人影もまばらなバスを降りると、そこは相も変わらず異界の入り口のように静かだった。
男の目の先には、百年以上前に石畳で覆われたきりの狭い上り坂が続いている。自動車のようなものは端から想定されておらず、斎(いつ)く者の歩みだけを受け入れている。男は神の教えを知らず、また殊更に知ろうともしないが、墓参を拒まれたことはなかった。しかし、このバス停に降り立つといつも、厳粛な空気が男の内側を清めていくような気がした。目的地までは、さらに距離があるにもかかわらず。
男が坂へと歩を踏み入れると、ゆっくりと坂を下る黒衣の老婦人と行き違った。両者は薄い微笑みだけを浮かべて軽く目礼を交わす。他人と言えど深い悲しみを知るもの同士の儀礼めいたやりとりが、男は嫌いではなかった。
坂は緩やかだが、長い。山道というほど鬱蒼としてはいないが、都市部のようには人の気配は感じられない。道の両脇には低木が植わり、季節によっては野花が咲くこともあった。若いころは何を感じることもなかったのだが、それらは墓参者の心をいくらか慰めもするのだろうと、男は素直に受け止めている。
目的の墓所まであと半分、というあたりから男の息は上がり始めた。額には僅かな汗も滲んでいた。しばらくして立ち止まり、息を整えながらふと思う。前回はもう少し先まで一息で行けたはずなのに、と。そうしてまた、薄い笑みを浮かべている。呼吸が乱れる原因は紛れもなく年齢を重ねたという事実だが、彼は己の衰えを自嘲したわけではなかった。ただ、こうして今の今まで生き永らえていることに些か後ろめたい歓びを感じ、同時にそんな心境に至ってしまった自分の変化が少し、可笑しかっただけだった。
あとどのくらいだろうか、と、ここに来るたびに考えてしまう。かの人が眠る場所は限りなく近く、気が遠くなるほどに遠い。訪れようと思えばいつでもできるのに、同じところに自分が到るのは果たして――
上空を旅客機が横切っていく。数十秒遅れの轟音が聴こえなくなると、男は再び歩き出した。風はなくとも、薄曇りの朝は肌寒い。
男は小高い丘の上の墓地にたどり着く。入口に佇む聖母子の像は変わらない、何かを告げんとする御使いの像も変わらない。物言わぬ石像には一礼をするでもなく、男は緩やかな歩みを進めていく。
広大な敷地内に、人の気配はなかった。
墓地を訪れるたび、男は時間の流れからはじき出されたような気分になる。きっと、かの人を亡くしたときのことを思い出すのだから、そう感じるのだろう。しかし喧騒から切り離され、灰色の石と十字架が規則正しくどこまでも続いているここは見たこともない世界の終わりのようで、もし墓地というものが彼岸と此岸の境界なのだとしたら――自分も少しずつ、あちらに近づいているのだろう――ゆえに、肉体に刻まれた年月のことを、しばし忘却してしまうのかもしれない。
死者の間を歩く。名も知らぬ誰かがそこに生きていたことを、静かに示す標の中を進んでいく。
白い亡者たちの囁きが聞こえる気がした。いつかお前も役目を終えて、ここではない場所で朽ちた墓標になり果てるのだ、と。そんなことはとうに理解しつくしているし、男はそれが悲しいわけでも恐ろしいわけでもなかった。かと言って喜ばしいとも感じない。いつか、もっと若い時分の彼は、それを渇望したこともあったかも、しれない。だが――
確かに抱いていた強い感情を薄れさせる年月というものに対して、どんな言葉を当てはめていいのか、まだ彼にはわからなかった。惨いのだろうか、それとも優しいのだろうか。どちらも違う気がした。時間という、主体的な自我などあるはずのないものに寄り添うことも寄り添われることも、人の勝手な感傷に過ぎない。
薄れるものがある一方で、後悔と罪悪感は揺るがない事実としていつまでも在り続けた。愛した人を死に至らしめ、自分だけが漫然と生き続けているこれは、紛れもない罪だ。男は長年そう感じていた。このような生き方しかできないことを恨みもしたし、そのような生き方しか赦されないのだと己に言い聞かせてもいた。
けれどいつからだろうか、悔恨も罪の意識も彼女への愛情が前提であると気づけば、じんわりと鈍い痛みが広がるように歓びが塗り重ねられていった。
愛してその人を得るのは最も幸福で、愛してその人を失うのはその次によい――という言葉がある。かつて男はその言葉が本当に、嫌いだった。所詮失ったこともない果報者が、耳あたりの良い言葉を連ねただけではないのか、と。
しかし今、愛した女を失って数十年を経て、男は確かに『己は真実不幸であるのか』という疑問を否定できなかった。ただ一人を、己の末期の瞬間まで想い続けることのできる生が、どうして不幸だと言えるのだろうか。
立ち止まり、男は跪く。墓石には、かの人の名が刻まれている。刻まれた当初はおそらく、文字の輪郭は鋭く整っていたのだろう。今、指先で触れる懐かしい響きはやわらかい。数十年の月日はあらゆるものに等しく降り注ぎ、洗い流し、残るべきものだけを残していったのかもしれない。
一生を捧げるというのがどういうものか、男にはわからない。そんな経験がないからだ。しかしあの日から、彼女を失ったあの瞬間から、彼は常にかの人を想い続けている。それを以って一生を捧げていると嘯くのは欺瞞だろうか。失わなければ、生涯思い続けることもなかったかもしれない。失ってしまったからこそ、際限なく美化され続ける記憶に囚われているのかもしれない。
しかし思い込みであっても歪んでいるとしても、男にとって日々は不幸ではなかった。もはや幸不幸を論じるのも的外れだと思えるほど、彼女を想う月日は彼にとって存在して当たり前のものとなっていた。
男はいつからか、愛した人――愛する人を想うたびに、自らの内側が満たされていくことを自覚した。それまで彼自身を含む、彼女を死に至らしめたすべてに対する憎悪の炎が彼の身を焼いていたというのに、数十年を経た今、気が付けばただ穏やかな凪がどこまでも続いている。
幸福、なのかもしれない。
死んでしまった人に対してそう感じることは不義理としか思えなかったし、受け入れがたかった。彼を知る人たちが『きっと彼女も男の幸福を願っている』と慰めてくれたこともあったが、そんなものは生者の理屈に過ぎないと、頑なに受け入れようとしなかった。彼女を失った悲しみは、自分だけが穏やかに生き永らえていいわけがないという罪悪感に変わって、いつまでも男の胸中に澱として残り続けた。
しかし――その罪の意識もまた、彼女を想うがゆえなのだとしたら。
彼女を愛し続ける想いが、その時々に形を変えているのであれば。
それは幸福なのではないか。
男は、受け入れることにした。受け入れるほかなかった。受け入れてもなお彼の胸を刺すほどの悲しみはそこにあったが、悲しみがもたらすのは必ずしも苦痛とは限らないことを知った。
かつては彼女へのあらゆる想いが、記憶が薄れて消えることが恐ろしかった。しかし今、男は苛まれながらも愛を抱き続けている。何もかもを忘却してしまうことに比べれば、なんと満ち足りた生だろうか。彼女が生きていたころと変わらぬ愛を、ややもすれば、あの頃よりも純度を深めたかもしれぬ愛をその身に宿し続けている。こんなにも罪深いままに生き続けられることを、赦しと言わずしてなんと言おうか。赦しでないのなら、幸福としか呼べないではないか。
男は墓石の前に花束を横たえた。白いばらの花弁の、外側の数枚が落ちる。それを拾い集めてゆるく握りしめる。彼女の墓前で手を合わせるべきなのかどうか、男にはわからないが、形ばかりの正しさに殉じようとは思わなかった。ただ静かに瞼を閉じれば、在りし日の姿がそこにある。それで十分だった。
自分は変わっただろうか、変わらずに――変われずにいるのだろうか。それが良いことなのか悪いことなのか、褒められることなのか憐れまれることなのか、何もかもはすべてが終わるときにわかる気がした。だから、
今年も、まあ、なんとか生きてるよ。
笑ってしまうほど格好のつかない報告は、口には出さなかった。報告というのは、少し違うかもしれない。葬儀が生者のためにあるように、墓参りも墓参者のための儀式だろうから、ここですることはすべて己のための行為に違いあるまい。それは懺悔か、内省か。ともかく男はそれを、数十年続けてきた。そしてこの先も――もう、あとどれくらい続けられるかはわかったものではないが――生ある限りは果たしたいと思う。
男は立ち上がり、しばし墓碑をじっと眺める。刻まれた名を口に出して呼ぶこともせず、またな、とも、言わず、ただ風が吹きすぎるように静かにその場を後にした。
ここは何もかもから隔てられた聖域、鐘も鳴らなければ讃美歌も聞こえはしない。ただ静寂だけが永劫に横たわっている。
すべては、静かに流れていく。
残された花はゆるやかに、朽ち果てるのを待つ。
分け隔てなく到来する終わりが、その身を撫ぜていく瞬間を。