書いてたけどしっくりこなくて没!にしたのをMOTTAINAI精神でなんとか書き上げてサルベージしたものです。
流転の二人、生理ネタ平気な方はどうぞ…
朝、隣で眠るぬくもりに驚かないようになって数か月。いっしょに暮らそうと決めたはいいものの、結局忙しさやらなにやらで引っ越しは滞り、週末に晴信の家に泊まるばかりの生活を始めて数か月。その朝もいつものように、昨夜の記憶をゆるゆると思い出しつつ幸福を噛みしめ、大きな体の割に静かな晴信の寝息を聞くともなく聞いている。眠っていても何か感じるものがあるのか、晴信は私の体に腕を回して離さない。それから離れようとしたわけではないけれど、身じろぎをした瞬間――
「――あ」
体の奥からどろりとしたものが漏れ出る感覚。さっと血の気が引いた体は勢いよく布団を跳ね上げ、晴信の腕を払ってベッドから起き上がりトイレ目掛けて走って行く。勢いよくドアを閉じる向こうで、晴信の焦ったような声が聞こえた。こんなに騒げばさすがに起こしてしまうだろうし、それについて申し訳なさはあるけれど、今は正直それどころではなかった。勘違いであってほしい願いが半分、その願望は真実願望でしかないだろうという確信が半分以上。
そして結果は、悪い予感の通りだった。
「あぁ……」
どうしよう――と、トイレに腰かけたまま項垂れることしかできない。とはいえ、こうしているだけではどうにもならないし、何より晴信が心配する。そうこうしているうちに、慌てたような足音が扉を隔てた向こうで止まった。
「どうした、具合でも悪いのか」
寝起きの掠れた声は明らかな心配で満ちていて、申し訳なさでいたたまれなくなる。
「起こしてごめんなさい、違うんです、なんでもないから……」
「本当か? どうする、病院いくなら車……いや救急車がいいか?」
私以上におろおろしているような晴信に本当のことを言うのはなんとなく憚られたけれど、無駄な心配をかけても仕方がないし、恋人同士だし、こうなっては晴信しか頼れる人がいない。恥じる気持ちはため息とともに捨てる。
「そうじゃないんです、あの……その……生理が……来ちゃいました……」
「――」
扉一枚を挟んでいると、晴信がどんな顔をしているのかまったくわからない。きっとこんなことを言われても困るだろうな……と、後悔していると、予想外の言葉がかけられた。
「そうか、アレは、持ってきてるのか?」
晴信の声はやけに冷静だった。冷静であろうとしていただけなのかもしれないけど、とにかく状況確認を済ませようという意図はわかったので私も応える。
「ナプキンのことですか? いえ、あいにく……」
いつもよりも早かったので何の備えもない。これでいよいよ晴信も困り果てるだろうと思っていたのに、当の本人は私よりも落ち着いていた。
「そうか……わかった。今から買ってくる」
「えっ」
さっきから予想外が続くものだから声が裏返ってしまった。晴信は誤解したのか「……嫌か?」と不安そうに声を潜めるけれど、嫌も何も、正直に言えば人に買ってきてもらうしかないと思っていたのは事実だし、この場でそれを頼めるのが晴信しかいないのもまた明らかなこと。でもさすがに、恋人とは言え男性に生理用品を買ってきてもらうのは躊躇われたし、晴信だって嫌がるだろう……と、危惧していたことを言い淀みながら伝えると「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」と一蹴されてぐうの音も出ない。結局「すみません……お願いします」と項垂れた私に力強く答えて、晴信の足音は部屋の方へ戻っていった。着替えを済ませてくるのだろう……と、待つこと数十秒。トイレのドアがノックされる。
「ちょっと開けるぞ」
鍵のかかっていないドアが、ごくごくわずか、ほんの三センチほど開かれて、その隙間から私のスマートフォンが差し入れられる。
「……?」
これで暇つぶしでもしていろということだろうか? 受け取りながら晴信の真意を測りかねていると、
「俺は買いに出るから、普段どれ使ってるのか画像でもなんでもいいから送ってくれ。あればそれを買ってくるし、なかったら似たのを探す」
まくし立てられた内容はつまり、私が普段使っているナプキンの種類を教えろ、ということらしい。
「え、あ、わかりました」
なんとかそう答えたのを聞くか聞かないかのうちに、晴信は鍵を掴んで外へと出ていった――気配がした。
静かになった家の中で、私はなんだか化かされているような気分だった。
(晴信、ナプキンに種類があることを知ってるんでしょうか……知ってるんでしょうね)
そうでなければあんな言葉は出てこないはず。慌てた様子だったけど、反して頼もしいことこの上ない。一方でちょっとした疑念も生じる。男性でそこまで気が回るのは正直かなり珍しいのでは? やっぱり姉妹がいて、さらに女性との交際経験も豊富だから? 多少気になる気持ちはあるけれど、今はそれどころではない。最寄りのドラッグストアは歩いて数分なので、晴信はもしかしたらもう到着しているかもしれない。
私はいつも利用している通販サイトの注文履歴を開き、画面のキャプチャ画像を晴信に送った。それが終わると、ほっとしたせいかじわじわと痛みが出てくる。薬も頼めばよかった、いや今から頼めばいいのか? と逡巡していると、見透かしたようなメッセージが飛んでくる。
「鎮痛剤は?」
思考を読まれたようで少しぎょっとしつつも、願ったり叶ったりなのは事実。薬もあったら助かるので頼みたいと送ると、即座に返信がなされる。
「わかった。種類は?」
同じように薬の外装画像を送りながら、私は少しだけ、昔のことを思い出していた。学校でうずくまっていた私を助けてくれた日のことを。
晴信が帰って来たのは、それから十分もかからなかった。買ってきてもらったものを受け取り、ようやくトイレから出てリビングへ入ると晴信がキッチンに立っている。いつものように手際よく朝食を作っているのかと近寄れば、コンロに掛けた小鍋の中は粥だった。冷凍していたご飯を使ってさっと作ってくれたらしい。
「食欲ないかもしれないけど、薬飲む前に何か胃に入れとけ」
「ありがとうございます……どうして粥なんです?」
不満があるわけではなく、ただ純粋な疑問として尋ねると、晴信は鍋底をかき交ぜるお玉を止めた。
「……粥なら食えるかと思って」
ふつふつと沸く鍋が焦げ付かないよう、晴信は火を弱める。
それもまた、晴信の過去の経験則からの行動なのだろうか。人によっては生理中に食欲をなくしたり、こういうものしか受け付けないという場合もあるかもしれないけど、私は別にそんなことはない。トーストでもクロワッサンでもハンバーガーでも構わない……けれど、こうまでしてくれている晴信の厚意を無下にするのも気が咎めた。
「……贅沢を言っていいなら、たまごが入ってるとうれしいです」
塩味だけの粥は味気ない、というのが本心だったので甘えると、晴信はどこかほっとしたような顔になる。それは何も、作ったものが無駄にならなかったことや、自分の気配りが的外れではなかったことに対する安堵ではなくて、何かもっと別の要因によるものに感じられた。例えば、隠していることに気づかれなかったという、安堵に。
晴信は、ここにはいない、私の知らない、誰かの影を隠そうとしているのかもしれない。
「卵か、じゃあ雑炊っぽくするか」
晴信は私に背を向けて、冷蔵庫から卵を出す。それを手伝おうとして私はもはや勝手知ったるキッチン収納から小さなボウルを取り出そうとするも、結局「おまえは座ってろ」と言われて、リビングのソファに追いやられてしまった。そりゃ、まったく気遣われないよりはずっといいけれど、こうまで過保護だとちょっと呆れてしまう。呆れながら、でもだんだんと鈍痛がはっきりしてくるのは事実なので、その思いやりがありがたかった。昔、学校で動けなくなった私のことを晴信はずっと覚えているのだろう。そして晴信にとっては、私が考えているよりずっと、忘れがたい苦い記憶なのかもしれない。
薄味の卵雑炊……というより卵粥を食べ終わっても、晴信は私に洗い物すらさせてくれなかった。まごうことなき病人扱いに何か言いたい気持ちはあれど、頑固な晴信に言ったところで聞き入れてくれるはずもない。ので、甘んじて上げ膳据え膳生活をさせてもらうことにした。
「ほら、薬」
食後に差し出されたマグカップはほんのりとあたたかい。中身は水ではなくて、少しぬるまった白湯のようだった。雑炊に白湯にとあたたかいものを口にすると、全身がぽかぽかと暖かい。薬を飲み込んで、ほうと一息つく私に、晴信は寝室を指さした。
「よし、飲んだら寝てろ」
風邪じゃないんですから、とは言えない、どこか有無を言わせない圧だった。
「じゃあ……薬が効くまでお言葉に甘えて、」
「薬が効くまで?」
聞き捨てならん、という視線にねめつけられてはもう仕方ない。どちらかというと私のためではなく晴信の安心のために、ベッドにもぐりこむしかなかった。せっかく二人で過ごせる休日なのにこのまま一日横になっているのは退屈だしもったいない気もするけれど、横たわって布団に包まれると幾分楽になるのも事実だった。
「つらかったり、ほしいものがあったら呼べよ」
甲斐甲斐しくベッドの横までついてきた晴信は、見届けて安心したのかようやく表情を緩めている。過保護ではあるけれど、間違いなく心配してくれているのは痛いくらいに伝わった。
「晴信」
病人扱いされたせいか、少し心細くて一人になりたくない。私に手を伸ばされた晴信は、何も言わずにその場に座って手を握ってくれた。
「何から何までありがとうございます」
「ああ」
いいんだ、と、薄く笑う晴信は、私の顔から視線を外す。手を握ったまま立ち去りがたいのか、しばらく晴信も私もそのままだった。ただ、なんとなくその表情に気がかりを感じて、どうかしたのかと尋ねてしまう。「なんでもない」とは言うけれど、晴信は嘘が下手だ。
「なんでもない顔じゃないですよ」
何か言いたいことがあるんじゃないのかと聞けば、やっぱり口を引き結んで黙り込む。これは図星を衝かれたときの顔。つないだ手に力を籠めると、ようやく晴信は観念したらしい。
「……気分のいい話じゃないと思うぞ」
「構いませんよ」
それはきっと、晴信が言いたいことというより、聞いてほしいことなのだろうと思った。相手は別に、私でなくてもいいのかもしれない。でも、私に打ち明けることで胸のつかえがとれるのなら、それが何であっても受け止めようと思えた。
「俺は……」
晴信は少し遠くを見つめる目をする。
「俺はおまえと再会する前に、何人かと付き合ったことがある。今日みたいなことも何度かはあった。うまく立ち回れないことだってあったが、慣れていって……だから今日、おまえをこうして助けられたんだろうな、そうだとしたら、あのろくでもない時期も捨てたもんじゃなかったのかもな……そう思っただけだ」
その語りからは、ウェットな部分がそぎ落とされたように感じられた。晴信が押し隠している後悔と慚愧の念が。
――俺もおまえが初めての相手だったらよかったのに。
あの夜の言葉の深意が、ようやくわかりかけてきた。晴信の未練は何も肉体的なことだけではなくて、もっと複雑に、入り組んだものらしい。
「……ろくでもなかったんですか?」
「ああ。俺だけがな。ろくでもない男だったよ」
好いてもいない相手と交際しては別れて、その繰り返しばかりを漫然と続けていた。そのうちに人をいたわる心が擦り切れたのかもしれない――晴信はそう自嘲する。そういう自己認識が、自罰的なことを言わせているのは明らかだった。
「擦り切れたりしてませんよ、貴方は、ずっとやさしい」
けれど言葉は、想いは、届かない。
「そりゃおまえにだけだよ。おまえだけに優しくできてるなら、まあそれでいいが……」
多分、晴信の中には物語ができている。晴信にとってその日々は、これまでの人生の汚点とでも言うべきもので、そして私に心を砕くことで、その日々に意味を見出そうとしている。なかったことにできないのならせめて、私との日々のためにそれらが存在していたのだと言い聞かせて、罪悪感と向き合おうとしている。そんな風に、感じられた。
「そうでしょうか?」
なんだか少し腹立たしかった。彼女たちは貴方のために用意された舞台装置ではないし、私だって晴信の過去を雪ぐためにここにいるわけではない。
「ある意味、過大評価ですね、晴信」
晴信とお付き合いした女性は案外皆、晴信のことなどさっぱり忘れているかもしれないし、そんな相手との出来事も大した思い出にはなっていないのかもしれない。そう言うと、晴信は「だといいが」と笑いながら、少し寂しそうだった。それがどんな感情であれ自分のことを覚えておいてほしいと願うものなのだろうか。晴信は、案外寂しがり屋なのかもしれない。一人で生きるのではなく誰かと共にあることを、私よりもずっと求める人のような気がした。
ふと思い出すことがあった。
「以前、貴方は私に言いましたよね」
もうずいぶん前のことのような気がする。晴信を脅して表面上だけの交際を始めてすぐのころ。貴方は何も知らない私に言って聞かせた。
――軽い気持ちで付き合ってみたらのめりこむこともあるだろうし、どれだけ強く想っていても、いざ付き合ってみたら理想と違うとか、あるだろ。
今思えばそれは、晴信の経験ではなくて、晴信が願った記憶なのかもしれない。
自分から強く求めることはなくても、誰かから言い寄られたり、想いを打ち明けられたりするうちに、もしかしたらこの人を強く想えるようになるのかもしれないと、そんな期待を抱いていたことがあったのだろうか。
だとしたら、なんていじらしいのだろう。
「貴方はきっと、誰かを好きになれるかもしれないと信じたから、そうなりたいと願ったから、ずっと差し出された手を取ってたんでしょう? 何度も繰り返したんでしょう? 人を信じていなければ、他人を信じることのできるやさしさがなければ、そんなことはできませんよ」
それに、きっとその過去がなくても貴方は誰にでもやさしかったはず。そうやって人を踏み台にしなければやさしくなれなかったなんて、そんなはずはないと言いたかった。それだけは、否定しなければならなかった。子供のころから貴方は私に、皆にやさしかった。いつも一人ぼっちになる私を気にかけてくれたし、この手を握って一緒にいてくれた。つらいことがあったときも寄り添ってくれた。誰よりも私のことを案じて、大事にしてくれた。
晴信は口を引き結んだまま、私の話を聞いている。
「私は貴方とは正反対です。誰のことも好きになれない、なってはいけないと思っていたから、誰の手も拒んだんです。こんな自分を肯定してくれる人は現れないと思っていたから、人を信じていなかったから、そんなことしかできなかった」
我ながらとても後ろ向きだったと思う。そう笑っても、晴信は頑ななまま。
「おまえは、事情があったと思ってたからだろう? 俺とは違う」
呆れた。晴信が色々考えこんでいるのは理解するけれど、それでも私にできるのはそこまでで、共感なんてとても無理だった。
「そうですよ。私は貴方とは違う。だからどうしてそんなに思いつめるのかわかりません」
だからいっそのことと突っぱねてしまったけれど、それはそれで晴信の望むところではなかったらしく、口をへの字に曲げて――多分、拗ねている。
「なんです? 慰めてほしかったんですか?」
ちょっとだけ愛らしい仕草に笑みが浮かんでしまう。しょうがない人。ベッドが半分空くように体をずらして晴信を招き入れる。私からすれば小さなことに思い悩む大きな体を抱きしめて、額に唇を寄せた。
「馬鹿ですね、晴信。貴方は私の慰めなんかに納得するような人じゃないでしょう? 押し付けられた答えで満足する人じゃないでしょう? 貴方は自分一人で、きっと納得する答えを見つけられる人ですよ。そういう自分を、誇らしいと思っている人でしょう?」
晴信は何も言わず、私はただ彼の頭を撫でている。
後悔に責任を感じて、それでも投げ出さずに受け止めようとするのは晴信らしいと思った。でも、その責任感の強さは彼を潰してしまう――ことはなくても、不必要に追い詰めているのではないだろうか。そして晴信が、それをよしとしているだろうことも、なんとなく感じることができた。
もしも貴方が自分を許せないのなら、せめて私は、貴方を甘やかしてあげたい。
「嫌な記憶だと思うのも、やめちゃってもいいんじゃないですか」
今すぐには無理だとしても、いつか昔の自分も全部まとめて、大事にできる日が来るはずだから。そのときまで、私は傍で見守りたい。
晴信は静かに目を伏せたまま返事もしない。なんだか昔の彼を見ているようでかわいらしくて、それから効き始めた薬のせいで眠気に襲われて、私もまた何も言わずにぬくもりに溶けかけている。と、晴信が私の首元に鼻先をくっつける。
「おまえは、俺の過去に、その……嫉妬してくれないのか?」
「え?」
眠気が吹き飛んだ気がした。
何を言い出すのかと顔を覗き込みたかったけれど、晴信は私の背を抱えて動かない。少し赤い耳元だけが視界の端に入っている。
拗ねてる?
……まさかやきもちを焼かせるためにこんな話をしたとは思わないけれど、予想していたより私が、いわゆる物わかりの良すぎる態度をとってしまったから、不安になったとか? 予想はできても、嘘をついてまで晴信が期待、あるいは想定していたような反応は返せない。
「貴方が言う通り、他の誰かにやさしくして、やさしくされて、それが今の晴信を作っているのだとしたら、過去だって貴方の一部ですから、それが嫌とかは思わないですね」
言いながら、なんだか不思議な感覚だった。成長を喜ぶ親の気持ちとはこんなものなのかもしれない。
「…………そうか」
晴信はやや落胆したように小さく漏らす。こんな大きな体をしておいて、本当にかわいい。かわいいので、少し慰めてあげたくなる。
「でも、昔の話を殊更細かく聞きたいとも思わないので……もしかしたらやきもち、焼いてるのかもしれません」
嘘ではなかった。私だって過去の誰かと比べられたらいい気はしない。比べられなくても、具体的なエピソードを聞きたいとも思わない。
「――そうか」
それでようやく晴信は満足……というか、安心したようで、先ほどよりもしっかりとした声が返ってくる。心なしか私の体に回っている彼の腕からも、緊張が抜けてしっかりとした力だけが感じられたようだった。
ところで、私にも少し気になることはある。
「晴信は?」
ん? と顔を上げた晴信は、少し眠そうな表情をしている。
「もしも私に、貴方以外との交際経験があったら、嫉妬しますか?」
「そりゃする」
眉間に皺が寄ったかと思うと、即座に一言。実に正直でよろしい。
ああ、だけど、嫉妬すると言われて少しだけうれしかった。貴方もこんな気持ちだったんですね。
苦笑した私を、晴信は誤解している。
「俺は独占欲の強いこどもだよ」
拗ねながら私の胸に顔を押し付けてくるあたり、開き直っている感が否めない。そうしていると、まるで幼いころの晴信が戻ってきてくれたようで、体の奥に光が燈ったような暖かさを感じた。その体を抱きながら、私も深く甘えたくなる。幼い私を、抱きしめてほしくなる。
「じゃあ、めいっぱい、独占してください」
互いのほかに何もいらなくなるくらい、強く抱きしめてほしい――けれど、晴信の腕に力がこめられることはなかった。訝しい顔をする私のほうに、ゆっくり晴信が顔を上げる。
「あんまりそういうことを言うんじゃない」
どこか困ったような不機嫌そうな顔だった。
「なんでです?」
どうしてそんな顔をされなければならないのかわからない私に、晴信は口ごもりながら答えた。
「……妙な気持になるだろ」
「――……」
そういうつもりで「独占して」と言ったわけではないのに、と、呆れている私に晴信は釘を刺す。
「さすがに今のおまえにそういうことはしないぞ」
「私だって貴方がそこまで堪え性がないとは思ってませんよ」
なら、いい。晴信は納得したのか安心したのか、よくわからないけれど満足したような顔だった。
仰向けに姿勢を変えると、晴信の手が私のお腹に乗せられる。大きくてあたたかい手のひらが心地いい。
「……なあ、あの頃みたいに痛むのか」
肘をついて私を見下ろしている晴信の声も顔も、私を心から案じている。そのやさしさに心配をかけたくなかったけれど、どうしようもなくうれしい。
「ううん、だいぶ楽ですよ」
「そうか……でも薬は飲むんだな」
「我慢できないほどではないですけど……仕事のある日なんかは飲んだ方が気がまぎれるので」
平気だと言っても晴信は安心せず、まるで自分の痛みのように表情を険しくさせる。
「やっぱり痛むのか……」
あの頃に比べれば耐えられない痛みというほどでもないし、それも一日だけで終わる。その一日がつらいのは、事実ではあるけれど。
晴信は少しためらいがちに言い淀む。
「興味本位の質問だから答えなくてもいいけど……どんな痛みなんだ?」
その疑問はもっともなことだと思う。男性の体では感じることのできない種類の痛み……でも、似たような痛さはあるのかもしれない。私の身にそんな痛みが、今のこれ以外に存在するのかと言われると疑問だけれど。
「どんな……どんなと言われても……そうですね……内臓をローラーで丹念につぶされている……感じ?」
腹痛とは少し違うような、かといって外傷による表面的な痛みも全然違うような……。迷った挙句、この絞られるような痛みをそう表現すると、晴信はサッと顔色を変えた。
「――」
いわゆる、血の気が引いたような顔色に。
「……やっぱり一日寝てろ」
「えー……?」
痛みがどんなものかを聞かされて、私を休ませるという意思がいっそう強くなってしまったらしい。余計なことを言ってしまったというわずかな後悔はあったけれど、私にはそれ以上晴信を拒む意思はなかった。
「おまえが寝るまでここにいるからな」
その言葉は脅しのつもりか、それとも。「はいはい」と私は小さく笑って目を閉じる。
傍らにいてくれる体温を感じる。お腹の上に置かれた熱が、じんわりと体中に広がっていく。紛れもない幸福感に包まれながら、私はゆっくりと眠りの中に落ちていった。