていた。でも、その可能性は否定できない。俺たちが巻き込まれたのは、それくらい現実味のない出来事だった。もし俺があの一連の出来事に巻き込まれていなくて、誰かからそんな話を聞いたとしたら「夢でも見てたんだろ」と切り捨てるに違いない。
     けれど十年前の俺が体験したはずのあの出来事も、今となっては現実だったと断言するのが不安になってきた。
     なにせセベクの件と違って、当事者は俺一人。俺以外に証明する誰かがいないから、俺は記憶に確信が持てない。
     足元には、街路樹から落ちた枯れ葉が積もっている。掃除をする人手も暇も、今のセベク御影支社にはないのだろう。踏みしめると、乾いた音がした。昔どこかでまだ青い草むらを、こうして踏みわけたことがある。

        §

     幽霊屋敷の前で俺は首を傾げる。いつもと同じ場所のはずなのに、何かが違うとしか思えなかった。
     目の前には大きな門があって、両開きの片側は外に向かってわずかに開いている。門の向こうには草が生い茂り、さらに向こうには到底人が住んでいるとは思えないほど古い館が遺されていた。それでも不気味さを感じなかったのは、春先のあたたかい空気と、目にも鮮やかな黄色い花が咲き乱れていたからだろう。
     俺は門の隙間に体を滑らせる。どうしてそんなことをしたのかというと――どうしてだろう?

     見失ったサッカーボールがこの中に入っていった気がする。
     小学校の帰り道に、いつもかわいがっていた野良猫がこの中に迷い込んでいった気がする。
     今、館の二階の窓辺で、白い影が揺れた気がする。

     そのどれもが正しく、同時に間違っている。
     こういうのを「導かれるように」、と言うのだろうか。俺はただ「そうしなければ」という思いだけで、軋んだ重い扉を押した。

        §

    「見たこともないくらい鮮やかな緑と青だった。遠くには山影が見えて、敷き詰められたって言葉がしっくりくるくらい、草むら……あれは今考えたら、水田の若い稲だったのかもしれない。それが風で時々揺れるんだ。なんとなく、今は夏だな、と思った。でも暑くはない。目を閉じたらこのまま眠ってしまえそうなほど心地よかった。けどそれももったいないような気がするくらいの、ああいうのを絶景って言うんだろうな、いい眺めだったんだ。山に向かって走っていくのも悪くないと思えたし、どこからか水の流れる音も聞こえたから、川があるのか、どこにあるんだろうって、探しに行きたい気持ちもあった。でも俺は、動けなかった。ふと誰かに見られているような気がして不安になって。そういえばここは、四方を山に囲まれていることに気が付いた。馴染みのない地形だから、不安に思ったのかもしれない。そんなに高い山でもないのに、ぐるりと囲まれてるとまるで閉じ込められたような気分だったよ。なんだか息苦しくなってしまって、俺は顔を上げた。誰かに見られていた感覚の正体がわかった。巨大な顔が俺を真上から見下ろしていた。ちょうど、模型の街を眺めている人のようだった。なあんだ、と、思った。見下ろしているのは俺で、その俺を見上げているのも俺だ。それで、気づいたんだ。気づいたというか、思いだしたと言ったほうが近いかな。ああ、俺は今箱庭の夢を見ているのだ、と――」
     遠いところから声が聞こえる。
     これ、誰の話だったっけ? 知っているのに思いだせない歯がゆさで手のひらを強く握ってしまう。
     声がさらに遠くなっていく。
     ああ、園村、そいつばかりじゃなくて、俺の話も聞いてくれよ――

        §

     屋敷の中は荒れ果てていた。外から見ても察しが付いていたので別に驚くことはなかった。ただ、自分の家とは全然違う造りの洋館は目新しくて正直ワクワクしたし、不意に顔にかかる蜘蛛の巣とか、歩くたびにやたらと響く床のきしみは、恐怖よりも楽しさを俺に提供してくれた。探検とか、冒険とか、ガキのころはそういう遊びに夢中だった。だから何度も幽霊屋敷に忍び込んだ。危険も顧みずに。
     薄暗い通路がどこまでも続いていた。だまし絵みたいだな、と感じたのはどうしてかわからない。出口がないとか、見つけられないとか、そういう恐怖感が無意識にあったのだろうか。
     いや、怖くはなかった。だって一人ではなかったから。
    「たいへん、こんなところにきちゃったのね」
     舞い上がった埃が日差しに照らされてキラキラしている。妖精の森に迷い込んだら、こんなふうだろうか。絵本か何かで目にした場面を思い浮かべて、あれ、と立ち止まる。
    「まよいこんでしまったら、きもちがちぐはぐになってしまうんだから」
     絵本じゃなかったような気がする。誰かがそんな話を聞かせてくれた。親でもなくて、先生でもなくて、あれは同い年くらいの女の子だったはずなのに、あの子の顔も名前も思いだせない。
    「いそいで、とじこめられるまえに、にげださなきゃ!」
     今俺の手を引いてくれている、白い服を着たこの子の顔が、全然わからないのと同じように。

        §

    「むかしむかし、あるところに男が暮らしていました。男は年老いた母と二人、山のふもとの村はずれに住んでいました。男は山に入って動物を狩り、村で作物と交換してもらいます。その日も男は山で罠を仕掛けていました。冬が訪れる前に少しでも多くの獲物をしとめたかったので、いつもより広い範囲に罠を仕掛けることにしました。そのためでしょうか、男はいつの間にか、普段よりも遠い場所まで来てしまったようでした。後ろを振り返っても、自分が確かに歩いてきたはずの山道すら、影も形もありません。周りは見たこともない形の木ばかりでした。でも、わずかに小鳥や小さな動物の気配がしたので、男は特別怖いとは思いませんでした。自分の他に生き物がいるというのは、男にとって心強いことでした。男は悩みましたが、山道を登っていくことにしました。山で迷ったときは、上を目指せ。死んだ父親から教えられたことを思い出したからです。ここがいつも登っている山なのか、その隣の山なのか、それもよくわからないことでしたが、男は山道を踏みしめ踏みしめ、頂上へと急ぎました。そのうち木々の落とす影は淡くなり、景色が開けていきます。するとどういうことでしょう。あたりは見渡す限り満開の桜でした。信じられないほど美しい世界はとてもこの世のものとは思えませんでした。男は、これはまずいことだと感じました。知らぬうちに、神聖な場所に足を踏み入れてしまったのだと理解しました。男は心の中で何度も祈りました。許してください、ここに入るつもりはなかったのです、どうか自分をもとの世界に戻してください。何度念じたころでしょうか、山の神様にそれが通じたのか、男の耳に懐かしい声が聞こえてきました。おおい、おおーい、と、遠くから誰かが手を振っています。それは母のようでもあり、死んだ父にも見え、いずれ添い遂げるだろう愛しい女ではないかとすら思えました。男はその声に向かって駆けだします。落ちた桜の花びらを舞い上げて、青い夏草を踏みしめて。気が付いたら秋の枯野に膝をついていました。とてつもなく長い距離を走って来たのかというほど、男の息は上がっていました。周りの景色は、男がよく知っている山の風景です。足元には男が仕掛けた罠がありました。一羽の兎がそれにかかって死んでいました。男は途端に申し訳ないような、何かに感謝しなければならないような気持ちになって、深い深い青をした、秋の空を仰いだのでした。」

        §

     弾けたような音で我に返る。目の前をゆらゆら揺れているのは、白い手のひらだった。
    「稲葉君、どうしたの? 大丈夫?」
     赤いリボンで髪を飾った園村が、俺の顔を覗き込んでいる。心配そうに。唐突に近いところに顔が現れたので、俺の頭からそれまでのことが吹き飛んだ。
    「な――んでもねえよ」
     そう、なんでもない。結局気にするほどもないほど些細なひっかかりなのだから、気にするだけ無駄なんだ。
    「そう……? ん、じゃあ、行こ?」
     微笑む園村は踵を軸にするようにくるりと身をひるがえして、先で立ち止まる仲間の元へ歩いていく。そうだ、幽霊屋敷の中に足を踏み入れたばかりだった。違和感は俺の思い過ごしだ。病院だって作りが変わってたんだから、幽霊屋敷に同じことがあってもおかしくない。大体、俺の記憶だってそれほどあてになるものかと聞かれると、まあ自信はないし。
    「――おう!」
     両手で頬を叩いて気合を入れなおし、俺は一歩踏み出そうとして――できなかった。前を歩く園村のスカートが風を受けたカーテンのように揺れる、その光景が、同じように屋敷の奥へ駆けて行った女の子のことを思い出させた。
     思いだす? 今、目の前に、走り去るあの子がいるのに?
    「■■■■■?」
     園村の姿も声も何重にも重なっている。
     恐怖感はない。ただ不安なだけ。ここがいつでどこなのか、俺はよくわからなくて、立っている場所を見失いそうになる。
     靴の下で乾いた音がした。枯れ草だ、落ち葉だ、いいや朽ち果てた屋敷の床だ。わかっているのに思い浮かぶ光景は違う。
     幽霊屋敷は今日も陽だまりの中で、静かで、標本のような骸骨が、俺の足元で笑っている――

        §

    「稲葉君!」
     光が弾けて、俺は声がした方を向く。
    「どうしたの? どこか具合悪い?」
     園村が大きな目を丸くしていた。
     ここは御影総合病院の、園村が入院している病室。壁掛の時計は規則正しい秒針の音を刻んでいる。
     淡いピンクのカーディガンを羽織った園村は、窓のそばから俺を見ていた。きっと外を眺めていたのだろう、ああ、そうだった、思いだした。ここ最近は中庭を散歩できるくらいに調子がいいこと、もしかしたら年末は一時帰宅できるかもしれないことを園村は俺に聞かせてくれた。多分、俺の相槌がなくなったから、園村は不思議に思って振り返ったんだ。
     黙り込んだままの俺と、わずかに首をかしげて見つめている園村の、視線がまともにぶつかってしまう。それがどういう意図であれ、今この一瞬、園村が見ているのは俺だけ。園村の意識の中にあるのは、俺一人だけ。
     その瞬間、どうしようもないほどの衝動で、息が詰まった。

     なあ、園村。俺はずっと昔、ガキのころに、幽霊屋敷で園村に出会った気がするんだ。そんなわけないよな、俺だってそう思う。でも、俺の手を引いてあの屋敷から連れ出してくれたあの子は、園村だった気がするんだ。園村には、ないか? そんな記憶、っていうか、思い出が――

     「や、なんでもない」
     俺は首を横に振って、心配をかけたことを詫びた。丸椅子の縁を掴む指に無意識に力が入っていた。一体どれくらいそうしていたのか思い出せないけど、瞬きするくらいのことだろう。俺はそのわずかな数秒にこぼれ出そうな問いかけの言葉を懸命に飲み込んだ。
     否定的な答えが聞きたくなかったのも、変な質問で怪訝な顔をされたくなかったのも事実だ。けどそれ以上に、俺は園村の笑顔を曇らせたくはなかった。せっかく病状が回復して、明るい話題も出てきているのを台無しにしたくはなかった。
    「本当? 最近風邪でお休みする人が多いって、ゆきのが言ってたから、稲葉君も気を付けてね?」
     誤魔化せているのかはわからないけど、園村は深く尋ねようとはしなかった。俺の中に湧いて出たのは、追及されなくてほっとしたような、深く聞きたいほどの関心がないことを知って少し残念なような、我ながらどうしようもない感情だった。
    「おう。俺は平気だよ、ホラ、バカは風邪ひかねえって言うだろ?」
     握りこぶしを見せると、園村は困ったように笑った。わずかな罪悪感が胸を刺す。
    「……ま、でも心配してくれてありがとうな。万が一俺が風邪ひいてて、園村にうつしちまうわけにはいかねえから、今日は帰るわ」
     立ち上がると、園村はやっぱり気にかけるような表情を浮かべてくれた。優しい顔、俺が焦がれた静かなまなざし。
     いつか俺は、今日の疑問を園村にぶつけることができるだろうか。いや、俺にそんな度胸ができる頃には、俺はあのあやふやな記憶をきれいさっぱり忘れてしまう気がした。
     それに、できなくてもいいのかもしれない。俺が見ているのは幽霊屋敷の白い影でもなく、園村の心から生じた小さな女の子でもない。過去に出会っていようがいまいが、園村と俺はこうして出会って言葉を交わしているのだから。
     ずっとこの感情を持ち続けることができなかったとしても、後悔はしないと思った。
     扉は軽やかで、大した力をこめなくても片手で滑るように開いていく。まるで小さな影が走り抜けていくように。
    「またね、稲葉君」
     ひらひらと手を振る園村を振り返る。窓から差し込む夕日で、園村の輪郭が橙色に揺らいでいた。冬の黄昏時は、美しいものをより美しく見せるらしい。
    「おう、またな、園村」
     よく見ると窓辺のテーブルの上には花瓶が乗っている。
     生けられた花の色は、春を先取りしたような鮮やかな黄色だった。

  • 南条圭は後ろの席で

    「――徳田」
     雑踏の中で名を呼ばれることは、俺にとっては珍しくないことだった。
     俗に言う「顔が広い」というやつらしく、自慢じゃないが俺には声をかけてくる友人やら顔見知りやらがごまんといる。声をかけてくる大半の真意がどんなものかはあまり考えたくはないのだが。
     だから振り返るときに何を考えていたわけでもない。しかし振り返りながらわずかな違和感が浮かび上がる。
     俺はこの声に馴染みがないが、この声をよく知っている。
     二十二時の繁華街。ネオンライトが尾を引くように視界でぶれる。振り返った先の人物がかけている眼鏡も、判然としない色の光を鈍く反射させていた。
    「――南条」
     かれこれ五年ぶりだというのに、そこに立っているのが南条圭であることを俺は一瞬で理解した。「1」と刺繍された青いスカーフ、きっちりと後ろに撫でつけられた髪。こんな格好の人間が世の中に二人といてたまるものか。
    南条圭は変わっていなかった。中学の頃とまったく同じだった。この男はこのスタイルでこの世に生まれ落ちたのでは――なんて、ばかげた想像をしてしまうほどには。

       §

     俺と南条圭が通っていた中学というのは、幼稚園から大学までいわゆるエスカレーター式に進学が確約されている、世間でいうところの「名門」だった。例外として途中で外部から受験した生徒が入ってきたり、逆に内部進学をせずに受験して出ていく生徒がいたり、あとは「名門」らしからぬ所業をやらかした結果体よく追い出される……そういうレアケースもなくはないが、おおむね互いをよく知り尽くした子供たちがそのまま十年以上を過ごす環境だった。十数年後を見越してつながりを作っておきましょう、みたいな、ガキらしからぬ慣習が蔓延っている魔窟とも言う。
     そこに通っているのは名の知れた家柄か、まあそうでなくてもひとかどの成功をおさめた資産家の子女ばかりだったが、その中でも南条圭は突出していた。南条コンツェルンの看板は、そんじょそこらの家が太刀打ちできるものではない。おまけに南条圭は時期総帥が約束されている一粒種だ。俺みたいな能天気な次男坊は逆立ちしても張り合えない(言うまでもなく、そんな気は起らないのだが)。
     しかしその『稀に見るほど特殊な生まれ』という、本人の自助努力ではどうにもならないもののせいで南条は学生生活に難儀していた。少なくとも俺にはそう見えた。敏い南条は近寄ってくる人間が何を目的にしているのかを概ね見抜いていたのだと思う。
     通っている学校が学校なら、親も親だ。『南条家とお近づきに』と親から言い含められてそうしていた子もいただろうし、小賢しく立ち回ることを覚えた早熟な子供がすり寄っていくパターンも――聞いた話では――あったらしい。そんな毎日は南条じゃなくてもうんざりするし、心労はいかばかりの物かとも思う。
     その惨憺たる環境の中でも純粋に南条と仲良くなろうとした子供もいたかもしれない。けれど小学生なんて年頃は、他人の腹の内なんてものがわかる歳でもないし、いくら南条圭でもそのあたりは年相応だったのだろう。南条の対応は潔いものだった。よく言えば一律公平で、悪く言うなら自分とそれ以外をきっぱりと区別していた。
     結果として、南条は孤立した。と言っても、なんとなく遠巻きにされていた程度のもので、最低限のコミュニケーションはとれていた。たまに口喧嘩というか、南条に言い負かされるやつもいなくはなかったが、それは大抵、くだらない揶揄や嫉妬の軽口といった、相手に非があるものだった。子供ながらに泰然としていた南条は、売られた喧嘩を買うことはあっても淡々と口で言い負かすだけだった。あいつは殴り合いの喧嘩とかしたことあるんだろうか? というか、なりふり構わず掴みかかってくれる相手が、あいつにはいたんだろうか。
     俺の知る限りでは、いなかった。
     俺は南条とは特別仲がよかったわけではない。同じクラスになったことは数回あるが、話したことなんてほとんどない。というか俺に限らず、南条と仲がよかった『ご学友』なんて多分いなかった。少なくとも南条は誰かを『友人』と認めたことはなかっただろうし、我こそは南条の友人なんて言おうものなら当の南条本人がバッサリそれを切り捨てたに違いない。
     頂点に立つ者は孤高であるべき、なんてことを義務教育の時期に考えていたのかは知る由もないけれど、俺の知る南条はいつも一人で、子供に似つかわしくない険しい目をしていた。

     最後に同じクラスになったのは中学三年に進学してからだった。
     その年頃と言えばクラスメイトの青少年諸君は反抗期真っただ中。目に見える問題行動はなかったものの、誰もが家や学校に対してのかわいらしい煩悶を抱えていたように思う。
     あの南条圭もそうだった。あいつが家でどうしているかなんて俺は知らないけど、教室の机についているとき、南条は目に見えてピリピリしていた。ただ、南条は元来機嫌のいいときの方が少ないというかない男なので、大半のクラスメイトの認識は「南条はいつも仏頂面だから」という勘違いで完結していた。南条圭十五歳の不機嫌を察知してビビッていたのは俺くらいだった。徳田と南条。五十音順の出席番号を根拠とする席並びは、俺に背後からの威圧感をプレゼントしてくれた。別に俺に対する悪意ではないが、ないからこそ、なんで南条圭がこうもささくれているのかしばらく俺にはわからなかった。わからないながらも、そこにひりついた意志があることに気づいてしまう自分の性分を誇ればいいのか呪うべきなのか。
     ただ結論から先に言うと、俺の中学生活はまったく、なんらの波乱もなしに平穏無事に終了する。
     反抗期とはいえ南条が暴れることなどただの一度もなかった。まるで思春期のエネルギーを外部に向けるのは馬鹿のやることだとでも言いたげな態度で、ひたすら内面にそれを押し隠していた――ように、俺には見えた。わかるぜ、南条……なんて言葉をかけたことはただの一度もなかったけれど。
     共感を覚えた、というのは、今となってはただの俺の思い込みだろう。
     あのときの俺はこう考えていた。南条が反感を覚えていたのは家でも両親でも学校でもなく、南条という名のシステムだったのではないか、と。そしてさらに言うならば、その南条家を間違いなく構成している自分自身にも、苛立っていたに違いない。
     南条の前にも、俺の前にも、生まれる前から敷かれたレールというやつが出来上がっている。それに従っていれば安泰。それに身を任せていれば何の苦労もない――というと語弊はあるしデメリットという石も線路脇に転がってはいるが、こちとら超重量で走行している軍用車両のようなものなので、ちょっとやそっとの石は木っ端みじんに粉砕できる。ところで俺が軍用列車だとしたら、南条はさしずめお召列車だろうか。不用意に脅かそうものなら、得体の知れぬ力によって障害は排除される。まるで最初からそこには何もなかったみたいに。
     傍から見れば快適至極の旅路だろう。否定する気はない。
     安寧と栄華が約束されていても、その生き方から外れてみたいという衝動は、俺にだって沸き起こったことがある。ただ、このレールを外れてしまうことは「逃げ」ではないのかというプライドが、外れた瞬間に致命的な事故を起こして二度と立ち上がれなくなるのではないかという恐怖が、歳を重ねるにつれ大きくなっていった。親の仕事であちこちに赴いたことがある。大人から頭を下げられたことも何度もある。それでも俺は、俺たちは、この変わらない環境の中でしか育っていない。結局は何も知らない子供でしかないのでは? 校舎三階のベランダで、俺は毎日のようにぼんやりとそんなことを考えていた。考えるばかりで、何一つ行動に移すことはなかった。
    南条と違って。

     中三の俺は俺なりに中学生活の締めくくりを謳歌していた。断じて誉め言葉ではない「要領がいい」という評価の通り、なんとなく授業と試験をこなし、なんとなくクラスメイトと戯れ、なんとなく日々を消化していた。世間では高校受験というものが大半の中学生の前に立ちはだかっているらしく、街角には予備校のポスターが貼られ書店には制服姿がひっきりなしに出入りしている。
    「まあ俺たちには関係ないけどな」
    「だよな。あーあ、よかったよ、受験の心配なんかしなくてすんで」
    「けど授業が進むのめっちゃ早ぇのだけはどうにかしてほしいよな」
     ありとあらゆるものに愚痴を漏らす同級生に、表面だけで同調したりはぐらかしたり。俺がのらりくらりと生きている間も、きっと南条は一人だけの脱出計画を練っていた。

     あるとき、友人の一人がこんなことを言い出した。
    「南条圭、小四のときに家出したことあるらしいぜ」
     なんでそんな話になったのかは覚えていないが、その話題が友人宅の部屋でのことだったのは記憶にある。
    「家出? 南条が?」
     曰く、何を思ってそんなことをしたのかはさっぱりだが、十歳かそこらの南条は級友と連れ立ってちょっとした旅を試みたらしい。電車を乗り継いで郊外の小さな町へ、平日の夕方に、だ。
     南条家じゃなくても、家に無断で小学生がそんなことをすれば当然騒ぎになる。最終的に警察まで動いた結果、彼らは無事にそれぞれの家へと連れ戻された。
    「二人とも事件に巻き込まれたわけでもないし、怪我したってこともない。けど――」
     日本で発売されたばかりの、アメリカのロック・バンドの新譜を再生し、ライナーノーツを捲りながら友人は語る。なんでも南条の家は両親が不在だから、保護者代わりの執事がそれはもう、彼の主人である御曹司を激しく叱責したらしい。あの南条が泣き出すほどに。
    「ウソだろ?」
    「マジだよ」
    「見たのかよ」
    「見てはねぇけどよ」
     あ、これ内緒な。と、人差し指を立てる仕草ほど無意味なものはない。俺だって南条に直接その真偽を確かめるほど間抜けではないし、事実がどうあれ思春期の少年にとって不名誉な出来事を大っぴらに吹聴して回るほど下品でもないのだから。
    「ウソくせぇ」
     あの南条が泣いたという強すぎるインパクトは話の信憑性を根こそぎ損なってしまった。が、どうやらまことしやかにささやかれているらしい噂話の結末はちょっと気になる。
    「……それで、どうなったんだよ」
     話半分でも聞こうと思って続きを促すと、友人はカウチソファから跳ね起きて、俺にライナーノーツの冊子を放った。
    「おお、それでな、その勢いのまま相手の『ご学友』に頭を下げたんだと。『圭ぼっちゃまがご迷惑をおかけして申し訳ない』とかなんとか」
     南条家のあの執事なら、それもありそうな話だと思った。
     今となれば、南条にそんなことを言ってくれる相手がいたのは彼にとってどれだけ幸いだっただろうか。あるいは、そんな人物がいたからこそ、学友が不要だと思ったのかもしれない……なんてことも、不遜にも考えてしまう。
     ともあれ、それで一件落着、めでたしめでたし――では終わらなかったのが、我らの環境の恐ろしさだった。
    「まあ結局、無事に帰って来たわけだしお互い様ってわけで手打ちになったらしいけど、その後ひでぇ噂が流れてさ。家出、いや本当に家出なのかは今となっちゃわからねえけど、とにかく言い出したのは南条らしいんだけどよ、本人がどれだけ言ったところで周りの目ってのは都合のいい話を作っちまうんだよな」
    ――あの南条の御曹司をたぶらかして警察沙汰なんて。
    ――成り上がり者がいい気なものだ。
     その“ご学友”の家柄は、『いわゆる名家』からすれば吹いて飛ぶ程度のものだったらしい。口さがない噂はじわじわとその家族を追い詰め、彼らは引っ越し寸前にまで追い込まれたという。
    「え? しなかったの? 引っ越し」
     変な話だ。ああいう手合いは嫌がらせを苛烈にこそすれ、手を緩めるなんてことはまずありえない。
    「誹謗中傷がぱったり止んだんだよ。噂じゃ南条の家の方で手を回したんだと」
     そんなドラマみたいな展開あるか? 俺は鼻白んだが、そんな噂が出回ったくらいなのだから事実なのだろう。
    「ふーん……」
     そんなことをして、南条家に何のメリットがあるのか? 格上の家相手なら下手(したて)に出るのも十分意味のある行為だが今回は完全に逆。大人の事情はほぼ関係ない――とすると。
    (なるほどな)
     そうすることで南条圭自身にメリットがあった……というより、南条圭にとってのデメリットを避けるためだったに違いない。
     南条のとこの執事については少し知っている。何度か、彼が南条を送迎する車のドアを開けている光景を見たことがあるが、まさに親代わりの言葉の通りに彼は南条に甲斐甲斐しく目を配っていた。彼は彼の主人が心を痛めぬようにと、その口さがない噂が耳に入らないよう尽力したに違いない。……南条とて暗愚なわけでもないし、うすうす大方の事情に気づいていたんじゃないかとは思うが。
    「息苦しいよなーほんと」
     そう零す友人は、スピーカーから聞こえるギターの音に合わせてかき鳴らすように右手を揺らしている。全然あっていない。音楽家である彼の両親の苦労が偲ばれる。
     しかしその感想には同意する。俺たちの境遇はどうにもならない。だからといって、どうにかしてやろうという気概もない。なんだかんだでいわゆる「恵まれた」環境に甘えることを良しとしている。そういう自分の性根もひっくるめて、息苦しい。
     もしかしたら家出をした南条は、子供心に立ち向かってみたかったのかもしれない。真実はどうあれ自分が誘って家出をしたのだと言って回りたかったのかもしれない。が、今の話が本当なら、彼の大立ち回りの結果は完全な徒労に過ぎない。
     あの南条の御曹司でさえ、立ち回り方をわきまえなければならない。本当に息苦しい。いや、息苦しいというか――
    「shove it up your ass(クソくらえ)、だな」
     歌詞カードに載っていた、『お上品』なフレーズについ気持ちをゆだねてしまいたくなる。言った後に情けなかった。結局俺は、この鬱屈を言い表すのさえ、他人の言葉を借りなければならなかったのだから。

        §

     あのときに聴いていた曲が流れ終わると、BGMは唐突に日本のアイドルグループの曲に変わった。過去に飛んでいた俺の意識が戻ってくるのと同じように。
     しかし――俺はなんでこんなところにいるんだろう?
    「何を飲む?」
    「え? ああ、ビールで」
     南条は軽くうなずくと、店員にビール二つをオーダーする。南条もビールを飲むのか、という感慨――感慨と言っていいのかわからないが、とにかく妙な気分だった。
     お互い二十歳は過ぎているので、夜半の居酒屋で酒を飲んでもなんら問題のない状況ではある。問題なのはこのシチュエーションのほうだ。なんで俺は大衆居酒屋の傾いたテーブルを挟み南条圭と差し向っているのか。南条と酒を飲むという状況がまず謎なのだが、南条、こんな店でいいの? こんな店呼ばわりするのは店に対して心苦しいけど、だってここ一品二百円からだよ?
    「南条はもっとこう、リッツとかシェラトンとか……」
     ああいう星の数競ってる系のホテルの、メニューに値段が載ってないレストランに予約なしで入っていって、何も言わなくても一番上座のテーブルに案内されるタイプの人間なのでは? それがこんな場末の居酒屋? 南条、こんな店でいいの? 俺が女の子だったらガッカリして帰っちゃうどころかのれんくぐってないよマジで。
     南条はおしぼりのビニールを器用に端から破り、両手を拭きながら「ふむ」とうなずく。
    「リッツか。そうだな、最近はあまり通っていない。大学からは少しあるしな」
     南条がいう「大学」がオックスフォードだというのは俺たちの間ではよく知られている。そこから近いリッツ……それリッツ・ロンドンのこと?
     俺はおしぼりの袋をバリバリ引き裂きながら嘆息した。やっぱりこいつは、常識をわきまえた顔をしたつもりでも根っこから規格外なのだ。
    「王室御用達(ロイヤル・ワラント)に頻繁に通う大学生がいてたまるかよ」
     南条はおしぼりを軽くたたみ、テーブルの脇に安置する。よかった、顔を拭くなんてオッサンくさいことしなくて。そうだとしたら俺の南条像が音を立てて砕けていたところだ。現在進行形でヒビは入ってるけど。
    「けどなあ、南条はこういうとこ、連れてこられても嫌がりそうだと思ってた」
     南条は笑い、油でべたついたメニューに手を伸ばす。
    「知った場所にしか出入りしないのは退屈だからな」
    「――まあ……それはわからんでもないけどさぁ」
     一瞬答えが遅れたのは、過去を思い出したからだった。
    あのころの南条は、そして幼いころに家出をしたときの南条も、どこか別の場所に行きたかったのかもしれないと感じていたから。
    「ああ、もしかして、徳田は嫌だったか?」
     頬杖をついた俺を誤解したのか、南条はいらぬ気を回してくる。南条の気遣いなんて、字面だけで胸やけしそうだとも言う。
    「そうじゃねぇよ。俺だってここ何回か来たことあるし」
     言いながら、自己嫌悪で項垂れたくなる。
     ここが俺と南条の違い、というか、俺の性根のさもしさといったところだった。
     結局俺はエスカレーターを脱して、とある国立大へと進学したのだが、環境が変われば顔ぶれも変わる。誰かは親から買い与えられたマンションで一人暮らしをする一方で、毎日のようにアルバイトで学費を稼がなければならない学生もいる。俺は前者にカテゴライズされる側で、後者から悪意を向けられるのを恐れていた。こういう場所に出入りするのが苦痛にならなくなったのは、二回生に進級してからだった。
     南条だったら、俺が怯えている他人の視線などこれっぽっちも気にしないのだろう。置かれている環境で人を判断することもしないし、俺のしている歩み寄りなんて本質的な解決ではないと切り捨てそうだ。
     俺の予想する南条は、世間の評判に左右されることもなく、他人の評価と自己認識は全く別なのだと正面切って断言するに違いない。
    「ほう? 何が美味い?」
     おまけにこの態度だ。南条は思ったこと、感じたことに素直だ。自分の言動が及ぼす影響を考えていないというか、その結果何が起ころうと逃げずに受け止める気概があるのだ。
     こうして自分のつまらない内面を言語化できるほどには成長した俺は、南条をうらやめばいいのか、ねためばいいのか。
    「……地鶏の炭火焼」
    「ではそれにしよう。あとは……」
     メニューの上に視線を滑らせる南条はやけに生き生きとしていたので、俺の毒気がたちまち抜かれてしまう。いや、もとより南条に対して俺は、別段悪感情など抱いてはいなかった。
    「南条、サラダは大根サラダにしてくれよ」
    「了解した」
     たのしそうな南条を見ていると、背中がむずがゆくなってくる。
     二十歳になった南条と、酒を酌み交わすとは思いもしなかった。俺は兄貴と二人兄弟だからわからねぇけど、弟がいたらこんな感じなんだろうか――なんてことを考えるのは、実は二度目だった。安っぽい照明の橙色が、南条の顔を照らしている。光景まで五年前と変わらない。あのときの南条は、ずいぶん思いつめた顔をしていたけど。

        §

     放課後の教室に、南条は一人で残っていた。たまたま担任から面倒な仕事を押し付けられて教室に鞄を取りに戻った俺は、そのなんとも形容しがたい状況に遭遇してしまったのだった。
     南条が、一人で居残っている。しかも自分の席に座ってはいるが何かをしているようにも見えない。強いて言うなら何かを深く考え込んでいるようだ。
    「……」
     俺は入口の引き戸に手をかけたものの、一瞬そのまま動けなかった。なんとなくそれは見てはいけないもので、立ち去るべきかとも思えたからだ。しかし鞄を置いて帰宅はできない。このままちょっと様子をうかがおうかと思った。が、そもそも俺の足音などすでに南条の耳に入っているに違いない。下手にコソコソするほうが怪しい(し、南条の機嫌を損ねるのはおっかない)。
     その思考時間、多分一秒未満。俺は努めて自然な風を装い、ドアを開けて南条に手を挙げてみせた。
    「よお、まだ残ってたのか」
     ――しばらく、思い返すたびに手近な何かを殴りたくなるほど馬鹿丸出しの一言だった。残ってたのか、なんて、そんなの見ればわかるだろう……と、南条は小馬鹿にしたような態度で俺を一蹴――しなかった。
    「……徳田」
     あっけにとられたような顔で、南条は俺の名前を呼んだ。俺の名前(名字だけでも)知ってたのか、という謎の感動と見たこともない南条の顔のせいで俺は軽くパニックを起こす寸前。その動揺のせいで、「お――おう、南条」なんて意味不明な返事をしてしまう。間抜け極まりない応酬としか言い表せない。ただ名前を呼びあっただけの俺と南条の頭上を、同じく間の抜けたチャイムが通り過ぎていく。漫画だったらカラスの鳴き声でもしているだろう場面を構成するのがあの南条。やっぱり脳が理解を拒否したがる光景だった。あまりにもいたたまれず、俺は踵を返そうとする。いや無言で去るのは気まずい。だからって「邪魔したな」なんてのは調子はずれだろう。そもそも俺は何をしにここへ? ついに記憶まであやふやになってきた俺を正気に戻したのはやはり南条だった。
    「徳田は、」
     椅子が引きずられる音がした。南条が少しだけ前のめりになっている。
    「内部進学、か?」
    「え? ――あ、ああ、そうだけど……?」
     要領を得ない質問が南条の口から出てきた。そう感じられた。
     うちは一応外部への進学も認められてはいるものの、高校進学時にそうする生徒は、大学進学時のそれよりも少ない。よって受験勉強にいそしむ生徒はうちのクラスでもごくわずか、片手にも満たない。俺を含む大半の生徒は安穏とした中学生活の最後を謳歌している。南条が心から楽しんで謳歌しているかはさておき、立場としては同じだと思っていたのだが、どうにも思いつめたような顔から察するに、俺の認識は間違っているらしい。
    「そうか」
     南条は姿勢を戻す。「1」の刺繍が入ったスカーフに深い色の影が落ちていた。南条が顔をうつむけたせいだった。うつむいてはいるが、南条の顔はいつも通りの仏頂面で、結局何を考えているのかはわからずじまいだ。
    「……」
     俺はそのとき、人生最大の難問に遭遇したと思った。
    『もしかして南条、外部進学考えてるの?』
     こう質問していいのだろうか。なんとなく秘密主義的なニオイを感じ取っていたし、他人を拒みがちな南条にずけずけと立ち入ったことを聞くのもはばかられた。加えて言うなら、この質問は南条の中でかなり大きな問題になっているようだし、そもそもそういうことを気づかれたこと自体、彼のプライドを知らずに傷つけているのではないかとも思えた。虎の尾を踏まぬように立ち回ろうとしているのか、それとも踏んでしまった足を上げようとしているのか。俺は自分が置かれている状況をまったく把握できていなかった。
    だから、そんな行動に出た理由は覚えていないし、わからない。
    「受験、すんの?」
     ごく自然な風を装って南条の前の椅子を引き、そこにまたがるように座る。そうすることが正解だったのかは、判断がつきかねた。

     想像だけは、いつだって可能だ。
     例の家出事件のころの南条を俺は知らない。もしかしたら、昔は同年代の子供たちと仲良くしようと思っていたのかもしれない。それがあんなことになってしまった。南条が孤立していたのは、彼の性格のためもあっただろうが、子供心に自分の立ち位置が認識している以上の影響を持っていると痛感したあの事件が原因だったのではないだろうか。
     俺はそんなことを考えながら、外部受験するならどこがいい、ここがいい、なんて話をひたすら続けた。学習塾に通う他校の友人から聞いた話を機械のように繰り返しているだけだった。だけどそんなつまらない羅列でも、南条は真面目な顔で、それこそ一言も挟まずに聞いてくれた――と信じたいが、実際はまくしたてる俺に口を挟めず辟易していたかもしれない。
     結局のところ俺にはそうすることしか思いつかなかったし、できなかった。要領よく生きていると言われるくせに、南条に対してどんな態度をとればいいのかは皆目見当もつかなかった。
     でも、どうすればよかったのかなんて、何が正解だったかなんて、たとえ三十年経っても俺にはわからないだろう。南条だって、どうして俺に「外部進学か」尋ねたのかわからないのかもしれない。こうして数年の時を経て再会した今でも。

        §

     ピークタイムを迎えた居酒屋は大繁盛の一言に尽きた。店内を走り回るスタッフには、済んだ皿を下げる暇もない。テーブルの上には大皿の残骸が三枚と、空になったジョッキが四つ。いつもより酔いの回りが早い俺と、これっぽっちも顔色を変えない南条圭がそれを間に挟んでいた。
    「ある意味、想像どおりだよ」
     脈絡もない俺の言葉に、南条は眉を上げるだけだった。
    「南条は酒、強いんだな。寄ってるのかわかんないし、少なくとも顔には出てない。あー……あれいつだったっけ、卒業式? 同窓会? なんかそのときにみんなで言ってたんだよ、南条元気かなーって。あいつ酒めっちゃ強そうだよなって」
     酩酊状態。口が止まらない。半面、南条は平静そのままだった。片手で顎を支えるようにして、椅子に深く崩れそうな俺を見ている。
     その口元が、ふっと緩んだ。
    「そうか。皆、俺のことを覚えていてくれるのか」
     その一言に込められた感情も、その一言が俺にもたらした感慨も、到底一言では言い表せそうにない。
    「お前……そういう言い草……言い草ってのも変だな……ああ、うん、水臭い! 水臭いぞ南条!」
    「人を指さすな」
     口ぶりに反して南条は笑っている。あの頃ついに拝むことのできなかった、屈託ない笑顔だった。
    「――俺は生まれて初めて他人の笑顔で酔いが醒めたかもしれない」
    「ははは、それは錯覚だろう」
     何がおかしいのか。南条はグラスの中身を飲み下す。その仕草は――場末の居酒屋でも決して立ち居振る舞いをおろそかにはすまいという意志ゆえか――妙に様になっていた。
    (ああ、そうか)
     数年来の疑問が霧消するきっかけは、些細なことなのかもしれない。
     こんな在り方だから、外部進学をしても南条は変わらなかったのだろうか。いや、逆に、あの魔窟を脱出して何か違うものに触れて、揺らぐことのない自分を確立したのかもしれない。
     結局南条がどんな風にこれまでを過ごしてきたのか俺は知らない。でも、知ろうとは思わなかった。
     なぜなら――それを知らなくても南条は俺に声をかけてくれたし、俺は南条の前で管を巻いて笑われている。
     俺は南条と、こういうふうに話してみたかったのかもしれない。一方的にまくし立てるだけじゃなく、語り合える何かがあればと思っていたのかもしれない。
    (南条圭と、友達だったらよかったのに)
     あの黄昏の教室で考えていたことは、結局はそんなことだったのだ。今更そんな、小学生でも口にしないような願望を持っていたことに気づくと途端に恥ずかしさで悶絶しそうになる。
     懸命に平静を装っていること、南条は気づいているかもしれない。それでも南条は何も言わなかった。
    「うん、まあしかし、酔いが醒めたと言うのを信じて一つ」
     南条は言葉を区切る。ためらっているように視線をさまよわせ、一つ息を吐いた。
    「俺は礼を言いたかった。自己満足でしかないとしても」
    「……礼って、なんの?」
     南条に感謝される心当たりなど一つもなかった。なかったのでそう答えることしかできなかったが、南条は予想していたと言わんばかりに頷いている。
    「徳田にとっては、あれは本当に些細なことだったんだろう。だが……あのとき背を押されたと思っているから俺は進むべきところへ進めたのだろうし、今の俺がある。そういう気がしている」
    「あのとき?」
     背中を押した覚えなどこれっぽっちもないが、「あのとき」に心当たりは――一つだけある。俺と南条の、おそらくたった一つの接点。あの放課後の、会話とすら呼べないようなモノ。
    「相談に乗ってくれただろう。進学先」
    「相談って、」
     南条は、大真面目だった。
     俺の個人的な印象として、そして多分第三者から見ても、あれはただ俺が一方的にまくしたてていただけなのだが。
     それでも南条が本心から礼を言いたいと思ってそうしてくれているのなら、俺はそれを、受け止めなければならないのだろう。いやそれ、めちゃくちゃ気恥ずかしいのだが。
    「ありがとう、感謝している」
    「……おう」
     思わず口元を隠してしまう。なんだか、ゲームのレベルアップ音でも流れたような気がした。南条圭に礼を言われたことがうれしかったわけではなくて、南条が、南条のほうこそが、そんな些細なことを忘れずにいてくれたのがうれしかった。
     氷が溶けたウーロンハイに、見てられない顔の俺が映っている。
     ……ところで、南条はどうして東京(ここ)にいたのだろう? まさか俺に礼を言うために探し出したわけではないと信じたいが、相手は南条家なのでやりかねない。問いただしてみてもいいのかもしれないが、やめた。
     今ここに俺と南条がいる理由は、偶然でもなんでも、別にいいのだから。
    「いやでも、俺はちょっと意外だったよ。あんとき色々言ったけど、南条は結局親父さんに反対されるんじゃないかって思ってた」
     照れを誤魔化すための話題は、南条には拒まれなかった。
    「それは俺も予想していたんだが――」
     その重厚さを鑑みあれやこれやと武装して立ち向かった扉は、拍子抜けするほどに軽かったらしい。南条父は、「聖エルミン学園を受験したい」という息子の希望に反対しなかった。それどころか、「エルミンならば」と、どちらかと言えば賛成だったようにも思う……というのが南条の見立てだった、らしい。
    「留学を見据えてならばエルミンの方が実績やツテはある。それも一因だったのだろう」
     南条は呆れ混じりに鼻を鳴らした。あのころの、反感たっぷりの不機嫌さから角が取れて丸くなったようだ。ところで口ぶりからすると他にも理由があるようだが、俺は訊くことをしなかった。どうやらその理由は、南条にとって気分のいいものではないようだし。
     その一方で、聖エルミン学園に進学したことは南条にとって大変満足のいく結果をもたらしたらしい。
    「結局、父の思惑通りに生きているのかもしれないが……しかし俺は紛れもなく、俺の意志で聖エルミン学園へ進学することを決めた。そこで得た経験も出会いも、今の俺にはなくてはならないものだ」
     満ち足りた顔を見れば、仔細を聞かずとも推測できる。
    「ふーん……」
     南条が見てきたもの、経験とか、出会いとか、それはどんなものだったのだろう。さっき南条が見せたような、目を輝かせたくなる出来事ばかりではなかったのかもしれない。俺の知っているよりずっと大人びた南条は、当たり前に辛酸や挫折を経験しているのだと思えた。それを乗り越えることができたのは、あの執事の存在が一番に大きいのだろう。けれど、彼と同じくらいに南条圭を案じ、支えてくれる『友人』が今の南条にはいるのだと――俺は南条の交友関係など知りもしないくせに――確信できた。
    「……南条はさ、殴り合いの喧嘩とかしたことある?」
     いつか抱いた疑問を口に出してみる。南条は一瞬、虚をつかれたように口をつぐみ、
    「――ある」
     柔らかく息を吐いた。
    「高校で?」
    「そうだ」
     少し眉を上げて笑う南条にとっても、それは悪くない思い出らしい。
     俺はつかみかかれるほど南条と親しくはない。親しくなろうと踏み出すことはなかった。それは事実だ。でも、俺の知らない誰かが南条に真正面から向き合ってくれたことを、本心から祝福したい。
     彼の友人の一人として。
    「よかった。南条も喧嘩くらいはしたんだな」
     ぽつりとこぼれてしまった一言に、南条が呆れている。酔いが醒めたというのは錯覚だったな、と。
     そうして少しだけ遠くを見るような目をした。
    「徳田は昔からそうだった。お前が一番、周りを見て、気を配っていたな」
    「……いきなり何?」
     今日はとことん、おかしなことばかり起こる。南条に出くわし、居酒屋で席を囲み、予想もしなかった謝辞を述べられたかと思ったら今度は俺の人物評まで始める気か?
    「誰にでもいい顔をする八方美人だと感じていたが、言葉にするよりもそれは難しい。本質的なところを言えば、それは他人に分け隔てなく接するということだ。事の良しあしはさておき、俺には到底真似できん。
    だから、あの日教室を訪れたのが、徳田でよかったとは思っている」
     誉めているとは思えない言葉からそれは始まり、締めくくられるときも南条の真意はよくわからなかった。わからなかったのだが、それを聞き出そうものなら明快かつ端的な回答が南条の口から飛び出すに違いない。そうなってしまったら俺はたぶん、含羞をごまかし逃避を計る目的でキャパオーバーの酒を呷ってしまいそうだ。ただでさえ「あの頃の南条が結構的確に俺のことを観察していた」という無性に尻こそばゆい事実を突きつけられて着心地が悪いというのに。
     だから南条が何を言いたかったのかは、あやふやなままにしておこうと思った。
    「まあ……アレが何かの役に立ってたなら俺としても」
     うれしいのか、安堵したのか、誇らしいのか。
     判断がつきかねて宙に浮いた言葉尻は、最後まで曖昧なままだった。
     同じように――俺は、南条との距離はこのくらいがちょうどいい気がした。密に連絡をとるわけでもなし、互いのすべてを開示しあうでもなし。ただ時々思い出したように会って話せればそれでいい。
     あのころ後ろの席で拗ねていた南条圭は、今、俺と向かい合って笑っている。
     悪くない未来じゃないか。

      §

     それからしばらくして、世間はちょっとだけ騒がしくなった。
     五年前、当時の文部大臣だった与党議員が複数の学校法人からの収賄容疑で立件された。先だっての須藤元外相による十年来の汚職に続くスキャンダルで、与党政権は青色吐息、反面野党勢力は色めき立って責任追及に精を出している。たまたまつけたテレビのニュースでは、父が報道陣の前で渋い顔をしていた。官房長官として頭が痛いだろうし、秘書をやっている兄も忙殺されているに違いない。が、俺は気楽な次男坊なので、せいぜいほとぼりが冷めるまでは、実家に近寄らないでおこうと決心するだけなのだった。
    「当時収賄事件にかかわっていた学校法人は八法人に及び、その中には――」
     ニュースキャスターが読み上げる学校名には、懐かしの母校の名もあった。
    「……ああ、もしかしたら」
     南条の親父さんは、その時からそれを知っていたのかもしれない。南条の家は政界にも顔が利くので、どこからかその情報を入手したのだろう。くだらない悪事は遅かれ早かれ明るみに出るのだから、息子をそれから遠ざけようとしたのも当然だ。だから南条の外部進学は反対されなかったし――
    「俺まで外部進学させられたわけか」
     俺の父も多分、当時それを知っていて急な進路変更を言い渡したに違いない。悪夢のような受験スケジュールは俺の中で今もトラウマなのだが、当時知る由もなかったその原因が明らかになるとさすがに腹が立ってくる。が、あのとき対処しておけば今責任追及の矢面に立たずに済んだだろうにと思えば、少しだけ気分が晴れそうだった。ザマ見ろ。
    「……」
     しばらくベッドに寝そべっていたが、やはり腹に据えかねる。そうだ、この鬱憤を共有できるやつに電話しよう。
     そう考えて跳ね起きた瞬間、携帯電話が鳴った。表示された番号は、連絡帳の中で一番新しい。
     あいつも同じことを考えていたようだ。こみあげてくる笑いをこらえながら、通話ボタンに指を伸ばす。少し背筋が伸びる気がした。
    「――もしもし? 南条?」

  • さよならリグレット/魂のゆくえ

    さよならリグレット

     彼女がそんな目をするとは思わなかった。
     カルタ・イシューという少女はそのプライドに裏打ちされたかのように、何事も卒なくこなす。それも自分よりも数段秀でているものだから、ガエリオは幼馴染の彼女が自分に「万年みそっかす」などという屈辱的な呼び名をつけても、どこか諦めて受け入れてしまうようなところを自覚していた。それはとても悔しいことに違いはないのだが、カルタはその万年みそっかすを見捨てることは絶対になかったし、もっと幼いころにはなにかと世話をしてくれていた……ような記憶がある。
    〝まるで姉と弟のようだ〟と、イシュー家のメイドに言われたときは、本当は少し嬉しかった。
     そう思えるくらいには、ガエリオはカルタを頼りにしていたし、誇りにも思っていたのだと思う。
     だからそんなカルタが、ある日突然現れたマクギリスという少年に羨望めいたまなざしを向けるとは思わなかった。何よりも誰よりも自分自身を信じ、誇りに思っている彼女が突然現れた名も知らぬ少年に一目置くなんてことはガエリオには想像もできないことだった。
     決して自分には向けられなかった目が、マクギリスを見つめている。
    ガエリオはそれを悔しく思っただろうか。幸か不幸かそれは――覚えていない。
     なぜならば、子供らしい親睦を深めるその過程で、ガエリオもまたマクギリスを素直に「彼は優れた人物なのだ」と認めるようになったのだから。
    どう贔屓目に見てもマクギリスはあらゆる点でカルタよりも抜きん出ていた。抜きん出るようになった、というのが正しいかもしれない。ファリドの家に引き取られた彼がいろいろな意味で変わっていく様は、家族ではなく友人でしかないガエリオもカルタも圧倒した。
     あたたかいものに囲まれ、誰からも惜しみない愛を与えられ育ったガエリオが見たこともないような、やせて薄汚れた少年――初めてガエリオの目に映ったマクギリスは、冷たい氷のようだった。
     怖かったのかと聞かれると、多分違うと答えるだろう。ただ幼心にも「きっと触れてはいけないこと」がマクギリスと、彼を取り巻くものの周りにあることは察した。もっとも、その事情は口さがないメイドを通じてすぐに耳に入ってきたのだが。
    「そんなことはマクギリスと関係ないわ。自分の力でどうにもならないことの責任を、本人に求めるのは卑怯よ」
     マクギリスと親しく付き合うことを咎められても、カルタとガエリオは一度だって引き下がらなかった。
    「そうだよね、カルタはちゃんと言葉にできて、すごいや」
     カルタがまっすぐに力強くそう言ってくれるのが心強かったし、自分が内心で強く思ってはいても言葉として表せなかった思いを代わりに言葉にしてもらえたように思えて、とても嬉しかった。
    「当然でしょう!」
     ふん、と鼻を鳴らして澄ました顔をしてみせても頬の辺りがわずかに赤い。それを悪く言うつもりはないし純粋に褒めたくてそう思うのだが、きっと「かわいい」なんて言ったらカルタは余計にへそを曲げるだろう。だから、ガエリオは何も言わなかった。
     もしもあの頃、今よりもずっと素直に思ったまま振る舞えた歳のころにそう言えたら、何か変わっていただろうか。空しい自問はとうに凍らせ、胸の奥底に沈めている。カルタから羨望の目で見られていたマクギリスを、本当は〝羨ましい〟と思っていたことすらも。

       §

     ファリドの名を与えられた少年は、しかしそれでも周囲からの奇異の目を向けられるばかりだった。
    「ねえ、嫌じゃないの?」
     いつもの木陰で本を読んでいるマクギリスの隣に腰を下ろし、ガエリオは目的語のない問いを投げた。
     イシュー家のそれよりはまだ穏やかな方だが、ボードウィン家の使用人もマクギリスに対して悪感情を隠さない。
     あからさまな蔑視はガエリオにも不愉快なものに思えたし、マクギリスはきっと傷ついているに違いない。自分が咎めたところでそれがなくなる保証はないが、もしもマクギリスが嫌がっているなら自分が戦おう。カルタがその小さな体で、そうしているように。
     そう考えた上でストレートに尋ねた。尋ねる前に行動しなかったのは、マクギリスのプライドを慮ったつもりだった。後になって思い返せば、それはずいぶん傲慢な考えだった。
     マクギリスは口を開きかけて、止める。
    「きっとこれは、」
     ふわり、と金色の一房が揺れた。恐ろしいほどに澄み切った青い目が見つめていた本が静かに閉じられたためか、あるいは初夏の風のせいか。
    「本能的な怖れは……人の心というのは、誰が何と言っても変わらないと思うから」
    「……どういう意味?」
     あまりに漠然とした返答だったのでガエリオは間の抜けた声でそう聞き返すことしかできなかった。
     少年は穏やかに笑う。
    「嫌だ、やめてくれって言っても、誰かの考えを変えるのはとても難しいことじゃないかな。それが人間の、生理的な嫌悪感や恐怖から来ているものなら、なおさら」
     ガエリオには、まだよくわからない。
    「……そうかなあ」
    「きっとそうさ」
     かすかに笑うマクギリスは、ガエリオが理解できていないことを見透かしているのだろう。少しだけ突き放されたような寂しさで、ガエリオは眉尻を下げた。
     にわかに吹き荒れた風が梢を揺らす。常緑樹の葉がいくつかふるい落とされ、ガエリオの手の甲にも一葉が舞い落ちた。そのみずみずしい葉脈ごしにガエリオは太陽を見上げた。雲一つない空はひどく眩しかった。
    「でも、黙ったままって悔しくないの?」
    「え?」
     珍しく見開かれたマクギリスの目はガラス球のようだと思った。どこまでも見通せそうなのに、本性がわからない。
     ガエリオは、何かまずいことを言ったような、居心地の悪さに肩をすくめた。
    「悔しくないなら、いいんだけど。ごめん」
     きっと立ち入ったことを聞いてしまったのだろう。そもそもが失敗だったことにようやく気付いたバツの悪さを、マクギリスの小さな笑いがかき消した。
    「屈辱を感じないと言ったら、多分、嘘になる」
     でも、という反駁は、力強く少年の耳を打った。
    「いつか――見返してやるさ」
     冬でもないのに、確かな怖気が総身を慄かせる。
     その横顔はすがすがしいものなどではなかった。蒼穹でも見上げていれば別だっただろうが、マクギリスは今しがた舞い落ちてきた緑の葉を、未だ骨ばったままの手のひらで握り潰そうとしていた。
     ガエリオはそれを、止められなかった。くしゃりと小さな音を立ててつぶされたものは彼には見えない。
     それでも、何故だろうか。握りこまれた拳が、痩せ細ったそれだというのにとても力強く見えた。きっと彼は言葉の通りに何かを成し遂げるのだろう。

     彼は強い。そう感じてどこか安心してしまったガエリオはある意味では正しく、ある意味では間違っていた。

        §

     月日が流れ使用人が入れ替わったためか、あるいは傍目にも明らかなほどに聡明さを兼ね備えたマクギリスの才覚に口出しをする余地を見失ったのか、ともかくかつてのような奇異な眼差しも言葉も投げかけられることがなくなった頃。
    「アルミリアと?」
     まだ十にもなっていない妹の名前を頓狂に口走ってしまったガエリオは、涼しい顔でカップを口に運ぶマクギリスを凝視した。せざるをえなかった。それはおそらく、同じテーブルを囲んでいたカルタも同じだっただろう。
    「ああ、まだ婚約だがな」
     曰く、決めたのは両家の当主同士だと言う。空いた口が塞がらない。確かに身内の贔屓目を抜きにしてもアルミリアは愛らしい淑女(になる予定)だし、マクギリスだっていまや社交界でも引く手あまたの美丈夫かつ相も変らぬ卓抜ぶりを誇る男だが、それにしたって年齢差だとか、いやそれ以前にアルミリアの意思……よりも先に、
    「お、お前はそれでいいのか?」
     混乱しながらガエリオは「親友」にそう問いかける。ゆったりと笑うマクギリスは、あの頃と変わらぬ、本心の見抜けない顔で語った。
    「親友の妹御だ、異存はない」
     そうじゃないだろう……と、ガエリオは空いた口が塞がらないままに言葉を失ってしまう。正直自分が妹のような歳の女性、というよりは少女を婚約者として宛がわれてはと考えるとぞっとしない。上手く働かない頭でアルミリアとマクギリスの歳の差を計算し、その差を自分の中の良識が容認しうるか、世間体は、前例は……などという一人審議を繰り広げるガエリオにマクギリスは冗談めかしてこう言う。
    「ガエリオ、お前は私が義理の弟になるのが不満か?」
    「おと――」
     言われてみれば確かにそうなる。妹の夫となる男は、ガエリオの義理の弟に該当する。新たな衝撃を投げられたガエリオは、しかしこうも考える。
     マクギリスとて、アルミリアにとっては幼いころから親しくしていた相手、兄のようなものでは? そんな相手が突然、伴侶になるなどと――
     ガエリオは、そこでようやく彼なりに得心した。自分やアルミリアには伴侶を選ぶ自由など赦されてはいない。であれば、顔も名前も知らぬ相手よりは、兄の友人として長年の知己であるマクギリスをあてがわれる方がよっぽど幸福なのかもしれない。たとえそれが、一歩間違えば親子のような歳の差であったとしても。
     審議結果、許容。ただし条件付き。一旦上げかけた腰をもう一度ソファに勢いよく沈めたガエリオは、呻くような声でこう言うしかなかった。
    「……アルミリアを悲しませるなよ」
    「無論だ」
     即座に返ってきた言葉すら、なんのことはないような温度を持っている。まあ確かにマクギリスは信用に足る男だと思うし、それがわかっているから父だって縁談を認めたのだろうし、いやそれにしたってやはり年齢差は……と、あれこれ考え込むガエリオの隣、カルタは静かにカップを置いた。
    「おめでとうマクギリス、今度……お祝いをしなくてはね」
     そう言うカルタの声が僅かに震えていた。まさか先を越されてショックなのだろうか? と、ガエリオは軽い気持ちでその顔を覗き込もうとする。しかし少女の頃を過ぎたカルタは巧みに本心を隠しており、ガエリオにはもはや何の感情も読み取れない。
     ただ、今のカルタの目にはあのときの輝きはなかった。幼少のころにマクギリスを見つめていた、羨望の光であふれた瞳はそこにない。
    「ありがとう、カルタ」
     マクギリスもまた、穏やかに笑う。
     ガエリオは――ガエリオだけは、笑うことができなかった。
     あのときと同じ、温度を伴わない怖気を振り払えなかった。
     どこからどう見ても静かなテーブルだというのになぜこうも居心地が悪いのだろう。何かがこの優しいすべてを粉々に砕いてしまう、そういう恐怖感に見舞われる。
     得体の知れないものがぬるりと体を撫でたような気がした。それは青い目をしている、まるで、悪魔と形容されるような――
     マクギリスの目は、もはやあの頃のように冷たいそれではない。だからと言って「人並みに」あたたかな温度を持っているとも思えない。恐ろしかった。そして、親友を恐ろしいなどと形容する自分を恥じ、思わず目を逸らしてしまう。
     奇妙な沈黙に耐えかねたのだろう、薄く微笑んだまま、カルタは席を立った。
    「悪いけれど、今日はそろそろ失礼するわ」
     我に返ったガエリオが、名残惜しげに「やけに早いな」と、言っても「そうね」という、要領を得ない言葉しか降ってこない。
    「それなら見送――」
    「何言ってるのよ、ホストがいなくてはしょうがないでしょう?」
     席を立ったカルタを追うようにガエリオも腰を上げると、相変わらず姉のようにたしなめられる。自分のことはいいから、メイドも来させなくていい。そう言ってやけに人払いをしたがるカルタが退室した後マクギリスは口元だけで静かにほほ笑むだけだった。
     時計の秒針が規則正しく音を紡いでいる。それは不気味に近づいてくる誰か――いや、何かの足音のようだった。

        §

     その日の夜更け、ガエリオの姿は自邸のダンスホールにあった。彼のほかに人影はない。最小限の照明が照らしているのは静かに鈍く光るピアノの黒だけ。蓋を開け、立ったままに鍵盤を一つ叩く。ずんと心が沈むような音色が洞窟のようにこだました。
     奏でられた低音に言い知れぬ不快感を覚えるのは、こどものころに無理矢理にピアノだのヴァイオリンだのを習わされていたせいだろうか――違う。
    夕食時にマクギリスとアルミリアの婚約の話がいつのまにか自分の縁談の話になっていたので気が滅入ってそう感じるのだろうか――それも、違う。
    〝カルタも縁談を断っていると言うのだから困ったものだ〟
     一人息子からは縁談なんて当分結構だと突っぱねられ、父はそう言って盛大にため息をついた。父もまた、カルタとガエリオを姉弟くらいに考えているのかもしれない。聞き分けのない子らに手を焼くような口ぶりを笑うガエリオに、父は呆れたようにぼやく。
    〝そうやっていつまでも笑っていられるものか。お前はともかくカルタはいつまで統合艦隊に……もうこどものように遊んでいられる立場でもあるまい〟
     そこからは食前酒に酔いでもしたのか、「二人していつもマクギリスの後を追い掛け回して云々」と管を巻き始めるものだからたまったものではない。適当に相槌を打ちながら話を聞き流していたガエリオは、なんとなしに幼少期のことを思い出し始めていた。

     鍵盤を叩けば葬送の鐘のような音が響く。三人で競い合うように練習した協奏曲のピアノを誰よりも上手く弾いたのもマクギリスだった。両手で繰り返される和音に覆いかぶさるような旋律の運指を、ガエリオはもはや思い出せない。
     ただ一つだけ。今になって理解できたことを噛みしめていた。
    〝ありがとう、カルタ〟
     丁寧すぎるほどに謝辞を述べたマクギリスは何もかも知っていたのだろう。自分に向けられる、カルタのまなざしにこめられた熱のなんたるかすらも。カルタとてマクギリスが何も気づいていないと思っていたはずはない。それでも二人共にこのままの関係でいた理由はおそらく、否確実に、「本心を打ち明けたところでどうにもならないから」に他あるまい。
     イシュー家の一人娘であるカルタが、ファリド家を継ぐべきマクギリスと添い遂げることなど叶いはしない。彼の本心は知る由もないが、仮に二人が想いを通じあわせていたとしても、あのイズナリオにはいくらマクギリスとて逆らうこともできはしまい。
     だから彼女はいつまでも統合艦隊に居座っているのだろうか。そこにいればマクギリスと――職務上であっても――接触が望めるかもしれない。上手くいけばマクギリスに認めてもらえるだけの功績を残せるかもしれない。それが彼女の願う、あるいは得うる幸福なのだろう。
     もちろんこれはガエリオの勝手な想像で、カルタはもっと崇高な考えで職務をまっとうしようとしているのかもしれない。いや、そうに違いない。二十年近く彼女を見つめていたガエリオにとって、カルタ・イシューがそんな甘っちょろい感傷で自身の進退を定めるとは思えなかったのだ。そんな、そこらのかしましい女のような――
    「――……」
     嗚咽のようなため息がこぼれる。
     高潔な性格もきっぱりとした物言いも、面倒見のよさという優しさも、すべてを好ましく思っていた。彼女のすべてを敬愛していた。誇りだった。それはこれからも決して変わることはない。マクギリスを愛した彼女を、己の誇りと家のためにそれを生涯口にしないことを誓っただろう彼女を、ガエリオはこれからも愛するのだろう。思い通りになどならないと知ったその上でそう決めたカルタだから愛したのだろう。
     誰が悪いわけでもない。何かが違っていたら、そのような逃避を思うこともない。マクギリスとて、この関係が崩れぬようにそ知らぬふりをしているのならば、それならば自分もまた道化を演じよう。何も気づかずに親友二人の笑顔だけを願っていよう。それが多分、自分に許された、自分の願う幸福に違いない。

     そうだろう、マクギリス? 応えてくれ、俺は、俺たちは間違っていたのか?

        §

    「そうだ、ガエリオ。私への憎しみを、怒りをぶつけてくるといい」

     何度も繰り返される打撃のせいだろうか。だんだんと霞に侵食されていくように頭の中がぼんやりとしていく。混乱していた。こんな状態でマクギリスを討ち斃せる可能性などほとんどない、それは自分がよく理解している。それはガエリオを安心させ、また絶望させた。
     殺せない口惜しさと、殺さなくてもよいという安堵のためにガエリオの視界がさらに歪んでいく。
     死ぬのだろうか、そうに違いない。だとしたらさっきからフラッシュバックする光景は走馬灯というやつなのかもしれない。思い出はうわべだけでも穏やかであたたかだった。陽だまりの中で笑う三人はああも優しいのに、覆いかぶさるのはマクギリスの奏でる激情の奔流のようなピアノの音だった。腹が立つほどに巧みな演奏をガエリオは今ですら精緻に思い出すことができる。思えばあれはマクギリスがこれまでで唯一、感情というものを見せた場面だったのかもしれない。

    「友情、愛情、信頼、そんな生ぬるい感情は、私には残念ながら届かない」

     その通りなのだろう。かつての彼が嘯いたように、人の内心を変えてしまうなどというのは、そうそう容易にできるものでもあるまい。ましてこれまでの人生のよりどころが憎悪だけだったような男に対しては。
     まぶたの裏が痛んだ。指先は怒りに震え、感情のままに叫びを上げてしまう。
     カルタ、お前は、恨むだろうか。もしも俺が、お前が愛した男をこの手にかけたなら、お前は俺を恨むのだろうか。たとえ恨まなかったとしても俺は、お前への懺悔を繰り返すに違いない。愛した女を救えなかったことも、親友の裏切りに微塵も気づかなかったことも、何も知らずに死んだお前にどう詫びればいいのかわからない。ああ、しかし、幸福。幸福と呼べるのかもしれない。これでよかったのだろうか、お前が何も知らず、マクギリスの名を呼びながら俺の目の前で、俺の手の届かぬところで優しく死んでいったのは、幸福だったのだろうか。誇り高いお前が、愛するマクギリスの素顔を知ったのなら。考えるだけでこの喉を掻き毟りたくなる。嘘だ、嘘だ。幸福などではない。お前に何も知らせなかったことがマクギリスなりの思いやりだったのだとしたら、それはあまりにも愚弄した答えじゃないか。それでもお前はマクギリスを許すだろうか。

     きっと、許すのだろう。

     俺は、俺は――

     ガエリオは何度も絶叫した。こどものようだった。いや、こどもの頃ですら、こんなにも涙を溢れさせたことはあるまい。堰を切ったように留まることを知らないそれを拭う暇すらない。かろうじて身に染み付いた動作だけでキマリスを操るが、動揺し感情に支配されたガエリオが、そうなることを見越したのだろうが、冷たく逆鱗に触れていく悪魔――マクギリスに勝てようはずもなかった。
     こんな最期があってたまるか。そう願ったところで何が変わるわけでもない。

    「怒りの中で生きてきた、私には」

     振り上げられたブレードがまぶしい。光に焼かれながらガエリオは理解した。
     あれが自分を殺すのだ。

    ――これは罰だろうか。
     カルタならきっとマクギリスの氷の瞳を溶かしてくれる。そう信じて何もしなかった罰なのだろうか。
     あのときカルタが流しただろう涙から目を背け、誇りを傷つけたくはないという欺罔で、傷つくことを恐れた自分への罰なのだろうか。
     悔恨を背負って生きることを放棄し、何もかもを捨ててカルタのところへ、などという甘さに酔いしれた自分への罰、そうだと言うのか。

     それでも自分は、どこかでマクギリスを完全には憎み切れないのかもしれない。
     あいつが何を考えていたのか、ずっと長い間共にいたのに、結局わからなかった。
     わかって『やれなかった』自分とカルタにも一因がある、なんて言うのは、思い上がりが過ぎるだろうか。
     そうではなく、ただ甘かったのだろう。
     今際の際にすら、誰を憎むこともしたくないらしいのだから。

     ガエリオは、自分が嗤ったような気配を感じた。
     もう二度と「みそっかす」と笑ってはくれないカルタの顔を思い出していた。

     まったく、何もかも――


    魂のゆくえ

     白い光がまぶしい。閉じた瞼を物ともせずに入り込んでくるあたたかな侵略者に、ガエリオは身を捩って抗った。何よりもやわらかいものに包み込まれて、ここから抜け出したくなどなくなる。なのに甲高い声の誰かが頭の上でわめきたてていて、ああ、自分はこれを嫌いなはずがないのに、耳をふさいでしまいたくなる。もう少しだけこうしていたい。ガエリオは寝返りを打って意思表示してみせる。
    「いい加減になさいな!」
     と、甲高い声の主が一際大きく叫んだ、かと思いきや。
    「う――わあああああ⁉」
     ガエリオの体は勢いよく一回転し、そのショックで完全に目が覚めた。
    「ようやく起きたようね」
    「いって……なにすんだよ!」
     目の前に仁王立ちする幼馴染のカルタが、中等部の真っ白いセーラー服で腕を組んでいる。髪も似たような色なら肌色も白いので、ガエリオは眩しさに目を細めた。なんであんな格好してるんだろう、と、考えこんでしまったのは、あとから思えば寝ぼけていたのかもしれない。ガエリオはベッドの上でパジャマのまま中途半端に起き上がり、カルタが持つ薄手の夏蒲団を見るともなしに見た。どうやら自分はそれにくるまっていたのに、テーブルクロス引きのように彼女に引っぺがされたらしい。
     それは理解できたが、置かれた状況はいまひとつ要領を得ない。
     大体、ここはどこだろう?
    「何してるの、は、こっちの台詞よ。今何時だと思って?」
     憤然としたカルタの台詞にガエリオは怪訝な顔をする。
    「何時って……」
     時計を探して壁のほうを見上げると、なるほどカルタが憤るのも無理はない。三十分の寝坊だった。
    「うわあっ⁉」
     ベッドから転げ落ちそうな勢いで跳ね起きたガエリオを見て、カルタは額に手を当てながらため息を吐く。
    「わかったならさっさと着替えて降りてらっしゃいよ」
     くるりと背を向けるカルタのスカートの裾が揺れる。空のような水色に、ガエリオは少しどきりとした。

       §

     一分足らずで制服に着替えたガエリオがダイニングへ駆け降りると、父親が車を出させようかと声をかけてくる。ちょっと迷ったけれど走れば十分間に合う。朝食抜きは少々辛いが。父は息子の答えを聞くとそうかと苦笑し、再び新聞に目を落とした。玄関からはカルタの声が聞こえる。待たせると後が怖い。
    「行ってきます!」
    「気をつけてね」
     穏やかな母の声を背中に聞きながら、なにか不思議な心地がした。母に似た、けれどもっと幼い少女に何度もああ言われて見送られていた気がする。そんな存在に心当たりはないのに。
    「……気のせいかな」
    「何か言った?」
     怪訝な顔のカルタになんでもないと首を振り、ガエリオは門扉を開けた。夏の空を背後に、カルタの白と水色のセーラー服がよく映えている。

        §

     初夏の朝はまだ少し肌寒く、半袖のシャツの腕をさすりながらガエリオは歩いた。カルタも似たような格好だと言うのに、寒くはないらしくツンとすました顔をしている。
    (化粧しないほうがいいよなあ)
     当たり前だがカルタの顔には化粧などされていない。どころか、ガエリオは生まれてこのかたカルタが化粧をしたところなんて見たこともない。なんでそんなことを考え付いたのか自分でも理解に苦しむのだが、あの化粧を施したカルタの顔は、あまり好みとは思えなかった。
    (あの?)
     何かを思い出しそうな気がして、ガエリオは首を傾げる。ううん、と唸ってしまったせいか、カルタが怪訝な顔を向けてきた。
    「さっきから何よ、人の顔じろじろ見て」
     まさか化粧がどうこうと言うわけにもいかず、ガエリオは適当に言葉を濁した。
    「……なんでカルタがうちに来てたのかと思って」
    「そろそろ寝坊するころだと思ったからよ」
    「……」
     物心つくころにはすでに姉のような顔をしていたカルタに言い当てられてガエリオは何も言えない。思い返せば昔からああしてたたき起こされることはあったし、両親までカルタを頼っているフシがあるものだからぐうの音も出ない。おかげでカルタは勝手知ったるボードウィン家にわがもの顔で出入りするわ、それだけならまだしもガエリオの部屋にまでお構いなしに入って来るわで散々だ。
    「いい加減俺の部屋に勝手に入るのやめろよ」
    「何よ今更」
     一応は抗議してみるのだが、カルタのこの、自分の行動に非などあろうはずがないという態度には、切れ長の目から放たれる鋭い視線と相まって気圧されてしまう。
     うっと言葉に詰まった自分を鼓舞してガエリオはもう一度言い返す。
    「だ、だってもう俺たち、中等部になったんだし」
    「なにそれ? 安心しなさいよ、私にとってあんたはずーーーーーーーーっとみそっかすなんだから」
    「そっちこそなんだよそれ……俺がカルタの部屋に入ったらめちゃくちゃ怒るじゃないか」
    「当たり前でしょ。レディとみそっかすの部屋を一緒にしないで頂戴」
    「……」
     この傍若無人のダブルスタンダートぶりには呆れしかでてこないし、これ以上言い返したところでカルタが聞き入れるわけもないのでガエリオは何も言い返さなかった。カルタに何か言って聞かせることができる「彼」は、やっぱり無二の存在なんじゃないだろうか。
    「おはよう」
     いつものバス停にさしかかると、その庇の影で二人を待っている少年が読んでいた本から顔を上げる。細く美しい金色の髪が揺れる隙間からは、穏やかな海の浅瀬のような瞳が覗いていた。
    「おはようマクギリス」
    「お、おはよう」
     先ほどまで傲岸不遜だった少女はしおらしい態度で頬を桃色に染めている。またこれだ。ガエリオは呆れて目を細めながら会話するマクギリスとカルタを見つめた。何を読んでいたのかと聞かれたマクギリスは歳相応と言い難い難解な本を、丁寧に噛み砕いて説明している。彼は頭がいいし、やさしい。カルタもまた賢いので、噛み砕かれたとはいえ簡単ではない本の内容を的確に理解し、懸命に話をつなげようとしている。
     バレバレなんだよなあ、と、ガエリオはこみ上げる笑いを懸命にこらえた。
     カルタからさんざ朴念仁だのみそっかすだの言われている自分だってカルタの恋心に気づいているのだから、聡いマクギリスはとうの昔に気づいているのではないだろうか。それこそ彼ら一家が近所に引っ越してきて、三人が共に行動をするようになったそのときに。
    「相変わらず難しい本ばかり読んでるのね」
    「そうかな、おもしろいと思うとどんどんページが進んで」
    「あっ、その、別に、おかしいって言ってるんじゃないの、ただその、あなたってすごいのね、って、思って」
    「わかってるよカルタ」
     やさしく小さく笑うマクギリス、耳まで赤くするカルタ。ガエリオは前を歩く二人を見ているとなんとなくもやっとしてしまう。惚れた腫れたはよくわからないけれど、もしカルタとマクギリスがいわゆる「彼氏彼女」になったら、それって自分の入る余地なんてなくなってしまうのでは? と、不安になる。それはなんだかイヤだな、と、思うけれど、まるでカルタの幸せをねたんでいるようで、というか、カルタが自分のいないところで笑顔になると思うとなんだか無性に悔しくなる。
     なんで?
     考えても、十三歳のガエリオにはよくはわからなかったが、いつの間にか難しい顔をしていたのだろう。マクギリスが振り返って尋ねてくる。
    「どうしたのガエリオ、変な顔して」
    「……べつに変な顔なんてしてない」
     八つ当たりもいいところだがうっかりマクギリスの心配をつっぱねて気まずくなってしまう。ガエリオが思わず頼りない顔をしてしまうと、マクギリスに倣って振り返っていたカルタが手を叩いた。
    「あ、忘れてたわ」
     と、何かを思い出したのだろう、通学鞄とは別のトートバッグから何かの包みを取り出す。
    「寝坊して食べる暇がないだろうからって、おばさまがサンドウィッチにしてくださったわよ」
     私も手伝ったけどね、と、恩を売ることを忘れないカルタがガエリオにそれを手渡す。軽くトーストされたパンに、朝食だったと思しきポテトサラダとベーコンエッグが挟まった二つのサンドウィッチを見ると、忘れていた空腹感が呼び戻される。
    「うわー! ありがとカルタ!」
     ガエリオはすぐさま中身にかぶりついた。
    「別に私が作ったわけじゃ……」
     呆れ混じりにそれを眺めていたカルタに、マクギリスが微笑みながらこう言う。
    「でもカルタも手伝ったんでしょう」
    「そ、それはそうだけど……」
     先ほどの恩着せがましい一言を拾われたカルタが苦しそうにうめく。マクギリスはガエリオがポテトサラダのサンドをほおばっているのを目を細めて眺め、「おいしそうだね」と笑う。
    「おいしいけどやんないよ」
     なんとなしに危機感めいたものを感じてガエリオは大口を開けて残りのサンドを中に収めようとした。それを見てマクギリスはさらにおかしそうな声を上げる。大人びてはいるものの、年相応の少年らしい笑みだった。
    「さすがに今のガエリオからはとらないよ」
    「そうよ、マクギリスはあんたみたいに意地汚くないんだから」
     ひどい言われようである。が、自分が意地汚いかはさておき、ガエリオは一瞬言葉に詰まってしまう。
     マクギリスは何かを積極的にほしがったりしない人間だと、常日頃からガエリオは感じていた。ほしいものがあっても、遠慮しているのか口にはしたがらないように見える。
    「今度、わ、私のでよかったら、作ってあげてもよくてよ」
     だからこんな風にカルタが言い出すのは、マクギリスにとってもすごくいいことなのだと思う。自分への態度と比べものにならないほどその口調が健気でいじらしいのはひとまず置いておいて。
     マクギリスは嬉しそうに笑い、カルタは申し出を突っぱねられなくてほっとしている。そんな光景を見ながら、ガエリオはふと考えた。
     もし自分に向けられるカルタの態度がこんなふうだったら?
    「……」
     ぞっとしない。
     ガエリオが好ましく思うカルタはいつでも堂々としていて、強く賢く、自身に満ち溢れている。多分マクギリスを前にしたような態度ばかりを向けられていたら正直カルタを好きにはならなかっただろう。
    「ん?」
     好き? 誰が誰を?
     不意に去来した大いなる疑問に首を傾げたガエリオを、友人たちは不思議そうに見つめている。
    「どうしたのよ」
    「変な顔になってるよ」
     まっすぐに自分を見つめる二つの顔は純粋に自分を心配してくれているのに、なぜかどうしようもない、焦りのような不安に見舞われる。
     そうじゃない、自分が何かとても、大事なことを忘れているような気がするのだ。その正体が何かなんてこれっぽっちもわからないのに。
     白い光、砂塵の中で泣いている自分。そんな幻覚がガエリオを俯かせる。
     それでも――
    「ガエリオ?」
     心配そうな友人の声が、暗い光景をかき消してくれる。案じてくれる仲間は、手の届く場所にいる。
    「ちょっと、熱でもあるんじゃな、」
     カルタの言葉を遮って、ガエリオは友人たちの手をとった。右手でマクギリスの左手を、左手でカルタの右手をとって、そのまま手をつないで歩き出す。
    「いきなり何するのよ!」
     呆気にとられたマクギリスとわめくカルタを引きずってガエリオはのしのしと歩を進めた。夢に見た不安の影も、内心の気がかりもすべて、何もかもを振り払うように力強く歩いていく。大切な友人なのだ。バラバラになんかなりたくない、そんなことは絶対にさせない。
    「早くしないと遅刻するだろ!」
     照れ隠しのような大声が空に放り投げられる。受け取り手もいないと思われたそれは、けれどしっかりと受け止められた。
    「自分が寝坊したくせに!」
    「置いてなんかいかないよ」
     一人は怒って、一人は笑っている。
     ここに、自分を拒む者はいない。
     鼻の奥がつんとした。プールでおぼれたときのようだと思った。マクギリスはガエリオの手を握り返す。水底から引き上げるように力強く腕を引く。それがあまりにも嬉しくて、待ち望んでいたものが何か思い出せそうな気がして、ガエリオは怒ったように顔をゆがめた。
    「――ぜったいだぞ!」
    「はぁ? あんた何ムキになってんのよ……」
     呆れ交じりのカルタもたしなめるように手を引いてくれる。その手に触れている二つのぬくもりは心地よく、まるで嘘か夢のようだとすら思えた。
     もしかしたら自分は夢を見ているのかもしれない。自分の体はどこかの荒野に打ち捨てられて、魂だけが甘い虚構にとらわれているのかもしれない。
     たとえそうだとしても、一体誰がこの手ににじむ熱が幻だと言えるのだろう。
     許されたい。これを真実だと思い込む愚かさを許されたい。
     蝉が鳴いている。わずかばかりの夏の隙間で何かに抗うように。尽きるさだめの命を嗤うことなどもう誰もしなかった。

     ひとかたまりになった三つの足音が坂道を駆け上る。固く泡立ったような白い雲の眩しさがまっすぐに目を貫いてくる。
     それでも見上げることをやめられないほどに夏の空は美しく――少年たちはどこまでも無垢だった。

  • 救いはあるか

     ナオミが死んだことを知ったとき、正直に言うと半分くらいは諦めがついていたから取り乱すこともなかった。
     そうは言うもののもう半分は「それでも、もしかしたら」なんて期待を持ったままだったから、あたしは冷静なように見えて内心かなり動揺していたんだと思う。

    「オイ、」
     業魔殿――ビーシンフル号から見る芝浜の夜景は悪くない。眠らぬ街という言葉がよく似合う繁華街が、さっきから滲んで見えるのは自分が一番よくわかっている。
     外の景色を見るためだけに作られた広い展望室には、背の低いテーブルと揃いのソファが何組か配置されている。すわり心地もよければ趣味もいいので、貸切状態なのをいいことについつい長居してしまっているが、ここでぼんやりしている理由はそれだけではない。
     悲しみを消化するのは、一人きりがよかった。
     粗暴な足音が聞こえてきても、背後から声をかけられても、相手が誰だか知っていながらあたしは振り向かなかった。こんな顔、見られたくないし。今だけ一人にさせてほしい。
    「聞こえねえのか、レイ――」
     キョウジ……スケロクは無理やりソファに、あたしの隣に腰を下ろして、それから意外なことに絶句しているようだった。
     この男は泣いている女を前にしても、面倒臭ぇと悪態を吐きこそすれ、気を遣ったりましてハンカチを差し出したりなんてことは絶対にない。だから、すぐに立ち去るだろうと思っていた。大体、彼でなくともいい歳した大人が靴を脱ぎ散らかしてソファの上で足を抱えて泣いているなんて、係わり合いになりたくないに決まっている。
     けれどあたしの予想に反して、スケロクはそこから動こうとしなかった。かといって何を言うでもない。さすがに気まずくなって、「なんでここにいんのよ」と、鼻をぐすぐすさせながら問うと(自分でもこんなに情けない声になっているとは思わなかった)、
    「ここはおまえの部屋じゃねえだろ」
     文句あんのか。と、妙に懐かしいへらず口が返ってくる。
     昔に戻ったようだった。それがなぜか、嬉しかった。黙っていると喜んでいるのがばれそうな気がして、とっさに口を開いてしまう。
    「あんたの部屋でもないじゃない」
    「まぁな……」
     スケロクは上着のポケットから煙草を取り出し、さも当然のような顔で一本咥えた。
    「あ、ちょっと、ここ禁煙なのに」
    「誰もいねえからいいだろ」
    「あたしがいるでしょうが!」
     静止もどこ吹く風、結局ジッポライターで火をつけてしまった。憎たらしい笑みを浮かべておいしそうに煙を吐きながら、スケロクはちらとこっちを見た。
    「おまえはノーカウントだよ」
     馴染みの薄い顔が、よく知った風に口元を歪めている。
    「失礼な男ね……あんたってほんと変わらない」
     外見――物理的な身体が変わっても、彼の魂は何も変わらないのだろう。煙草の銘柄も、火をつけるときに首をかしげる癖も。
     何にも、変わらない。
     世界の全部が変わらないままだったらよかったのに。甘い考えはスケロクの声でかき消される。
    「親友だったって?」
     ナオミのことを言っているのはすぐにわかった。彼女が死んだのを知らせてくれたのはマダム銀子なのだから、スケロクだってすでに聞き及んでいてもおかしくはない。
    「うん。師匠同士が仲良くて、一緒に暮らしたこともあったわ」
    「ふぅん」
     興味なさそうな返事に、なんとなくほっとした。同情されたいわけではない。突き放されたほうが吹っ切れるかもしれない。そう思うと、勝手に口が開いていた。
    「……あたしもよく知らないけどね、彼女の兄弟子がこっちに殺されて、それであたしのこと恨んでたみたい」
    「くだらねえ」
     嗤うわけでもない。スケロクの声には淡々とした響きだけがあった。
    「こんな因果な商売やってりゃ、そんなことザラだろ。いちいち仇だ復讐だなんて言ってたらお互い命がいくつあったって足りやしねえ」
    「……?」
     ひどいことを言われているような気もするけど、これはもしかして慰められているのだろうか?
     いや、そんなまさか。キョウジだったころの彼は他人を蹴倒し踏み潰し、通った後にはぺんぺん草も生えないような男だったのだから。あたしを慰めるくらいなら喜んで悪魔の一ダースくらいは「掃除」するだろう。
     一拍遅れて「そうね」と肯定すると、スケロクはため息のように紫煙を吐き出した。呆れているに違いない。
    「それでおまえは、自分のことを殺したいほど憎んでるやつが死んだってのに、律儀にメソメソしてんのか?」
     言われてみれば嘆く義理もないのかもしれない。でも、幼いころの思い出をすべて否定するのはつらい。
    「……まぁ、ね。いくら恨まれてるってわかってても、やっぱり親友よ。死なれちゃったらもう終わりだもの。会って話せばもしかしたら、とか、考えてた……し。あはは……甘いよね」
     こうやって割り切れない感情が残っている自分に、ほっとしているのは甘さだ。自分でもわかっているし、彼にだって見透かされている。
    「そうだな」
    「なによ、即答?」
    「それ以外に言い様がねえんだよ」
     へっ、と笑ってスケロクは煙草をもみ消した。手のひらには銀色の携帯灰皿が乗っている。歩き煙草とポイ捨ての常習犯だったくせに、改心したんだろうか。いや、それはないだろう。
     ないだろう、と確信しながら、でも彼だって少し変わった気がした。あたしの話に、ほんのちょっとでも付き合ってくれる程度には。
     結局これは彼なりに励まそうとか慰めようとかそういうつもりだったのかもしれない。そう思い当たるとなんだか無性に恥ずかしいような気がして、わざとらしい声を出した。
    「ほんっと、やさしくないよね。キョウジ君はあんなにやさしいのに」
    「……おまえはほんっとに口がへらねえな」
    「あら、ありがと」
     スケロクは二本目の煙草を咥えたまま、怪訝な目であたしを見ていた。謝辞の意味に気づくほどマメな男じゃないのはよく知っている。でも一生気づかないほど馬鹿でもないからそのうちわかるかもしれない。
     次に会うときはまた別の顔をしているんだろうか。そう考えると、なんだか焦りのような悲しさが湧いてくるようだった。
    「キョウジ、」
     姿形と一緒に、魂も変わっていくのだろう。もっと人に優しくできる葛葉キョウジ。うん、薄ら寒い。
    「あたしが死んでも泣かないでね」
     明るすぎる夜景のせいで、お互いの顔が窓ガラスに映りこまなくてよかったと思った。
    「泣くか、馬鹿」
     彼がどんな顔をしてそう言ったのか、知らないほうがきっといい。
    (了)


    笹舟の行き着く先

     俺はときどき、何かが無性にこわくなります。

     なぜ青年がそんなことを言ったのかわからないし、「何か」というのが何であるかなど麗にはわからなかった。
     せせらぎのように流れ落ちる水の筋が、八月の日差しを受けてきらめいている。じっと見つめていると落ちているのか上っていくのかわからなくなりそうだ。
     麗と、キョウジと名乗る青年は、揃って庭を眺めていた。別に面白いものがあるわけでもない。そうしろと命じられているわけでもない。他人の家に上がりこんでいる手前、膝は崩さずにじっとしている。
     一週間前、この家の主は死んだ。
     特に親しかったわけでもなければ知己でもなかった。生前の、「人間だったころの」姿すら写真でしか見たことがない。
     人には言えぬ生業ゆえに、二人はここに座っている。立派な、という形容が似つかわしい邸宅は、豪奢でありながらどこかむなしさのようなものを感じさせた。人の手がどこまでも加えられた人工の庭を、単純に美しいとは言えないのと似たようなものだろう。
     風鈴がゆれ、冷たい音を奏でている。その音に、キョウジはわずかに肩を震わせた。きっと何かに呼ばれたような気がしたのだろう。麗にもそれがわかる気がした。
     一週間前、この家の主をキョウジは殺した。
     正確には、「主だった異形のもの」を消し去った。
     あまりに急な依頼だったもので、なぜ主がそのようなことになったのかなど二人は知らない。しかし、知らぬでは許されない。第二第三の異形のものが現れてはかなわぬ。それは己らの手間や億劫さのためもあろうが、見知らぬ誰かの平穏を徒に乱させたくはないという、ある種の義憤や使命感でもあった。
     麗はししおどしが傾くのを見るでもなく見ている。
     主はどのように生きていたのだろうか。何を生業とし、何を好み、何に心を動かしたのだろうか。もはや語る口も持たぬ上、魂すら消滅した彼に尋ねることもできぬ。
     酷ではあろうが、残された細君に知る限りのことを聞き出すしかない。二人にできることはそれだけで、二人がやらねばならぬ最低限のこともそれだった。
     彼女は何を知っているのだろうか。何も知らないのではないだろうか。
    そのほうがいいと思った。
    (ああ、だめね。気持ちがつられそう)
     膝の上で握り締めた拳に力をこめる。情にほだされて甘い考えなど起こすなど自分らしくもない。かつてのキョウジにならば気取られていたに違いないだろう。
     横目で見た現相棒は、むっつりと口を結んでいるかと思いきや、妙に穏やかな顔で庭の木々が風に揺れるのを、否、その先の何かをじっと見ていた。夏の蒼穹は濃く、息が詰まりそうになる。あんな青の先には、一体何が沈んでいるのだろうか。
     ちりん、ちりんと風鈴が騒ぐ。
     俺はときどき、何かが無性にこわくなります。

     自分にも恐ろしいものはある。
     麗は今、おそらく何も知らぬだろう細君を疑わざるを得ない自分の立場がわずらわしく、恐ろしい。この隙間から魔が侵食していったとしたら、と考える弱さが恐ろしい。自分が何を好み、何に心を動かし、果たして真実生きているのか断言できぬ心もとなさが恐ろしい。
     それでも、かろうじて顔にも気配にも出さぬよう気を張っていることはできる。長年の修行は肉体だけでなく精神をも十分に鍛え上げた、その結果だ。
     しかしキョウジは、ほんのつい最近まで何も知らぬ善良な市民だった彼は――

    俺はときどき、何かが無性にこわくなります。

     なぜ平然としていられるのだろう。
     一度死に、他人の肉体を得、彼はそれでも確固たるものを持っているのだろうか。
     すうっと細められた目はおそらく、麗とは別のものを見ている。それは暑い夏の光景だろうか。それとも冷たい異界の魔窟だろうか。

     麗は今、葛葉キョウジが恐ろしい。
    (了)


    抜き身

    ――御前、そのようであっては、いつか己が身に災いをもたらすだろうねえ。

     覚えている最初の記憶などないに等しい。子供の頃は塵溜めを漁り残飯を食らい、今は自分が死体の山という塵溜めを作っているようなものだ。
     葛葉狂死にとっては、彼自身を取り巻く世界は「自分」と「自分以外」の二分にしかできず、自分以外のものには等しく価値など見出せない。見出せないどころか価値などないに決まっている、そうとしか思えない。そう思わなければ、自分を捨てたものを切り捨てなければ――

    ――まぁ、かわいそうに。あんさん、いつも惑い児みたいな目ぇして

     哀れまれることが嫌いだ。同情に寄り添われることが嫌いだ。
     かつて、女悪魔がその赤い目を細めてそう言ったことがあった。同情しているフリをして、こちらをとり殺そうとしているのならば、まだマシだった。本心から気の毒だと思っている、それがどうにも耐えがたかった。屈辱? 動揺? えもいわれぬ不快な衝動が胎からこみ上げて吐きそうになる。
     腹が立ったので狂死はその悪魔を焼き殺した。断末魔を上げることもせず、炎につつまれたその存在が、最期に残したまなざしの色など見もしなかった。

    ――人間のくせに人間が嫌いなのね。だったらアナタも、こっちにくればいいじゃない?

     お断りだ。
     どこかに属することなどこれまでもこれからもありえない。無価値な愚物どもと十把一絡げにされることを思うと胸糞悪くなる。
     なぜこのように腹立たしいことばかりなのだろうか。自分は何に対してこの刃を振り上げているのだろうか。悪魔を斬ったところで胸のつかえがなくなるわけでもない。人間を斬っても同じだ。当然だろう。すべて等しく、価値はない。零はいくら重ねても零のままだ。

    ――坊、そないなところでどうしたんや?

     初めて触れられた悪魔は、角と獣の耳を生やし、やさしい女の声をしていた。
     ひどい雨の夜だった。泥だらけで長屋の裏手に座り込んでいたら、ぼうっと目の前が淡く光っている。その中心にそれはいた。二本の足で立ち、美しい着物を着ていたが、それは明らかに人間ではなかった。けれど、今後あのように美しいモノにお目にかかることはないだろうと確信させる凄み――のようなものが、あった。

    ――坊?

     まだ数えで五つにもなっていなかったので警戒することも思いつかなかった。捨てられた子供に、甘い乳のにおいを拒めと言うのは酷だっただろう。母親の顔など知らない。それでも母性を嗅ぎ取った童は、たおやかな指先に導かれるまま、その胸に抱かれた。

    ――ああ、坊は悪魔をよう使える、その血がそうさせる、うちにはわかる。坊、一緒に来んか?

     一緒に。甘美な響き、魅力的すぎる誘惑。そして破滅へと結びつくもの。
    どこかうっとりとしたように目を細めたそれの頬に手を伸ばそうとした。かかさま、と呼んでみたかった。開きかけた口に雨の雫が流れ込む。何を言おうとしたのか、それの口元が緩んだそのとき、ガラス戸をひっかくような甲高い悲鳴を上げてそれは霧散した。
     何が起こったのか理解できなかった。寸の間のあと、陸軍の兵たちがぞろぞろとやってくる。
     調伏しそこねた悪魔がどうとか、何某少尉がお手柄だとか、よくわからない言葉ばかりが頭の上を滑っていく。
     狂死の手は空を掴み損ね、だらんと垂れた。
     理解できたのは、女悪魔を討伐した陸軍兵たちもまた、悪魔を使っていたということだけだった。

    ――抜き身の刃のようだねえ。

     正確に何年経ったかなど定かではない。
     おそらく二十歳前後になった彼は「狂死」の名を名乗ることにした。
     別段、意味はない。狂い死にさせたい相手がいるわけでもないし自分がそうなりたいなどと捨て鉢になっているわけでもない。
     名前を名乗ると相手が鼻白んだような顔をする。それだけは見ていておもしろかった。自分が狂っていないとでも思っているからだろう。そんなことを証明する手段などないというのに。
     しかし葛葉の者だという、眼前の人物だけは面白そうに笑うばかりだった。銀細工の煙管を旨そうにふかし、狂死を「抜き身の刃」と評している。

    ――そうもさらけ出して、こわいものなどないと言いたいのかい?

     言いたいも何も、恐れるものなど別にありはしない。
     答えるのも億劫で、睨み返すことでそれに代える。年齢も性別も不祥の人物は、相変わらず狂死をじっと見ていた。まるで見世物小屋の中をのぞいているかのようにも思えたし、贔屓の役者でも見ているようにも思えた。

    ――御前、そのようであっては、いつか己が身に災いをもたらすだろうねえ。

     脅しならもっとマシな言い方にしろ。
     それだけ言い残して狂死はその場を後にした。

     災い。
     それが何を意味するのかなど狂死には関係のないことだった。
     それは彼にとって価値のないものであり、仮に降りかかった災いが死を招いたとしても、それすらもはやどうでもいいと思えた。

     雨が降っている。いやな気分になる。
     その理由も、狂死はもう覚えていない。
    (了)



     多聞天、というのは仏教における武神の一柱であって、寺社の名前ではない。本来ならばこの場所を表す名が別にあるのだが、彼にとっては些末事だったのだろうか、相棒の帰りを待つのはいつも「多聞天」の境内だった。
     晴れていれば日がな一日、燦燦と降り注ぐ陽光を浴びながら毛繕いをする。
     気が向けば人間の女子供にその毛並みを触らせてやるのもやぶさかでない。
     業斗童子(ゴウトドウジ)という名の黒い猫は、そうして代わり映えのしない毎日を穏やかに過ごしていた。

     この街は、明るくて暗く、穏やかでかしましい。
     彼がまだ人間の姿を得ていたころは、あちらこちらに影を落とす高い建物はなかった。今や帝都のいたるところに、高層のビルヂングが生えている。一体何が楽しくてそのようなものを造るのか理解もできないが、それがこの街の選んだ在り方であり、人々の願った結果に違いない。
     で、あれば――帝都守護の任を受けこの地に滞在するデビルサマナー……の、相棒にしてお目付け役であるゴウトは、たとえ気に入らないとしても、その在り方を曲げるなどとは思うべくもなかった。
     世の流れにはあらがわず、人の営みは見守るのみ。
     子供たちが蝶を追いかけている。甲高い声は決して好ましいものではないのだが、ゴウトはただ緑色の目を細め、そっぽを向くように寝姿の頭を動かすのみだった。
     この街では大きな争いはない。些細な喧嘩は日常茶飯事で、稀にそれが大事になって死傷者が出ることもありはする。だが、この街に動乱はない。死を振りまく疫病もなく、政変の兆しも見られない。
     こんな平穏がかつてなかったわけではない。過去にも、そしていかなる場所にも、穏やかなひと時が訪れないことはなかった。しかし人々がいくら願っても、不変というものは存在しえない。
     逆説的に言えば、だからこそ帝都守護などという任が存在する――そう認識してもいいのかもしれない。
    「ゴウト」
     耳慣れた声が、ゴウトの意識を揺り戻す。鼻先をかすめる退魔の香。外套姿でその場にしゃがみこむのは彼の相棒、十四代目葛葉ライドウだった。
    「うん? 早かったな」
     正確な刻限はわかりかねるが、通常よりも一刻ほど早いように思う。ゴウトの問いに、ライドウの名を継ぐ少年はその理由をなにやらと述べていたが、特段興味もわかなかったのですぐに忘れてしまった。
     一人と一匹は、まだ日の高い帝都の街を往く。時折ライドウと顔見知りの人々が声をかけてきたり、女学生風の何人かが熱烈な視線だけを投げかけてきたりする。目的地は下宿先兼勤務先の銀楼閣・鳴海探偵社。所長の男はどうせ、マッチ棒の楼閣づくりに精を出しているのだろう。

     毎日は、穏やかに過ぎる。
     悪魔がらみの事件は起こるが、過去に起こった大きなものと比べれば大した脅威ではなかった。
     ライドウは青年へとたくましく成長し、鳴海は頭に白いものが目立ち始めた。
     ただゴウトだけは、いつまでも変わらない。

        §

     それからほどなくして、帝都は変わった。帝都だけではなかった。
     国と国との争いが、否応なしにあらゆるものを飲み込み、推し流し、根こそぎ焼き払った。
     帝都守護。
     常人ならぬ存在とはいえ、もはや一個人になしえるようなお題目ではなくなっていた。
     潮時かもしれない。
     目尻に年齢が刻まれつつあるデビルサマナーがそう感じたのかはわからない。しかし戦争が終わり、何度目かの復興に沸き立つ帝都から、一人の男が姿を消したのは事実だった。
     人は変わる。街も変わる。
     目まぐるしい時の流れは、かつて身をもって味わったことがある。人間の成したことを/成すだろうことを突きつける冷たい回廊で。
     人は変わらない。そう簡単には、変われない。そう希っていても、人は時として流されていく。
     だが葛葉ライドウは違う。ゴウトはそれを知っている。
     襲名のときに定めた己の在り方は、変えられることなど赦されていない。それは行動を定義し、魂を縛り付ける、閉ざされたものだった。それに何かを感じたことなどない。生き物が呼吸をするのと同じに、彼にとっては思考の埒外にあるような「当然」のことなのだから。
     そしてそれは、ゴウトも同じ。彼は自分と同じ在り方を選んだ男を何人も知っている。この先どのように世界の仕組みが変わろうと、彼らはその隙間で――たとえひっそりとではあっても――その営みを続けていくことを知っている。

     花が咲き、夕べに散る。
     星が瞬き、天を巡る。
     雨は地を濡らし、芽吹きを呼ぶ。
     季節は何度も流れ、また繰り返す。

         §

    「そう拗ねないでください。こうしないと電車には乗れないんですから」
     白銀のような長い髪を揺らし、その人物は片手に持つ大荷物の中に声をかけた。携帯電話での通話は終わったらしい。
     大荷物――ケージは人間が入るようなサイズなどでは断じてない。張りのある布地でできたそれの大きさはせいぜい五十センチ四方で、一面は黒いメッシュの生地が貼られている。中には同じ黒の毛並みを持つ猫が、鳴き声も上げずに丸くなっていた。
     最近では電車に飼い猫を乗せるにも様々な規定がある。決められた大きさのキャリーケースに入れておかなければならないし、その分の追加料金だって予め取り決められている。
     黒猫は不本意だったが、納得するしかなかった。
     しかし不本意とは言ったものの、思い返せばそもそも電車――初期は蒸気で動いていたので電車ではないが――というものが走り始めたころも、飼い猫やら犬やらと同乗する人間はそう多くはなかった。そう、そうだ。黒猫をつれてどこへでも行く相棒は物珍しい目で見られていたものだった。療養中の当代からすれば「考えられない」ことだろう。
     電子音のベルが鳴り、空気のような音を立ててドアがひとりでに閉まると、小さなケージを乗せた大きな鉄の箱は動き始めた。ややノイズまじりの車掌の肉声アナウンスを追いかける、録音された無機質な案内。時速八十キロを超える快速の車内は様々な年代の乗客でほぼ満席だった。黒猫はメッシュの檻越しに周囲を一瞥する。幼児を連れた女性、談笑する老人たち、鞄を抱えて転寝する背広姿の男性、ドア近くに立っている詰襟の集団は、高校生というやつだろうか。かつて師範学校に通っていた相棒の姿を思い出し、隣に座っている人物と見比べる。
     よくもまあ変わったものだ。
     口に出さなかったのは、彼なりに当世に馴染み、場をわきまえてのことだった。電車の中で猫が鳴けば、暫定飼い主殿は困惑するだろう。
     電車はゆるやかなカーブに差し掛かる。県境を越えれば、まもなく目的の街へと至るだろう。

        §

     そこは初めて訪れるはずなのに、どこか懐かしさが感じられる場所だった。
    「……葛葉探偵事務所?」
     黒猫は目を眇めた。重い扉をくぐり、ケージから出た先はなんとも豪奢な内装の建物である。よく手入れのされた床には自分の姿が反射しているし、調度品も高価なものばかりだった。
    「おい」
    ステップフロアの上から視線が向けられている。恰幅のいい初老の男が、その体格に似合わないほど細かい皺を眉間に寄せて一人と一匹を眺めていた。
    「なんでまた俺のとこなんだ」
     不機嫌というよりは不可解な口ぶりで男が尋ねる。黒猫は、その声に聞き覚えはない。が、彼の纏っている奇妙な雰囲気には何かしら感じるものがあった。
    「理由は特にありませんけど、強いて言えば様子見も兼ねて。それに、私はあなたにはいろいろと貸しがありますから」
     こちらはなにやら上機嫌だった。彩られた唇は本心からの笑顔を作っているが、そこには何か、愉快さによってそうなっているような――いわば人の悪さが滲んでいるようにも思えた。
     それでようやく、理解が追い付いた。
     葛葉を名乗る得体の知れない男、目付け役の態度、常人とは一線を画した雰囲気。
    (やれやれ……)
     黒猫は呆れた。わざわざこんな場所まで自分を預けるために足を運ぶとは酔狂にもほどがある。呆れの理由はそれが一つと、もう一つは自分の勘が鈍ったのではないかという自嘲だった。
    二人はその後も、「他所をあたれ」だの「文句が言える立場ですか」だの、言い合いからは程遠い応酬をしばらく続けていたが、結局傍から見ても力関係は歴然で、口ひげを蓄えた男が言い負かされる結果に落ち着いた。そんなことをしなくても最初から分かり切っていた結末ではあったが。
    「きっと引き受けてくれると思っていました。ではよろしくお願いしますね。
    ――仲良くするんですよ」
     まるで母親か何かのような口ぶり……というのは、残された一人と一匹に共通の感想だった。
     まあこの男についてそう振舞うのも仕方あるまい。何せ目付け役と問題児なのだから――と、黒猫は納得する。
     まあそう言いたくなるのも妥当か。何せかつてはこの猫と共に過ごしていたと聞くし、懐かしさからそう口走るのもむべなるかな――と、探偵事務所所長は合点し、革張りの椅子にその身をどっしりと落ち付かせる。
    「で? どこ行くんだよ、あいつは」
     男の口ぶりは見た目よりも若い。人の出払っている事務所の中で何を取り繕うでもないのだろう。
     猫は正直に行き先を告げた。サマナーであれば彼の言葉は人語として認識できる。男も例にもれず、黒猫の返答に「そうか」とだけ返した。何度も肉体を取り換えているわりにその実力は衰えていないらしい。
    (まあ、四天王の一角なのだ。そう簡単に耄碌されても困る)
     いや、結局今は別の男がその立場なのか? 黒猫は自問したが、出窓から降り注ぐ午後の陽光に思考を妨げられる。午睡の誘惑はいつであっても耐え難い。かつての多聞天を瞼の裏に描きながら、彼はゆっくりと体を丸めた。
     人は変わる。街も変わる。そして自分だけは、取り残されてここにいる。
     それは孤独と呼んでもいいものかもしれないが、苦しいと感じた覚えはあまりない。この男も同じだろう。
     瞼を開けてみたくなるが、黒猫はそれをしなかった。なにやら興味深そうな視線が向けられている気配を感じていたので、素知らぬふりを決め込むことにした。
     しかし――
    (……フフ)
     黒猫は、幾分上機嫌だった。結果論とはいえ、お互い似たような身の上に落ち着いてしまっている。しかし年季はこちらが上。断じて名誉なことではないが、同じ境遇の存在にヤツが関心を持っているというのは実に面白いし、得体の知れぬ優越感すらこみあげるのだった。たとえ相手が、さしたる面識のない間柄であったとしても。
    (葛葉、か)
    強いて言うならば、彼の在り方は初代の男と少し似ている。その事実が僅かばかり溜飲を下げさせるのかもしれない。
     果て、自分はこんなにも人の悪い考えをしていただろうか――などと益体のない思考をめぐらせながら、黒猫は眠りに落ちていく。
     時刻は午後三時を少しばかり回ったところ。商店街の只中にありながら、重い扉は一切の喧騒を遮っている。まるで静謐だけがそこにあり、魂だけの男たちなど忘れ去られたかのようだった。

     葛葉探偵事務所の午後は、ただ静かに流れていく。
    これまでと同じように、これからも変わらずに。
    (了)

  • サイトについて

    ⚠ここにあるものはすべて公式とは一切関係のない個人の二次創作物です⚠

    n年後の自分のためにアウトプットしたものを置いておく場所です。自分のためなのでユーザビリティ低低です。
    作品だけお求めの方はpixivの方がおススメかもしれません。特に小説はpixivのほうが可読性が高いです。

    [やぶさかえぬ]
    話を聞けば聞くほどマスターモスキートン’99は絶対好きだと思うので視聴できる機会を長いこと探し求めています。
    少女漫画生まれ夢小説育ち男女CP・男女夢・CPなし創作大体好みがち
    stay nightではHeaven’s Feelのノーマルエンドが一番好きです


    [サイト以外の生息場所]
    pixiv :ジャンル雑多・年齢制限のあるものは全部ここ
    X:おしらせと落書き投げ
    タイッツー:川中島・自分用ネタ帳(鍵)
    wavebox :絵文字投げ込み箱・感想頂けると大変うれしいです!
    BOOTH:自分用に刷った本の一部を細々と頒布しております。内容はpixivなりサイト(ここ)なりで読めるので紙で欲しい人向け。
    とらのあな通販:BOOTH載せたからこっちも載せておこう。こっちにしかない本とかもあります。不親切ですまない。あまり反省はしていない。

    あと倉庫状態の夢小説サイトがあるけどリンクは載せません。
    これら以外のSNSはやっておりません。


    [連絡先]
    mail:nyx1560[あっとまーく]gmail.com 記名で返信が必要な何か(とは?)がありましたらこちらまで

  • 綾瀬と桐島

    綾瀬と桐島の組み合わせがなんか好きだな…という気づき

  • 2023-09 らくがき

    アンリマユ、レベル100にしても使いどころがない(≒弱い)んだけど毎日このアンリマユを使ってくれるフレンド氏の意図がちょっと知りたい(ありがとう)

    ナースのお仕事と同じ年だったのでつい

  • マキと麻希

     

    タイムラプス(いつもタイムラスプと言いそうになる)撮るの好きなんだけど毎回「下書きのときが一番いいなぁ~!」って悲しい気持ちになります。

  • 本誌感想絵

    白拍子天女≒アイドル天使やん!という余計な気付きを得てしまったがためにようこそようこ風ロゴを作る暴挙に出たものの出来が微妙すぎて、夏

    (数えきれないくらいの人と)あん~な~にいっしょ~だ~ったのに~

  • シオンとシオン

    ペーパームーンとてもよかった絵

  • 🧦

    「人間の変態」で死ぬほど笑った記憶

    単行本派なのと二次創作の読みすぎでタビとヴェンは同居していると勝手に思い込んでいたのでしばらく「通い…?えっ通い…?(ゴクリ」ってなってました。私は「へんな」のもちもちすべすべな肌触りのぬいぐるみというかフィギュアというかが欲しい。

  • 夫妻漫画詰め

    渡良瀬川

    上杉殿、尊氏君ともそこそこ仲良くてほしい(無理筋願望)
    (あと義季の”義”は直義からの偏諱説…と思ってたけど直義が高国から直義になったの鎌倉幕府に反逆してから後のことなので時期的にやっぱりおかしい)

    もしも夫妻の婚姻が義弟の元服前だったら

    全身の穴という穴から血が噴き出して死ぬ~は鎌倉殿ネタです

    っていう願望

  • 幼少のみぎりのご兄弟

    新田の小太郎、元服してもトトロに会えそう

    上杉のおこしとは…大河ドラマ「太平記」の一話で清子ママと貞氏パパが召し上がっていたお菓子です。貞氏パパが食べこぼしているのを清子ママがあらあらうふふしてんのが超かわいくてなごむ。ずっとああいうファミリーホームビデオな感じでやってほしかった。

    小さめに切ってもらってお上品に食べる弟、豪快さでは他の追随を許さない兄

  • 13

    ロンギヌス13のおもちゃ売ってほしい