当初のタイトル「アイドル伝説川中島」
「川中島はこんなことしない」っていうかもはや「これは川中島ではない」。
アイドル?歌手?的な景虎ちゃん(奈々様…)と、そのファンをやってる晴信っていうパロ。
戦車男がありなら法被着てペンラ振り回してる晴信もありなのでは?(そうかな?)
時折ふと思う。
どうしてこんなことになったのだろう、と。
そもそものきっかけは、仕事で大失態をやらかした日のことだった。
誰がどう見ても俺のミスでしかなかったのに、まだ新入社員だからなのか、職場の誰もが俺を責めなかった。尻拭いのようなことを人に任せて帰るしかない俺は、自分がふがいなくて情けなくて、気づいたら一人で車に乗り込み、夜の街を走っていた。いっそ厳しく叱責されたほうが楽だった。自責の念に押しつぶされそうになって、それでも悔し紛れに、馬鹿みたいに環状線を何周もしているうちに聞こえてきたのが、彼女の歌声だった。
透明で、力強くて、綺麗な声だった。
ラジオなんて普段は聴かないのに、その日はどうしても音のない世界が嫌で、たまたまつけただけ。本当に偶然でしかなかったのに、その歌声は不思議と俺の心に染み入り、ささくれだった俺の気持ちを落ち着かせてくれた。
曲名を調べた。名前を知った。ほかの曲もいくつも聴いて、彼女に深くのめりこんでいった。そう、夢中だった。あの日からずっと、俺の世界は彼女の歌声で満ちている。
気づいたらファンクラブに入っていた――なにせライブチケットはファンクラブ優先で販売されるし。
都合がつく限り、彼女のライブには参加した――最初のころは住んでいる場所の最寄り会場だけだったが、いつの間にか全国各地へ足を運ぶようになっていた。
十数メートル先のステージで歌う彼女は、月並みな言葉だけれど、輝いていた。笑顔で高らかに歌い上げる中に、ほんのわずかな寂しさが感じられた。根拠はない。ただの直感でしかないのに、その押し隠した孤独のような何かが、俺をいっそう惹きつけたに違いない。
歌を聴くだけにとどまらず、ペンライトを振って汗だくで応援して、いい歳こいてみっともないと思わなくもない。でも、あの頃の俺を救ってくれた彼女に恩返しがしたかった。ありがとうと伝えることはできなくても、せめて応援することで、俺も彼女を支えたかった。まあ、俺一人の応援なんて、あってもなくても同じだろうが。
彼女のファンになって一年ほどが経った。その夜も俺は一人で車に乗り、夜の街をただ走っていた。こんな日は、彼女の歌を初めて聴いた日のことを思い出す。ちょうど、彼女が出演しているラジオを聴いているせいかもしれない。初公開の新曲は、来期から始まる特撮番組(彼女もサブキャラで出演する)の主題歌になるらしい。主題歌と言ってもエンディングですが、と、謙遜しながら笑う彼女の顔が思い浮かぶ。子供向けの番組は十年以上見ていないが、彼女も出演するなら見ないわけにはいかない。これでまた毎日の楽しみが増えたし、彼女が活躍の場を広げているのは一ファンとしてとてもうれしい。
番組はまだ続くが、ゲストである彼女の出番は終わったのでコンビニの駐車場に入る。深夜と言っていいような時間帯、駐車場には俺と空車表示のタクシーしかいない。都心部からそれなりに離れているのもあって、周りはずいぶん静かだった。
だから、買い物を終えて店を出た瞬間、聞こえてきた声に立ち止まらざるを得なかった。
視線を向けた先には、複数の人影があった。男が四人、一人の女を取り囲むようにしている。何かトラブルだろうか、と、眉をひそめた瞬間のことだった。
「――え」
一人の男が、女の手首を掴んだ。俺がそう認識した次の瞬間には、その腕は見事にひねりあげられている。苦痛の叫びが上がるや否やほかの三人が掴みかかろうとするのだが、結局男どもは女にまともには触れられなかったと思う。あやふやなのは、その女が驚異的なスピードで男三人を伸してしまったからだった。
「……ふぅ」
やれやれ、といった体で女はその場から立ち去ろうと踵を返す。翻った長い髪の隙間から覗く顔は、大きなマスクで覆われていたが、
「あっ」
顔を隠していたマスクが落ちた。今の立ち回りで紐が外れかけていたのだろう。
それはこの際、どうでもいい。
問題にすべきは、目の前にいる女の正体。
「景虎――」
見間違えるはずがない。俺を救ってくれた歌声の主。思わず名前を呼んでしまった俺を、彼女は少し睨みつける。
「――さん」
呼び捨てにしたせいで睨まれたわけではないと思うが、なんとなく敬称を付け加えてしまった。
ところで、この後どうしたらいいのだろうか。
大丈夫でしたかと気遣うべきか、それとも見なかったふりをして立ち去るべきか。人間、咄嗟のときには本性が出ると言うが確かにそうかもしれない。知らぬふりをするのがファンの鑑ではないかという思考を、せっかくこうして会えたのだから、ほんの少しくらい話がしたい、そう、救ってもらった礼を述べるとか――なんてエゴが侵食していく。
迷ったまま、時間だけが無為に過ぎた。
結局何も言えず何もできない俺を、彼女は怪訝な顔で一瞥するだけで、横を通り過ぎていった。すれ違いざまに鼻孔をくすぐった香り。香水か何かだろうか――という思考をかき消すような排気音。それは彼女の近くから立ち上っていた。
振り返ると、大きな白いバイクがアイドリングを始めていた。その傍らで、ごついフルフェイスのヘルメットを彼女が手に取っている。
ほかに人影はなく、大型バイクのシートはどう見ても一人乗り。
ふと、先ほどまで聴いていたラジオを思い出していた。
――そうなんです、役作りもかねて、免許取っちゃいました!
トークの中で、特撮番組への出演の意気込みを聞かれた彼女はそんな話をしていた。
――実はこう見えて合気道もやってたから、殺陣も筋がいいって褒められたんですよ~!
そうそう、そんなことも言っていた。だからあっという間に男を伸したのか、バイクにも乗っているわけか。俺は妙に冷静な頭のまま、すらりと右足を上げてバイクにまたがる姿を見ていた。つま先まで芯の通った美しさというのは、こういうものを指すのだろう。
そのまま彼女は駐車場を横切り、公道へと出ていった。すれ違う瞬間、視線がぶつかったのはきっと俺の気のせいだろう。
こうして俺の、奇跡的な遭遇は文字通り遭遇だけで終わった……。
わけではなかった。
彼女が駐車場を出ていくのと入れ替わるように、赤いパトランプを灯した警察車両が入ってくる。何事か、と、身構える俺の後ろ、コンビニの店内から今度は店員が出てきた。察するに、先ほどのトラブルを店内から見た店員が通報したということだろう。まずは倒れている男たちから話を聞こうとしている警官を見ながら、どうしようか、と、俺は困惑した。正直に彼女のやったことを話すべきかもしれないが、警察沙汰になったら今後の活動に支障が出るのは間違いない。ここは知らぬ存ぜぬを通して、彼女を守るほかないと思えた。そうするつもりだった。
だからといって、なぜ俺が暴行の加害者になっているのだろうか。
被害にあった悪漢たちの気持ちはわからないでもなかった。女一人にしてやられたと言うよりは、それなりに体格のいい男の俺にやられたほうが証言の信憑性もあるしプライドも守られる。警察はあっさりとその言い分を真に受けて、俺を事情聴取のために警察署へと連れて行ってしまった。仕方ない。俺が身の潔白を示すことはすなわち彼女の未来を潰すことなのだから。何を聞かれても何も答えない俺と警官の押し問答がなされること数時間。なんやかで夜明けまであとわずかというところで、事態は動いた。
放免。
とりあえず俺が何もしていないことはわかったので帰っていいと放り出される。何も言っていないのになぜ……と、訝しく感じながら警察署の裏口を抜けると、
「え……」
そこにはなぜか、彼女が立っていた。
「私のこと、かばってくれたんでしょう?」
曰く、走り去りながらミラー越しにパトランプを見ており、もしかしたら大事になったかもしれないとビクビクしていたのだと言う。それなのに自分のもとには警察も来ないし電話もないものだから、耐えかねてマネージャーをたたき起こし真夜中の警察署に出頭したらしい。現在所属事務所の顧問弁護士も交えてすったもんだをしているらしいが、とにかく彼女の経歴には傷はつかないし、俺も同様になる見込みだとのこと。なんだか空恐ろしい世界だなとは思ったが、丸く収まったのならそれでよかった。
「ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる彼女に、俺は何も言えなかった。
礼を言うのは俺のほうだと言いたかったのに、口がまったく動かない。おまけに、
「……あ」
何時間も拘束されていたせいで腹から大きな音が出てしまった。さすがに恥ずかしい。腹を押さえたところで口をつぐんだところでそれは収まらず、何か動物の唸り声のようなそれがやんだとき、彼女はこらえきれずに笑い声をあげていた。
「おなか、減ってるんですね!」
朝日のようなすがすがしい笑顔が、俺の手を取っている。
「私もです。ねえ、朝ごはん食べに行きましょうよ!」
お礼におごりますから、と、有無を言わさぬ勢いで引っ張られていく。
いいのだろうか、こんなことをして。罪悪感のようなものは、けれど睡眠不足で空腹の本能にかき消されていく。
いいじゃないか、こんなことしたって。一緒に朝飯を食うくらい、人身御供の報いに受け取っても罰は当たるまい。
夜明けの街を、彼女と手を繋いで歩きながらふと思う。
どうしてこんなことになったのだろう、と。
でも、どうでもよかった。
きっかけも理由も全くわからない、人生とはそんなものなのかもしれない。