小説 · 2025年6月4日

川中島はこんなことしない – 夫婦になった川中島

※武田信虎が北信濃まで領土を拡大したのちに晴信が家督を継ぎ、長尾は同盟のため娘・虎千代を差し出したというIFの話です。

 (2025.6.4更新)

 珍しいことではないが、長尾の娘と顔を合わせたのは婚儀の当日だった。
 数えでまだ十四。ほっそりとした体を前にして、果たしてこの小娘を妻として扱えるかどうか疑わしい。ただ、皆が口々に言っていたように見目の麗しさはうなずけるものだった。虎千代という名らしい。その表情には怯えも絶望も浮かんでいない。つい先日まで己の家を脅かしていた相手の家に単身放り込まれているというのに大したものだ。その点では、俺は虎千代をそれなりには評価している。

「おまえ、子は産めるのか」
 寝所でそう問いかけると、虎千代は大きな目をさらに丸く見開く。
「わかりません。産んだことがありませんので」
 唖然とした。急な婚儀ではあったものの、こいつは何も教えられずにここに寄越されたのだろうか。
「……産んだことがないのはわかっている。月の障りはあるのか?」
「つき?」
 またも小首を傾げる仕草に俺の肩から力が抜ける。
「だから……――」
 なぜ俺がこんなことを説明しなければならないのか釈然としない。いろいろ言葉を尽くしてようやく虎千代は話が飲み込めたらしく、得心した顔で「それならあります」と誇らしげな顔になった。何か褒められた子供のような顔で毒気を抜かれる。
「そうか、それだけわかればいい」
 寝所での営みについては明日にでも、女衆に説明させればよいだろう。今夜は疲れただろうからゆっくり休め。そう言って横になった俺の隣で虎千代も横になるものと踏んでいたのだが。
「……なんのつもりだ?」
 どういう意図か、俺の夜着をめくって腕の中に滑り込んでくる。
「だって、夫婦になったら抱き合って眠るのでしょう?」
 当然のような顔の虎千代は、自分はそう教わったのだと言う。教えた者が誰だか知らんが、そういう意味で言ったのではないだろうに……。それともこのまっさらな少女は、自分なりに務めを果たそうとしているのだろうか?
 ――という俺の疑問は、まもなく聞こえてきた寝息によって消し飛んでしまう。
 おかしな女だ。
 頼りないほど細い体を抱いたまま、俺もまた疲労によって眠りの中へと堕ちていく。鼻先に触れる髪は、綿雪のように柔らかい。

 その後、子を成すために何をするのかを、虎千代は正しく教えられた。年嵩の女衆たち複数人が、なにやら疲れ果てた顔で報告をしてきたのでそれは間違いないのだと確信している。おそらく説明に苦労したらしい女衆たちをねぎらい、さてこれであの小娘も多少は妻らしくなるのだろう……。

 と、思っていたのは浅はかだった。

「いろいろ聞きましたが、私、戦働きのほうが貴方のお役に立てると思いますので!」
 顔だけ見れば可憐な少女の笑みだが、その背後にはさんざんに打ち据えられた男どもが何人も転がっている。いずれも武勇の誉れ高い者ばかり。俺は弟、信繁の姿を認めて嘆息した。
「それを証明するためにこいつらを伸したのか?」
「いいえ? 皆が私を止めようとするので、だったら力づくでやってみなさいと言ったら」
 こんなことに。と、虎千代はあたりを見回した。どこか困っているような笑顔に見えたが、どちらかと言うとそれは、大の男が揃いも揃って情けないと言う呆れ……いや、呆気なく勝負がついてしまって退屈している子供の顔に見えた。
「なるほど。それなら俺も相手をしないわけにもいくまい」
 近習に目配せして竹光を持ってこさせ、俺は裸足のまま庭先に降り立つ。
 虎千代は笑った。新たな相手――いや、得物を見つけたような獰猛な笑みに感じられたのは、気のせいだろうか。

 結論から言うと俺は負けた。十四の小娘相手に情けないことだが、それでも信繁たちよりは善戦したと思いたい。……いや、大の男が負けたのは確かなのだから、マシも何もない。
 その日の夜、虎千代はどこか不満そうだった。
「こんなことなら嫁ぐのではありませんでした」
 一瞬、ひやりとしてしまう。自分よりも弱い男の妻になどなりたくなかったとでも言い出すのだろうか、と。しかし虎千代は俺を嘲ることはしなかった。
「貴方、私が妻だから手を抜いたでしょう?」
 先日と同じように、腕の中にすっぽり収まったまま、どこか我儘のようなことを言う。思わず「いや、俺はそれなりに全力でおまえと打ち合ったのだが」と言いかけたが、やめた。無垢な少女がそう信じているのなら、あえて正してやる必要などない。俺の矜持のためではない。そう、断じて。
「貴方と敵同士だったら、きっと私のこと、本気で殺そうとして挑んでくれたでしょうに」
「……おまえはとんでもない女だな」
 一体どんな心境なら、他人が自分を殺そうとするのを喜べるのだろう。
「なら、越後に帰るか?」
 実際にそうなってしまえば同盟は解消、解決したはずのもろもろの問題がまた浮上する。だから「はい」と言われても困るのだが、つい尋ねてしまった。虎千代は「それができるならそれでもいいんですけど」と言いよどむ。理由は俺と同じ政にかかわるものでは、なかった。
「貴方とこうしているの、心地がいいから」
 迷います。と、笑った。
 そこは「貴方とこうしているのが心地いいから帰りません」と言って欲しかったのが俺の本心だが、まあ夫婦になってまだ数日。俺のことをまだ何も知らないのだから仕方あるまい。
「そうか」
 細絹の髪を指で梳いてやれば、虎千代は心地よさそうに目を細める。猫のようだなと感じる俺の胸元に鼻先を擦りつけるのはますます猫を思わせた。
「おまえが越後に帰らぬよう、俺は精進せねばな」
 名実ともに俺の妻にして、二度と戦働きがしたいなどと言わせないためにも――という俺の意図は、やはり虎千代には通じていない。
「はい。今度は手加減なしでお願いしますね」
 子供同士の遊びの約束のような口ぶり。まだまだ先は長そうだ。

 あれから数月が経ったが、とら――虎千代と俺の間にはいまだ何もない。唇を重ねるくらいはしたものの、とらはそれだけで真っ赤になって呆然とするものだから、なにやら申し訳ないような気になってしまい、結局「驚かせてすまなかった」と宥めるだけで終わってしまった。
 一方で男兄弟のような手合わせには何度も付き合わされている。さすがに数を繰り返せば相手の癖のようなものはわかるし、ここだ、という見極めもつくようになった。それでも俺は、この細く脆い体を痛めつけることができなかった。できないように、なってしまった。

 秋も深まるころ、とらが熱を出した。このところ昼夜の気温差が大きかったせいだろう。数日養生させている間はあれこれとやることがあったため、俺がようやくとらの元を訪れたときにはあいつはもうすっかりよくなったようだった。
「なんだか久しぶりにお目にかかる気がしますね」
 気がするも何も実際そうだろう。綿入れに包まれたとらの顔は、いつもよりもさらにほっそりとしたようだった。寝込んでいた間はあまり食べていないに違いない。やはりこれを持ってきてよかった。
「なんですか、それ?」
「芋酒だ。滋養がつく」
 徳利の中身を杯に注ぐと、とらは怪訝な顔をした。白くとろりとしているのは、磨り潰した大和芋と酒を混ぜ燗にしたものだと言うとようやく納得したような顔になり、「いただきます」と口をつける。
「どうだ?」
 俺も口はつけたが、なかなか旨いものだと思っている。とらも同じらしく、うんうんと頷きながら味わっていたが、
「……昆布のおだしを混ぜたらもっと美味しいのでは?」
 と、越後育ちらしい注文をつけてきた。物足りなかったらしい。
「……おまえは舌が肥えているな」
 というか、それは最早酒なのだろうか? 芋を混ぜておいて言うのもなんだが。
「でも十分美味しいですよ」
 呆れる俺を意に介さず、とらは空になった杯を差し出してくる。おかわり、ということらしい。俺に酌をさせるのはおまえくらいのものだ。まあ年下の、病み上がり相手に小さいことを言うつもりはないし、実際こうも年が離れていると甘えられても嫌な気はしなかった。俺自身に弟妹が多いためだろう。
 では俺はとらを妹のように思っているのかと、そう問われれば――否、である。二杯目を飲み干して「ぽかぽかします」と顔を赤らめるとらに、何も感じないわけがない。
 酒がもたらした熱は俺の中にもある。が、一方的なものをぶつけるわけにはいかない。しかし、まだ治りかけなのだから休むといい、と、促して横になったとらの、熱い手のひらが俺を誘う。一緒に横になってほしいのかと思って寄り添うと、手のひらが俺の懐に滑り込んできた。
「……どうした」
 あからさまな誘惑なのに、どうにも自分が臆病になっているようで居心地が悪い。
「ずうっと、我慢してくれてたでしょう……?」
 とろんとした目元に見つめられると、今すぐにその唇を塞ぎたくなる。
我慢。そうだな、そうかもしれない。無理矢理に奪ってしまってもよかったのに、そうしなかった理由は俺にもわからない。ただ、そんなことをしておまえに嫌われたくはなかったのだろうか。
「いいのか?」
 けれどもしおまえに今、その覚悟ができたのなら、俺に躊躇する理由は何一つない。とらはただ頷いて、目を閉じて俺を待っている。その小さな唇に食らいつく衝動は、俺の昂りを隠せているだろうか。
「……おさけのあじがします」
 舌を絡ませた後で、とらは小さく笑った。おまえも同じだと笑い、俺はとらの帯を解く。胸元をはだけると、赤くほてっているようだった。酒のせいだろうか、それだけではないといい。
 しっとりと柔らかな肌に唇を滑らせる。首筋に、肩口に、胸元に、順を追っていくごとに俺もまた熱くなっていく。どれだけ自分がこの瞬間を待ち望んでいたのか思い知らされた。とらは拒むこともなく、静かに俺の愛撫を受け入れている。もっと恥じらうかと思っていたのに大人しいものだ……いや本当に静かだな?と、顔を上げると、
「…………は?」
 思わずそんな声が出るのも仕方ない。こともあろうにとらは――すっかり寝入っていた。すうすうと小さな寝息を立てながら心地よさそうに。さすがに唖然とするしかなかったが、そのあまりにも無垢な顔を前に無体を続けられるほど俺も外道ではないらしい。深く息を吸って吐いて、情欲をなんとかやり過ごす。
「……病み上がりだからな」
 そっと寝巻の前をあわせ、解かれた帯を結んでやり、綿入れをかけて……まるでこどもを寝かしつけるようだと思えて苦笑が漏れる。
「おまえくらいだ、俺にこんなことをさせるのは」
 前髪のかかる額はまだあどけない。もう少しだけ、こんな顔を見つめる夜があってもいい。今は、まだ。

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